83. 従兄弟
相変わらず意味が分からないくらいに大きいユークレース本家の扉をくぐって広いホールに入ったステラを出迎えたのは、駆け寄ってくるリシアだった。
「ステラ! お帰りなさい!!」
「リシア! ただいま!」
抱きついてくるリシアを受け止め、ステラもきゅうと抱きしめ返す。
「おかえり皆。それと、ようこそリンドグレンご夫妻」
リシアの後から歩いてやって来たノゼアンが静かに微笑んだ。コーディーが少しだけ「ヒッ」と息を吸ったのが分かってステラは心の中で頷く。分かる。突如として現れる美形というものは何人目であっても心臓に悪いのだ。
「リヒターから話は聞きました。――私はノゼアン・ユークレース。ユークレースの当主として皆さんを歓迎します。どうぞ自分の家と思ってくつろいで下さい」
優雅な仕草で挨拶をしたノゼアンは笑顔で手を差し出した。それに対してコーディーが体を固まらせる。――これも分かる。アントレルで挨拶のときに握手を求めてくる人間などいないのだから。
そんなノゼアンの手をスッと握り返したのはレビンだった。
「初めてご挨拶させていただきます、ノゼアン・ユークレース殿。私はレビン・リンドグレン、クリノクロア家当主の末子です。この度のご厚意に感謝いたします」
ノゼアンと同じように優雅な礼で挨拶するレビンに、ステラは目を瞬かせた。
(こんなにちゃんとした言動ができたの!?)という心の叫びはどうやらコーディーも同様だったようで、同じように目を丸くして夫を見つめていた。
「レビンさん、普段どおりに接していただいて結構ですよ。ご挨拶はしていませんが、随分前にお会いしたことはありますよね」
「……何のお話でしょうか」
「おや、不都合なお話でしたか? それは失礼しました」
にこっと微笑むノゼアンに、レビンは顔をしかめた。どうやら、彼らの間では過去になにかあったらしい。そして、それはおそらくコーディーやステラに知られたくないことなのだろう。
(そして当主様はそれを分かった上で言っている、と)
妻子にばらされたくなければ勝手なことをするなよ、という脅しだろうか。やはりユークレースは食えない人間ばかりだ。
「……はあ。ならそういうことで、しばらくお世話になります」
一気に投げやりな態度になったレビンが適当に応じる。もしこの場にコーディーがいなければ、舌打ちの一つもしていたかもしれない。
「ええ喜んで。滞在場所には別館を準備してあります。本館を抜けなくても直接外に出ることができますから、周りの目も気になりにくいはずです」
「それはどうも」
ノゼアンはレビンの失礼な態度に気分を害されるどころか、むしろ楽しそうに微笑んでからリシアに目を向けた。
「彼女は娘のリシアです。別館へはこの子が案内します。本来なら妻のエレミアが案内するところなんですが、今日は体調が優れず休ませているんです。申し訳ありませんが、あとでご挨拶させて下さい」
「具合悪い人に無理してもらう必要はないですよ。挨拶自体別に――」
「あの、奥様のご体調のよろしいときにこちらからお伺いさせていただいてもよろしいですか? お世話になるのはこちらのほうですから」
面倒くさそうに言うレビンの言葉をコーディーが遮る。レビンは「挨拶なんていらない」と続けるつもりだったのだろうが、普通に考えて、屋敷に滞在させてもらうのに女主人に挨拶をしておかないなんて気まず過ぎる。
「――だ、そうです」
いかにも「別に気にしなくていいのに」とでも言いたげな顔でレビンが話の終わりを引き取った。ノゼアンはクツクツと笑いながら、コーディーに向かって軽くお辞儀をした。
「お気遣いありがとうございます、夫人。妻にはそのように話をしておきます。――ではリシア、別館へご案内を」
「はっ、ははい」
ずっとステラにしがみついていたリシアはノゼアンの言葉で慌ててステラから離れ、レビンとコーディーの前でぴょこんとお辞儀をした。
「で、ででは、わた、私がご案内させていただきますっ」
バネじかけの人形のような勢いで頭を下げたので、おさげの髪が大きくびょんと跳ねる。それまで緊張でカチコチになっていたコーディーは、そのややコミカルな動きに少しくすりと笑ってしまってから慌てて手で口を押さえた。
そんな娘たちの様子を柔らかな目で見ていたノゼアンは、次にリヒターへと視線を向けると一転、貼り付けたような笑みに変わった。
「リヒターには仕事を用意してあげたから。少し休んでもいいし、もちろんすぐに取り掛かってもいい」
「えー、そんな、僕ごときが当主様からお仕事をいただくなんて申し訳ない」
リヒターも同じく目が全く笑っていない笑みで返す。
「遠慮しなくても君向きの仕事ばかりだから存分に腕を振るうと良い」
つまり、「少しなら休んでもいいが、お前の仕事が溜まってるからすぐ取りかかれ」ということなのだろう。ノゼアンの言葉は含みが多くて、ステラは聞いているだけで胃が痛くなってしまう。
「ああはいはい、やればいいんでしょ。……あれ、シンは?」
諦め顔で嘆息したリヒターがホールを見回すが、ついさっきまで端のほうにいたはずのシルバーの姿は忽然と消えていた。きょろきょろするリヒターに、「あああああの」と困ったように眉を下げたリシアが声を張り上げた。
「シっ……シルバーさんなら、さ、先に荷物を運ぶって言って別館のほうへ……」
向かっています……と、語尾がどんどん小さくなって最後はほとんど聞き取れなかった。
どうやらシルバーはリヒターの仕事を手伝わされる気配を敏感に感じ取って、いち早く逃げ出したらしい。ノゼアンがリヒターに目を向けた辺りで、リシアにこっそり耳打ちをしてホールから出ていったのだ。野生の獣のような危険察知能力である。
「あいつ、逃げたな……」
「ええええっと、あの……で、では皆さん、こちらです!」
ぐったりと肩を落としたリヒターを気の毒そうにチラチラと見ながら、リシアは努めて明るい声を出して案内を始めた。
***
ホールから逃げ出したシルバーは、ホールを出てすぐのところで待っていた。
手ぶらだったので荷物はどうしたのかと尋ねてみると、「馬車で直接別棟の入り口のほうへ運ぶように指示した」という返事がきた。今頃はもう使用人が別館の中に運び込んでくれているらしい。
手際が良くて助かるが――ステラはシルバーを見上げた。
「リヒターさんが文句言ってたよ『逃げたな』って」
「何の話?」
シルバーは涼しい顔で首を傾げた。だが、使用人に指示を出し終わってもホールに戻らずわざわざ出たところで待っていたのだから確信犯である。
「で、ではシルバーさんも一緒に……!」
『案内』という使命を果たさんと、気合いが入りすぎたリシアの力強い言葉にシルバーは軽く頷いて、それから彼女の手元に視線を落とした。
「それ、持つよ」
そう言って指さしたのはリシアが抱えている大きな籐カゴだ。先ほど執事から受け取っていた物で、なにが入っているのか分からないが、カゴ自体がなかなかに大きいのでとても歩きにくそうだった。
「あっ、わ、私、運べます……」
「リシアは荷物持ってると転ぶ」
「そそそ、そんなこと、……ありますけど」
一瞬だけ言い返そうとしたものの、リシアはすぐにしおしおと萎れてしまう。
彼女はなにか一つに夢中になると他のことが見えなくなる性格なのだ。本当によく転んだり物を落としたりするらしい。
だが、彼女はカゴを奪われまいと両腕で抱え込んだ。
「私も、役に立てます……」
「それは知ってるけど」
頑なに荷物を離さないリシアに、シルバーは軽く肩をすくめた。
彼はリシアが役に立たないとは思っていないだろうし、本当に転ぶのを心配して気遣ったのだろうが、言葉が足りなくて自己肯定力の低いリシアにはきちんと伝わらないようだ。
そんな微妙な空気を見かねたのか、コーディーが口を開いた。
「シルバー君とリシアさんは親戚なのよね? 従兄弟同士?」
「いっ……」
何気ないコーディーの質問でリシアはガチンとフリーズする。
(あ、しまった……)
そういえばコーディーにはシルバーの詳しい生い立ちについての説明をしていなかった。
明らかに挙動不審に視線をさまよわせ、「あああああの、えええっと」と慌て始めたリシアの態度で『触れてはいけない』事に触れてしまったのを悟ったコーディーは、助けを求めてちらりとステラのほうを見た。
しかしステラがフォローするよりも早く、シルバーが口を開いた。
「リシアと従兄弟なのは私の父のほうです」
「え!? そうなの?」
「……なんでステラが驚くの」
「いや、そこの関係は改めて考えたことなくて……そっか、ノゼアンさんがリヒターさんの叔父さんなんだからそうなるのか……」
この一族はその他の関係性のほうが強烈すぎて、そこにまで目が行っていなかったのだ。
「なので、あえて言うならリシアは私の『従叔母』ですね」
「ああ、そうなのね」
コーディーはホッとした表情で頷く。リシアの反応のせいで自分がなにかの地雷を踏み抜いたのだと思っていたが、そうではなかったと安心したのだ。――だが、シルバーはさらりと付け足す。
「あと、私は当主の私生児なのでリシアの腹違いの兄でもありますけど」
「あら、兄……え!?」
コーディーは多分「私生児!?」と驚きの声を上げたかったのだろうが、何とか口を開けただけで声は飲み込んだ。しかし視線は彷徨っており、顔には『やっぱりまずいこと聞いちゃった』と書かれている。
レビンがそんな彼女の肩を抱いて、慰めるようにポンポンと軽く叩いた。
「コーディーさん、リヒターが言ってただろ、内情はドロドロなのがユークレースの持ち味だって」
「ド、ドロドロ……」
「そういえばあのとき、母さんは海を見てたから聞いてないんじゃない?」
「あ、そっか。いやコーディーさんは聞かなくていいけどね、あんなの」
「あんなの」って……とコーディーは困った顔をした後、シルバーとリシアに向かって頭を下げた。
「あの、ごめんなさい、知らなかったとはいえご家庭の事情に立ち入ったことを聞いてしまって」
「いえ」
「いいいいえっ!? あのっ、ききっ、気にしないで下さい」
シルバーはいつも通り淡々とした様子で首を振った。一方のリシアは頭を下げられたことに驚いたらしく目を白黒させ、遠心力でおさげが水平になるほどぶんぶんと首を振る。
「そっ……そそそれに私、シルバーさんが兄だって聞いて、ちょっと嬉しかったんです……私にも、兄弟がいるんだって」
そう言ってほんの少しだけほにゃあと表情を崩したリシアは、取り繕っているわけではなく本心からそう言っているのだろう。先程の殺伐としたノゼアンとリヒターにも見習って欲しい純粋さだ。
シルバーも「うん」と頷き、ニコッとリシアに微笑みかけた。
――ステラは知っている。この笑い方は人をからかうときの笑い方だ。
「良かったねリシア。血の繋がった兄弟がアルのほうじゃなくて」
「へ?……ひゃい!?」
シルバーの言葉に一瞬ぽかんとしたリシアはすぐに彼が意図するところを悟り、顔を真赤にして奇妙な声を上げる。そして、「なななにを言って」と両手を前に突き出して振った。
「あ」
突き出された腕の間からズルリと落ちた籐カゴを、シルバーが難なくキャッチする。
「じゃあ行こう」
「ああああ……」
両手で顔を覆って嘆くリシアを置いて、シルバーは何事もなかったかのようにカゴを持ってスタスタと歩いていってしまった。
「えーと……リシア、ドンマイ」
ステラが肩を叩くと、リシアは「ああううう……」と嘆きの声を上げながらゆっくりと歩き出した。




