78. 今後のこと
ステラはしばらく父を睨みつけていたが、腹立たしいやらなにやらで言葉が出てこず、結局それ以上なにも言わずにプイッとそっぽを向いた。
コーディーはそんなステラの様子に苦笑して、機嫌を損ねて黙り込んだ娘に代わり口を開いた。
「……私には細かい事情が見えないんだけど……あの男の子――シルバー君? は、ステラのことが好きなのね? だからレビンはステラとその子を引き離そうとして、わざとリヒターさんの提案をステラに伝えなかった、っていうことで合ってる?」
「大体合ってます……」
「じゃあ、それはレビンが悪いわね。騙されている云々は一旦置いておいて、提案があったことはちゃんと教えないと。その上で話し合うべきでしょ?」
ステラがうんうん頷くのとは対照的に、レビンは拗ねた顔で「でもぉ」とうじうじしている。そんな夫の姿に、コーディーは呆れたとばかりに大きなため息を吐いた。
「ねえレビン。もしも私の父さんが、今のあなたと同じことをしてたらどう思う? それで私がレビンと暮らすことを選ばなかったとしたら、そのときレビンは私を諦めた?」
「ジジイをぶん殴ってコーディーさんを連れ去る」
レビンは一切の迷いもなく即答した。
コーディーはその回答が予想外だったらしく、やや引きつった顔でこめかみに指を当てた。
「……じゃあ今回はあなたが殴られる番ね」
「受けて立とう」
「もう! そういうことを言ってるんじゃないの分かってるでしょう?」
今度はコーディーが目を三角にする番だった。
レビンは「はあ」とわざとらしくため息を吐いた。
「……分かってるから一応折れたんだよ。リヒターの提案なんかなかったことにしても良かったんだし」
ブツブツ言いながら、レビンは真面目な表情を作った。
「じゃあ全部ちゃんと話しますよ……」
「最初からそうすればいいのに」
「ハイ……ええとまず、さっき言ったように……ステラを守ることを考えるなら俺の実家に行くのが一番良い」
「うん……」
「この場合のデメリットは、あそこに行ったら今ほど自由ではいられないってこと。クリノクロアの能力を持つ者として、さらに当主の孫としての立場と責任が生まれるからな。ま、それでも不自由なりに、昔の俺みたいに勉強したり外務についていって見聞を広めることもできることはできる」
レビンはそこで一呼吸置いて、指を二本立てた。
「それに対して、レグランドに行く場合。こっちは大きな問題が二つある。――まず、外部からユークレースとクリノクロアが手を組んだと思われて、国内勢力の均衡が崩れる可能性」
ステラは頷く。前にアグレルも触れていたが、クリノクロアがユークレースの天敵として存在しているというのは各方面でかなり重要なことであるらしい。
「二つ目は内部。精霊術を弱体化させるクリノクロアの能力を面白く思わない精霊術士は多い。表立って文句をつけてくる奴はそんなにいないだろうが、いろいろな場面で冷遇されることは考えられる。もしかしたらクリノクロアに行くよりも行動を制限されるかもしれない」
これまで、ステラは『ステラ・リンドグレン』としてレグランドに滞在していたが、『クリノクロアのステラ』ということが公になった場合にもあの町で同じように受け入れられるのかは疑問だ。
(もしや、アグレルさんが執拗に私をフルネームで呼ぶのってそれを気遣って……?)
不器用過ぎるが彼ならあり得る。ツンデレなので本人に確認しても認めないだろうが。
「――ただしリヒターによれば、ステラは既に功績を上げてるから、内部の問題はなんとでもできる、らしい。……あいつ、裏工作得意そうな顔してるし、逆らう身内を黙らせるくらい簡単なんだろうな」
「……(ありうる)」
「つまるところ重要なのは内部よりも外部だ。――ステラ、ユークレースとクリノクロアが手を組むっていうのがどういう意味を持つのか、分かるか」
逆らう親族を小屋に閉じ込めて木の枝でぐるぐる巻きにして松明を片手ににこにこ笑っているリヒターの姿を想像していたステラは、質問が飛んできた事に驚いて背筋を伸ばす。
「……クリノクロアはユークレースの天敵、だから、二つが手を組むとユークレースに弱点がなくなって……王族よりも強い力を持ってしまって、国内勢力の均衡が崩れる」
「そう。ただでさえ実情としては既に上回ってるようなもんなのに、更に強化されちゃうわけだ。そうなれば王家は当然面白くない。それにユークレースの自称ライバルのダイアス家も面白くない。この二勢力プラスαが手を組んで『打倒ユークレースとクリノクロア』となったら泥沼の入り口だ」
ステラは神妙な顔で頷く。
既にダイアスと王家は手を組んでユークレースの娘を殺そうとしている。その標的がクリノクロアにも向くのだ。
だが……と、小さく首を傾げる。
(あのリヒターさんが、そんなことも考えずにレグランド行きを提案するわけないよね……?)
ダイアスとは昔から揉めているのだから、彼がその可能性に気付かないはずがない。それを分かっていてもレビンにそんな提案をしたということは、泥沼を回避するための手段がある、ということだ。
(私たち家族がユークレースの本拠地にいても、外部からおかしく思われない理由……)
そこでふと思い出す。
クリノクロアの人間が堂々とユークレースの本家に滞在していた前例が、とても身近にあったではないか。
「監視役……」
アグレルは、一族の能力について知識を持たないステラの『指導役兼監視』としてクリノクロアからユークレースに送り込まれてきた。
彼の担っている『監視』は、ステラが能力を乱用しないように、という他に、ユークレースがステラを利用してクリノクロアに害を与えないように、という意味もあったはずだ。
「協力するんじゃなくて、監視を目的にして滞在するっていうこと?」
ステラがそう言うと、レビンは嬉しそうに瞳を輝かせた。
「おお……! うちの子賢すぎるんじゃないか? コーディーさん、天才だよこの子」
「そういうのはいいので」
「あ、はい……」
娘から冷たい顔で即座に切って捨てられ、レビンはしおしおと肩を落とす。
「……リヒターいわく、最近調子に乗ってるユークレースを監視するためにクリノクロア当主自ら腹心を送り込む――っていう体にすれば良いんじゃないか、ってさ」
「腹心……が、父さんなの?」
「そうなんだよ……アグレルがしつこくてね……」
「へ? アグレルさんが?」
アグレルがしつこいのと、当主の腹心がどうつながるのか分からなかったステラは首を傾げる。レビンは苦り切った顔のまま続けた。
「……あいつ俺をクリノクロアの次期当主に据えたくって探してたんだって、ステラ聞いてた?」
「えっ、知らない。父さんの狂信者だとは思ってたけど」
今でこそかなり当たりがマイルドになっているが、最初の頃のアグレルは完全にステラを敵視していた。その理由が『尊敬していたレビンを取られたから』。
きっと子供の頃の尊敬とあこがれが、本人不在のまま膨れ上がって信仰のようなものになってしまったのだろうな、とステラは理解している。
「狂信者……その言い方ちょっと怖いからやめて……。と、とにかく、俺はうちの次の当主には兄貴が適任だと思ってるから、その期待には応えられないよって話をしてたんだよ。でもアグレルが駄々こねて――そしたらリヒターの奴が、なら別の代表になればいいとか言い出してさ」
「それが腹心で、ユークレースの監視役?」
「そう。今まで世間から隠れていたクリノクロアが、ユークレース内部で睨みを利かせつつ自分たちの新しい外部窓口を作る……と。窓口って言っても、同時にユークレースの監視を受けるわけだから、お互いに不利になるようなことはできない。いわばにらめっこ状態で、どちらも周囲に対する脅威ではないことをアピールできてwin-win、ってね」
なるほど、実情はどうあれ、形としてはステラの理想的なくらいに整っている。――だからこそ、その説明がなかったことにステラはイラッとする。
「……win-winなのに、私をシンから引き離したくて隠してたの?」
「それも……あります……」
「他にもなにか」
「えーと……『クリノクロア当主が送り込む』ってことは、当然その当主に話を通しておかないといけないわけですよ」
「……自分の父親に会うのが気まずいから嫌、だと」
「正解~」
「「……」」
「ステラもコーディーさんもそんな目で見るなよう。ちゃんとこうやって説明したじゃん~」
そのとき、外から人の話し声が聞こえた。森に入っていたシルバーたちが戻ってきたらしい。
「話は分かりました。私は、リヒターさんのお言葉に甘えてレグランドへ行きたいです」
「ははは……そうなるよね」
「あとの判断はおまかせします――が、家出の件はお忘れなく」
「それは忘れさせてほしい……」
「嫌」
ステラがツンとそっぽを向くと、ちょうどコーディーと目が合った。コーディーは微笑み、頷いてみせた。
「大丈夫よステラ。レビンは娘のためになにかしたくて仕方ないんだから。自分の父親を説得するくらいなんでもないわよね?」
「うっ……はい」
「ありがと、母さん。……あとは父さんと母さん二人きりで話しなよ。邪魔者は外に行くから」
そう言いながらステラは立ち上がった。
「ステラは邪魔じゃないよ」
レビンがそう言って引き留めようとしたが、ステラは首を振って、ニコリと微笑んだ。
「いいの、私は今後のことを考えて、アントレルを出る前にガイさんから人体のバラし方を教わらないといけないから忙しいの」
「……今後のこと……」
ぽかんとした顔のレビンは、一拍遅れて言葉の意味を理解した。
「いや、ちょ、待って!? 誰をバラすつもりなんだ!!? 今後ってなに!?」
レビンの焦る声を背中で受けながら、ステラはベッと舌を出して扉を開けた。