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第6話『自業自得のアントレ』

「……くそ、こんなはずではないのだ。こんなはずでは……」


 グラッセ王国の宮廷では、料理長のアントレが焦っていた。

 晩餐会のメインディッシュに選んだチャリオットベアの肉をさばくという、調理前の段階ですでにつまずいていたのだ。

 彼は不安と焦りのあまり、近くにあった大鍋を地面に叩きつける。


 鋼鉄を相手にしているのではと疑うほどに、甲殻が硬すぎて並みの刃物や鈍器では開けない。

 それに、無理に殻を開こうとすれば中の肉がダメになってしまう。一度凄腕の冒険者に依頼して強引に開いてもらったが、肉が石のように固くなって食べられなくなってしまったのだ。

 父であるアルベールがどうやってこれを食材に加工していたのか、アントレには不思議でならなかった。


「親父のやろう……。大事なことはちゃんと文書に残しておけよ!!」


 思い起こせば、父が調理していたチャリオットベアはすでにきれいに切り分けられ、下ごしらえが済んでいた。

 熟成された肉は宝石のように輝いており、目の前で残骸になり果てた肉塊との差は歴然だ。

 ただ、アルベールのレシピには下処理にまつわる一切の記述がなく、これでは「父はもらった肉をただ焼いていただけでは?」と疑うほどだった。


「……いったい、今まで誰が処理を……?」


 誰へともなく疑問を口にしたとき、アントレの脳裏にはグリエの姿が浮かんだ。


 ……あの男は父にいつも連れられていた。

 それに宮廷を追い出す際、「メインディッシュの食材はずっと俺が狩ってた」とも言っていた。


(ただの雑用か、父の指示で手を動かすだけの料理人だと思っていたが、まさか……)


 ……何か妙な想像がアントレの脳裏をかすめたが、必死に頭を振って妄想を払いのけた。


「何を馬鹿な妄想を……っ。仮に奴が狩人だったとして、下処理は別の仕事なんだ。そんな馬鹿な事、あってたまるか……」



 その時、アントレは背後に気配を察知した。

 ハッとして振り返ると、部下の一人が料理を乗せた皿を持ち、おどおどした様子でアントレを見ている。

 まさか独り言を聞かれていたのか? とアントレは焦る。

 こんな動揺している姿、誰にも見られたくはなかった。


「……何の用だ?」

「あ……あの。ソースの味を確認していただきたくて」

「うるさい! 俺は今、忙しいんだっ。それぐらい自分で判断しろよ!」

「す、すみませんっ」


 怒鳴られた部下はビクッと体を震わせ、すごすごと退散していく。

 その後ろ姿を見送ることなく、アントレは苛立ち紛れに床を踏み鳴らすのだった。



  ◇ ◇ ◇



 グラッセ王国の厨房には暗雲が立ち込めていた。

 晩餐会が近づくにつれて料理長アントレの苛立ちはつのるばかり。

 部下たちは料理長専用の厨房に立ち入ることも許されず、不安の中で日々の調理を行っていた。


「アントレさん、イラつきすぎだぜ……。普段の料理なんて、ずっと見てもらえてないぜ」

「晩餐会が近いのに、メインディッシュが完成させられないんだ。苛立つのも分かるが、八つ当たりはごめんだよ」


 その時、料理人の一人が思い出したように言った。


「そう言えば普段も、王女殿下の舌を満足させられていないって聞いたぜ。アントレさんが調理長になってから味が落ちたとか言われて、苛立ってるんだよ」

「おい、黙れ。アントレさんに聞こえるぞ」



 その時、ふいに扉が開いてアントレが現れた。

 料理人たちはビクリとして手を止める。

 今までの陰口が聞かれていたか分からないが、アントレはただ不愛想に料理人たちをにらみつける。


「おい、チャリオットベアの肉が無くなったぞ! さっさと持ってこい!」

「も……もう全部使ったんですか!?」

「当然だ。晩餐会前に完璧に仕上げなくては意味がないのだ」


 本当は仕上げるどころか調理にも入れていないのだが、部下の前で正直に言えるはずもなく、アントレは強がっていた。

 しかし仕入れ担当の男は頭を横に振る。


「もうありません……」

「は? あれっぽっちの肉ですべてだと!?」

「あれっぽっちって……。冒険者ギルドが命がけで調達してくれた食材なんですよ? それなのにまだ一品も完成してないだなんて……」


 従順な部下であるはずの仕入れ担当の意外な反論に、アントレは顔色を変えた。


「それはまさか、俺を責めてるのか……?」

「そ……そうですよ! 今回のハントでは僕の兄も大けがをしたんだ! そんな苦労して入手した食材を無駄遣いするなんてっ!」


 確かに冒険者ギルドでたくさんの死傷者が出たとは聞いていたが、今回の依頼はすべて、近隣諸国の王たちが集う晩餐会のため。冒険者がどうなろうとも、アントレにとってはどうでもいいことだった。


「逆らうなら、お前らもグリエと同じように……!」


 仕入れ担当にクビを言い渡そうとした瞬間、扉が開いた。

 現れたのは上司である儀典長ガトーである。彼はいぶかしむようにアントレに視線を送る。


「なにか騒ぎですかな、アントレくん」

「ガトー様……。いえ、なんでもございません。ところでご用件は……?」

「ふむ。……実はテルミドール帝国から『ぜひ晩餐会で使ってほしい』と食材が届きましてな」

「帝国から……?」


 この大陸においてテルミドール帝国の名を知らない者はいない。

 その強大な軍事力によって大陸の覇者と恐れられ、周辺国は決して逆らえない。

 そして当代の皇帝は美食家とも有名で、今のグラッセ王国が平穏でいられるのも、ただただこの国の宮廷料理が皇帝のお気に入りという理由だった。


 その名が出ただけでアントレには緊張が走る。

 テルミドール帝国皇帝にお目通りが叶うことは成功への最大の近道だが、失敗すれば道が断たれる。

 次の晩餐会に入念な準備をするのも、ひとえにこの皇帝の存在が大きかった。


 その気持ちはガトー儀典長も同じであり、ただならぬ空気をまとっている。


「『大陸にとどろく美食殿だからこそ、この珍重な果実をゆだねられる』……とのお言葉です。テルミドール皇帝の依頼となれば、断るわけにもいきますまい」


 そう言って、ガトーはもったいぶるように包みを広げた。


「な……っ。まさか、ユグドラシルの実……ですか」

「ええ。私も現物は初めて見ますよ。これをデザートにして欲しいと、皇帝直々のご要望です」


 それは幾重にも皮が重なり、一見すると花のつぼみのようにも見える。

 この実は王たちの間では「神の果実」とも呼ばれ、珍重されているという。

 アントレは調理済みの形でしか見たことはなく、果実の状態を見るのは初めてだ。

 腐りやすく風味も損なわれやすい、扱いの難しい果実だと父であるアルベールは言っていた。


「この依頼の失敗が何を意味するか、アントレくんには分かりますよね?」

「…………はい」


 ガトーは皆まで言わないが、この依頼の結果が国同士の友好を左右するのは明白だ。

 ただでさえ問題が発生しているのに、その上なんという重圧だろう。

 アントレは逃げ出したい気持ちに襲われる。


 しかし晩餐会はもう目の前。料理長を任されている手前、逃げるなんてできる訳がない。

 アントレは承諾するしかできなかった。

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