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65. 変転

この話の後半から次話はシルバーくんのターン。

 思わず駆け寄ってみたが、ステラだけではどうすることもできない。

 レビンに寄り添うように座り込んで、せめて乱れた髪を撫でつけようと手を伸ばしかけ――触れてもいいものなのか分からず、しおしおと引っ込める。


「……っ」


 頬に温かいものが滑り落ちていく感触で、ステラは自分が泣いていることに気付いた。


(父さんが私になにも教えてくれなかったから、今、私は父さんのためになにもできない)


 悔しい、腹立たしい、そして悲しい

 引っ込めた手をぎゅっと膝の上で握りしめる。


「レビン……」


 少し遅れてやってきたアグレルが、ため息のような声で呟いて、ステラの横に膝をついた。


「……アグレルさん、私はどうしたらいいですか」


 アグレルはステラの頬を伝い落ちた涙を見て一瞬動きを止め、そして少しだけ、ほんの少しだけ目元を緩ませた。


「やることは変わらない。虫かごを開いてから、すでに発動している魔方陣に自分の魔方陣を重ねて展開するんだ」

「重ねて……」


 魔方陣の展開の仕方は何となく分かる。だが、重ねる方法は分からない。虫かごを開いたまま首を傾げたステラに、アグレルは顔をしかめた。

 

「ああ、そこからだったか……クリノクロアの能力の基本は全て虫かごを開くのと一緒で、こうしたいとイメージすればいい」


 そう言ってアグレルは地面を指さす。


「この魔方陣と同じ大きさで展開するイメージだ」

「は、はい」


(重ねる……重ねる……)


 地面の魔方陣の円に沿わせるように魔方陣を広げるイメージをする。レビンの展開している魔方陣に、アグレルが展開する魔方陣の淡い光がピタリと重なる。そして少し遅れて、ステラのイメージした光の線も重なった。

 それを確認したアグレルが頷く。


「それでいい。あとは誓約の言葉だ。私の言葉を繰り返せ。『我はクリノクロアの名を継ぐ者――』」

「我はクリノクロアの名を継ぐ者……」


 この呪文は自分で術を使うときと同じであるためステラも知っている。だが、そこから続く言葉は違うものだった。


「約定の履行に介入し、旅人の変転を扶翼する」

「や、約定の履行に介入し、旅人のへんてん……をふよく、する」


 言葉の意味がよく分からないので、そのまま音をまねて繰り返す。イメージが大事らしいが、意味が分からない単語を並べて大丈夫なのだろうか――とやや不安になる。


(で……でもとにかく、この術を手伝うよ! ってことだよね?)


 果たして、音が合っていたからなのか、イメージができていたからなのか、魔方陣の光が強くなり始めた。

 そして虫かごからは、シルバーに手伝ってもらって再び貯めておいた黒い蝶が魔方陣に向けて次々と飛び立ってゆく。


(ちゃんと、発動した……?)


 本当に術に介入できているのか、そして、集めた蝶たちの魔力でどこまで代償を軽減できるのか――。


(また何年も止まったら、完全にシンより年下になっちゃうな……)


 その思考を最期に、ステラの意識は光の中に溶けていった。



***



 ぱちんと静電気のような軽い衝撃のあと、目の前が光に包まれた。

 すぐ横でステラが「ひゃ」と短く悲鳴を上げたのが聞こえる。


(光源側に襲撃者がいたら対応できない……)


 念のためシルバーはぐっと目をつむり、周囲の気配を探る。――が、同行者の気配以外は特になにも感じなかった。


「白い蝶……」


 ステラの呟きに目を開けると、確かに目の前には無数の白い蝶が飛び交っていた。眩しい光の正体はその蝶たちが放つ淡い光と、そして先ほどまではなかったはずの巨大な魔方陣だった。

 足下に広がったその魔方陣の中央に、金色の髪の人間が一人倒れている。

 シルバーが気付いたのとほぼ同時にステラもそれに気付いたらしく、彼女は弾かれたようにシルバーの手をほどいてかけ出していった。


「――っ、父さん!」


 なんだかんだと憎まれ口を言っていても、彼女はやはり父親が心配だったのだろう。

 こちらを振り返ることもなくまっすぐに駆けていく背中と、ほどかれてしまった自分の手に、少しだけ胸が痛むが仕方のないことだ。

 それよりも、周囲の状況を把握しないと。シルバーは自分にそう言い聞かせて周囲を見回した。


(この魔方陣、水たまりと大体同じ大きさかな)


 地面に浮かび上がった魔方陣は、ちょうど先ほどシルバーたちが進んできた幻覚の水たまりの大きさと同じくらいだった。

 つまり、精霊たちはステラの父――レビンの展開した魔方陣をそのまま水たまりに見せかけていたのだろう。


「すごい数の精霊だな……シン、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。どうやら彼らは本当にレビン氏を守ってるみたいだ。襲ってくる奴がいてもここまでたどり着けないよ」

「……うん」


 シルバーには蝶が飛んでいるのしか見えないが、リヒターの目には大量の精霊が飛び回っている光景が映っているらしい。シルバーよりも旅慣れていて、様々な経験をしてきたであろうリヒターが大丈夫だというならば大丈夫なのだろう。

 シルバーは小さくため息を吐いて視線を中央に戻す。


 周囲の警戒にほとんど意味がないことなどシルバーも分かっていた。ただ、ステラを見ていたくなかっただけなのだ。


(ステラが泣くの、初めて見た……)


 いつでも明るくて少し騒がしいステラは、少なくともシルバーの前で涙をこぼしたことは一度もなかった。

 そんな彼女が皆の前で涙を見せるほど、大切な相手なのだ。

 ちりちりと胸の奥が焦げていくような感覚に、ひっそりとため息を落とした。実の父親相手に、しかも泣いてもらえることに嫉妬するなんて馬鹿げている。


「――旅人のへんてん……をふよく、する」


 アグレルに教えられながら、明らかに意味を理解していないんだろうな、というたどたどしさでステラが呪文を唱えた。

 そして――。


「これは……きれいだね」


 リヒターが小さく呟いた。

 魔方陣の放つ光がひときわ強くなり、ステラたちが集めていた黒い蝶が陣の中にどんどんと吸い込まれてゆく。それと入れ替わるように、魔方陣の光の中から白く輝く蝶が次々飛び立ち、羽ばたき始める。

 白と黒が光の中で入り交じるその光景は、確かに息を呑むほど美しかった。


 自由を奪われて亡霊のように囚われていた精霊たちが、魔方陣の放つ光に触れて砕け散り、降り積もった破片が白い蝶へと姿を変え飛び立つ。

 蝶は大気や植物、大地から魔力を蓄えて、再び精霊に成長するのだ。

 精霊を見ることができるリヒターの目には、苦しみから救われ光の欠片となる精霊の姿も写っているのだろう。


 ――今まで精霊が見えないことについて特段なにかを思ったことはなかったが、今だけは見てみたかったなと残念に思う。

 と、その瞬間、キラッとなにかの光がシルバーの視界に刺さった。


(そういえばリシアが言ってたな)


 その光の正体は風にそよいだステラの髪だった。ステラとアグレルの薄桃色の髪の色が金色に変わり、キラキラと反射しているのだ。

 以前ステラが能力を使ったときその場に居合わせたリシアの話では、髪だけでなく瞳の色も金色に変わったのだと聞いたが、残念ながらシルバーの場所からは瞳の色までは見えなかった。

 この色の変化については、まだレグランドに来て日が浅く、態度が最悪だった頃のアグレルが「本来の色に戻っている」のだと言っていた。


 曰く、クリノクロアの祖先は神に近い存在で、その証として金色の髪と瞳を持っていたのだという。だが、彼らは精霊の魔力を奪い尽くし、大地を蹂躙するという罪を犯してしまった。――その罪を贖うため、約定という名の呪いをかけられ、そして神に連なる証である金色も奪われた。

 しかし、約定に基づき術を展開しているときだけ、彼らは本来の力と姿を取り戻すのだ。


 ……その話をしているアグレルも、神に近い云々をあまり信じている様子ではなかったが。

 真偽の程はさておき、今ステラの髪が金色に輝いているのが、彼女がクリノクロアの一族の裔である証だというのは確かな事実である。

 レビン・リンドグレンは現クリノクロア当主の次男で、その娘であるステラは孫娘ということになる。そんな彼女が一族の力を受け継いでいることを、身をもって証明した。

 それ自体にはなんの問題もない。問題は……。

 クリノクロアの血と能力を継ぐ娘――ステラは、この国の二人の王子と一人の公子という、王家に連なる三人の少年の伴侶として非常に理想的な存在であるということだ。


 今は動きが見えないが、王家は彼女を手に入れるために動き出すだろう。一方のクリノクロア側は、ユークレースと同様に王家と血縁を結ぶことを望んでいない――王家はステラを探し、クリノクロアは彼女を隠そうとするはずだ。


 だからきっと、彼ら親子はクリノクロアの本家に戻ることになる。

 ステラを守るために、それが最適だからだ。

 これまで通りアントレルで息をひそめて暮らすことも不可能ではないかもしれないが、十年前と全く同じ姿のレビンが、全員顔見知りだという小さな村に戻ってそのまま普通に暮らす……というのはどう考えても難しい。

 万が一の王家からの手出しも考えて、レビン・リンドグレンは村を出ることを選ぶはずだ。そして、家族を愛しているステラは、間違いなく両親についていく――。


 胸の奥に痛みを感じてシルバーはギュッと目をつむる。

 ステラが父親のために流した涙を見なくても、彼女が自分の傍に残らないことは初めから分かっていた。

 シルバーはステラを選んだが、彼女はシルバーを選んだわけではないのだから。


『こんなにも楽しいのに、君だけとてもどんよりしてるのはなぜ?』


 突然、頭の中に声が響いた。


「……?」


 目を開けて見回してみても声の主は見つからない。幼い少女のような声だったのでリヒターではないし、ステラの声とも違っていた。


『あれ、君には■■が見えないのか! そうかそうか、きっと目に汚れが付いてるせいだな』


 姿が見えないならば気配を探ろうとしたのだが、やはりどこにいるのか分からない。しかし少女の声はシルバーの様子などお構いなしに一方的に喋り続ける。


『ちょうど今は場が整ってるから、■■が汚れを剥がしてやろう。話し相手と目が合わないのは面白くないからね』


 少女は『いい考えだ!』と一人で納得している。彼女の口調からして、■■は名前か一人称なのだろうが、その響きは複雑で聞き取ることができなかった。あえて近い音に置き換えるならば、『キノ』だろうか。


『ようし、歯を食いしばれ』

「……歯?――っ!!」


 明るく無邪気で不穏な言葉の直後、シルバーは顔面を殴られるような衝撃に襲われた――。

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