91. 嘘だけど
食事と言っても、夕食の野菜スープを温め直したものと、ハムを焼いてパンに載せたもの――という至って質素な内容なのだが、ヨルダはいたく感動した面持ちで皿を受け取った。
「あなた料理ができるのね」
「……ものすごい王族発言」
「そうよ。台所なんて入れてもらったことすらないもの」
「ふうん」
「んー……でも、世間の男性はあまり料理をしないって聞いているけど、あなたが特殊なのかしら」
首を傾げたヨルダに、シルバーはやや目を伏せた。
「こっちの出生については知ってるんでしょ。いつ追い出されても大丈夫なように料理も身につけてるんだ」
「……そう、大変なのね」
さすが王族だけあって、ヨルダは気まずさを顔に出さなかった。しかし、微妙に言葉をつまらせる。
表情を変えないヨルダを見ながら、シルバーは同じく表情を変えず、静かに頷いた。
「うん。嘘だけどね」
「はあ!?」
せっかくのポーカーフェイスを盛大に崩したヨルダが大きな声を出して、すぐに自分の口をふさいだ。
今は真夜中で、家人は眠っているのだ。
ヨルダは、涼しい顔をしてテーブルの席――わざわざ一番離れた席――に腰掛けたシルバーを睨みつける。
「あなた……真顔で人をからかうのはやめなさいよ!」
「料理は家族全員できる。うちはそういう方針なだけ。アルのほうが料理うまいし」
ヨルダの小声の抗議に対し、シルバーは淡々と返してくる。
ヨルダはからかわれたことと、ポーカーフェイスで負けたことにムッと目を吊り上げ、切り札を切ることにした。
「私が婚約者になれって言った時に、あなたの恋人が反対しなかったからって八つ当たりしないでほしいわ」
「……」
「図星ね」
露骨に不機嫌なオーラを放つシルバーの様子に満足したヨルダは、ふふん、と笑った。
あの時のステラは反対しなかったというよりも、シルバーを鎮めることに意識を持っていかれて、かつ、状況を収めることを優先しただけだ。きっと逆の立場ならシルバーもそうしただろう。
ついでに言えば、ステラは言葉にしなかっただけで、表情は明らかに拒絶を訴えていた。――背を向けていたシルバーは気付かなかったようだが、教えてやる義理もない。
「私の提案は彼女を守ることにも繋がるんだから、大人しく協力して頂戴」
生意気な少年に一矢報いた達成感に浸りながら、ヨルダはスープを完食する。これは兄弟のどちらかが作ったのかしら、と思っていると、頬杖をついて黙り込んでいたシルバーが口を開いた。
「……私とアル、どっちでも良かったのに、私を選んだのは何で」
お茶に手を伸ばしていたヨルダは動きを止めた。
そういえばどっちでもいいと言った気もする。
「あなたは髪の色が当主と同じだからよ。アルジェンは黒髪で、ユークレースでは少し珍しいでしょ。見た目で分かりやすいほうが話は早いもの。他意はないわ」
もとより見た目が当主に近いシルバーのほうがふさわしいと思っていたが、彼が捕まらない、もしくは拒否された場合はアルジェンでもいいや、という程度の選択理由だ。
本当に見た目のみの問題だが、王宮議会の議員の中には彼の生まれを調べて邪推する人間もいるだろう、ということを全く期待していなかったか……と言えば嘘になる。しかしそれは伝えずともいいだろう。
「……ならいい」
「私があなたに惚れたわけじゃなくってがっかりした?」
ニコッと笑ってみせたヨルダに、シルバーははっきりと首を振った。
「それはない。絶対」
「食い気味に否定しないでよ。私が傷つくわ。……安心して、ユークレースの当主争いに手を出したりしないから」
シルバーは小さく頷く。やはり彼はそれを気にしていたらしい。
ユークレースと王女との婚約話は国内勢力に対して大きな力を持つが、同時にユークレース内部に対しても強い影響力がある。
まして、シルバーは出生の事実だけで言えば当主の長子にあたる。ヨルダがその気になれば、ほぼ内定しているリシアの当主継承の障害になり得てしまうのだ。
「それにしても、あなたは当主の座に興味がないの?」
「ない」
「どうして?」
「……平穏や家族と引き換えに、人から奪い取るようなマネをしてまで得たいものじゃないから」
「あら、ノゼアン・ユークレースへの皮肉かしら」
「そういうわけじゃない」
シルバーは少しだけ眉をひそめた。
あら機嫌を損ねたかしら、とヨルダは心の中で首を傾げた。彼はノゼアンに嫌悪感を抱いているのかと思っていたが、そうでもないらしい。
まあ確かに、ノゼアンが色々なものと引き換えに奪い取ったのは恋する女性であって当主の座ではない。それもユークレースの呪いに起因する話なので、部外者であるヨルダが例として挙げるにはあまり適切ではなかったかもしれない。
「ふうん。まあ、いいわ。権力に目がくらんで欲を出すタイプじゃなさそうだから」
腹の虫の音を聞かれるという非常に不本意な形ではあったが、これから進めようとしている計画の肝とも言えるシルバーの人となりを知ることができたのはヨルダにとって幸運だった。
彼は多少口が悪くて、王女であるヨルダに対する態度は過分に無礼だが、性根の悪い人間ではない。
なんだかんだ言いつつも、こんな夜中にうろついていたヨルダのために食事を用意し始めてからここまでの間に、彼は一度もヨルダを咎めたり文句を言ったりしていないのだ。
パンの最後の一欠片を口に収め、ヨルダははたと動きを止めた。
――ここは王宮ではない。給仕係などいないのだ。
「片付けを、しなければいけないわよね。皿を洗うの手伝うわ」
「え」
やる気満々に皿を持って席を立ったヨルダを見て、シルバーが嫌そうな声を出した。
彼は無言のままツカツカとヨルダに歩み寄ると、その手から皿を抜き取った。そしてヨルダに胡乱な目を向ける。
「夜中に皿を割る音で我が家の安眠を妨害するつもり?」
「……あなたのその生意気な口、どうにかならないのかしら」
「どうにもならない。片付けはいいから部屋に戻りなよ。……ああ、トイレは階段の隣だから」
直前の侮辱もさることながら、トイレとは。
確かに重要な情報だが、男性がレディの前でストレートに口にするのはいかがなものか。王城で育ったヨルダの常識ではありえない言動だった。
しかし、ヨルダは人様の家で夜中に徘徊した挙げ句食事を用意してもらって、更に片付けまでしてもらうのだから、文句を言える立場ではない。それに実際、皿を割ってしまうかもしれない。
こみ上げてくる色々な感情を押し殺して、精一杯の笑顔を浮かべる。
「~~……お気遣い、ありがとう。では先に失礼するわ」
「あ」
ヨルダが部屋を出ようとしたところで、皿を持ったシルバーが声を上げた。
「まだなにか!?」
「灯りのつけ方分かる?」
「い、いくらなんでも馬鹿にしすぎよ!」
肩を怒らせダイニングから出ていったヨルダが、顔を真っ赤にしながらランプのつけ方を聞きに戻って来たのはその少し後だった。
王宮にあるランプとは形状が違ったの!(ヨルダ談)




