97. ライム
ステラたちは顔を見合わせ、すぐに階段を駆け上がった。
上がりきったところには扉があり、どうやらその先が目的の部屋らしい。しかしその扉は閉ざされたままで、先行していたはずのセグニットとアルジェンはその扉の前で、何故か揃って渋い顔をして立っていた。
下からステラたちがやってきたのを見たアルジェンが、口の前に指を立ててシーッというジェスチャーをする。
扉の向こう、すぐ近くに誰かがいるのだろう。ステラが足を止めると、くっついていたヨルダも足を止め、止まりそこなったリシアはステラの背中にぶつかって「みぎゅ」と奇妙な声を発した。
よろけたリシアの背をシルバーが支えたのを確認したステラはほっと息を吐いて、扉の向こう側の物音に耳を澄ませる。
ちょうど向こう側では誰かが駆けつけてきたところらしく、バタバタと騒がしい足音が聞こえていた。
「お嬢様、どうかなさいましたか!?」
コンコンコンッと勢い良く扉をノックする音に続けて、くぐもった男性の声が響いた。
それに応じたのは、「はあ?」という、ひどく機嫌の悪そうな少女の声だった。先ほどの叫び声の少女だろう。
「どうもこうもない! 下の通路の装置が誤作動したんだよ! だからあんな古いの撤去しろって言っておいたのに! びっくりしてせっかくキレーイにできてた基盤の表面コーティングをネジでひっかいて傷つけちゃったじゃん!」
「は、はあ……申し訳ありま――」
「あーもう、せっかくうまくいってたのにまた一からやり直し! しばらく一人で集中したいから放っておいて!」
少女はものすごい早口でまくし立て男性の声を封じる。男性の「あ」「その」という戸惑いの声が聞こえるが、完全に無視だ。
「ねえ分かった? ちゃんと聞いてる!? 私がいいって言うまで一切この部屋に近付かないで。足音でも気が散るんだから!」
「しょ、承知しました……では、失礼します……」
ぎりぎり聞こえる程度のか細い声で返事を残し、男性のものだろう足音は遠ざかっていった。重い足取りのように聞こえるのは気のせいではないだろう。
そして扉の向こうに残ったのは、癇癪を起こしているとしか思えないマシンガントークを披露した少女一人、のようだ。こちらは男性とは対照的に軽い足取りでステラたちのいる扉の方へと近付いてきた。
「もう開けてもいいよ。しばらく警備は戻ってこない」
扉の前で息を詰めていた一行がアイコンタクトを交わし、セグニットがドアノブに手をかけ――ようとしたが、その前に向こう側から勢いよく扉が開かれた。
扉を――開けてもいいよと言っておきながら、こちらが開けるよりも先に――開けたのは、黒髪にくりくりとした紫色の瞳の、人形のような少女だった。
小柄なステラよりもさらに小柄かもしれない。体の小さな少女には不釣り合いな、工事現場の作業員が着るようなつなぎの作業服を着ているせいで、なおさらちんまりと見えてしまう。
せっかくのつやつやと輝く長い黒髪は、乱暴に丸められて大きなお団子になって頭上に載っている。さらに、落ちてこないようにいくつものピンで雑に固定されていた。
アルジェンが小さな声で「新種のきのこ……」と言ったのが聞こえて、ステラは腹筋に力を入れて笑いをこらえる羽目になった。
幸いアルジェンの失礼な感想は聞こえなかったらしく、少女は勝ち気な表情で通路にいる面々を見回した。
そしてすぐに、「は? 増えてるじゃん!」と可愛らしい顔を惜しげもなく歪めた。
恐らく、最初に来たセグニットとアルジェンの二人だけだと思っていたのだろう。
「ドアを開け閉めするたびに増える機構?」
「んなわけあるか」
思わず突っ込んだアルジェンの声で安全を確信したのか、それまでステラにしがみついていたヨルダが、前方にいた二人を押しのけて前に進み出た。
「あのね、ライム。ちょっと言いたいことが――」
「あ、ヨ……ユナ。――って、あんたが連れてきてる美形ってことは、こいつアレか!!」
そう叫ぶなり黒髪の少女――ライムは目をむいて飛び退り、「くそっ、黒髪だったから油断したわ!」と逃げ込んだ椅子の背もたれの影からアルジェンを睨みつけた。
睨まれたアルジェンは、先程扉の前で見せていたのと同じ渋い顔をヨルダに向ける。
「……ねえ、なにこの生き物。さっきも顔を合わせるなり絶叫されたし」
「……だから言ったでしょう。ライムの言動が気に障っても文句を言わないでって」
自分のセリフを派手に遮られたヨルダは、椅子のうしろで毛を逆立てた猫のように警戒態勢になっているライムを見ながらため息を吐いた。アルジェンは肩をすくめる。
「気に障ったんじゃなくて引いてるだけだよ」
「はああ? 引いてるのはこっちだユークレースめ! 一族揃って見た目どストライクなのがめっちゃ腹立つんだよ!」
未だに椅子の陰に身を隠したまま、ライムが喚き立てる。
「ライム、落ち着いて」
ライムのこういう態度に慣れているのか、はたまたこれが王族の精神力の賜なのか、ヨルダは優しく微笑みながらライムに歩み寄った。
「とりあえず、これからの話をしたいのだけど」
「話ぃ? ユークレースを使った脅迫じゃなくてか」
「違うわ。別に彼らはあなたになにもしていないでしょ」
「これからするかもしれないだろ」
「しないわ」
「だって話をするのに、こんなに何人もいらないだろ?」
「それは事情があって……」
ヨルダが何故かステラを連れていきたがって、シルバーがゴネたからだ。そしてこんな面白そうなことを目の前にしてアルジェンが大人しく留守番をするわけがない。
ユークレース嫌いのライムはそんな理由で納得するのだろうか。ヨルダもそう思ったらしく、口ごもる。
「あ、……あああの、あの、」
これでは埒が明かないと思ったのか、リシアが一歩前に出た。
「……突然の大人数での訪問失礼しました。私はリシア・ユークレース。ユークレース家の次期当主筆頭候補を拝命しております。――ユナ様の求めに応じて話し合いに参りました」
深呼吸を挟んでモードを切り替えたリシアが、優雅に一礼する。それからシルバーとアルジェンを手で示した。
「……私の他、当家の者はそこの二人、シルバーとアルジェンです。当家の者も含めて全員、そちらからの要請がなければここより近くへは行きませんし、もちろん特別な理由がなければ精霊術を行使することもありません」
リシアの説明の後、シルバーが軽く会釈する。彼はついでにアルジェンの頭を押さえて無理やり頭を下げさせた。
ヨルダ以外で部屋の中に入っているのはリシアとセグニットだけで、それも入口付近である。兄弟は扉のすぐ外に立っていて、ステラはさらにそのうしろだ。
精霊術を使わなければ、部屋の奥にいるライムに危害を加えるのは難しい。
「信用していただくのは難しいと思いますが、こちらにはあなたに害をなす意思はありません。お話を進めさせていただけないでしょうか」
ユークレース側が話し合う姿勢であることをやっと認めたのか、ライムが椅子の影から立ち上がり、コホンと一つ咳払いをした。
「……取り乱して悪かった。知ってるでしょうけど、私はライム・ダイアス。あなたと同じく次期当主候補よ。……ユークレースがここにいるということは、一応現時点ではあなたの計画どおり進んでいるということだよな、ユナ」
まだユークレースに対する警戒が薄れないらしく、ライムはリシアから目を離さないままヨルダに話しかけた。
「ええ。シルバーがお芝居に付き合ってくれるわ」
「ふうん。……で、残りの二人は誰なんだ」
ライムの視線がセグニットに向かう。
「彼はセグニット・ホワイト。何年か前まで王宮の近衛隊にいた人よ」
「近衛? ユナについてきたの?」
ヨルダの言葉にステラも驚く。王宮で近衛といえば王族の警護をするエリートだ。そんなポストを捨ててレグランドに戻ってきたとは。
しかし、当のセグニットは苦笑混じりにひらひらと手を振った。
「近衛にいたのは随分前で、現在はレグランドの警吏隊のいち隊員ですよ」
「もと近衛兵が警吏隊員だと? ユークレースの人事は頭がおかしいのか?」
「はは、人事を握ってる人間の頭はおかしいですが、采配は的確ですよ」
「ええ……まあいいや、そっちの内部にあんまり関わりたくないし」
ライムは恐ろしいものを見たような顔でセグニットから目をそらし、「で」とステラを見た。
「彼女はステラ・リンドグレン」
ヨルダがすかさずステラを紹介する。だが、紹介されてもリンドグレンなど知るわけがない。案の定、ライムは眉をひそめた。
「リンドグレン? ユークレースの遠縁か何かか?」
「いえ。私は彼女が今話題の『クリノクロアの孫娘』だと思うんだけど、認めてくれないのよね」
「は? クリノクロア? そいつが?」
ヨルダとライム、二人の視線が突き刺さってステラはひえ、と縮みあがる。
この状況で「実は……」と白状するのが正しいのか、それとも沈黙を守るのが正しいのか。
すべての事情を把握しているリヒターやノゼアンが、今朝ステラをヨルダの元へ送り出したのだから恐らくバレても問題ないと判断している――のだとステラは認識しているのだが……。
「そういやクリノクロアの当主はピンク頭だったな。……ってことは、そいつがそばにいればユークレースは無力化できるってことか」
ライムの瞳が、だんだんと輝きを増していく。
それとは逆に、ステラは背筋に嫌な寒気を感じてつばを飲む。
(今、ユークレースを無力化って言ったよね、はっきりと)
これは、自分がクリノクロアであることを認めないほうがいいかもしれない。
そんな事を考えて警戒レベルを上げていくステラとは裏腹に、ライムは上機嫌そのものの笑顔を見せた。
「ってことは……じゃあ、ユークレースの連中を思う存分鑑賞できるってことじゃん!!」




