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72. 仲良く半分

 まだ陽の光が差し込んでいない森の中にはうっすらと靄がかかっていて、朝の訪れが近いことを物語っていた。

 できれば夜明け前にガイロルの家に乗り込み、話し合いの場として使わせてもらう同意を取り付け、そしてステラは母のコーディーを呼びにいく。

 そんなゆるっとした計画を実行すべく、ステラたちは小屋を後にして、アントレルへと向かっているところだった。

 靄が含んでいる水分でしっとりと濡れた草は、踏みつけられてもしずくを飛ばしながらまた元通りに起き上がる。前を歩くシルバーの踏んだ草が起き上がる前に、ステラは同じ場所を踏んだ。

 ステラは先程からずっとそんな作業を繰り返して、歩くというよりもただ黙々と前に進んでいた。

 一つのことが頭の中でぐるぐる回っていて、周りを見る余裕がなくなっていたのだ。


(――皆の前で号泣してしまった)


 強がって平気なふりを続けていたのに、父と再会したら今までの寂しさをこらえきれなくなって泣き出した。


 ――結果を見てみればそのとおりなのだが、ステラ的には忸怩たる思いでいっぱいだった。

 自分ではこれまで、特別強がっていたつもりも、平気なふりをしていたつもりもなかった。

 時々ふと寂しくなるが、昔の話だし今は別にそんなに。――ぐらいの気持ちでいたのに、いざレビンを目の前にしてみたら涙が止まらなかった……というのが自分でも予想外だったのだ。

 シルバーの前で泣いてしまったのは、仕方がない。

 彼はステラが混乱していたことをステラよりもよく分かっていたし、それで接する態度を変えたりしないからだ。

 しかし、アグレルからは『こいつ、辛いのに頑張って強がっていたのか……』という目で見られる(それに加えて微妙に気を使われている)し、レビンは完全に泣き虫の五歳児と同じような扱いをしてくる。

 リヒターに至っては絶対にからかってくるのが分かっているので、今のところ接触を避けている状態だ。


「ステラ、どうした? 疲れたならおんぶしようか?」

「いえ、疲れてません。結構です」


 足元を睨んで歩いていると、不意に横からレビンに顔を覗き込まれた。驚いたステラはとっさに手でレビンを押しのける。


(なんかこの人、気配が薄くて気がつくと近くにいる……)


 考えてみれば、レビンは実家から家出した後、アントレルに腰を据えるまでの数年間、あちこちを旅して歩いていたのだから、ある程度腕が立ってもおかしくない。

 実際、今あらためて見てみるとその動きにはどことなく猫のようなしなやかさがある。シルバーとアルジェンも似たような雰囲気があるので、おそらくレビンもあの兄弟と同じように体術を会得しているのだ。


「ステラ、敬語やめようよー。父さん距離を感じて寂しいよ」

「むr……努力し、する」


 反射的に「無理」と言いそうになったのをなんとか堪える。


(普通の親子に戻れるように、きちんと歩み寄ろうって決めたんだから……無理とか言ってちゃダメだよね)


 しかし、考えてみたら自分と同じ年代の普通の親子がどういうものなのか知らない。かと言って五歳の頃のように振る舞うこともできないステラは今、絶賛迷走中だった。



***



 森を行く隊列はシルバー、ステラとレビン、アグレル、リヒターの順。

 ステラは来たときと同様にリヒターが地図を持って先頭に立つだろうと思っていたのに、シルバーが先陣を切って歩き始めたことに少し驚いた。

 彼は驚くほど迷いのない足取りでどんどん進んでいく。――しかしステラの記憶が正確なら、ところどころ来たときとは違うルートを通っていた。もしかしたら、ステラが停止していた間に何度か往復して安全な道を確認していたのかもしれない。

 そのあたりの事情をシルバー本人に尋ねたいのだが……現在ステラの横にはレビンがピッタリとくっついていて、気持ち的になんとなくシルバーに話しかけづらい。

 それと……勢いで頬にキスをしてしまったのも、頭が冷えてくると猛烈に恥ずかしい。


(早く村につかないかなあ!)


 村までの道のりを半ばほど越えた頃だろうか。そんなステラの願いを裏切るように、先頭を歩いていたシルバーがピタリと足を止めた。


「……どうしたの?」


 シルバーは黙ったまま木立の向こうに視線を向け、なにかの音を聞くために耳を澄ましているように見えた。


「なにか聞こえる?」


 頑張って耳を澄ましてみても、ステラには草葉がさやさやとそよぐ音と鳥の声しか聞こえない。すぐ横のレビンを見上げてみるが、彼も不思議そうな顔をしていた。

 首を傾げるステラを振り返ったシルバーは、「あ」となにかを思い出した顔をする。


「……そうだ、まだ言ってなかった」

「へ?」


 まだ、ということは事前に話しておこうと思ったことがあったということだ。

 そういえば先程そんなことを言っていたような……と、少しだけ記憶を辿ったところで思い当たるものを見つけた。


「もしや、さっき後で説明するって言ってた『精霊に逃げられちゃうと困る事情』?」

「うん」


 頷いたシルバーは今もステラから三歩ほど離れている。六十センチや四十センチの距離に慣れてしまった身からするとやや寂しい隙間だ。困ったことに、今はシルバーの代わりにレビンがくっついているのだが。


「精霊が見えるようになったんだ」

「へえ……え?」


 あまりにもさらりと言われたせいでステラもさらりと受け流しそうになったが、これはどう考えても流せる内容ではない。


「あと微妙に声も聞こえる」

「ええっ……なんで急に?」


 シルバーは本来、精霊の姿を見たり声を聞いたりする力を生まれ持っていたはずだった。

 しかし赤ん坊の頃に当主の妻(エレミア)の呪術による呪いを受け、その力は失われてしまった。――呪いの大部分は彼に辿り着く前に跳ね返されたのだが、影響を受けるのは免れなかったのだ。

 人一倍精霊に愛されているのに、その姿を見ることも声を受け取ることもできない。しかもエレミアに跳ね返った呪いは消えることなくずっと存在している――という状況で、精霊たちのシルバーに対する過剰なまでの加護は加速し、彼の些細な言葉にも反応して暴走してしまうという現象を引き起こしていた。

 その現象はステラが元凶である呪いの大本を消し去ったことで収まった――らしい。

 しかし、それでも彼の失われた能力が回復することはなかった。


 それなのに、なぜ急に回復したのだろうか。

 前回同様にクリノクロアの能力が関係しているのかもしれないが、今回は、大昔の魔族かなにかの仕業でこの土地に縛り付けられてしまった精霊を開放しただけである。エレミアの呪術など全く関係がない。

 ステラがじっと見つめる中、シルバーは眉根を寄せて考え込んだ。そして――。


「……気がついたらそうなってた」


 そんな一言で説明を済ませた。


「……ねえシン、『一応説明しようとしたけど大変そうだから途中で面倒くさくなってやめた』ってバレてるからね?」

「うん。さすがステラ、かしこい。すごい」

「褒められたからってうやむやにしない程度の賢さはあるんですけど」


 ステラが口を尖らせると、シルバーは微妙に嫌そうな顔で口を開いた。


「……なんかドラゴンみたいなのがいて……あ、そういえば」

「?」


 シルバーはちらりとレビンに目を向けて少しだけ考え込み、


「なんでもない」


 と、何事もなかったかのような顔で言い切った。


「待って、なんでもなくないでしょ。ドラゴンってなに?」

「ドラゴンみたいな見た目の精霊がなにかしたらなんとかなった」


 あまりに投げやりな回答すぎる。情報が『ドラゴンみたいな精霊がいた』ことしか増えていない。それになぜレビンのほうを見たのか。彼の前では言いにくいことなのだろうか。


「後で説明するって言ってたくせに」

「うん。するよ、後で」


 シルバーは再び木立の向こうへ視線を向けて続けた。


「今はちょっと時間がなさそう」

「時間?」


 きっと今、精霊がシルバーになにかを伝えているのだ。でも、時間がないとはどういうことだろう。そのステラの疑問に答えてくれたのは、後ろからやってきたリヒターだった。


「あっちの方からなにかが向かって来てるみたいだね」


 やや抑えたリヒターの言葉にシルバーが頷く。


「……北から三人。追われてこっちに向かってきてる……なに?……エールトゥル?」


 精霊が言った言葉をそのまま復唱したらしく、シルバーも最後の単語の意味は分かっていないようだった。


「えーるちゅる?」


 ステラもその聞き慣れない言葉を真似して口に出してみるが、ずいぶん発音しにくい。精霊語のようなものだろうか。


「うまく言えないうちの娘かわいい……っていうかもしや、エェルトゥズのことか? それならこの辺の大昔の言葉で大きな熊って意味だが」


 レビンはステラを捕まえて頭をワシワシと撫でながらシルバーに向かってそう言った。「やめて!」と抵抗するステラの手はうまく躱されてしまい、虚しく空を掻く。


「大きな熊……そうみたい、です。三人組が熊に追われてるって、精霊が」

「精霊が?……しかし、熊か。追いかけられてるってことは怒らせたな。面倒なことを……その三人ってのは村人じゃあないだろうな」


 フンと鼻を鳴らして、レビンはやっとステラを開放した。


「例の密猟者かな? 何にせよちょっと村に近すぎるし、放っておけないですね」


 リヒターの言葉にレビンが頷く。密猟者が入り込んでいることについてはレビンも小屋で聞いていたらしい。


「十中八九密猟者だろうな。村の人間だったら人や家畜のいる村の方向に逃げたりしない。それに人を襲うことを覚えた熊は危険過ぎるから狩るのがこの辺の集落共通の決まりだ。逃さないように追跡して巣を見つけて猟師に頼むか、もしくは自分たちで狩らないといけない」


 熊は基本的に魚や木の実を食べているが、野生の獣よりも簡単に狩れる人間や家畜の味を覚えてしまうと積極的にそれらを狙うようになると言われている。そのため、人や家畜を襲った個体は駆除する決まりになっているのだ。


「追跡して、といっても興奮して獲物を追ってるなら大人しく巣に帰らないだろ」


 レビンの言葉に対して、アグレルがそう言って肩をすくめる。確かにその通りだ。帰るとしたら獲物を完全に見失うか、もしくは――。


「追いかけられてる三人が、一.五人くらいになれば満足して帰るんじゃない?」


 リヒターがなんでもないことのように言い放つ。

 ステラはうええ……と顔をしかめた。


「一人消えてもう一人は半分になってますけど……」

「もしくは全員仲良く半分に」


 すかさずシルバーがいらない補足をしてくる。リヒターは頷きながらニコリと笑った。


「食べやすい部分だけ先に食べたら、重さはだいたい半分くらいになるかもね」

「……で、三人が半分になるのを見守って、その後満足した熊を追跡するんですか……」


 ステラがげんなりした顔をすると、リヒターは「まさか」と肩をすくめる。


「犯罪者は可能な限り法で裁かれるべきだよ。そのためには生きていてもらわないと。――というわけで熊さんはシンに任せたよ。僕は人間のほうをどうにかするから」

「うん」


 シルバーが頷いたのと前後して、ステラの耳にもかすかにガサガサという草をかき分ける音と、人の声のようなものが聞こえてきた。

 声の様子からすると、逃げてきた三人はなんとか熊を撒いた――というより、後ろから追ってきていた熊の姿を見失ったらしい。逃げ切れたのか、それとも襲いかかるために一時的に身を潜めているの判断がつかず戸惑っている様子だ。


「……任せたって、ユークレースはずいぶんな自信だな。この森の熊は個体によったら猟師だって何人かで連携しないと狩れないんだぜ? 相手も見ないで子供に任せるのはどうかと思う」


 声をひそめたレビンの口調は批判的で、その批判の矛先を向けられたリヒターはパチパチと瞬きをする。それから「あー、確かに普通はそうかあ」とのんびりした口調で言いながらシルバーを見た。


「でもほら、シンは一人のほうが動きやすいだろう?」


 リヒターに問われたシルバーは軽く頷く。


「相手が強すぎると、巻き込むかもしれない」

「巻き込むって、君一人だけを危険な目に合わせるつもりは――」


 純粋に少年の心配をしているレビンの肩を、アグレルが叩いた。そして頭を振る。


「レビン、違う。シルバーが言っているのは自分の攻撃に巻き込むって意味だ」


 レビンはシルバーの言葉を『自分が負けたら他の人まで巻き込んでしまうから危険』と解釈したようだが、実際は『相手が強かったら手加減せずにふっとばすから近くにいられると困る』という意味である。

 シルバーは基本的に言葉が足りないという点もあるが、今回の場合の問題点はレビンがシルバーの実力を知らないという点だろう。


「……それだけ威力があるってことか」


 まだ納得しきっていない表情ではあったが、レビンは「でも無理はしないように」と付け加えた。

 どう見ても不真面目なリヒターだけではなく、真面目なアグレルまでが言うのなら仕方がない……というところだろう。


「……さて、そろそろエンカウントだね」


 小さいけれど楽しそうなリヒターの声が、まるで合図だったかのように――木の陰から3つの人影が飛び出してきた。

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