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【書籍・5/30 4巻発売】ステラは精霊術が使えない  作者:
4章 砂でできたお城
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82. 海に橋が

 コロコロと小さな塊がぶつかり合う音がする革袋を首筋に当てて、ステラは大きく息を吐いた。


「冷たい……生き返る……」


 道中の暑さに耐え切れずに馬車の荷台から身を乗り出し、少しでも多くの風を受けようとするステラを見かねたシルバーが精霊術で氷を作り、袋に詰めて氷嚢を作ってくれたのだ。


「あっ、シルバー、俺も、俺もそれほしい!」


 それを見ていたレビンがシルバーにすり寄って嫌な顔をされている。

 レビンは意外とシルバーのことが気に入ってしまったらしく、この道中でなにかとちょっかいを掛けている。はじめはそんなレビンに戸惑っていたシルバーも、段々と彼に対する態度が雑になってきていた。

 シルバーは黙ったまま同じ氷嚢を二つ作り、一つをレビンに渡し、もう一つを完全に荷台の床と同化したアグレルの顔の上に投げつける。

 アグレルはかすかに呻きながら顔の上に落ちてきた袋を手に取り、ゆっくりと頬に当てて、ほう、と弱々しく息を吐いた。


 レグランドへはまだ少し距離がある内陸の土地では、運悪く天候の関係でやたらと気温が上がっており、昨年ステラがレグランドを目指したときよりも暑さの面で厳しい道行となった。

 精霊術で風を循環させることができるため、ユークレース親子とコーディーはその恩恵に預かれるのでまだマシなのだが、循環する風が見事にクリノクロアの人間を避けていってしまうため、暑さに弱いステラと、乗り物酔いプラス暑さのダブルパンチを食らうはめになったアグレルは早々にダウンしてしまったのだった。

 そして次に、旅慣れていないコーディーが馬車に揺られ続ける疲れでダウン。

 元気なのはリヒターとシルバーと、頑丈なレビンの三人で、うち二人はシルバーを構いたくて仕方がない困った大人であり、結果としてここしばらくシルバーの機嫌はすこぶる悪かった。

 旅程はようやく半分を超えたところで、シルバーは少なくともあと四日はこの暇を持て余したタチの悪い大人の相手をしなければならないのだ。


「ステラ、ちょっと」

「うえ~?」


 シルバーはステラの腕をつかんでズリズリと引き寄せる。暑さによって全てのやる気を失っているステラは全く抵抗する素振りを見せない。

 これだけの苦行に耐えているんだから、シルバーには少しくらいご褒美があっても許される。許されなくてはおかしいではないか。


「あっ、こらシルバー!!」


 こちらの意図に気付いたレビンが眉を吊り上げたが関係ない。引き寄せたステラの腰に腕を回し一気に抱き寄せる。


「暑い!」


 腕の中でステラが不満の声を上げたが、それが「嫌」とか「やめて」とかいうネガティブな言葉ではなかったことで、低迷していたシルバーの機嫌は一気に上昇する。


「暑い……」


 むしろ彼女は他の言葉を忘れてしまったのだろうか。大人しくシルバーの腕に収まって、「暑い」と「うう」という呻きを繰り返す。

 さすがに可哀想か……と腕の力を緩めると、それに気付いたステラの、少しだけうつろに潤んだ榛色の瞳がシルバーを見上げた。

 暑さで上気した頬と額は汗ばみ、薄桃色の髪が幾筋か張り付いている。さらに、やや開いた唇からは短い呼吸が漏れ出ていた。

 ――完全に無自覚なのだろうが、壮絶なまでに色っぽい。


 シルバーの頭の中、その芯のほうに火がついたようにジリジリと熱い。良くない。これは非常に良くない。

 緩めていた腕に再び力を込めて、さっきの一瞬で頭に浮かんだいろいろを振り払うように力いっぱい抱きしめる。耳元で「ぐえっ」とおかしな声がしたが気にしないことにする。


「こら、離れろ! ステラが折れる!!」

「やだ」

「やだじゃありません! おいリヒター、お前の息子どうにかしろよ!」

「ははは、シン、あんまりしつこくくっついてると嫌われるぞ。暑いから」


 リヒターの言葉に、そういえば暑いという呻きが聞こえなくなったな、と力を抜いた。


「……し、死ぬ……」

「……ごめん」


 ステラは、純粋な暑さなのかそれとも羞恥が混ざっていたのか、自分でもわからなかったがとにかく茹だった頭で、「早く……到着しないかな……」とぼんやりと祈っていた。



***



 約一ヶ月半ぶりのレグランドは夏真っ盛りで、海や船遊びのために集まった観光客たちで大通りが以前よりも賑わいを見せていた。


「すごい人ね……」

「うん……」


 ここまでたくさんの人が集まっているのを見るのは初めてであるコーディーが目を丸くする。

 人の多さで言えばガラスの町であるサニディンのほうが凄まじかったが、多少なりとも見覚えのある風景がこうも賑わっていると別の街のように見えて、ステラもコーディーと同じように目を丸くして通りを眺めていた。


「このまま門を通って本家に向かうよ」


 馬車の荷台から興奮気味に外を眺めていたステラとコーディーに、リヒターがニコリと微笑みながら告げた。

 レグランドの町の中心を貫く大通りを抜け、円形の広場を過ぎたところにある大きな門を抜けるとその向こう側は長い橋になっている。その橋を渡りきった先の島が、まるごと本家の敷地なのである。


「さすが、派手だなユークレースは」

「無駄にね。昔はもっと派手だったときもあったみたいだけど」


 やや皮肉を込めたレビンの言葉に、リヒターは同じく皮肉っぽく笑う。しかし、これ以上に派手だったというのがステラには想像がつかなかった。


「派手って、ピカピカ光るとか、変形するとか?」

「変形……は、ちょっと僕も見てみたいな……だけど残念ながらピカピカしてただけだ。橋の欄干に金の装飾があったり……そういえばほら、ステラがドン引きしてた応接室の巨大なシャンデリアもその頃のものだよ」

「ああ……」


 ひどく高い天井に吊るされた、豪華で大きくて重たそうなシャンデリアを思い出す。


「その次の代は前の当主の反動なのか、ごてごてしたものが嫌いで金の装飾を全部取って売ったんだ。そのお金で港の整備をしてずいぶんと領民に感謝されたみたいだよ」


 売った金で港が整備できてしまうほどゴテゴテと飾り付けられた中で暮らしていたら、それは嫌いにもなるだろう。


「ふうん、その次の代の当主さんっていうのは、ちゃんと領民のためにお金を使う良い領主様だったんですね」


 感心したステラの呟きに、シルバーが首を傾げた。


「いや? 先代が無駄遣いした領民の税金を還付しただけだし、感謝されることではないよ」

「しかも設置と撤去の費用が差し引かれて目減りしてるからねえ」


 当然だと言わんばかりのシルバーに、さらにリヒターが付け加える。


「た……確かにそうですけど」

「むしろ、目減りした分を当主の個人資産で補填しろって訴えてこなかった領民たちが良い領民だったんだよ」


 ステラだったらもう戻ってこないと思っていたものが戻ってきたという事実だけで感謝してしまう。大抵の人間は同じだろう。

 だがシルバーは(おそらくリヒターも)当主として必要な教育を受けているので、彼やリヒターの意見が領を運営するサイドのものの見方なのかもしれない。

 だが――。


「……領民がリヒターさんみたいな人ばっかりだったら領主は嫌になっちゃいますね」

「そうだね。だから今の当主は僕を自分の手元に置いたんだよ。外から突かれたくなくて」

「ああ……でも中からえぐろうとしてましたよね」

「まあ何度かね」


 ステラのツッコミに、リヒターは「失敗したけど」と続けて笑った。外でも中でも危険な人物である。

 それは笑うところかなあ……と呆れていたステラは、ふと、そのリヒターと横にいたシルバーがなにかを目で追っていることに気付いた。


「? なにを……」


 見てるの? という言葉は声にはならず、代わりに口から出たのは「ひえっ」という悲鳴だった。何の前触れもなく、突然ふわりと体を持ち上げられたせいだ。


「わ、やだ! やめて!」

「詳細は分からんが、なんか不穏な話をしてるだろう、ユークレースめ」


 ステラを持ち上げた犯人はレビンだった。彼はそう言いながらリヒターを睨みつけると、ステラの抵抗も馬車の揺れもものともせず、娘をお姫様抱っこしたまま移動し、離れた場所に腰を下ろした。

 ステラは父の腕の中からなんとか抜け出そうとしたが、うまく身動きができない。結局レビンの膝の上に、大きなぬいぐるみのように抱きかかえられてしまった。

 先日から何度か口にはしていたが、レビンはよほどステラを膝の上に座らせたかったらしい。


「まあ、内情はドロドロなのがうちの持ち味なんで」


 死んだ目で抵抗を諦めたステラをニコニコと眺めながら、リヒターが救いようのないことを言う。


「やめろ、これからしばらく住むっていうのにそういうこと言うの。ステラとコーディーさんが怯えるだろうが」

「今そういう話に持っていったのはステラですけどね」

「なんだよ、うちの子に問題があるとでも言いたいのか……ん、コーディーさんどうしたの?」


 いちゃもんを付けようとしていた(としか言いようがない)レビンは、ずっと馬車の外を眺めていたコーディーに目を向けた。彼の腕を、コーディーがペシペシと叩いたからだ。


「ねえ、すごい、海! 海の中に橋が架かってる!」


 コーディーは初めて間近に見た海と、そして両側が海という絶景の橋に興奮して目をキラキラと輝かせていた。


「ぐっ……コーディーさんかわいい……」

「うあ、母さんが最高にかわいい……」


 キラキラをまともに浴びてしまった夫と娘は共に胸を撃ち抜かれ、島に着くまでまともに喋ることもできなかった――。

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