ただしベリヤは除く
旧救世主ハリストス大聖堂跡。瓦礫の中より溢れる生焼けの死骸に追い立てられ、襲い掛かって来る先ほどまでの味方に追い詰められ、共産党幹部と彼らを守る哀れな兵たちは、其処を最後の場所とする事になっていた。
別に事前に決まっていた訳ではない。次々と湧き出す死者に逃げ道を塞がれ二進も三進も行かなくなって此処にたどり着いただけである。
彼らは気づかなかったが、死者たちは問答無用で全てに襲い掛かっている訳ではない。死者は明確に彼らを狙って追い詰めていた。
その証拠に巨獣の姉妹が放った魔弾が尖塔を砕いた時点で、脇目も降らずに逃げた者、赤子を抱いて必死に地下鉄に逃げ込んだ夫婦、己の最後を生家で迎える事を覚悟した老人など無抵抗でいる者は生き永らえる事に成功していた。それなりにと言う言葉は付帯するが。
モスクワには46、20.3、15センチに8センチそれと12.7の不快で絶叫を上げる髑髏とエクトプラズムの混交物が降り注ぎ、歩き回る巨獣から次々と腹を空かせた陸戦隊と言う名の悪魔が飛び降りて来るのだ。
勇気を振り絞り、職責を全うしようと悪魔に立ち塞がり、逃げ惑う民衆の盾になった勇者たちは、引き裂かれ嗚咽を上げ神に助けを求めながら命を絞り上げられ、そして奴隷として再誕する運命を辿っていく。
(何とも滑稽で悲壮で醜悪な光景だ、、、、うーんワンダフル!)
死都と化しつつある赤い都の通りを、散歩でもする様な気分で歩いているこの地獄を作った男は思った。彼が歩けば辻々に倒れる死者は立ち上がり、彼に続いていく。
目を凝らせば見えるだろう。青白い靄、生ある者への憎しみと羨望を滾らた霊共が彼の周りを踊る様に漂っている事も。
生き残りのスナイパーであろうか、モシンナガンの発射音が何処からか響き、呪われた死霊術師を屠るべく憎しみと祈りを込めた弾丸が彼の頭部に正確に迫る、だが無常ににも弾丸は物理法則を無視して曲がり近くにいた死者に吸い込まれていく。
「惜しい!でも駄-目!今の僕を始末したければ大砲を持ってきなさいね!はいそこの君、彼、、か彼女が分からないけど勇気ある狙撃手君を始末してきて」
嘲りの声を上げた死霊術師が手を振れば、唸りを上げて霊の一体は何処かに飛んでいき、遠く瓦礫の向こうで魂を啄まれる生者の悲鳴が確かに聞こえた。
「ごしゅーしょーさま!再利用してあげるからそこで腐ってなさいね!」
勇者に残酷な運命を宣告した魔王は歩を再開した。しかし、元来臆病で怠惰な彼が何故に戦場をぶらついているのであろうか?
巨獣が都市に到着してから早半日、抵抗と呼べる物は小さくなりつつあるが、それもでもこうして弾がタマに飛んでくるのだ。
それは確信があるからだろう。既にルーシの大地は死者の腐敗に飲まれ、何物も十全に魔力を振るえる自分を止められる者はいないと言う確信が。
「僕を止めたければ、レベルは三桁用意しないとね」
誰ともなく呟く男、聞く者は物言わぬ者たちばかりで少し空しい。暫しの沈黙、死体に囲まれ歩き続ける男の目にはモスクワ河畔が見えて来た。
実の所彼は狩りをしている。獲物は大きくそして狡猾である。何しろ幾度となく危機から脱出し、何度と言う罠と暗殺を搔い潜り、一国の王になった老いた熊だ。
混乱に乗じて逃がす訳にはいかないし、彼に復讐を企むモスクワ在住の不死の信望者たちに殺されてしまったらエライ事になるからだ。
今都市は大きな祭典の真っ最中である。不死の誘惑に負け同胞を食らう事を楽しむ事に決めた人類の裏切者も大いに祭りを楽しんでいる。
日本軍を名乗る悪鬼の群れはつい興奮しすぎたりしなければ、大事な奴隷を殺したりはしないが、新参の悪魔は弱者を貪る事に夢中になりがちだ。
そこで、筆髭が死なない様にするお目付け役兼ハンターとして死霊術師永山修一は死臭漂うモスクワをぶらりと散歩している。
彼の猟犬は無数の死者。哀れな犠牲者たちは、如何にかこの場を逃げようと四苦八苦する老いた熊とその取り巻きの狐やハイエナを彼らの終焉の地に追い込んでいる所だ。
そして冒頭に戻る。首尾よく獲物は穴倉に立てこもり、辺りを静かにそして続々と死者と悪魔が囲みつつある。恐怖の余、モスクワ河に飛び込んで対岸に逃げようと者もいるが、火災に追われて先に飛び込んでいた膨れ上がった先客に集られ深い皆底に沈んでいく。
逃げ場はない。行き場はない。嘗て爆破した偶像の神殿に残る、微かな祈りと信仰の残り香が、夕闇に紛れて防衛線に迫る無数の亡者から自分達を守っている事に彼らは気づいただろうか?
幻想が溢れている。非現実が唯物主義を砕いた。そしてそれは降伏を呼び掛けた来た。嘗てと変わらない声で、ソ連エンバーミング技術の粋を集めた生前と変わらぬ容姿で。
「同志諸君!降伏したまえ!悪いようにはしない!聞いているんだろヨシフ!モロトフ!カガノーヴィチ!彼を説得したまえ!これ以上の交戦は無意味だ!」
邪悪なる死霊術師のぶらりモスクワ散歩にはもう一つ目的があった。今こうして立て籠もり犯を説得している御本尊の回収である。
社会主義の本尊。生前の名前はウラジーミル・イリイチ・レーニンと言った。
「そうよ!早く出て着なさい!呪い殺してあげるから!」
「「そうよ!そうよ!ベリヤ出しなさい!私たちの恨みを思い知れ!ちょんぎってやる!」」
「皇女様、、、その、、、話がややこしくなるので黙っていてもらえませんかな」
余計なオマケもいたが。怒号を上げるスネグーラチカの集団。皇帝の娘たちと混ざり会った彼女たちは、NKVD長官に口に出して言えない目に合わされて殺された怨霊たちである。ぶらりモスクワ観光巡りをしていた永山はそこら中から恨みつらみを募らせた亡者も連れてきていた。
「どうします同志スターリン?兵も動揺しています」
即席で作られた塹壕と鉄条網の中、赤い帝国の外相は縋る様に皇帝たる鉄の男に話しかけた。ここにいる全ての人間が汚れ傷つき疲弊している。抵抗したとしてどれだけ持ちこたえられるられるだろうか?
「救援はこないのか?周辺の部隊は?何とか呼び戻せんのか?」
鉄の男は、モロトフ外相の言葉に応える事は無く、最後の望みを掛けて首都防衛司令に任じられているヴォロシーロフに力なく呼びかける。彼も司令部から追い出されて鉄の男と一緒にこの包囲に叩き込まれていた。
「無理です同志。最後の通信ではドイツ軍が大攻勢を仕掛けてきたと連絡を受けています。周辺に出した伝令もあいつらの中にいます。詰みですな、、、」
がっくりと肩を落として言う元帥の言葉にスターリンもまた肩を落とす他はなかった。誰がこの様な最期を想像できよう?首都に戦艦が殴り込んきて、町中から死者が溢れて自分達を包囲するなど。そして降伏を呼び掛けて来ているのは自分たちのご神体だ。
「降伏する他はないのか、、、、、クソ!おいベリヤ!使者を出、、、あいつどこ行った」
辺りを見渡せばいつの間にかNKVD長官の姿がない。さっきまで青くなっていた筈だが。
「逃げたな!誰か捕まえろ!外で唸っている雪女どもにクレてやるんだ、少なくとも私たちが呪い殺されん為にもあいつがいないと、、、、」
慌てて指示を出す筆髭。殺気だっている相手がいるのだ最後だし役にたって貰わないと困る。その為の憎まれ役なのだ。
思わずきょろきょろする筆髭、そんな彼の耳に側近(元)の叫び声が聞こえた。
「ぎぇえええー、誰かーー助けてーーー同志ーー」
見ればモスクワ河の中ほど、隠してあったのであろうボートに乗っていたベリヤは雪女どもに取り巻かれ何処かに連れ去られていく所であった。
夕闇に消えていくベリヤ。ポカンとしてそれを見ていた筆髭だが、気を取り直して自分と同じ様な顔をしている一同に指示をだした。
「まあ、死んでくれたなら良いか、、、、では諸君遺憾ながら降伏だ。口惜しいがな。これ以上待って皇帝を連れて来られた困る」
モスクワ壊滅。スターリン以下、ソビエト連邦首脳部、日本帝国の捕虜となる。この知らせが世界に正式に齎されたのは1941年12月10日の事であった。




