75. ここでは説明し難い物体
外に出るともう太陽が顔をのぞかせており、空は白み始めていた。
ステラは顔をまっすぐ上げ、足早に自宅へと向かう。既にそこかしこで村人の生活音が聞こえ始めているが、あまり人に会いたくないステラは気配を殺して進む。
「……きゃっ!?」
ステラが自宅の裏にある納屋側の茂みを抜け出た瞬間、女性の悲鳴が上がった。
「あれ、母さんこっちにいたんだ」
「ステラ!? あんたなんてところから帰ってくるの!!」
「今の時間は仕事場のほうかと思ったのに」
悲鳴を上げたのはステラの母のコーディーだった。
彼女は両手で薪の束を抱えていた。その薪は既にある程度割ってあるものだが、使いやすいサイズにするにはもう少し細かくする必要がある。納屋の横に小さな斧が置いてあるので、これから割るつもりだったのだろう。いつもならステラがやっていた作業だ。
「昨日の朝方、村のそばであんたの姿を見たって人がいたのに、一向に帰って来ないから……なにかあったのか心配でまともに眠れなかったのよ。だから気晴らしに薪でも割ろうかと思って」
コーディーは口をとがらせて、抱えていた薪を地面に置いた。
「ありゃ……見られてたんだ。ごめんね、ちょっと急いでやらなきゃいけないことがあってさ」
「やらなきゃいけないこと?……何にせよ、あんたが無事で良かったわ。ユークレースの当主様から手紙が来たときは心臓が止まるかと思ったけど」
当主のノゼアン自ら、コーディーに宛てて何度か手紙を送ったということはステラも聞いている。詳細な内容までは知らないが、昨年レグランド到着後に意識を失っていたことや、一年越しで目覚めたこと、アントレルに戻るためレグランドを発ったことなどの知らせは来ているはずだ。
一年間意識不明だった――などというとんでもない知らせを受け取って、ただでさえ心配が絶えなかっただろう。
そんな娘が村のそばにいるはずなのに、いつまでも家に帰ってこなければそれは眠れなくなっても当然だ。
「ご、ごめんなさい……」
「はあ、いいわ。……おかえりなさい、ステラ」
「ただいま、母さん」
えへ、と笑う。ステラはお母さんっ子なのでやはり母の顔が見えると安心する。
しかしコーディーのほうは『顔を見て安心』とはならなかったらしい。くっと眉根を寄せ、ステラに詰め寄る。
「それにしてもステラ、一人で帰ってきたの? それに荷物は? ユークレースさんは一緒じゃないの?」
矢継ぎ早の質問にステラは苦笑する。
「えーと、ちょっと特殊な荷物があって、村の中に運ぶと騒ぎになっちゃうから、ガイさんのお家で預かってもらうことにしたの。それでバタバタしててこっちに来れなかったんだ。一緒に来たユークレースの人たちも今ガイさんのところにいる」
「特殊な荷物……あんた、またガイさんに迷惑かけてないでしょうね」
「迷惑……」
村の掟を破ることを見逃してもらい、猟師たちにとって命でもある狩場や情報を記した地図を貸してもらい、更に今はレビンを匿ってもらっている。迷惑をかけていない、とは口が裂けても言えない。
目を泳がせたステラを、コーディーはじっとりと睨みつけた。
「ステラ……」
「だっ、大丈夫だよ。えっととにかく、その荷物なんだけどっ! 母さんにも見て欲しくて呼びに来たんだ」
「見て欲しい? 何なのそれ」
「こう……ここでは説明し難い物体で……」
「は?……ここでは説明できないって、本当に何なのそれ」
「まあとりあえずガイさんちに行こうよ。ね?」
ここで説明できないなどと言うと、いかにも怪しいもののように聞こえてしまうが、自宅の裏とはいえ誰が聞いているか分からない場所でレビンの名前は出せない。
万が一誰かが聞き耳を立てていて、『説明し難い物体』に興味を持った人間がいたとしても、置いてある場所がガイロル(怖い・厳しい)の家ならば覗きに来るような人間はいないはずだ。
「はあ……そうね、とりあえずガイさんにあんたのことを謝らないといけないみたいだし」
ため息を吐いたコーディーはそう言って、やっと気の抜けた笑顔を浮かべた。
「じゃあちょっとそこの茂みを抜けて森のきわを通っていくから枝に気をつけてね」
「え」
嘘でしょ? と笑顔がひきつったのはその直後だった。
***
「やっと着いた……せめて獣道を使えばいいのに……」
「あれが最短ルートなんだよ」
「あのねステラ、ルートっていうのは道があるものなの。枝をかき分けて道のない場所を進むのはルートとは言わないの」
コーディーはぶつぶつと文句を言いながらステラの髪に絡まった葉っぱを取った。
「次回以降の参考にします」
「この子は……」
呆れを含んだため息を聞きながら、ガイロルの家の扉の前に立ったステラは拳を振りかぶった。だがその拳が振り下ろされる前に、今回もガイロルが内側から扉を開けてくれた。
「なぜお前はいつも無駄に力を込めて扉を叩こうとするんだ。壊れるだろうが」
「ガイさんは年だから、耳が遠くなってノックの音が聞こえないといけないと思っ……痛っ」
ガイロルから呆れた目で見下されたステラは悪びれもせずにそう言った。その途中で後ろからゴチンと頭に拳を落とされる。
「うちの子が迷惑をかけたり失礼なことを言ったり、いつもいつもごめんなさいガイさん。……本当にもう、この子は――」
娘に拳を落としたコーディーはガイロルに勢いよく頭を下げる。そしてこめかみを押さえつつ顔を上げ――部屋の中に見慣れた人物を見つけて、固まった。
「コーディーさん!」
パッと明るい表情になって駆け寄ってきたレビンを、コーディーは固まったまま、瞬きを繰り返して見つめる。
「……え、レビン? でも、え?」
十年ぶりに会った夫の姿だが、コーディーは説明ゼロで突然引き合わされたせいで驚きのほうが勝ってしまい、再会の喜びなど吹っ飛んでしまっていた。
しかも、十年ぶりのはずなのに夫は何一つ――服装どころか見た目のどこをとっても――変わっていない。世の中には見た目が変わらない人もいるとは聞くが、ここまで本当に変わらないものなのだろうか。
そもそも彼は今までどこにいて、そして今はなぜガイロルの家にいるのか。
そして、いきなり勝手にいなくなったくせに、なんでこんなに嬉しそうな顔をしているのか。
その全てが頭の中でごちゃごちゃになったコーディーは、夫をじっと見つめて「レビン……」と名を呼び、拳をギュッと握りしめた。
「コーディーさん、今まで――」
「今までどこに行ってたんだバカ男ー!!」
握りしめられた拳はレビンのボディにまっすぐ食い込んだ。
「親子……」
「デジャビュ……」
「あはははは」
ステラの時とは違い、コーディーには武術の心得がないため威力はほぼなかった。そのため、今回のレビンのダメージは軽く呻くくらいで済んだ。
外野たちが三者三様の反応を示す中、レビンはコーディーの手首を握って頭を下げた。
「コーディーさん、ごめん。たくさん苦労したんだってステラから聞いた。何の説明もせずに消えてごめん。こんなに長い間、帰れなくてごめん」
レビンは手首を握った手を滑らせ、手のひらを握る。
コーディーは反射的にレビンを殴ってしまったことに後ろめたさを感じているらしく、繋がれた手を振り払うことはなかった。黙ったまましばらく見つめてからためらいがちに口を開く。
「……ねえ、本当にレビンなの? 私、寝不足で幻覚を見てない? ステラが手の込んだいたずらをしてるの?」
「は!? 私、母さんにこんないたずらしないよ!?」
いくらステラが小鬼と呼ばれていたとしても、失踪中の夫のそっくりさんを連れてくるような悪趣味ないたずらなどしない。しかも相手は最愛の母だ。彼女を悲しませるようなことをステラがするわけなどないではないか。
「はは、そうだよ、間違いなく本人だって」
レビンは笑いながらコーディーを抱きしめ、愛おしげに彼女の髪を撫でる。
「いろんなことを話さないといけないけど、まず――コーディーさん。ずっと待っててくれて、ありがとう」
そう言って、コーディーの顎に手をかけて上を向かせ、口づけた。
人前でなんてことを!――と、普段だったら怒るだろうコーディーは、なにかを言おうとして口を開きかけたがすぐに顔を歪め、レビンの胸に顔を埋めた。
そして、細く震える声で答えた。
「帰ってきてくれたなら、いいわ。……全部、いいの」
「うん。……本当に、ありがとう」
コーディーさんは身持ちが硬いタイプ。レビンさんはそんなコーディーさんにかまってほしくてスキンシップ多めなタイプ。