29話 悪女、一献
「龍煌様、一杯いかがでしょうか?」
緑翠妃の一件が解決してからしばらく経った晩のこと――蘭華は微笑みながら酒瓶を龍煌に見せた。
「なんだそれは……酒か?」
「ええ。今回のお礼に、と。鴎明お父様から頂いたのです。慧も一緒に、と思ったのですが……丁重にお断りされてしまいまして」
遠慮しなくていいのに、と物憂げにため息をつく。
こんな主人を持ってつくづく彼女も大変だろう、と龍煌は慧に同情した。
「…………毒は入ってないだろうな」
訝しげに眉を顰める龍煌に蘭華はくすりと笑う。
「入っておりませんよ、きっと。私が毒味致しましょう」
そうして二人は縁側に座り、月明かりの元で盃を交わしはじめた。
「……悔しいが、美味いな」
盃には白濁したすこしとろみのある酒が揺らめく。
一口飲んで、その美味さに龍煌は眉を寄せた。
「龍煌様は鴎明お父様が苦手ですか?」
「……なにを考えているかわからないからな」
「私もなにを考えているかわからない、とはよくいわれますが……」
「お前は……まあ、別だ」
なんて二人で言葉を交わしながら、穏やかな時間を過ごす。
「まさかこんな風に月を見上げながら、のんびり酒を飲む日がくるとは思わなかった」
盃を手に、龍煌はぼんやりと月を見上げる。
日の当たらない地下牢で、ずっと孤独に過ごしていた。少し前まで、妃を持ち、宮を持ち、こんな風に生活するなんて夢にも思わなかった、と龍煌はひとりごつ。
「よいことですよ。地下牢に閉じ込められていた廃太子様が、緑翠妃様を救い、そのお子も救った……大団円とはまさにこのことです」
「……これもお前もお陰なのかもな」
「おやっ、おやおやおやおやおやっ!」
「…………聞き間違いだ」
ぽつりと呟いた言葉に蘭華は過剰に反応し、身を乗り出しながら龍煌に迫る。
余計なことをいうもんじゃない、と龍煌はすぐに視線を逸らした。
「……ずっと聞きたかったことがある」
「なんでしょう?」
「蘭華。お前は一体何者なんだ。何故、俺やどんな呪いに触れてもお前は無事なんだ」
龍煌も、そして蘭華も互いに一切目をそらすことはなかった。
「私にはどんな呪詛も効きません。そういう風にお父様に作られました」
「作られた……?」
「この世のありとあらゆる呪詛をこの身で試されたのですよ。その結果、私にはどんな毒も効かなくなった」
壮絶なことを笑顔でさらりと告げる蘭華に、龍煌は動揺した。
「一体なんのためにそんなこと……を――」
その瞬間、龍煌の目が途端に落ち傾いた。
そのままこてん、と蘭華の肩にもたれ掛かる。
「おやおや」
力が抜けた龍煌の手から盃が転がり、龍煌はすうすうと寝息を立てているではないか。
「これは意外。龍煌様はお酒が弱いのですね。それに酔うと饒舌でいらっしゃる」
これはいいことを知りました、と蘭華は愉快げにくすくすと笑う。
そして蘭華は龍煌を見つめながらこうつ呟く。
「すべては龍煌様と出会うために。そして、この後宮をぶち壊すために私はここにいるのです――愛しておりますよ、龍煌様」
そう微笑む麗霞の目は、どことなくあの養父と似ているような気がした。
少しは夫婦らしくなってきた二人のいちゃいちゃ……?
次回から次章開幕です!




