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81. interlude:一刻も早く

 夜。

 音を立てずに開かれた扉の隙間から、紺色の瞳が覗いた。

 まるで宇宙を思わせるような見事な紺碧の瞳は油断なく廊下を隅まで見渡し、誰もいないことを確認すると部屋の中へと引っ込んでいった。

 その瞳の持ち主はくるりと部屋の中を振り返り、潜めた、しかし明るい声を出した。


「じゃあ、私は行くから。お元気でね」

「~~!」


 後手を縛られ、猿轡を噛まされた侍女は瞳に涙を浮かべて自分の主人へなにかを訴えたが、その言葉は当然ながらうめき声にしかならなかった。

 侍女の主人である女は「大丈夫よ」と紺碧の瞳を弓なりに細めて優しい声を出す。


「うう~~~~!!」


(今のは「なにが大丈夫ですか!!」かしら)


 言葉は分からないが、表情やうめきのリズムで意外と分かるものね、と女は感心する。


「あなたに咎がいかないよう手は回したから安心して。それに一応戻ってくるつもりだから」

「ううう……ううう~~」


 侍女は諦めずにまだうめいているが、協力者によって作ってもらったこのチャンスはそう長くは続かないはずだ。女は小さくまとめた荷物を手に、侍女に向けて優雅に一礼して見せる。


「では、ごきげんよう」


 くるりと踵を返した女は、先程の扉を今度は大きく開き、足音を抑えて廊下へ出た。

 この廊下には通常ならば数人の侍女と兵士が控えているのだが、今日は女が癇癪を起こし、先程の一人を残して全員下がらせたため今は人影一つなかった。


(さあ、ここからが本番ね)


 この廊下に面した扉は三つ。

 一つは応接室、もう一つはドレッシングルームで、最後が中庭のある回廊へと続いている。

 女の目指す場所へ向かうためには、回廊へ出なければならない。そのためには回廊に続くドアから出るか、応接室を通り抜けて回廊へ出るか……なのだが、あいにく回廊に立つ見張りまで追い払うことは出来なかった。だから、そのルートを使うことは出来ない。

 女は三つの扉のどれでもなく、廊下の窓を開けて外の様子を覗った。

 遠くの方で巡回の兵士が歩いているのが見えたが、手前側の庭園にいるはずの兵士の姿は見えない。念のため耳を澄ましてみたが、聞こえるのは虫の声と遠い喧騒のみだった。

 協力者は首尾よくやってくれたらしい。

 女は口元を笑みの形にして、すぐに引き締めた。

 協力者が撒いた睡眠薬の効果は一時間も保たない。薬を吸った兵士が誰か一人でも目を覚ましてしまえば騒ぎになるのは目に見えている。もしくは、たまたま他の場所から誰かがやってきて眠る兵士たちに気付いてしまえば、このチャンスが台無しになってしまう。

 そして、女はそんな騒ぎを起こしたことを咎められて厳しい監視下に置かれ、身動きが取れなくなってしまうに決まっている。


 なぜなら、女は王女で、今から家出をしようとしているのだから。


 ヨルダ・アウイン・ティレー。

 ティレーは国の名前、アウインは王族であることを示すミドルネーム。

 愚鈍な兄のフォローをして、残忍な弟の歯止め役になって、そんな風に努力をしても、最終的にはティレーの国益のために、どこかの誰かのところへ嫁に出される予定の十七歳。

 だから、ヨルダは城を出ることにした。

 あそこにいても事態はこれ以上好転しないのだと悟ったから。


(『国益』のために、私がすべてを捨てるなんておかしいもの)


 窓枠に足をかけ、乗り越える。

 窓の向こう側は思っていたよりも地面が遠くて、降りるときに壁でふくらはぎを擦って、しかもつま先で着地してしまったがゆえに体が前に倒れ、ベシャン! と芝生の上に倒れてしまう。


「いたぁ……」


 草と土がクッションになってくれたおかげで多少衝撃は緩んだが、それでも強かに胸を打ってしまったし、どうやら足もくじいてしまった。出発の第一歩でこれとは、幸先が悪すぎるのではないだろうか。


(だめよ、気持ちで負けたらおしまいなんだから……!!)


 勢いよく起き上がり、――勢いが良すぎて痛んだ足に顔をしかめながら――ヨルダは服に付いた草の葉や土をはたき落とした。そして足元を見回す。

 ころんだ拍子に手を離してしまった鞄は、少し離れたところに落ちていた。ヨルダが進むつもりだった方向へ、ヨルダよりも先に進んでいたのだ。

 鞄だってやる気(?)じゃない、と心の中で呟き、ヨルダは地図上で何度も確認したルートを目の前の景色と重ね合わせる。


(大丈夫、警備のルートも交代時間も何度も確認したんだから。あとは落ち着いて実行するだけ)


 深呼吸して、これから自分が始めようとしている――いや、すでに始めてしまっているだいそれた計画にすくむ体に、新鮮な空気を流し込む。

 吸い込んだ空気は昼間の暑さを残していて、少しだけ甘い香りがした。

 暗い庭園の生け垣にはところどころに白い花が咲いていて、甘い香りを夜風に乗せて振りまいているのだ。

 そういえば、この香りを意識したのはずいぶんと久しぶりだった。

 この花の香りも、可憐に咲く姿も、気に留めなくなったのはいつからだろう。


(叔父様が好きだったのよね……)


 叔父が、彼が、この花を愛していたから。

 叔父が亡くなったあと、ヨルダの周りのいろいろなことが変わってしまった。この花を見るたびに、雪のように降り積もっていく胸の痛みに耐えかねて目をそらすようになったのはいつからだったか――。


(おっと、感傷に浸っている暇はなかったわ)


 軽く頭を振って、ヨルダは歩き出す。先走って飛んでいった鞄を拾い上げ、持ち手をしっかりと握りしめた。

 生け垣に身を隠しながら、中庭を突っ切ってその向こうの林に入る。

 そして、落とさないよう首にかけていた特殊な鉱石の付いたペンダントを外して片手に持ち、目当てのものを探して林の中をうろうろと歩き回る。


(客室棟から三十メートルくらい行ったところの……あった!)


 特殊な鉱石を近づけると発光する塗料が塗られた木。そこから二つ隣にある低木の茂みの中……指示された内容を頭の中で反芻しながら、ヨルダはためらうことなく茂みの中に手を突っ込んだ。

 指先が硬い物に触れる。暗い上に茂みの中なのでよく見えないが、ひんやりとした金属のツマミだ。それを、ガチンと切り替える。

 切り替えた瞬間、背後からかすかに「ジッ」という静電気のような音が聞こえてきた。成功……のはずだ。

 ヨルダは転げるように音のした方へ向かった。そこに並んでいたのは賓客の馬車だ。その中の、ひときわ目を引く馬車――といっても馬が引くのではなく、機械仕掛けで動く特別製――に駆け寄ると、後ろの荷物入れの扉に手をかけた。


(うまく行ってますように……!)


 祈りながら手に力を込めると、ガコンという軽い音とともに扉が開いた。


(やった、解錠成功!)


 この馬車の荷物入れの下には更に空間がある。一体なにに使う目的で作ったのか追求したくもあるが、今のヨルダにとってはありがたい隠れ場所だ。

 ヨルダは荷物入れの中に入って内側から扉を閉め、手探りで下の空間の蓋を探り当てて開け、身を滑り込ませた。



***



 朝の散策から帰ってきたライムを迎えたのは、城全体を包む慌ただしい空気だった。耳をそばだててみると、どうやらお城の自室にいたはずのお姫様が姿を消してしまったらしい。


「誘拐かな」


 石や金属の破片など、外で拾ってきたいろいろな物を革袋に押し込み、鞄に詰め込みながらライムは父を仰ぎ見た。


「またガラクタを拾ってきて……それにライム、口を慎みなさい。王女殿下の誘拐なんて事になったら今一番疑われるのは我が家なんだぞ……」

「もう、パパはもっとお祖父様みたいに胸を張りなよぉ。別にやってないんだからさ」

「そうだぞ、お前はライムを見習え」


 出発の準備が終わった祖父がやってきて、父を叱りつける。父が叱られるのはもはや日常の光景だ。


「ライム、出発の前にクレイス殿に挨拶をしていくか?」


 どうやら祖父は機嫌がいいらしい。ニコニコとライムに声をかけてきた。


「えー、別にいい。それよりも早くホーンブレンに行きたいんだけど。新しい合金があるんでしょ? いろいろ試してみたいんだもん」

「分かった分かった。お前は本当に将来有望だな」


 ははは、と祖父が笑うのを聞きながら、ライムはひっそりと安堵の息を吐いた。

 彼女たちは、一刻も早く向かいたいのだ。


 ホーンブレン――レグランドの隣の町へ。

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