跳ね橋を上げろ!城門を閉じろ!奴らが来るぞ!
無数の艦船による敗残の列。
それこそ、とても外洋を航行できるとは思えない民間船すら交じる敗走の羊達が、腐り果てた牙に掛かるまいと必死の逃走を図っている。
目指すのは新大陸、若しくは新大陸行きの希望の船が待つグリーンランドだ。
羊たちは必死だ。そして彼らを守る猟犬たちも。
落伍は許されない。燃料切れ、整備不良、過積載、理由は数あれど落伍すれば置いて行かれる。
人倫に掛ける、シーマンシップが許さない、本来であれば猟犬は羊を守る為に死ぬべきだ。
だが今回に限りそれは許されない。それは猟犬達が余りに優し過ぎたからである。
エディンバラ、グラスゴー、アバディーン、追い詰められメェメェと悲鳴を上げて助けを求める羊の群れを、猟犬たる英残存艦隊と米大西洋艦隊は甲板を埋め尽くすまで乗せに乗せて戦闘機動などとても取れた物ではない。
少なくとも血の通う人間がアレを見捨てる事など出来ようか?
無理だ。アレを見て彼らを見捨てる事等出来ない!
燃え上がる街、港に溢れて海に落ち、千切れたもやい綱に弾き飛ばされて両断される羊の群れ。彼らの後ろには任務に殉じたドン亀たちが煮え滾るスープ鍋に放り込まれて藻掻いていたのだ。
それを見捨てろ?無理だ!無理に決まっている!なぜならば自分達は人間で「あいつ等」とは違うからだ!
「無様だ。そう思わんか先任?」
「そうですなぁ、あんな物で逃げ切れると思っておったんですかなぁ」
猟犬達が言う「あいつ等」その一人であるUボート艦長リヒター大尉は、潜望鏡から「落伍した羊」である避難民を満載した三隻の民間船、それを見捨てられず残った、残ってしまった沿岸用特設防空艦を見て隣にいた先任士官であるコンラート中尉に声を掛けた。
「なぁ、先任?腹が減ったと思わないか?」
「思いますなぁ、手酷く空いとります。なぁ諸君?君らもそうだろう?」
艦長の質問に答えたコンラートは、牙を剝き出しにした薄ら笑いを浮かべ、他の乗員に呼びかけた。
乗員の答え。それは「当然の事を聞くな」と言わんばかりの唸り声。
彼らは飢えていた。
新型UボートであるU-666の乗員である彼らは、嘗て乗艦していた旧型と違い、「艦その物」と「餌」の取り合いを強いられている。
こいつときたら、折角積み込んだ新鮮な餌を自分たちに断りもせずに食い荒らすのだ。勝手に乗り込んで来るネズミ共より酷い。
キールではモモ肉は品薄なのだ。だが艦内に吊り下げられている熟成中のヤンキー産を奪い合う中のネズミ共も食っている様なのでそこは有難くもあるが。
いや良く考えると、肥えたネズミもあれで乙な味であるから、こいつは人の食い扶持を奪う盗人としか言えない。何故に自分達は盗人に命を預けているのだ?
唸り声の主たちは、恨みがましい目で艦内の計器を睨みつけた。
「ぷっ、、、ククク、、、」
そんな様子に思わず吹き出してしまう。コンラート中尉は、笑いを隠せぬ声で
「一同、意気軒高であります、艦長。晩飯にしましょう」
と乗員の思いを代弁する。その声に対して艦長であるリヒター大尉は命令を下した。
「うん。では頂くとするか。狼煙を上げろ!浮上用意!」
途端に忙しくなる艦内。魚雷発射管に注水が始まり、中に詰められている「狼煙」から濃厚な血の匂いが海中に流れ出す。直ぐに海狼の群れはこの海域に集まってくるだろう。
狩りの時間だ。
ドイツの明るい食卓は、新鮮で栄養豊富なイギリス産の羊を待っている。
「その前に少~し味見だ、なに、罰はあたらん」
潜望鏡を戻した艦長は小さく呟き、舌なめずりをした。これは役得と言う物なのだ。
急速に浮上していく新型潜水艦U-666。
その姿。皮を剥がれた鯨としか言えない赤黒い肉の塊が水上に姿を見せた後、立ち込めた霧の中、砲声と絶叫が海に響いた。
何が起こったか?言える事は、海の狼たちは腹いっぱいに食べたと事だけである。
英本土の陥落。
それは帝国の崩壊を意味した。(アイルランド?反乱したよ秒速で。あそこでジャガイモを添えられて丸焼きにされている北アイルランド総督が見えない?長い事戦争していたのだ、とっくにドイツは浸透していた)
スエズは閉塞した。
戦車の群れが不遜な占領者を引きずりまわし、新たな奴隷はビラミッドの修復工事に動員されている。この度の工事ではビールもパンも配給はされない。
死んだら死んだで再利用だ。君たちも同じ事を植民地にしてきたのだろう?
アラブは混乱の中にいる。
天を覆う大樹の葉、その刃先が奪われた物を目指している。
最後の皇帝は約束の時が来た事を先に帰ってきた父祖たちに高らかに宣言した。だがそれを簡単に受け入れるポリス諸国家ではない。
国父は築き上げた国を決して見捨てない。それは国民も同じである。トルコは抵抗する例え最後一人になっても。
だが彼らに虐殺された諸民族も恨みを忘れてはいない事を忘れてはいないだろうか?
光明神の名の元に栄光を目指して不死隊は進軍する。今や彼らは文字通り不死なのだ。
聖地に流れ続けて来た血が噴出する。塗りこめられた壁と言う壁から、投げ入れられた井戸と言う井戸から、血の津波が溢れ出して人々は逃げ惑う。
ケイオスだ。混沌だ。英国は後先考えず死者を掘り起こしたのだからこうもなろう。流石の大死霊術師も調停なんぞする気も起きない。盛大に殴りあって勢力域が確定するまで放置と逃げた。
大英帝国の手から零れ落ちた至宝は怒りに燃え上がっている。
一つの旗の元に集まる事は出来ずとも、死んだ者も生きている者も、先ず元主が生存し続ける事を許さないという意見では一致している。嘗て晒された白骨の様に、インド帝冠を不遜にも頂いた女王に仕えた者は一人残さず晒されるべきなのだ。詐欺師の囁きに耳を貸し死者の動員を焦熱の大地に強いた者の末路である。
ビルマの地も同じく。仏教徒が平和主義者等と誰が言った?修羅の地に魔王アラウンパヤーは帰ってきたのだ。タイ王国は悲鳴を上げて日本に助けを求めた。
事此処にいたり強かな外交等無意味である。狂奔する世界を観察し、チャンスをまっていた中立国は銃を取る事を強制された。遺憾ながら去った王に帰還をお願いしてだ。
王国がこうならばインドシナが無事な訳はない。史実とは違いマダガスカルに本拠を置かなかった、自由フランス軍は血祭に上げられた。
オランダ王国は再起の目を完全に失った。諸島で報復が始まっている。長い穏健な統治?植民地への投資?関係あるか?踏みしだかれた者にそんな物。
「「ただお前たちが強かっただけだ。強いから許された。強いから従った。強いから組しかれた。衰弱し喘いでいるなら死ね!死んで今度は俺たちの奴隷になれ!今までの様に!この先永遠に!」」
剥き出しの憎悪がジャカルタを燃やした。
分割されたアフリカ。これを抑え込める力は欧州には無い事は明白となった。死者の軍勢がいようといまいと、諸民族は立ち上がり反旗を翻す、人類の始まりの地は主人の手を離れつつある。
孤軍奮闘を余儀なくされている南アフリカにズールーの殺戮が襲い掛かる。
砂漠の中に、いまだ闇深い密林のに、広大なサバンナに、孤立する植民地都市に腐敗と精霊の怒りが迫りつつあった。
ピレネーの防壁は破られた。奇しくも憎み合い殺し合ってきた人々は、フランコ将軍の元に結集して腐敗の闇に立ち向かってきたが、それも遂に綻んで来たのだ。
カール大帝の時代より幾星霜。フランス皇帝の苛烈な侵略より百数十年、何度目かの巨人がアンダルシアの地を版図に加えるべく山を越えた。この世界では無関係でいる事はできない。
攻めよせる理由?「属州の解放!」「正当な権利の要求!」「カルタゴは復権する!カルタゴノヴァを奪還せよ!」
黴臭く、押し込めて忘れ去った筈の過去が攻めて来たのだ。馬鹿らしくあり得ない筈なのに。そしてそれな内部からも、、
「「「王朝は蘇る!グラナダを我が手に!」」
平和維持。そんなお題目で香港・マカオは取り返された。攻め入る中華民国(南京国民政府より改称)兵士たちの心は唯一つ。
「「俺たちが化け物共と暮らしているのに呑気にしやがって!お前らも不幸になれ!」」
大日本帝国も遂に動いた。
お題目は下僕たる中華民国と同じく平和維持である。
平和の維持!
何とも素晴らしい言葉だ。これだけ言っていれば全ての悪行は許されてしまいそうだ。混乱を収め、慎ましく生きる人々を救う為の義挙、崇高な使命、已むに已まれぬ限定した軍事行為。
馬鹿抜かせタコ!全部お前が仕掛けた事だろうが!と神の視座にある方々は言いたくなるだろうが、それを知り得ぬのがこの世界の定命の世界の住人たちである。
今や世界で一応は真面に運行している国家はユーラシアでは日本率いる「帝国連合」諸国家だけだ。それが、今回の混乱を収める為に行動すると世界に宣言し堂々と軍を動かし始めた。
「私に罪はございません!私も分からないんです!何故にこんな事になったんでしょう!嗚呼、素晴らしい新技術と思って皆さまに無償で提供して来たのに!嗚呼何たる不幸!何たる悲劇!責任をとってこの混乱を収めて見せます、、、あっ!何という事でしょう!進駐した地域の制御に成功しました!何?我ら帝連に参加したい?そうでしょう、そうでしょう!民族自決ですからね!本国機能も皆さま喪失している事ですし、独立しましょう!そうしましょう!」
白々しい事夥しい。それで隠しているつもりなのだろうか?彼らは何を望んでこんな猿芝居をしているのだろうか?




