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66. キノ

「シン!?」


 目に見えない痛打を喰らい一瞬頭が真っ白になったシルバーは、リヒターの驚く声で我に返った。


「い……たあ」

「大丈夫か?」

「……大丈夫……」

「なんか今……精霊がいきなりお前の顔めがけて体当たりしたんだけど……」

「体当たり?」


 精霊のくせに魔法ではなく、物理攻撃をしてきたらしい。と言っても精霊に実体はないので、結局魔力による衝撃なわけだが。

 しかし、なぜいきなり攻撃されたのか。

 シルバーが少しだけイラッとしながら顔を上げると、目の前――ちょうど目の高さに小さな生き物が浮いていた。


「え、なにこれ」

『■■だ』

「……クィ……キノ?」

『■■……人間には聞き取れないのか。仕方ない、キノでいい』


 そう言ってキノ(仮)と名乗った生き物は空中でくるりと一回転した。


(ドラゴン……に見えるけど……)


 そのトカゲに似た姿は、歴史書などで描かれているドラゴンによく似ている。

 しかし、目の前にいるキノのサイズは精々小型犬ほどしかなく、ドラゴンという名前の持つ威厳や恐ろしさなど微塵も感じられなかった。


「……シン……」


 目の前をふらふらと動き回るキノの姿を目で追っていると、リヒターの声がした。なんだか、呆然としたような声である。


「お前、()()が見えるのか」

「え、見える……けど……」


 奇妙なことを聞かれたシルバーは、リヒターの方を見て言葉を失った。

 彼の後ろには奇妙な生き物が大量に飛び回っていた。その姿は様々で、さらに、普通の生き物のように輪郭のはっきりしたものもいれば、ほとんど向こう側が見えてしまうほど透き通ったものもいる。


「え……これ、精霊?」

『別に名前なんてないけど、人間はそう呼ぶみたい』


 周囲を見回し、目を瞬かせたシルバーの呟きに、すぐ側に寄ってきたキノが答えた。

 どこを向いても精霊が飛んでいる。先程からリヒターがたくさんいると言っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。


「でも、どうして急に見えるように」

『さっきキノが君の汚れを剥がしたからだよ。慣れれば多少精霊の声も聞こえるようになる』

「……汚れ?」


 先程の体当たりで汚れ(?)が剥がれた。だから見える。

 わけが分からず眉をひそめていると、横からリヒターの手が伸びてきて耳をつままれる。


「やめろよ」

「シン、もしかしてその精霊の声も聞こえるのか」

『今は波長の合うキノの声だけだよ』


 リヒターの手をペシンと叩き落としたシルバーは小さく首を傾げる。自分でも今の状況が分かっていないのだ。


「ええと……この精霊が、私に残ってた呪いを剥がした、らしい」

「……はがした」


 キノは『汚れ』と言っているが、精霊を見る力に関することのようなので、おそらくエレミアから受けた呪いの残滓のことだろう。シルバーの答えを聞いたリヒターは目を瞬かせた。


「で、声が聞こえるのは、波長の合うこの精霊だけだって」

『精霊じゃなくてキノ』

「……キノっていうらしい」


 キノの言葉を信じるなら、慣れれば他の精霊の声も聞こえるらしいが、変に期待(そして利用)されたくないのでそれは黙っておく。


「……」


 一体なにを言われるかな……と思っていたのだが、予想に反してリヒターはなにも言わなかった。

 彼はなにも言わずにシルバーの頭に手を載せ――ガシガシと乱暴に撫でながら、ひどく嬉しそうに破顔した。


「……そうかあ……」

「やめ……」


 シルバーはいつも通り振り払おうと手を上げる。しかし、いつもなら大人しく払われるまま手を引くリヒターに、払うどころか逆にいなされてしまった。そして、いなされたことに驚いた隙に、ガバッと抱きしめられる。


「!?」

「――僕が、あのとき呪いを全部防いであげられていればって、ずっと思ってたんだ」


 驚きの連続で固まったシルバーの耳に、独り言のような声が届いた。


「……」


 生まれたばかりのシルバーに向けられた呪いを跳ね返し、彼の命を守ったのはリヒターだ。

 しかしそのとき、呪いのすべてを防ぐことはできなかった。

 防ぎきれなかった呪いの欠片は、シルバーが本来持っていたはずの能力を奪い、その代わりに、言葉を発するだけで精霊が暴走してしまうような不便で危うい人生を与えた。


「ごめん……でも、よかった……」


 それは、リヒターに非があることではない。

 以前、呪いをかけた本人であるエレミアにも言ったが、シルバーは誰も憎んでいないし、自分が失った(らしい)能力を惜しいと思ったこともない。


(でも、この人はずっと気にしてたのか……)


 リヒターの安堵がこもった声に、少しだけ泣きそうになる。

 実の親ではない。ついでに言えば、シルバーを利用しようとするし、執拗にからかってくるという困った大人である。

 それでもやはり、彼はシルバーの父親なのだ。


 リヒターはシルバーからそっと体を離すと、キノに目を向けた。


「ええと、キノ? ありがとう、この子の呪いを解いてくれて」

『一人だけどんよりしてたからね』


 微妙に会話は噛み合っていないが、お互い納得しているようなのでシルバーは黙っておく。

 それからリヒターは再びシルバーの頭をグリグリと撫でて、嬉しそうに笑った。


「これでシンも、一人でこっそりなにかしたいときとか、ステラに手を出したいときとかに部屋の中を見回すと精霊がいてなんか気まずい……っていう生活へ仲間入りだね! ようこそ!」


(……ああ、こういう奴だった……)


 満面の笑みを浮かべたリヒターに、イラッとしたシルバーは舌打ちとともに彼のむこうずねを蹴飛ばす。――ちょっとだけ胸に迫るものを感じていただけに、苛立ちもひとしおである。


「いっっ!!……スネを蹴るのはひどいだろ!」

「脊髄反射で」

「事実なのに」

「黙れ」


 キノはしゃがみ込んでスネをさするリヒターを興味深げに眺めていたが、すぐに飽きたのかシルバーの顔の前に戻ってきた。どうやら、話をするときは目を合わせたいらしい。


『どんよりがちょっと晴れたね。やっぱり汚れのせいだった』

「……どうも」


 先程のシルバーの落ち込みと呪いはそれほど関係ないのだが、多少気は紛れたのでそう見えるのだろう。キノは満足そうに頷き、ふわふわと魔方陣の中央の方へと少し進んでから振り返った。


『汚れを落とすのが間に合ってよかった、もうすぐ変転の場が解体されるから』

「解体……術が完了する?」

『人間の表現は分かんない』

「はあ」


 変転という言葉はアグレルが(一応ステラも)口にしていたので、その解釈で合っていると思うのだが、精霊と人間で視点が違うらしく微妙に会話がしにくい。


「精霊は術が終わるって言ってるの?」

「場が解体されるって言ってる」


 リヒターに尋ねられてシルバーはキノに言われた言葉をそのまま返した。


「ふうん、そういう言い回しになるんだね。……ああ、魔方陣の光が弱まり始めたな」


 リヒターの言う通り、足元の光ははじめよりもだいぶ弱くなっていた。そして飛び回っている蝶も、魔力が変化した黒いものは見当たらず、精霊の欠片から生まれた白いものばかりになっている。

 術が完了したため、もう魔力の供給は必要ないということだろう。


『完了だ』


 そのキノの言葉が合図だったかのように、弱まっていた光が完全に消える。魔方陣があった場所には水たまりではなく、まるで初めからなにもなかったように周囲と同じような草むらが姿を現した。

 それと同時に、術が終了して代償が発生したステラとアグレルの体が傾いて、ゆっくり倒れ始める。


「!」


 シルバーはすぐに駆け寄り、ステラの体が完全に倒れきる前に受け止めた。術が発動している間は不測の事態を避けるために離れていたが、キノが終わったと言ったのだからもういいだろう。

 すぐ横のアグレルは地面に倒れたが無視する。


「ブレないね、お前は。……さて、残った問題は、三人がいつ目覚めるかだな」


 リヒターの言葉にシルバーは頷いて、ステラを抱え直す。

 彼女の体にはぬくもりがあるものの、呼吸や鼓動は一切感じない。少し前までシルバーが毎日眺めていたのと同じ、時間停止の状態になっていた。

 その瞳が開くことを祈りながら過ごしていた日々を思い出してしまい、シルバーはグッとステラの手を握りしめて宙を漂っているドラゴンを見上げた。


「……代償の時間がどのくらいか、分かる?」

『キノは彼らと契約した神でも原初の精霊でもないから分かんない』

「……そう」

『でも扶翼の充填は十分だっただろうから、何回か太陽が昇れば起きるんじゃないかな』


(魔力が十分補充されたから、代償による時間停止は数日、ってことかな……)


 その言葉をリヒターに伝えると、彼は眉を下げて、ううんと唸った。


「数日……ってなると、さすがにこの見晴らしのいい場所にずっといるわけにはいかないよね。小屋に行かないとだなあ」

「小屋……」


 小屋という単語に、思わずシルバーもうんざりした顔になってしまう。

 来るときに寄った猟師小屋まで、一時間近くかかる。

 そこまで意識のない人間を抱えて三人も運ばなければならないのだ。こちらは二人しかいないのに。――しかも三人とも精霊術を無効化してしまうので、アルジェンが得意としているような精霊術による身体強化もできない。


「……さっきみたいに大規模な目くらましができるなら木陰とかで野営してもいいんだけど……」


 リヒターがそう言いながら辺りを見回した。

 多分シルバーの精霊術でできる。……が、全員を隠し、しかも長時間維持するとなると、精霊の積極的な協力がないと難しい、のだが。


「あんなにいっぱいいた精霊たちはどこに行ったの……?」


 先程まで大量に飛び回っていた精霊たちは、術の完了と同時にあちこちに飛び去ってしまい、今はほとんど残っていなかった。

 リヒターの視線を受けたキノは、しっぽを揺らしながら再びくるりと宙返りをする。


『レビンを隠すのに協力してた精霊たちは、変転が成功したから皆楽しくなってあちこちに飛んでいっちゃった。楽しいからきっとしばらく戻ってこない』

「……皆楽しくなってどっか飛んでいった、だって」


 シルバーはげんなりしながら、キノの言葉を大幅にカットしてリヒターに伝える。


「そっか……。楽しくなっちゃったなら仕方ないね」


 精霊の気まぐれさをよく知っているリヒターは、「期待はしてなかったけどね」と付け足して苦笑した。


「それじゃあ、頑張って運ぶかあ……万が一誰かに発見されてもそれほど問題にならないのはアグレル君だけだから、先にステラとレビンさんを運んで――」


 リヒターはステラとレビンを順に指さして、最後にシルバーを指さした。


「――で、シンは引き返してきてアグレル君を連れてくる、と。その間、僕は小屋で見張りをする」

「は? そこは大人が二往復しなよ」

「いやあ、僕ももう年だからさあ」

「年寄りは健康のために運動が必要でしょ」

「いいかい、シン。よく考えてみなさい。もしもお前が小屋に残って、そこでステラとレビンさんが目を覚ましたとしたら……」


 先程の様子からして、ステラが父親を慕っているのは間違いない。――だが彼女は、素直にそれを表現するような性格ではないのだ。


「ステラの行動原理はアルとほぼ一緒だ。おそらく、状況が把握できていないレビンさんに状況を説明するどころか、喧嘩を売りに行くだろうね」

「ああ……うん」


 大抵の場面でとりあえず軽口をたたいて喧嘩を売る弟の顔を思い出す。彼と比べればステラは若干控えめだが、基本的に同類なので二人はしょっちゅう口喧嘩をしているのだ。


「ステラを落ち着かせて、なおかつアグレル君が到着するまで煙に巻いてその場をつなぐことがお前にできるかな? もちろん、僕はできるけどね」

「煙に巻くって……」


 ドヤ顔をするリヒターに舌打ちをして、シルバーは「分かったよ」と肩を落とす。悔しいが、シルバーはコミュニケーション能力が高くない。それに、とても、非常に、面白くないが、ステラはリヒターの言うことなら比較的すんなり聞くのだ。


 話が決着した雰囲気を感じ取ったキノがシルバーの目の前に舞い降りてきた。


『人間の醜い言い争いは終わった?』

「……あー、多分」

『ここから離れる?』

「うん。……ついてくる?」

『キノはこの森の(かなめ)だから、動くのはあまりよくない。だから、レビンが起きたら代わりにありがとうを伝えて欲しい』


 シルバーは森の要という聞き慣れない単語に首を傾げる。『要』というくらいなら、キノは森の精霊の代表のようなものなのだろうか。


「もしかして、キノは偉い精霊?」

『キノは精霊じゃなくてキノ』

「……うん」


 よく分からない。

 しかし詳しく聞こうとしても同じような答えが返ってくるだけだろう。


「じゃあ、起きたら伝える」

『ありがとう、銀色の子』


 その言葉を最後に、キノはパッと姿を消してしまった。

 残ったのはシルバーたちと、空中を漂う数匹の精霊たちだけで――耳を澄ませてみても、もうキノの声は聞こえなかった。

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