70. そんなことよりも本題です
「やっと自己紹介ができますね。僕はリヒター・ユークレースと申します。レグランドに最愛の妻がいますしステラの新しい父親ではありません」
「ユークレースか」
リヒターの言い訳じみた後半のセリフを完全に無視したレビンは、口の中で復唱しながら片方の眉を上げて少し考え込んだ。
「ああ……そういえば聞き覚えがあるな。ユークレース分家の人間だろ、確か」
「あれ、よくご存じですね」
「同年代だから色々と引き合いに出されたんだよ。――おいちょっと待て。ということは、ステラを連れていったあんたの息子もユークレースっていうことか」
「そうなりますね」
バッと、レビンは勢い良く先ほどステラが出ていった扉に顔を向けた。
「俺が動けない間にステラに厄介な虫がついてる!!」
再び外へ飛び出そうとしたレビンを、横にいたアグレルが再び引き止める。
「だから落ち着けってレビン。親バカも程々にしろよ」
「アグレルっ、邪魔するならお前も……」
「木よ、道を塞げ」
静かに響いたリヒターの声に応えて、壁の丸太や床板、さらに戸板から新しい枝が伸び、あっという間に出入り口を塞ぐバリケードが作り上げられた。
「くそ! 卑怯な」
レビンがアグレルを振り切ったのはバリケード完成から一呼吸遅れたタイミングだった。悔しげに睨みつけてくるレビンに、リヒターは肩をすくめた。
「子どもたちの邪魔をする前に状況を聞いてくださいよ。あとうちの子を虫呼ばわりするのはやめてください」
「邪魔!? 邪魔しなきゃいけないようなことをしてるのか!? それと息子を虫って呼んだのはごめんな!」
「えーと……、あなたの言う『邪魔しなきゃいけないこと』がどんなことか分かりませんが、シンは僕と違って真面目なので心配いりませんよ。……あの子はステラには落ち着く時間が必要だって判断したから連れ出したんです」
「落ち着く時間……」
「もちろん、あなたにも」
ですよね? とリヒターに微笑まれたレビンは、扉のバリケードを崩そうと枝を掴んでいた手を渋々離した。自分が興奮状態であることを自覚できる程度には理性が残っていたらしい。
「くそ……分かったよ。……ただしお前の息子がステラに手を出してたらタダじゃおかないからな」
「……まあ、大丈夫じゃないですかね」
「おい、なんでちょっと自信なさげになってるんだよ!」
割といつもべったりくっついているのはカウントされないよな……と心の中でつぶやきながら、リヒターはひらひらと手を振る。
「まあまあ。そんなことよりも本題です」
「……そういや本題って何だっけか」
レビンはすっかりステラのことで頭がいっぱいになっていたらしく、眉間にしわを寄せて考え込んだ。筋金入りの親馬鹿ぶりにリヒターは苦笑する。
「レビンさんの空白の十年間になにがあったか、です」
「ああ、それだ」
そこでアグレルはついにこらえきれなくなったらしい。レビンの腕を掴んで詰め寄った。
「おいレビン、娘が生まれたからって人格が変わり過ぎじゃないか? 頭でも打ったのか?」
尊敬していた相手の変貌ぶりがショックなのだろう。本気で心配そうな顔をしている。――それに対し、レビンはよくぞ聞いてくれたとばかりに嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「俺はコーディーさんに出会って人生が変わったんだよ。その上ステラは天使だし。女神と天使がセットで同じ家にいたら心が浄化されるに決まってるだろ」
心配で曇った表情のアグレルと、花でも咲きそうなくらいにいい笑顔のレビンがあまりに対照的すぎてリヒターは吹き出しそうになり、慌てて目をそらした。
「……へー」
アグレルは死んだ目でおざなりに頷き、小さく頭を振りながらリヒターに目配せをした。もういいから説明を続けろということだろう。
その悄然とした様子に、リヒターは笑いをこらえつつ話を続ける。
「えーと、十年の間、というかここ数年の話ですが、なんと我が国の王様の後継者争いが始まっていましてね」
「後継者?……十年経てばそんな話になる時期か。確かステラと同じくらいの年の王子が二人だったよな」
「ええ。今年十八と十三の二人。それと、亡くなった王弟殿下の息子が一人います。彼は十九」
「ああ……いたな。そういえば。で? ユークレースはそのどれかの肩を持つことにしたのか?」
「まさか。うちも、クリノクロアも今まで通り関わらない方針です。――順当に行けば第一位継承者の第一王子が後継者になるんですけどね」
含みを持たせた言い方に、レビンは眉間にしわを寄せた。
「ってことは、順当に行きそうにないってことか」
「行きそうにないですね。困ったことに彼はあまり賢くないと言われています」
「……」
「そして、第二王子は性格が攻撃的で国主には不向き」
「……攻撃的なほうは問題だが、賢くない第一王子なんか歓迎されるだろ。操りやすい王のほうが臣下の皆サマは色々とやりやすいんだから」
皮肉なことに、肩をすくめたレビンの言葉は的を射ている。愚鈍な王はある層の臣下には受けがいいのだ。――しかし、リヒターは首を振った。
「そこでネックになるのが王弟殿下のご子息です。彼は騎士だった父親の遺志を継ぎ従軍していて、王子二人よりもよっぽど人望が厚い」
あー……と、レビンは天を仰ぐ。
「……そこにあの野心家の母親か」
「ご存じでしたか。継承順位第一位と二位の王子が揃って不出来で、一方、自分の息子は優秀……となれば彼女が黙っているはずがない。今、国の中枢は陛下派と王弟派で真っ二つになっています」
レビンは頭痛をこらえるかのようにこめかみに指を当て、壁にもたれかかった。
「だいたい分かった。要は、由緒正しい古い血統の娘を嫁に迎えて箔をつけたほうが玉座を射止めると」
「そのとおりです」
「だが、それなら狙われるのは最大勢力のユークレースだろ」
「ええ。ですが、ユークレースで年齢的に釣り合いが取れて、かつ本家に近い勢力を持つ家の娘――となるとかなり限られています。生まれだけ考えたら第一候補になりそうな当主の娘はユークレースの家を継ぐことが決まっていますしね」
ユークレースであっても、それなりに強い発言権を持っている家でなければ意味がない。しかし、今の当主は側に置く者を絞っているため、そういう家自体あまり多くないのだ。その中でさらに年頃の娘がいる……となると、候補者はほとんどいない。
しかもその数少ない候補のうち一人はシンシャだったりする。
「……それで、ステラが目をつけられたと」
「アグレル君からクリノクロアに確認してもらいましたが、まだ具体的な動きはないようです。……でも、ステラはクリノクロア当主の孫にあたりますから。狙われるのは時間の問題です」
「あー……うちがバックに付けばユークレースにも対抗できると思ってそうだな」
クリノクロアの呪いの詳細を知らず、精霊を寄せ付けないという能力だけを知っている一部の人々はユークレースの天敵と呼んでいるくらいだ。その家系の当主の直系、しかも年頃もぴったりときたら目をつけない理由がない。
「思っているでしょうね。特に王弟側はユークレースと敵対関係にあるダイアスと手を組んでいるので、天敵のクリノクロアを取り込めるチャンスなんて何としてもモノにしようとするでしょうし」
リヒターの言葉を聞きながら、レビンは壁にもたれたままずるずるとその場にしゃがみ込んだ。そして頬杖をついて「はあああ……」と深いため息を吐いた。
「……いずれ、ステラが望むように生きられるような方法を考えないといけないと思っていたが……十年の空白は痛恨だな……」
レビンはステラが大人になる前に、家のことも呪いのこともきちんと話すつもりだったのだ。その上で時間をかけて彼女の将来のことを考えようと思っていたのに。――まさかその貴重な時間を、十年も失うなどとは想像すらしていなかった。
「アントレルが辺境っていっても、積極的に探されたら見つかるだろうしな。実際アグレルがここにいるし……」
そう言いながら、レビンはそこで初めてアグレルがここにいることに違和感を抱いたらしく、まじまじと彼を見つめた。
「……っていうかアグレルはなんでこんなところにいるんだよ。――あ、もしかしてお前も、ステラをあの家に連れていくためにここまで来たのか」
アグレルはレビンを探すためにはるばるここまでやってきたのだというのに、そのレビンにステラ目当てだと思われたのが面白くなかったらしい。アグレルはムッとした顔で口を開いた。
「違う。おまえの娘のせいでユークレースに呼ばれたんだ」
「……は? いや、そうだな、ユークレースもなにしに来たんだ?」
娘に迫っている魔の手を認識したことで頭が回転し始め、そしてやっとその違和感にたどり着いたらしい。一から十まで娘中心だな、とリヒターは内心で苦笑する。
「ええと、初めから説明しないといけませんね。最初のきっかけは僕がアントレルに来たことですが――」
変に隠しても警戒心を刺激するだけだ。リヒターはステラをレグランドへ連れていった経緯と、そこでなにが起こってなぜアントレルに戻ってきたのか、順を追って説明した。
腕組みをして黙って聞いていたレビンは、説明が終わったところで「なるほど」とつぶやき、リヒターをまっすぐ見つめた。
「――つまり、あんたが連れていかなければ、ステラは王族共に目をつけられなかったってことか」
レビンの目つきが険しくなり、纏う空気が今までよりも冷え込んだように感じる。ステラがいなくなってから冷たい印象に変わったと思ったが、それでもまだ抑えていたらしい。リヒターは小さく肩をすくめた。
「それは否定しません。でも、言い訳のようになりますが、ステラはアントレルの外に出たがっていました。僕が声をかけずともいずれ彼女はアントレルを出たでしょうね。……彼女の家の生活は困窮していましたし、働き口を探すために一人でアイドクレースへ行くことも考えていたようです」
「……」
リヒターが訪問した時点では、ステラは母親を一人にしたくないという理由でまだ村にとどまっていたが、それでもそう遠くないうちに村を出ただろう。
レビンも、先程ステラが言っていた「捨てられた悲しみと生活苦」という言葉を噛み締めているはずだ。
「……状況は分かった。つまりステラは自分の意志であんたについていって、そこでクリノクロアの呪いが発動したってことか。――そんで、アグレルはそのステラを利用して俺を探しに来たと」
「ああ、だいたいそのとおりだ」
「……しかしアグレルはなんで俺を探してたんだ?」
レビンは首を傾げる。
彼がクリノクロアの家を飛び出した時、アグレルは六歳だった。確かに甥として可愛がってはいたが、はるばるこんな辺境までやってくるほど慕われているとは思っていなかった。
「……俺は、レビンに当主になってほしかったんだよ。なのにいきなりいなくなるし、祖父様たちが探しても見つからないっていうし……」
「あのジジイの包囲網は把握してるからな。……いや、把握してた、か。十年ブランクがあるからな……。っていうか、次期当主はお前の父親だろうが」
「あんな奴……あいつが当主になったら、あの家はさらに閉鎖的になって、どんどん内向きに腐っていくだけだ」
吐き捨てるように言ったアグレルを、レビンは面白いものを見るような目で眺めていた。そして、小さく笑って「だけど、俺は戻らない」とはっきり言い切った。
「兄さんは確かに頭が固いけどな。それでも、あっちにはあっちなりの言い分ってもんがあるだろ?」
「だけど……!」
「俺が家を出たのは兄さんが当主を継ぐことに不満がなかったからだ」
「……祖父様はレビンを探してる。祖父様もなにか思うところがあるんだよ」
「ジジイがなにを考えて俺を探してるのかは知らんが、俺は下手に戻って後継者争いの火種になんかなるつもりはないんだよ」
アグレルは痛みを堪えるようにグッと歯を噛み締めたあと、ため息とともに肩を落とした。それでも諦めるつもりはないらしく、言葉を探して視線をさまよわせる。
「でも……それでも、ステラ・リンドグレンを王族にやるつもりはないんだろう? なら結局家に戻るのが一番安全じゃないか。祖父様のところにいれば王族も簡単には手を出せないんだから。……当主云々は落ち着いてから考えてくれればいい」
「ぐ……」
ステラの名前を出されたレビンは言葉に詰まる。確かに、ステラを守るつもりならばクリノクロアの家を頼って隠してもらうのが一番確実なのだ。
「それに十年前と同じ姿で村に戻るわけにもいかないだろ」
「……そうだ……それがあったな……」
レビンは忘れていた事実を思い出し、頭を抱えてうめき声を上げた。
「十年経っても姿が変わってないなんて、コーディーさんに気持ち悪がられたら……俺はもう生きていけない……」
気にするのはそこかよ、というツッコミを噛み締めて飲み下したアグレルは、引きつる口元を引き締めながら言葉を続けた。
「そのコーディーさんも一緒に、家族で戻ればいい」
「……うああ……だけどステラのこともあるし他の場所……あれっ、もしかして俺って今、住むところもないんじゃ……?」
「ない」
「まじかよー……」
天を仰いだレビンの頭が壁にぶつかってゴンと痛そうな音を立てた。
レビンが小さく「亡命……国外……」とつぶやくのを聞きながら、やり取りを見守っていたリヒターは口を開いた。
「あの、一つ提案があるんですが……」
二人の視線が向いたところで、よくシルバーがやるように小さく首を傾げて微笑む。
「うちの当主の家には大量の空き部屋があるんです。良ければ使いませんか?」