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64. 白い蝶

 精霊が示すようにまっすぐ進んで行くと、シルバーが言っていたように、近づくとほろほろと足元の土がこぼれ落ちていくほど崩れたての崖に行き当たった。

 もちろんそこから降りるのは危険すぎる。少し回り道になるものの、先程シルバーが見つけておいてくれたルートで下に降りた。不満そうな動きを見せる精霊はひとまず無視である。


「……きれい……」


 斜面を降りきった先には拓けた草地が広がっていた。

 薄暗い森とは対照的な明るい草原のような光景に、思わずステラはつぶやく。

 おそらく、元々低い位置にあった水場の周辺が徐々に崩れて、長い時間をかけて大きなすり鉢状の地形となったのだろう。ポッカリと拓けたその場所はアントレルがすっぽり収まるくらいの広さがあった。

 そのすり鉢のふちの部分、崩落が進んでいるところは土が茶色い肌を晒しているものの、その少し内側の地面は背の低い緑の草や苔に覆われており、ところどころ水たまりができている。

 先ほどリヒターか言ったように、水はけが悪いせいで雨水や地下から染み出した水がたまっているのだろう。

 そんな緑と水の合間合間には、色とりどりの小さな花が咲き乱れていた。


「ステラ?」

「……え?」


 花と花の間を飛び回る白い蝶に気を取られていたステラは、シルバーの声にハッと顔を上げた。


「大丈夫? 疲れた?」

「あ……ううん、そんなことないよ」


 そんなことない、と言ってみたが――まるで頭の中にモヤがかかったかのように、なんだか気持ちがふわふわしている。景色のきれいさに見とれて、張り詰めていたものが緩んだのだろうか。


「アグレルくんも大丈夫? ちょっとぼーっとしてるみたいだけど」

「え、ああ……」


 同じようにリヒターに声をかけられたアグレルも、まるで眠りから覚めたときのように目を瞬かせている。そんな二人の様子に、シルバーとリヒターは顔を見合わせた。


「クリノクロアの呪いの影響?」

「かもね。……精霊の目的地は中央のあたりみたいだけど、ステラもアグレルくんも、ふたりとも自分で歩ける?」

「……」

「ステラ」


 シルバーは返事をしないステラの頬に両手を当て、そのままぺちっと軽く叩いた。


「わっ」

「……本当に大丈夫?」

「えっと、多分」


 それでもやはりぼんやりとしたステラの返事に、シルバーは困ったように眉をひそめて首を傾げた。


「……抱えていこうか?」


 耳から入った音がすぐに頭の中で言葉に変換できなくて、ステラはぼんやりとシルバーを見つめ返した。


(……かかえて?……抱え……抱えて!?)


「え!? いえっ、大丈夫です! 歩きます!!」


 驚きでステラの頭の中にかかっていたモヤが一気に吹っ飛ぶ。

 勢いよくブンブンと頭を振るステラに、シルバーは若干不満そうな表情を浮かべつつも「足元気をつけて」と手を差し出してきた。

 抱っこの可能性は消えたが、手はつながないといけないらしい。

 だが、先程の自分の状態を思えばそれも仕方がない。ステラは大人しくシルバーの手を取って、リヒターの方を見た。


「精霊はまだ飛び回ってるんですか?」

「うん、中央に行って欲しいみたいだよ」

「中央……」


 すり鉢の中央あたりに、他のものと比べてひときわ大きな水たまりがあった。

 池、と呼ぶには浅いように見える。近づいてみないとはっきりと言えないが、皿の上に水を張ったような、浅深の差が殆どない――つまり、水たまりなのである。

 もしかして元は池や泉だったのかもしれないが、周囲から土砂が流入したりして浅くなってしまったのだろうか。そうだとしても、なんだか少し変わっている。

 しかし、いくら目を凝らしてみても広い水たまりにしか見えないそこに、精霊が騒ぐようななにかが――少なくともレビンがそこにいるようには見えなかった。


「見てても仕方ないし行こうよ」

「うん……アグレルさんは大丈夫?」


 シルバーに手を引かれて歩き出してはみたものの、アグレルがまだぼんやりしている。ステラはクリノクロアの術に介入するための方法を知らないので、レビンを見つけたとしても彼がいないと困るのだ。


「シン、アグレルさんも手をつながないと」


 ステラが引っ張られながらアグレルを振り返ると、リヒターが笑い出した。


「あははは! それはいいね。シンがふたりとも手を引いてあげなよ」

「やだ!」

「……俺も御免だ。歩ける」


 リヒターの笑い声で顔を上げたアグレルは、軽く頭を振りながら不機嫌そうな声を出した。一人称が『俺』になっているので余裕はなさそうだが、一応目は覚めたらしくため息を吐いてノロノロと歩き出した。


「……術の展開中は意識が遠くなるものだが、規模が大きいと術師が自分以外でもこうなるのか……」

「っていうことは、やっぱりここで大規模な精霊の再生が絶賛実施中ってことですか」

「そうだろうな。ステラ、いちおう虫かごをすぐ開けるように意識しておけ」

「はい。……あれっ、今フルネームじゃなかったですよね?」


 ステラが頷きかけて、あれっとアグレルの顔を見ると彼はチッと舌打ちをした。


「うるさいステラ・リンドグレン」

「照れ屋さんめ」

「うるさい、ステラ、リンドグレン」



***



 だだっ広い上に目印となるものもなく、視界に入るのは草と水たまりばかり。

 そんな状態で、ちっとも中央に近づいている気がしないまましばらく歩き続け。やっと目的のほとり――と言っていいかどうかは微妙だが、とにかく水たまりのふちまでたどり着いた。


「目的地は水たまりの中ですか?」


 ステラがちらりと横にいるリヒターを見上げると、「みたいだねえ」と頷いた。


「……やっぱりなにもないように見えますけど」


 独り言のようにつぶやきながらステラが足元に視線を落とすと、それと同時に、透明に澄み切った水の表面にすっと波紋が広がった。

 その波紋はそのまま水たまりの中央方向へ向かって伸びていく。ここまでの状況から考えて、精霊が波紋を作っているのだろう。


「いいから来いってことね」


 恐る恐る水たまりに足を踏み出す。水底の泥に足が沈み込むかと思ったが、返ってきたのは思ったよりもしっかりした地面の感触だった。

 足首くらいの深さの水は恐ろしく透き通っていて、ステラが足を動かしてみても濁ることなく透明さを保っていた。


「泉が泥で埋まって浅く見えるとかじゃなくて、地面の上にできた水たまりって感じだね……なんか作り物みたい」

「……これ、水じゃないよ」


 同じく水に足をつけたシルバーがつぶやく。


「え?……」

「冷たいけど、濡れてない」


 目を丸くして視線を落としたステラに、シルバーは「ほら」と自分のつま先を引き上げてみせた。

 靴からはポタポタと水の雫が落ちている――が、確かに靴や服が濡れているようには見えなかった。

 ステラも足を水から上げてみると、水が滴り落ちているのが見えるし、ポタポタと音もする。だが、触ってみても全く濡れていなかった。


「水があるように幻覚を見せてるんだ。精霊の仕業かな」

「アグレルさん、精霊が目眩ましをしてる可能性があるって言ってましたね」


 アグレルを振り向くと、彼は水たまりのふちにしゃがみ込んで片手で水をすくい上げていた。その手から水がぱちゃぱちゃとこぼれ落ちる。


「ああ」


 水が落ちきった後の手は完全に乾いていた。


「確かに幻覚だな……だがステラが近づけば解除されるはずだ。精霊の方がお前を呼んでいるわけだからな」

「ま……うん」


 またフルネームじゃなかった、と言おうとしたが、さすがに空気を読んで飲み込む。そして、水面の波紋が伸びる方向へと踏み出した。

 一歩、二歩、……三歩。


 ぱち。


 弱い静電気のような、ごく軽い衝撃が全身に走った。

 それと同時に眩しい光を感じてステラはとっさに目を閉じる。


「な、なに……?」


 目を細く開き、ハレーションを起こした視界を落ち着けるために瞬きをする。しばらく繰り返していると押し寄せる光に目が慣れ、だんだん眩しい光の正体が見えてきた。


「……白い蝶……」


 目の前に、無数の白い、淡く光を放つ蝶が飛び交っている。


 消滅することも許されず、苦しみながら彷徨い続けた精霊がクリノクロアの術により砕けて破片となり――そして再生した姿。


 今まで水たまりだったはずのステラの足元には、柔らかな光を放つ大きな魔方陣が展開されていた。

 人と、精霊と、神との間で交わされた約定による、救済の――それとと同時に術者の生を奪う、呪いの魔法の魔方陣。


 その中央に、一人の男が倒れていた。

 その姿を認めた瞬間、ステラは駆け出す。


「――っ、父さん!」


 ステラと同じ薄桃色の髪は、術を展開しているせいで今は金色に輝いている。

 いつもニコニコしながらステラを見守っていた瞳は固く閉ざされている。


 それでも。

 十年前と同じ姿で――ステラの父、レビン・リンドグレンがそこに倒れていた。

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