74. 竜
ガイロルは元々起きていたのか、それとも気配を感じて起きてきたのか、とにかくステラが振り上げた拳で扉を叩く前に入り口を開け、こちらを見るなり「全員さっさと入れ」と家の中へ招き入れてくれた。
「本当に見つけてきたのか……」
「ガイさん、どーも。十年ぶりらしいっすね」
「……」
ガイロルは、気軽としか言いようのない態度と口調で軽く手を上げ挨拶をしたレビンをギロリと睨みながら、ステラのほうを見ずに「小鬼」と手招きをした。
「なあに」
ステラが駆け寄ると、ガイロルは横目でチラリとステラを見た。
「約束は有効だろうな」
「約束……? ああ、あれね」
一瞬何の話か分からずに首を傾げたステラだったが、すぐに思い出す。
出発前の、『あいつが戻ってきたらまず一発殴らせてくれ』という約束のことだ。
「いいよ、気が済むまで」
「え、何の話?」
重々しく顔をしかめているガイロルと、グッと親指を立てて頷いたステラとの間で視線を行ったり来たりさせながら、レビンは口元を少しだけ引きつらせた。
「なあレビン、おまえに言いたいことが色々あるんだが、知っての通り俺は口下手でな」
「……うん。……ねえ、嫌な予感がするんだけど、ステラ、ガイさんとなにを約束したの」
「なに、大したことじゃないさ。とりあえず、うまく受け身をとれ」
受け身をとれ――の言葉が終わる前に、ガイロルは動いていた。
彼の重すぎる拳は、殴るのだと知っていたステラの目でもほとんど動きを追えなかったし、ステラ自身がやられたら避けるどころか受け身を取るのも難しそうだった。たぶん今ここにいるメンツの中で避けられるとしたらシルバーくらいだろう。
ボガッ――という鈍い音が響く。案の定、レビンは避けることが出来なかった。……だが。
「――っ、いきなり殴ることないだろガイさん!」
避けることは出来なかったが、身を捻って威力を殺していた。数歩たたらを踏んだレビンは特段ダメージを受けていない様子で、すぐに勢いよくガイロルに噛みついていった。
ステラは驚きで目を瞬かせたが、ガイロルのほうはそれを予想していたらしく、腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
「娘の許可は得ている」
「ステラぁ」
「馬鹿者。娘にすがれる立場じゃないだろうが」
「うぐう……おっしゃる通りです……」
「コーディーも一時は周りが心配するほどやつれてたんだ」
「うっ……コーディーさん……」
いじいじと膝を抱えて座り込んでしまったレビンを見下ろしたガイロルは嘆息し、「それで」とレビンのほうへ椅子を一つ蹴り飛ばした。ついでに他の人間にも顎で椅子を示す。座れということらしい。
「脳みそが溶けてるんじゃないかってくらいに溺愛してた家族をほっぽって十年もなにをしてたんだ」
椅子に座らず、コーディーを呼びにいこうとしていたステラはピタリと止まる。
レビンが十年前森に入っていった理由を、実はバタバタしていてまだ聞けていなかったのだ。
あまり認めたくはないが、号泣したステラが落ち着くのに時間を要したという理由もほんの少しだけある。
「竜に呼び出されたんだよ」
「なるほど、脳は既に溶けていたか」
「いや本当だから。死にかけの白いでかい竜で、自分で『クェノアルバェイラ』って言ってたし」
「けのあ……?」
「『クェノアルバェイラ』。この土地の守護をしていた、伝説の竜の名前だよ」
またしてもうまく言えないステラのために、でれっとした笑顔とともにレビンが言い直した。
大きな熊『エェルトゥズ』に輪をかけて言いにくい。大昔にこの土地に住んでいたという人たちはずいぶんと舌が攣りそうな言語を使っていたらしい。
「伝説なのに、十年前に生きてたの?」
「あ」
ステラの質問と、シルバーのなにかを思い出した声が重なる。シルバーは基本的に人見知りなので、馴染みのない人がいる中でそうやって声を上げるのは珍しい。
ステラは「どうしたの?」と話の順番を譲った。
「たぶんその竜に、会いました。レビンさんが倒れてた場所で」
「――ああなるほど、『キノ』か」
シルバーの言葉に、リヒターが頷いた。
「そう。私が名前をうまく聞き取れなかったから、『キノ』でいいって……でも、大きいとか死にかけじゃなくて小さい子供みたいな竜だったけど」
シルバーはその二体が同一の竜であるという自信がないようで、語尾が小さくなる。だがレビンは「子供かあ」と呟いて頷いた。
「ありえなくはないな。俺があの場所に行ったのは、その竜が最後の力を振り絞って俺を呼んだからなんだ。君が見たのが、そこで力を使い切ってクリノクロアの術で再生した姿だとすれば説明がつく。女の子だっただろう?」
「子供の声なので微妙ですけど、たぶん女の子」
シルバーがわざわざレビン相手にそんな嘘や冗談を言うとは思えない。伝説の個体かどうかはさておき、竜は確かにその場所に存在しているらしい。
ということはつまり、十年前に竜がレビンを呼び寄せて、彼に呪いの力を使わせた……という話に信憑性が出てくる。
「ねえ、竜は自分が死にそうだったから父さんを呼んで、無理矢理術を使わせたの?」
自分が生きるために他人の命を使わせるなんて。
きっと竜と人間では価値観が違うのだろうが、父を奪われたステラとしては釈然としない。
むうっとしているステラの様子から、彼女がなにを考えているのか分かったのだろう。レビンは少しだけ微笑んだ。
「竜は土地の守りの要でね。存在するだけで周辺の土地は災害が減る。だからこの地で人間も、動物も生きていられるんだ。……大昔の戦いで大きな傷を負った彼女は、自分がいなくなるとこの土地の生き物が絶えてしまうと考えて、眠りにつくことで弱った状態のままなんとか生きながらえていた。それでも限界が見えてきて焦っていたところに、再生させる能力のあるやつ――俺ね。そんなやつが近くをウロウロしてることに気付いた。それで呼び寄せたって言ってたよ。土地の要を失うわけにはいかないから」
仕方ないよね、とレビンは苦笑した。
ステラはますますむっとして、口をへの字に曲げる。
むすっと黙り込んだステラに代わり、今度はガイロルが口を開いた。
「しかし呼び寄せたといっても、あの日そんなおかしな鳴き声や音は響いていなかったぞ。いつもと違う現象が起こっていたなら覚えていると思うが」
『あの日』とはレビンが姿を消した夜のことだ。ステラは詳細を知らないが、それでも村の大人たちが何日もレビンを探していたのは覚えている。あの水たまりの場所から村まで届くほどの音や『なにか』があれば手がかりとして誰かが話題にしているはずだ。
「ああ、普通の人には聞こえないよ。竜鳴ってやつでね、別名竜の断末魔。例えるならあのクリノクロアの呪いで引き寄せられるやつの激しい版」
「……私達があの場所に行ったときも少し影響が残っていたやつか」
アグレルがなるほどと頷く。
水たまりの場所に行ったときにステラとアグレルはまどろんだように意識がぼんやりとしてしまったのだが、シルバーたちは何の影響も受けていなかった。
たぶん、それと同じでクリノクロアの呪いに起因するものなので村人は気付かなかったのだろう。
「あれ……でも、そのとき私は影響受けなかったってこと?」
なにも知らなかったとはいえ、ステラもクリノクロアの血を引いている。それなら十年前の夜にステラも『呼ばれて』いないのはおかしいのではないか。
「夜だったし、ステラは家にいただろ? 家には結界を張ってたから」
「えっ」
何でもないことのように言われた言葉に、ステラは目を丸くする。
結界? 家に?
驚いた様子のステラにレビンがニッと笑って見せた。
「ステラが大人になるまで俺が側にいられればいいけど、万が一ってことはあると思ってさ。役に立ったみたいで良かった」
知らないうちに守られていたのだと知って、なんともむず痒い気持ちになる。ステラはまた口を曲げてレビンから視線をそらした。
「で、でも、クリノクロアの呪いって精霊を再生させるものなんでしょう? 竜もいけちゃうの? よく分かんないけど竜って精霊じゃないでしょ?」
レビンは、視線とともに話もそらしたステラをにこにこ見つめながら、生徒に教える先生のような口調で続ける。
「厳密には違うけど、竜は精霊の上位種みたいなものなんだ。『すごくつよい精霊』って解釈でいい。どっちも実体を持っていないし」
「うーん……それって精霊王とは違うの? 竜は精霊王の一種?」」
「そうだなあ、神様と精霊王が違うのは何となく分かるだろ? 同じように精霊王と竜も何となく違う。簡単に言うと、神様の下に精霊王と竜がいて、精霊王の下に精霊がいる。三者は明確に違いがあるらしいんだけど、俺ら人間にその差は認識しにくい。どれも人知を超えた存在だからね、理解が及ばないんだ」
もとより村人や子どもたちに外の知識や勉強を教えたりしていただけあって、先生役が板についている。ステラも思わず生徒のような気分で話を聞いていたが、大事なのはそこじゃなかった、とハッとする。
「……その精霊王みたいなものを、一人で再生しろって言われたの? 相手が普通の精霊でも大変なのに」
「それだけ切羽詰まってたってのもあるだろうし、彼らには人間の都合なんて分からないんだよ」
「むー……シンは再生した竜と話をしたんでしょう? どう考えても一人じゃ無理だったことになにか釈明はなかったの?」
キッと視線を向けられたシルバーは小さく肩をすくめた。
「釈明……じゃないけど、私達があの場所を離れる時に、『自分は森の要であまり動けないから、レビンさんが起きたら代わりにありがとうを伝えて欲しい』って言ってた」
「軽い」
むうんと顔をしかめたステラに対して、レビンは「へえ」と感心した声を出した。
「意外と律儀だな。……ま、会いに来てもらっても俺にはもう見えないから逆にそれで良かった」
「見えない?……そっか、竜が普通の精霊と同じなら、再生した後の正常な状態だと見えないし声も聞こえないんだ」
「そ。うちの家系は死にかけのヤツとしかコミュニケーションとれないからね」
クリノクロアの人間が見聞きできるのは救済を求める精霊の姿と声だけなので、元気な姿を見ることはできないのだ。
じゃあ竜の姿は見えないのか……とステラは少しだけがっかりする。
「……って、普通に喋ったけど、ガイさんはさすがにクリノクロアの家系の能力までは知らないか。説明いる? それともアグレルあたりから聞いてる?」
そもそも森に入った理由を尋ねたのはガイロルだが、彼はこの話の前提となっているクリノクロアの力や呪いについての詳細を知らないのだ。
「いや。もともと何となく察しは付いているし、今の話で知りたかった疑問点は解消した」
「さっすがガイさん」
うんうんと頷きながら、床に座り込んでいたレビンはやっと椅子に腰掛け背もたれに背を預けた。
「そんなわけで、それまで竜には近づかないように気を付けながら色々調べてたんだけど、竜鳴のせいで全てパアになった。そんで気がついたら十年経ってて俺はステラの成長過程をまるっと見逃した――って感じだよ。……あれ、そう思うと腹が立ってきたな。ステラおいで、空白を埋めたいから抱っこさせて」
ステラはバッと両手を広げたレビンを無視してその前を通り過ぎ、扉のノブに手をかける。
「じゃあ私は母さんを呼んでくるね」
「ステラ……くっ……でもコーディーさんにも会いたい……」
その本気で葛藤している父の様子に、ステラは扉を開けながら笑いそうになり、慌てて口元を引き締めた。




