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73. 貫け

 飛び出してきた三人組は男二人と女一人で、男の一人がボウガンを、女は剣を握っていた。残りの一人は空手だったが、腕を庇っているようにも見えるので逃げる途中で武器を落としてきたのかもしれない。


「あっ……」


 彼らはステラたちの姿を見つけて一瞬だけ表情をこわばらせた。

 こちらは比較的軽装の若い男が三人で、しかも子供二人連れという構成なので近隣に住む村人に見えたのだろう。密猟者である彼らとしては姿を見られたくない相手だ。

 しかし彼らは今、そんな事を言っている状況ではない。熊に追われている真っ最中なのだから。

 短いアイコンタクトを交わした密猟者たちは、そのままステラたちの側を駆け抜けることを選んだ。

 ――熊の標的を、自分たちから通りすがりの村人になすりつけようとしたのだ。だが。


「大地よ、沈め」


 凛と響いたその声に応じて、一部分だけ地面が大きく沈み込んだ。ちょうど密猟者たちが駆け抜けようとした場所である。


「うわあ!??」


 突然足元に現れた大きな落とし穴に、密猟者たちは為す術もなく悲鳴とともに吸い込まれていった。ドサリという鈍い音と、「ギャッ」という悲鳴、そしてそこにうめき声が続く。


「……結構深い?」


 文字通り地の底から聞こえるうめき声はかすかで、かなりの深さがあるらしい。一体どこまで落としたのかと気になったのだが、穴を覗き込む前にリヒターに止められてしまった。


「ステラ、覗き込むと撃たれるかもしれないからダメだよ」

「そういえばボウガン持ってましたね」


 銃を撃つと銃声が響いて居場所が分かってしまうので、密猟者たちは音が小さいボウガンや弓を使うことが多い。それも、殺傷能力を上げるために改造していたりするので危険なのだ。


「深いって言ってもせいぜい三メートルくらいだしね」

「せいぜいって言っても深い気がしますけど……」


 それでも三メートルならば頑張れば這い出せる深さだろう。それに、葉が堆積してできた柔らかな腐葉土の層が混じっているお陰で穴に落ちた衝撃は和らいでいる。密猟者たちに大きな怪我はないはずだ。

 リヒターは「だからね」と、優しい声でもう一つ精霊術を追加する。


「――水よ、土をぬかるませてあげて」


 すぐに穴の中からビチャッと水っぽい音が聞こえた。


「ッくそ!!!」

「ちょっと! 泥飛ばさないでよ!!」

「いてえっ! おい、こんなところで獲物振り回すな!!」


 ビチャビチャという水音とともに、仲間同士で揉めている険悪な声が聞こえてくる。リヒターは「出られないようにしてみたよ」とニッコリと笑った。

 落とし穴の中の土がぬかるんでいるせいで、壁面を登ろうとしてもどろどろ崩れて手をかけられないのだ。きっと今、穴の底の人たちは泥まみれになっているだろう。


「うへえ、陰湿な性格がよく出てるな……あれ、少年は?」


 顔をしかめたレビンが、あたりを見回す。その言葉につられてステラもシルバーの姿を探すが、いつの間にか彼は姿を消していた。


「シルバーなら――」


 アグレルがなにかを言いかけ、息を飲み込んだ。

 それに対して普段だったら「ちゃんと言って下さい」と文句を言うステラも、今回は文句を言わなかった。というよりも、言えなかった。

 ちょうどステラがアグレルを振り向いたところで、彼の背中越しに茂みをかき分ける大きな黒い影が見えたからだ。


「……でか……」


 精霊たちがエェルトゥズ――レビンによれば大きな熊――と呼ぶのも納得の大きさだった。

 立ち上がればそれこそ落とし穴の深さと同じ三メートルくらいはあるだろう。そんな巨体が足音もなく静かに近づいてきていたのだ。

 不自然に静まり返った地上の気配で、穴の底の密猟者たちも異変に気付いたらしく声を潜めた。

 人間たちが息を殺している中、熊は特別唸り声を上げるでもなく、ただ太い呼吸音を不気味に響かせる。その足元で、地面に落ちていた太い枝がバキッと音を立てて砕けた。


「あー……怒って追いかけてたんじゃなくて、わざと獲物を泳がせて遊んでたみたいだな……」


 レビンが苦笑を浮かべ、「なおさら厄介だな」とつぶやいた。

 こんな生物が本気で襲うために追いかけていたら、密猟者の三人組は一.五人どころではなく、〇.一とか〇.二とかいう単位の無数の破片になっていたかもしれない。

 ステラは全身が冷たくなるのを感じながら、必死に自分の手足に言い聞かせていた。


(急に動いちゃだめ、でもこっちに向かってきたらきっと一瞬で距離をつめられる)


 体は冷たいのに心臓はドッドッと聞こえるほど強く脈打っている。

 こんな大きな熊、ステラは絶対に敵わないし手足も出ない。視界に入っているアグレルも同様のようだ。一方のレビンは喋るだけの余裕があるようだが、頼りのリヒターはどうだろうか。

 そしてシルバーはどこへ消えてしまったのだろう――。


 ドスッと音を立てて熊が前足を片方踏み出した。

 遠慮なく音を立てたのは獲物が自分の姿を捉えているのでもう足音を潜める必要がないからだろう。それともわざと足音を立てることで怯えさせようとしているのか。

 もう片方の前足が持ち上げられ、踏み出す。大きな頭から肩甲骨くらいまでが茂みの外に出た。


 その、瞬間に。


 トッ。


 軽い音ともに木の上からなにか黒っぽい塊が降ってきて、熊の背中に覆いかぶさった。


「貫け」


 少年の静かな声がステラの耳にもはっきりと届く。

 一呼吸置いて、地面にドスッと勢いよく柄のない剣が突き刺さった。ちょうど熊の喉の下辺りだ。


「ヒュッ……ハッ」


 熊の口から空気が抜けるような音がして――静かにその身が地面に崩れ落ちた。


「終わった、かな」


 可愛らしく首を傾げ、シルバーは地面に倒れ伏した熊の背から飛び降りる。

 そして熊の顔を覗き込んで、頷いた。


「終わった」

「…………いやいやいやいや? 待って少年、君アサシンなの?」


 レビンが聞きたくなるのも分かる。ステラだってさすがに目の前で起きたことが信じられない。

 改めて熊を見てみると、首の辺りからじわりと血が地面に広がり始めていた。

 彼はリヒターのように精霊術を使って精霊の力で倒したのではなく、急所を一突きして息の根を止めて見せたのだ。つまり物理攻撃。

 そして音もなく急所を一突きなど、どう考えても暗殺者の手口である。


「違う」


 シルバーはややムッとした顔でふるふると頭を振った。


「精霊術の威力云々じゃなくて完全に『生き物を殺す技術』じゃん……」

「精霊にも手伝ってもらった」

「いやまあそうなんだろうけど、俺の思ってたのと違うっていうか……」


 レビンはこめかみを押さえてどこから突っ込むべきかと思考を巡らせ、結局考えることを放棄した。


「……ひとまず怪我はないみたいだから良かったってことにしよう。ありがとうな」

「いえ」


 レビンが手を伸ばし、シルバーの頭をぐしぐしと撫でた。シルバーは少しだけ驚いたように目を丸くしたあと、くすぐったそうに目を細めた。

 ステラは恐怖で凍りついたように冷え切っていた指先に熱がもどってくるのを感じながら、恐る恐るシルバーのそばに近づく。近くに今にも動き出しそうな熊の巨体が横たわっているのでちょっと怖かった。


「怪我はない?」

「なにも」


 短く答えたシルバーは、怪我はおろか返り血もほとんど浴びていなかった。

 彼は木の上から熊の背中に飛び乗り、首の後ろから剣を突き刺していた。その剣が地面に突き刺さるほどの勢いで貫通していたのは精霊術で押し込んだかららしい。頸椎を刀身で撃ち抜かれた熊は即死だっただろう。


「……この子はどうする?」


 熊は恐ろしい生き物だが、食料になるし、毛皮や爪なども売り物になる。とてもありがたい存在でもあるのだ。特にシルバーがきれいに一撃で仕留めたので毛皮が高く売れそうだ。

 ステラの問いかけにレビンは「うーん」と軽く唸った。


「抱えて帰るわけにもいかんし、ガイさんに言って後で回収してもらおう」


 やはり彼もこの獲物を放置するという選択はなかったようだ。


「しかし見事に急所を貫いたもんだ。……血抜きは必要ないな。なあリヒター」


 獲物の傷口を検分したレビンは、穴の底の密猟者たちと話をしていたリヒターに声をかけた。


「はい?」

「精霊術で冷やせるか?」

「ほんのり凍らせるくらいでいいなら」

「ああ、たのむ」


 リヒターは熊の横まで来るとかがみ込んで、精霊に呼びかけた。

 パキパキパキ……と微かな音がして、焦げ茶色の硬そうな毛皮の表面にうっすらと白い霜が降りた。近くにいるステラにもほんのりと冷気が届いてくる。


「リヒターさん、さっき、あの人たちとなにを話してたんですか?」


 あの人たち、と落とし穴の方を示すと、リヒターは少し楽しそうに微笑んだ。


「あれね。じわじわ生き埋めになるのと、今すぐ生き埋めになるのと、猟師に引き上げられるまで大人しくしておいて役所に突き出されるのと、どれが良いか聞いてたんだ」

「うーん、三択に見せかけた一択ですね。……っていうか、可能な限り法で裁かれるべきって言ってませんでしたっけ」

「可能な限りであって、必要と判断したらやむを得ないよね」

「必要だったんですか?」

「ふふふ……今のところは必要ないね」


 じっとりと睨めつけるステラに、リヒターが忍び笑いを漏らした。

 つまり、わざと怯えさせて楽しんでいたのだろう。

 本気でやるつもりなど全くないのだろうが、リヒターはどこか微妙に『この人ならやりかねない』と思わせる雰囲気があるのが厄介なのだ。


「悪趣味ぃ」

「あれ、今更気付いたの」

「まあ知ってましたけど……」


 密猟は犯罪だし、先ほど迷わず大熊をステラたちになすりつけようとした彼らにあまり同情心は湧かないが、それでも楽しむために怯えさせるのはあまり褒められた行いではない。

 しかしステラにできるのは、せめて彼らが泥の中で発狂する前に村人に依頼して回収してもらうことだけだ。


「シン、もう周りに人や動物はいないの?」

「そうだね。熊の気配で動物は逃げちゃってるみたいだし」

「じゃあ一気にガイさんのところに向かっちゃおう」

「了解」


 頷いたシルバーが虚空に向かって「お願い」と声をかけると、ステラの頬のそばをふわりと風が吹き抜けていった。風の精霊が応じたのだろう。


「行こう」

「あ、待って、目印つけないと」


 ステラは近くの枝に、髪をくくっていた赤いリボンを結びつける。後からこの場所を探すときの目印だ。


「……髪、結び直さないとだね」

「うん。村に着いたらお願いします」


 不器用なステラは自分ではあまり髪をいじらないため、最近はすっかりシルバーに頼り切りなのである。

 風がまた吹き抜け、枝先のリボンが揺れる。

 後には霜が降ってひんやりと冷気を放つ巨大な熊と、男女のすすり泣きと悪態が聞こえてくる大穴が残された。

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