93. ホーンブレン
ヨルダは今後の計画を詰めるため、リシアと、何故かステラの二人をライム・ダイアスに引き合わせたいと言い出した。
渦中の人、ライムは現在レグランドに隣接する町、ホーンブレンに滞在しているらしい。
ホーンブレンという町を一言で表すならば、研究の町である。
レグランドの精霊から恩恵を受けた豊かな自然の中に、小さな研究施設がいくつも軒を並べている。研究内容は種々様々で、精霊術に関することから科学技術に関すること、文化や歴史まで何でもありだ。
ライム・ダイアスはそこにある施設の一角を貸し切り、自分のラボとして引きこもっているという。
馬車さえ使えばホーンブレンには半日もあれば到着するし、護衛役にうってつけなセグニットがいる。
そのため――
「ライムはユークレースの人間を歓迎しないわ。リシア・ユークレースは必要だから仕方がないけれど、ユークレース兄弟は自宅待機していて」
「は?」
真っ先に不機嫌そのものの声を出したのはシルバーだった。
「ならステラは連れていかせない」
「連れていくわ。彼女にも協力してもらいたいの」
「どうしても連れていくっていうなら、私も行く」
「……だから、ライムが嫌がるのよ」
ステラは今全勢力が注目しているクリノクロアの孫娘だ。そうでなくとも、セグニット一人で王女を含む三人の少女の護衛というのは荷が重すぎる。
ステラがクリノクロアの人間であることはまだ明言していないが、それでもヨルダがわざわざライムの元へ連れていきたがっているところを見ると、彼女はステラの正体を分かった上で協力を求めているらしい。
それなのにまともな護衛が一人だけ、というのはステラから見ても少々見積もりが甘いように思える。
ただでさえステラに対して過保護すぎるシルバーからしてみれば、なにがあっても飲み込めない話だろう。シルバーは不愉快そうに目を細めた。
「だったらステラは連れていかせないし、今後私は協力しない」
「ああもう」
ヨルダは指でこめかみを押さえ、長いため息をついた。彼女は彼女で、せっかくの協力者がユークレースの存在に反発して離れてしまうのを恐れているのだろう。
「あ、当然俺も行くから」
そこにアルジェンが追い打ちをかけた。彼はまるで、既に決定していた事項を告げただけですよ、と言わんばかりに平然とした顔をしている。
ヨルダはお前もか、と言わんばかりの目でアルジェンを睨みつけた――が、当のアルジェンはどこ吹く風だ。
「『当然』ってどういう意味かしら」
ヨルダが微妙に口元を引きつらせ、感情を抑えた声でアルジェンに聞く。
「だって今回も留守番なんて不公平だもん」
「……今回? 今回ってなによ。今回も前回も、あなたの事情なんて知らないわよ」
「知らなくても行くし」
「だからぁ……」
「王女殿下」
焦れたヨルダが王女らしからぬ表情を浮かべ始めた辺りで、見かねたセグニットが苦笑交じりに会話に割り込んだ。
「この兄弟は言い出したら曲げないので諦めが肝心です。……特にアルジェンは、置いていっても隠れてついてくるくらいのことは普通にやりますから。あとで厄介事になるよりも、始めから頭数に入れておくほうがまだ安全ですよ」
「さすがセグは分かってるね!」
「ああ、分かりたくはないがな」
嬉しそうなアルジェンの笑顔に、セグニットはため息をつく。
「既に厄介事になっているけれど……」と、しばらく唸っていたヨルダだったが、観念したように一度天を仰いだ。
その姿は昨日のセグニットを彷彿とさせて、ステラは思わず同情してしまう。アルジェンに関わる人間は空を見上げる回数が増えるのだ。
「……分かったわ。その代わり、ライムの言動が気に障っても文句を言わないで頂戴」
「こっちから押しかけるんだし、喧嘩は売らない。お姫様とは違って」
静かに頷いたシルバーをヨルダが睨みつける。
「シルバー、あなた、基本的に一言多いわよね。それ、無意識なの? ライムの前ではやめてくれる?」
シルバーはいつものように、何のことか分かりませんという顔で首を傾げた。それからスッとアルジェンを指さす。それにつられ全員の視線がアルジェンを捉えた。
「釘を刺すならアルのほう」
「えー? なんで俺?」
「……アルって、わざと人を怒らせること、あるもんね……」
とぼけた声を出したアルジェンに、リシアも困り顔を向ける。
そんなリシアの表情にアルジェンは肩をすくめ、「そんなことしない」とすねた声を出した。
彼も、ステラを心配するシルバーと同様に、リシアのことが心配なのだろう。そのリシアから困った顔をされたのが面白くなかったらしい。が、彼の場合普段の行いが悪すぎるので自業自得である。
「……はあ、……とにかく、ライム・ダイアスはユークレースの人々を嫌悪しているというのは覚えておいて欲しいの。あれは理屈ではなく、本能的なものよ。彼女から見ればあなた達は、簡単に自分を殺せる恐ろしい存在なのだから」
ダイアスの人間はクリノクロアの人々と同じように精霊術が使えない。
使えないというのは同じなのだが、ダイアスの場合は精霊術を使えないというよりも、まるで激しいアレルギーのように体が受け付けないと言ったほうが近い。
たとえ普通の人々にとっては何の害にもならない程度の弱い攻撃であったとしても、命を脅かされることすらある。――それが、ダイアスの人々にとっての『精霊術』であり、一族の血に連綿と続く呪いなのだ。
それ故彼らは本能的に精霊と精霊術士を恐れ、同時に憎んでいる。ユークレースとダイアスの仲が昔から険悪なのはそのせいである。
「分かってるよ。気をつけますぅ」
「……癇に障る返事の仕方だけれど、まあいいわ。行動は早いほうがいいから、これからすぐ出たいのだけれど……交通手段を考え直さないといけないわね」
ヨルダの計画では少女三人プラスセグニットの合計四人での移動を想定していたのに、急遽二人追加になったのだ。腕組をしたヨルダに対し、リシアが小さく手を上げた。
「移動なら、今朝私達が乗ってきた馬車が使えます。しばらくこちらで専有して使用して良いという許可を得ていますから」
「それは助かるけれど……」
ヨルダは考え込むように眉間にシワを寄せた。
「……それはユークレースの本家から出発した、ユークレース所有の馬車でしょう? 行き先はダイアスが関係しているラボなのに、そんな馬車で行くわけにはいかないわ」
「いえ、ホーンブレンにはユークレースの建物もありますから、馬車はそちらにつけて、あとは徒歩移動すれば問題はないかと」
「ああ、そうね……人数が多いから乗合馬車も使えないし、全行程徒歩を覚悟するところだったわ」
むしろ乗合馬車を使うつもりだったのか、とヨルダ以外の全員が固まる。しかもそれがダメなら徒歩、というのはなかなか大胆な発想である。
「……あの、王女殿下……、城からレグランドまでの交通手段はどうされたんですか?」
セグニットが恐る恐るといった面持ちで尋ねると、ヨルダは少し明るい顔になった。
「レグランドの近くまで、ライムの車に乗らせてもらったの。ダイアスの乗り物は馬ではなくて機械が動力になっていて、一定の速度で進めるし、馬みたいに途中休憩がいらないのよ。ちょっと油臭いのが難点だけど」
ダイアスの機械の車は馬車よりも早く移動できる、という噂はステラも聞いたことがあった。ヨルダはその乗り物に乗れたのが嬉しかったらしい。
「だけどライムはホーンブレンに向かうって言うから、私は途中の林道で降ろしてもらって、そこから徒歩で来たのよ」
「徒歩!?」
王宮のある王都から向かってくる場合、まずレグランドが手前にあって、その少し先にホーンブレンが位置している。――そう言うと手前で降りればそれでいいように聞こえるが、実際の地形は綺麗に横並びになっているわけではない。
レグランドは海岸側にせり出しているし、ホーンブレンは内陸側に入ったところにある。「隣接した町」と言っても境界線の一部が接しているだけなのだ。
さらに言えば、ホーンブレン側は大部分が森で、人が生活している場所はかなり奥まっている。
「あの……昨日、一人で来たっておっしゃっていましたよね。車から降りて一人で林道を歩いてきたんですか?」
驚きから立ち直って呼吸を整えたリシアが眉をひそめて聞いた。
ライムの乗る車が王都からホーンブレンを目指していたならば、内陸側の道を通っていたはずなのだ。
「途中の林道で降ろしてもらった」の『途中』がどの辺りかにもよるが、人の行き来の少ない林道を、身を守るすべのない王女様が一人でてくてく歩くのは非常に危険な行為である。
「そうよ。ライムは渋い顔をしていたけれど、車にはダイアス当主とライムの父親も乗っていたから寄り道してもらうわけにはいかなかったの」
「え……!? とととと当主も一緒だったんですかっ!?」
「一緒といえば一緒だけれど、私は荷物入れの隙間に隠れていたから向こうは気付いていなかったはずよ」
「かかかかくっ……えええ…………で、では、どうやって降りたの、ですか……?」
「事前に降りたいポイントを打ち合わせておいたの。その近辺でライムがトラブルを装って車を停めて、私は騒ぎに乗じてこっそり降りるっていう手筈で。そのあとは茂みに入ってまた隠れて、車がいなくなるのを待ってから歩いてレグランドを目指したの」
「ら、ら、ライムさんはっ、その計画を、と、止めなかったんですか……?」
「止めなかったというか、『外は危険だって分かってる? 箱入りお姫様』って馬鹿にされたわね」
アルジェンがボソリと「シンと気が合いそうだね」と呟く。シルバーは嫌そうな顔をしたが、実はステラも同じことを考えていた。
「私が『分かっている』と答えたら、『じゃあ勝手にしなさいよ。野垂れ死ぬならそこまでの資質だったってことだし』と言われたわ」
「えええ……」
リシアとステラが引いている脇で、アルジェンが笑い出した。
「そいつ、絶対シンと同じタイプじゃん」
「ああ! シルバーの言う嫌味に既視感があると思ったら、そういうことね」
ヨルダはなるほど! と大きく頷いた。
気が合うんじゃないの? とアルジェンに肩を叩かれたシルバーは、それを完全に無視して冷たい目をヨルダに向けた。
「……これから出るなら、いつまでも話してないでさっさと準備しなよ。向こうに泊まるつもり?」
「あらご機嫌斜め。――でもあなたの言う通りね。私の荷物は鞄一つきりだし、準備万端よ」
そう言いながら立ち上がったヨルダは、全員の顔を見回してニコリと微笑んだ。
「みなさんが良ければすぐに出ましょう」




