何かお薬でもキメていらっしゃる?
悪夢で飛び起きた全米はパニックに陥った。
同月同日同時間。大体、早朝4時程に安らかな眠りから叩き出されて、アパートの住民は一斉に叫び声を上げ、子供はギャン泣きし、大人はベットから転げ落ち、当直勤務に付いていた公務員の皆さまは響き渡る絶叫に椅子から飛び上がり飲んでいたコーヒーを膝に落として悶絶した。
太陽が昇り一日が始まれば、家庭で職場で学校で今朝の悪夢を人々は語り合い、家族が同僚が、皆が皆同じ時刻に同じ物を見たと驚愕した。
こうなると勘違いであるとか気の迷いであったなど思う訳には行かない。ラジオからは奇妙な出来事の情報が流れ出し、大手新聞でさえ紙面を割いて報道する。
史実であれば一時のパニック、歴史の中に消える奇妙な出来事と後々笑い話になったかもしれない。だがこの世界では違う。
この世界は死体が歩き、死体の軍勢が人類文明を脅かしす脅威として認識されている。知る権利を誇りを持って称揚する全米の人々は、連日の報道により欧州がドイツ渾身の自爆により死者の手に落ちたと知っているのだ。
魔法としか言えない事が存在する。更にその恩恵で不老の奇跡を存分に享受している、神も悪魔も存在するとしか思えない。
困惑は疑念に疑念は確信に変わるのに時間は掛からなかった。
悪徳商人帝国が何かしたのだ。絶対に何かしたのだ。出なければ泥酔状態のかの国の元首が全ての文明社会に大声で喧嘩を売る悪夢など見ない。これまで合衆国国民は一躍金満国家となった詐欺師の帝国の皇帝をよーく知る様になったのだからその顔を間違いようもない。
そも全ての始まりはあの国なのだ。合衆国大統領が閣僚を相手に怒鳴り散らしてから間を置かず、第一犠牲者は出ていた。
集団で。
怒りの向きは手近な所に向かったのだ。普段は黒人を密かに吊るす団体が、信心深い隣人が、商売仇の商店主が同じ国籍を持つ者たちを襲ったのだ。
皆若いから血の気も多い。あっと言う間に日系人が全米で襲われる事態が多発、これを止めようとする警察との衝突も続発する。
となると当然に大日本帝国はこれに抗議する。
「何故に合衆国は罪もない日系人を虐待するのか!邦人も襲われていると聞いているぞ!何と無体!何と言う人種差別!これが太平洋の融和を重視し、日米の友好を推し進めてきた帝国への仕打ちか!これが民主主義国家のやる事か!」
駐米大使、駐日米大使に怒鳴り込んだ外務省次官の主張はこんな感じだ。彼らの抗議はもっともな事だ。対して衝突もなかった太平洋の向こうの隣人が無体な事をしているのだから正しい主張である。
どいつもこいつもニヤついているか、隠しきれない喜悦で長い犬歯がチラチラしていなければ厳粛に受け止めなければいけない事件である。
列島の住民たちもこれには沸騰する。裏切られた!。軍備を縮小し、栄光の連合艦隊を沿岸海軍レベルに落とし、技術も提供したと言うのに理不尽極まる!。
これに応える様に日本政府は米国に対して奇跡の薬の禁輸を爆速で決定し、対して米国も日系人保護の名目で収容所の開設を行う。
止められない憎しみの連鎖が始まり、平和であった太平洋に嵐が訪れようとしていた。
さて、ここで何で此処までこいつ等は沸点が低いのかと思う方もいるだろう。方や悪夢を見たと言う理由で自国民を強制収容し、方や巨万の富を生んでいる日米間の貿易停止を国民が支持する。
馬鹿の所業である。これまで友好ムードだったのだ。問題はあれども、話し合い妥協点を探るのが普通だ。史実日米間でも、もっと段階を踏んで戦争に突入した。
種を明かそう。
先ず日本国民について。彼らはなーんも知らない。無知で蒙昧、太平楽を決め込んで、不気味で陰鬱だが進捗する経済と便利になっていく国土と、連戦連勝、皇軍の進む所全てが平伏し、これまでの仇敵たちが相次いで倒れていく事を心底喜んでいただけだ。
史実戦後の高度経済成長と日清日露の勝利が、なーんもしていないのに、纏めて自分たちの元に転がり込んで来たとしか考えていない。
それもその筈である。真実など国民は知る事は出来ないのだから。
邪魔者は全て消えた。国内に存在した社会主義者は死ぬか、新鮮な食糧を悪鬼の食卓に提供する血袋となり全国に陸海駐屯地に吊るされており、国論を煽る事しかしなかった売文屋は恐れて縮みあがっているのだ。そして、勇気ある者は真実を探りに霧の中に消え二度と帰ってこなかった。
実質的に日本を牛耳る財閥たちはどうか?永遠に自分の王朝を支配できる誘惑に、少数でしかない一族たちが逆らえると思うだろうか?
彼らは御上の赤子になったのだ。文字通り血を分け当たえられ、親に逆らえないレッサーな悪鬼になり。世界の経済を自分達の王朝の元に統合する野望を燃やして政府、、というより御上に誓っている。
今や政官財の全ては二人の意志に動かされている。永山と御上だ。勿論我儘言い放題で主に丸投げされる永山に負担を掛けてはいるが。
そうなると国民はどうすれば良い?無駄である。ここにはインターネットはない、ソーシャルなメディアもない。情報は新聞とラジオ、近頃街頭に並ぶ様になった巨大水晶玉テレビ位しかない。
流れ出て来る情報は耳に目に心地よく。経済は順調で兵隊には取られない。なんか仏壇や神棚の方からご先祖様の「ソナエモノオクレ!サケデモノマナイトヤッテラレナイ!」「ジゴクデモヤスミクライアルゾ!」「ナガイキシロ!シンダラシネナイ!ヒドイサギ!エイエンホウコクダメゼッタイ!」等が聞こえるが、人生まだまだ長いから気にしない。
日本全国が御一新の頃からの苦労が報われた気分だ。だからこそ米国の裏切りは許せない、自分たちは此処迄世界に配慮していると言うのになぜ?
連戦連勝と言えど領土を要求しているわけではない、支那には正当な政府が立ち、全世界共通の脅威だったソ連はアメリカ様の大好きな民族自決の旗の元細分化して、自爆したドイツの収拾に帝国は各国と協調して事に当たっているのである。
「米国暴挙に出る!日系人を救へ!政府は帰還事業を早急に実行せよ!」「帝国同盟を世界に!欧州治安は我らが守る!」「植民地を解放せよ!我らは出来る!民族の独立と自立を世界に!」
と紙面が賑わせても国民は受け入れている。おめぇ朝鮮支配している身分でそれ言えるか?と言われるかもしれないが、一応朝鮮総督府を自治政府に格上げすると言う議論も受け入れられる程、日本国民は穏やかになっているので問題なしだ。裏から支配できるなら、政府は何とでも言えよう。(台湾は内地なので議論の余地なし)
何より、今や帝国は押し押されぬ国家になったとの自負がある。例え米国と言えども負けない、勝てないかもしれないが、五分に持ち込んで諦めさせる事はできると国民には自信があるのだ。
海軍力は?と等と聞いてはいけない。「政府の言う事は正しい!現に支那にもソ連にも勝った!大陸には強い味方たちだっている自分たちは一人ではない!やれる物なら掛かってこい!」
これが日本の現状である。
対して米国。これは簡単。悪夢の一夜から向こう、全国民に不定期で放送が送られてくるのだ。
「バッドモーニングー!USA!今日は貴方達が今後どーなるか教えてあげちゃわ~!」
またあの悪夢だ。人々は必死に自分に目覚めよと言い聞かせるがそれは無駄な努力と言えた。
「今日のゲストは元統領!ハーイ!元気?あら痩せたみたいね?一杯たべなきぁ~良い血牛にはなれないわよ~。ほーらあーんして?」
「ワイを見ないでぇ!止めろ写すなぁ!そんなもん食わへんぞ!止め止め、、、もがぁ、、マッズ!冒涜やこれ!」
裸に剥かれた統領が口に何かを押し込まれている。殆どのアメリカ国民が未だ知らないソレは、分厚くトマトケチャップがたっぷりでパインが乗っていた。統領は気絶するまで押し込まれ続ける。
「ほら頑張って!まだ95枚めよ!目指せ千枚!それだけ描けばあなたも名画家になれるわ!」
「休ませてくれぇ、、、吾輩もうダメ、、、なんでこんな、、、ヒドイ、、第一なんだこの題材は、、吾輩の大ドイツが、、、、ヒムラー!裏切り者!息子を返せ!」
鎖に繋がれた元総統が絵を描いている。彼が描いているのは猖獗極めるドイツ人肉市場と、彼を裏切った親衛隊長官と愛しい息子の聖父子画である。彼は自分の国と子が弄ばれ冒涜される姿を描き続ける。
愉快な悪夢は続く。
荒野にレモンを植え続ける書記長、彼を嬉しそうに鞭打つ元政敵の木乃伊たち、トロツキーが偶に蹴りを入れている。
革命の虚しさを解くレーニンと項垂れた赤軍兵士たちの列、彼らはその足で固く冷たい大地を汚れた豊穣に変えるべくただ黙々と鍬を振るっている。愉快下にそれを見る死した貴族たちの姿があった。
最後の扉が打ち破られ、勇敢なるスイス衛兵たちはフランス革命以来の名誉ある死を迎えた。祈りの言葉はもう届かない。寛大にも皇帝たちは還俗を許し、聖なる御座は神々の元に戻る。全ての罪を背負って逝った彼はパンテオンを構成する一柱に迎えられる事になる。バチカンが、その精神そのものと一緒にが燃えている。
長く続く串刺しの並木、生首の通り、皆、呻き、許してくれと叫んでいる。
プカプカとブダとペストを流れる川が膨れ上がった死者を包んで優しく流れている。
パンを求める民衆が妃の慈悲に縋っている。それを慈父の眼差しで見やる王がいる。早急に過ぎた愛すべき民はやっとわかってくれたのだ。
以上を見せられる。そして少女と思しき声は告げる。
「待っててねぇ~!直ぐ行くわ~」
「日本はなんと言っている、、、」
数える事を諦めた悪夢の翌日。大統領は隈の出来た顔で閣僚らに質問した。
「知らぬ存ぜぬの一転張りです、、、こちらが謝罪しな事には輸出も再開はしないと、、、」
こちらも隈の出来た国務長官は答える、最近は眠るのが怖い。
「そうか、、、準備は、、、」
「進んでいません。先ずは英国の求める欧州解放を行わない事には、軍を戻す事は不可能かと、、、」
「では急がせろ!構わん!ベルリン事吹き飛ばせ!例の兵器は実用化できたんだろう!」
「ですが数が、、、ここで大量に使うとなると、生産が追いつきません。想定される対日戦にはどれ程必要かも試算できていない現状では、、、」
「だから構わんと言っている!あの忌々しい悪夢を止めるんだ!このままでは内戦が起こる!それが君には分からんのか!国民は我慢の限界なんだ!君たちも同じ物を見ているんだろ!分かっている筈だ!」
憔悴の大統領は軍閣僚に怒鳴る。それ程の被害なのだ、あの精神攻撃は。
「「もう良い!止めてくれ!戦争だってしてやる!宣戦布告だ!」」
合衆国の朝野は殺気だっている。日系人の保護は別段に人種差別だとか意味はない。放って置けば虐殺に発展しかねないからの苦肉の策だ。
大統領だとて、直ぐにでも対日宣戦布告の後、東京湾に艦隊を殴り込ませてやりたい。だが一度動き出した戦争機械を止める事は、如何に合衆国軍の最高指揮官でも不可能である。
本音では無視したい。どうせ欧州は死体安置所なのだ。だが作戦発動が間近に迫った今、その安置所で蠢く死体が不穏な動きを見せているとならば別であるし、能天気な事に大日本帝国が「ともあれ欧州情勢が不穏であるから対立は置いて、我が国は欧州解放に協力しよう」等と言ってくれば、喚きたてる元主人を無視する事も出来ない。
「半年だ。半年以上は絶対に掛けない。それまでに、欧州を焼き尽くしてでも戦争を終わらせる。核兵器の量産を急がせろ」
怒りを押し殺して席に戻った大統領の、それでも殺しきれない怒気が静かに会議室を覆う。
決断はされ、全てが動き出す。
だが遅かった。遅すぎた。
1945年11月の終わり。欧州派遣軍は無数の難民と共に欧州を追われる事になる。
ブリテン島がなんの脈絡もなく、ただ悲劇と喜劇だけを残して落ちたのだ。




