96. 行き止まり
通用口から入った先は窓のない細い通路になっていた。
最後に入ったセグニットが扉を閉めると通路の中に闇が落ちた。屋外の明るさに慣れた目には真っ暗になったように感じられたのだ。
少しして目が慣れてくると、通路は建物を貫くようにまっすぐのびていて、ステラが予想していたよりも長く続いているのがぼんやりと見て取れた。幅は人二人並ぶのがやっと、というところだろう。
明かりは一応灯っているのだが、頼りない光量のランプが点々と吊るされているだけで、しかもランプ同士の間隔が広い。足元はほとんど見えないので、歩くのにひどく神経を使う必要があった。
「悪意しか感じないんだけど、この通路」
段差に躓いたリシアの腕を掴んで転ぶのを阻止したアルジェンが、さすがにうんざりした空気を滲ませて呟いた。
こんなに、狭い・暗い、という最悪のコンディションだというのに、この通路はあちこちに謎の段差があったり、壁の一部が出っ張ったりしているのだ。
先程謎の突起にスネを打ち付けて悶絶していたヨルダも「そうね」と、ムスッとした顔で頷く。
「んでさ」
続けたアルジェンに、ヨルダは無言のまま視線だけをちらりと向けた。彼女は、少年がこの後なにを言おうとしているか分かっている、という目をしていた。
「もしかしなくてもこの通路、行き止まりじゃん」
歩きにくいのを我慢してやっとたどり着いたというのに、一行の目の前に立ちふさがったのは文字通りの『壁』だった。
「本当に行き止まり……扉もない……ここまでの通路にもそれらしきものはなかったわよね」
独り言なのか問いかけなのか微妙なヨルダの呟きに、セグニットが「なかったですね」と頷いた。
「ああもう、ライム、どういうつもりなのよ。……で、ステラ・リンドグレンはなにを見ているの?」
「あっ、ええと、なにかあるなら上かなあと思いまして」
ヨルダから話しかけられると思っていなかったステラはビクッと姿勢を正して、天井を指差した。
「上?」
「はい。入ってきてからここまで、ずっと微妙に下り坂になっていたので」
「……なってた?」
「気付かなかった」
シルバーとアルジェンが顔を見合わせた。ステラは肩をすくめて続ける。
「まあ、とにかくゆるい傾斜になっていたんです。それだけじゃなくて、段差も昇った回数より降りた回数の方が多かったし、ついでにその高さも、降りる時の方が深かった。リシアが何回も躓いたのはそのせいだと思います」
降りた高さと同じ感覚で足を上げたのに、予想していた高さよりも低い位置に床があったせいで転びかけたのだ。彼女の場合はなにもなくても転ぶので、高さだけが原因ではないだろうが。
「床が下がったらその分天井が高く感じるはずですけど、最初と今で、通路内の高さはほとんど変わっていません。つまり天井も含めた通路全体が斜めに下がっている、っていうことです。それなら下がった分だけ二階の床と一階の天井の間に隙間ができているはずですよね。……その隙間に仕掛けがあったりするんじゃないかなあって思って見ていたんです。……まあ、二階も同じように斜めになってる可能性もあるんですけどね」
「……よく気付いたな、ステラ嬢……」
目を丸くしたセグニットが感嘆に近い声を出す。ステラはふふん、と胸を張った。
「洞窟では自分が下ってるか上ってるか意識しろって教えられてたので。ガイさんに」
「またガイさんか……本当に何者なんだよ、そのガイさんは」
不審げな顔のセグニットに聞かれてステラははたと動きを止める。
ステラはガイさん――ガイロルのことをずっと元傭兵だと思っていたが、そうではなかったらし、というのがつい最近発覚したのだ。
「あ、そうそう。昔王宮にいたみたいですよ。で、軍人さんだったみたい。セグニットさんももしかしたら知ってるかも」
「フルネームは?」
「……ガイロルっていう名前しか知らない。――あ」
天井に目を凝らして歩きまわっていたステラは、ふと足元に違和感を覚えてしゃがみ込んだ。
そして周囲の床板を何箇所かコンコンと叩いてみると、壁際の一部分だけ明らかに返ってくる音が違う。下に空間があるように音が響いているのだ。
「音が違うわね」
しゃがんでいるステラの頭上からヨルダが覗き込んでくる。ステラは頷きながら、音が違う辺りの床面に指を滑らせる。すると、微かに溝が刻まれている場所があった。
「ここの板、外れそうです」
溝に爪をかけ、引っ張ると床板は思っていたよりも簡単に外れる。手のひらほどの四角い板が外れた下には、古びたレバーがあった。形状からして、ハンドル部分を引っ張って起こすもののようだが、だいぶ錆びついている。
いかにも怪しげなその見た目に、ステラとヨルダは顔を見合わせた。
「……引いてみる?」
「……罠ということはないと思いますが……」
「俺がやりますよ。念のため、お嬢様がたは少し離れていてくれますか」
セグニットが進み出て、ステラたちに離れるよう手で示す。全員が少しだげ通路を戻り、距離を取ったのを確認したセグニットは「じゃあいきますよ」とレバーに力を込めた。
バキ、と嫌な音を立ててレバーが動き、それに連動して横の壁の向こうからガチャガチャと金属音が響いた。
そして何回目かの音の後、ふつり、と音が止まってしまう。
この通路の入り口のときと同じように、音以外に目立った変化はなにも起こらなかった。
「……し、静かに、なった?」
「……いや、」
リシアが戸惑った声を出すが、セグニットは「どっかからなにか軋む音が聞こえる」と立ち上がった。と、ほぼ同時に――。
――ギ、ギ、……――ガシャアアアン!!!
ひどく耳障りで派手な音を立てて、行き止まりだったはずの正面の壁が、とんでもない勢いで横にスライドして、爆音とともに側面の壁の中へと吸い込まれていった。
「ひっ!!!」
驚きのあまり固まったステラに、ヨルダが息を呑んでしがみついた。さすがのユークレース兄弟もとっさに動けなかったようで、目を丸くして立ちすくんでいる。
リシアに至っては、今にも気を失いそうな真っ白な顔をしていた。もしかしたら立ったまま気を失っているのかもしれない。
いち早く我を取り戻したのはセグニットで、壁がスライドしてできたスペースに近付いていった。
「……機械仕掛けの、引き戸か?」
どうやら通路の行き止まりに見えていた『壁』は、壁ではなく『戸』だったらしい。
レバーを引くと仕掛けが作動し、機械の動力で引き戸が開き、先へ進める――という仕組みのようなのだが、あまりにも勢いよくスライドした戸は勢い余って跳ね返り、通路を半分ほど塞いだ状態で止まっていた。
「……不具合なのか意図的なのか」
「どっちにしろ、ここまで派手な音立てたら警備も気付くだろ」
ぼそっとシルバーが呟き、アルジェンが応じる。
警備どころか、周辺の建物の人々も騒いでいるかもしれない。
「……お、階段だ。ステラ嬢が言った通り、通路の上が階段スペースになってる」
半分開いた、その奥のスペースを覗き込んだセグニットが上を見上げながらそう言うと、アルジェンが軽い足取りでセグニットを追い越して隙間を通り抜けた。
「まあもうどうしようもないし、階段上がろうぜ。リシアと、えーと、ユナはステラにくっついて真ん中、シンは最後な」
「待て待て、お前は俺の後ろだ」
指示を飛ばして一番乗りで階段を上がろうとするアルジェンを、セグニットが慌てて引きずり下ろす。セグニットはアルジェンの襟首を掴んだまま通路に残っている面々を振り返った。
「お嬢さんがた、大丈夫か? 特にリシア嬢」
「……は、……はい、はい、だ、だいじょう、ぶ、です……」
消え入りそうな声でリシアが答える。
ステラもまだ激しく騒いでいる心臓を押さえて息を整えた。そして「よしっ」と気合を入れる。
「行きましょうユナさん。追手が来たら、ここは狭すぎて戦えませんから」
「え……ええ」
ヨルダも同じように胸を押さえていたが、深呼吸をして顔を引き締めた。
「アル、お前は『いい』って言うまで前に出てくるなよ」
「今『いい』って言った」
「屁理屈言ってんじゃねえよ」
「ちぇー」
そんな言い合いをしながらセグニットとアルジェンが階段の上に姿を消し、そして。
「もーーーー!!!! どうしてくれんのよ!!!!」
という少女の絶叫が下の通路にまで響き渡ってきたのはその直後だった。