61. 湿地(方面)を目指し
十年前、仕事終わりで帰宅するはずだったレビンが何を考え森に足を運び、そしてなぜ精霊の再生を行うことになったのか――。
その理由は分からないが、この広大な森の中でも、レビンがいる可能性があるのは人の足で行ける範囲だろう。
そして更に付け加えるならば、普段レビンが足を踏み入れなかった場所である。
「レビンは森の中で近寄ってはいけない危険な箇所を把握していたはずだ。精霊の枯れた場所は何となく分かるからな……我々は『もっと近くに行きたい』と感じる場所を避けるように教え込まれている」
「ああ、呪いが作動するから近づきたくなっちゃうんだね」
ガイロルが村へと戻った後、一行はその場でとりあえずの捜索方針を決めるため地図を囲んでいた。
地図に記された猟師の行動範囲はほぼ森全体にわたっているものの、季節による木の実の実り具合などの影響で獲物の分布は変わり、それに伴い主要な狩り場も変わってくる。
捜索は猟師の目を避けられる場所から始めることになるわけだが――要は、その対象範囲が広すぎるのだ。
すべてを見て歩くことなどできないので、ある程度焦点を絞らねばならない。その焦点を決定する手がかりとなるのが過去のレビンの行動なのである。
レビンの過去の行動を一番把握していたのはガイロルだと思われるが、彼の前でクリノクロアの呪いの話をするわけにもいかず、結局彼が去った後に方針を練っていた。
「そうだ。だからレビンがそれまでの生活で普通に足を運んでいた場所は除外して考えていい」
「じゃあ、普通に出入りしていたっていう森の西側とか、中央付近の池のある辺りは可能性が低いってことだね」
そう言いながら、リヒターはガイロル教えてくれた普段レビンがよく足を運んでいた地点にばつ印をつけていく。
「ステラ・リンドグレンは『ここだけは近づくな』というようなことを言われなかったのか? レビンはお前がその場所に近づかないように気をつけていたはずだが」
アグレルに聞かれて、ステラは「うーん」と考え込んだ。
「……言われた覚えはないですね。そんな風にダメって言われたら、子供の頃の私はなおさら躍起になって行こうとしたでしょうし」
「……なぜだ?」
どうやらアグレルは大人にダメだと言われたらきちんと言うことを聞く子供だったらしく、異世界の生き物を見るような目をステラに向けてきた。
「え、ダメって言われたことはやりたいのが子供じゃないですか」
ね? とシルバーに視線を向けると、彼は肩をすくめた。
「……アルはそうだったね」
シルバーと弟のアルジェンは全く同じ環境で育ったはずだが、性格はあまり似ていない。アルジェンの性格は、どちらかと言えばシルバーよりもステラに近い。
二人の父親であるリヒターはアルジェンの無軌道な行動の数々を思い出したのか、苦笑いを浮かべる。
「ははは……アルは確かにそうだったね。系統的にガイロルさんの言うところの小鬼だから」
そこでリヒターが笑いながら言った『小鬼』という単語に、シルバーは不愉快そうに眉をひそめた。
「ねえ。あの人、ステラのこと小鬼って言ってたけど、それ何なの?」
鬼、という字面から考えてあまりいい意味を持つとは思えない呼び方だ。シルバーはステラがガイロルから貶められているように感じたのだろう。
「ああ、ガイさんは子供のことを小鬼って呼ぶんだよ」
「……子供を、皆? 方言みたいなもの?」
ステラの答えにシルバーが首を傾げたところで、リヒターがブハッと吹き出した。
「前に来たとき、僕も気になったからガイロルさんに聞いたんだけど、いたずらばかりして手のつけられない子のことを『小鬼』って呼ぶんだって言ってたよ」
事実、村の子供で小鬼と呼ばれているのはステラを含む一部だけだ。――ちなみにサニディンにいるジュドルも小鬼仲間である。
シルバーの視線が自分に向いたのを感じて、ステラは涼しい顔で頷いた。
「まあそういう解釈もあるね」
「ステラ……」
そのやり取りにアグレルはため息を吐いて肩を落とし、やれやれと頭を振った。
「そういう手に負えない小鬼だから、レビンは情報を与えなかったんだな」
使えない奴め、とボソリと続ける。
ステラはぷくっと頬をふくらませるが、残念ながら反論が思いつかない。
それでも何か言い返せないかと記憶の箱をひっくり返して漁っていると、ふと引っかかるものを見つけた。
「あ、そういえば……猟師の荷物に紛れ込んでついて行こうとしたときに、一度だけいつもよりもすごい剣幕で怒られたことがあります」
「いつもよりも――っていうくらいに常習犯だったんだね……」
「へへっ」
リヒターのツッコミはヘラッと笑って流す。
「笑い事じゃないだろう……下手したらお前は子供のまま時間が止まってそのまま死んでいたかもしれないんだぞ」
「まあまあ。結果的に無事でしたし、すでに過ぎたことですから――で、確かそのとき、猟師の人たちの目的地は東側の……この辺りです」
ステラは地図上で指を走らせ、当時猟師が辿ったであろうルートを示す。目的地は村の東南東で、もう少し進んだところには別の村がある。
「そこまで行くには湿地帯を抜けることになるんです。そこまで広くはないんですけど、慣れていない人は沼に足を取られて抜けられなくなることもあるらしいですね」
「猟師って普段からそんな危険なルートを通るような場所で狩りをするの?」
「いいえ、そのときは人を襲った手負いの熊がそっちに逃げ込んだので、その駆除のために猟師の皆が集まって向かったんです。手負いの獣は危険だから、手負いにした猟師のいる村で速やかに処理するっていう暗黙の了解があるんですよ」
「……そんなのに子供がくっついて行ったら、僕だってものすごい剣幕で怒るよ……」
リヒターの言うことは全くもってその通りだし、今のステラだったらそんな馬鹿なことは絶対にしない。――だが幼い頃のステラは普段とは違う大人たちの雰囲気に当てられ、これはなんとしても見に行かなければと思ってしまったのだった。
「でも出発前にガイさんに見つかって、縄で縛られて家に連れ戻されました」
「小鬼……」
シルバーが呆れ果てた顔でつぶやき、アグレルに至っては片手で頭を抱えてしまっていた。
「ステラ・リンドグレンが、たちの悪い子供だったことしか分からない、何の価値もない情報だったな……」
「最後まで聞いてくださいってば。そのとき父さんが、あの場所は自分が探しに行けないから~、みたいなことを言っていた気がするんですよね」
「……あの場所っていうのはどこのことなんだ」
ステラは再び「うーん」と考え込んでみたが、思い出すのは縄で縛られた手が痛かったことと、珍しく本気で怒っていた父が怖かったことだけだった。
「……小さいステラさんは、普段怒らない父さんにとんでもなく叱られてとても怖かったので、そんなことを確認する心の余裕がありませんでした」
「チッ……とことん使えない奴だな」
「でもざっくり南東側の辺りに父さんが行きたくない場所があったっていうことは分かるじゃないですか」
「湿地だろ」
「……かもしれませんけど」
地図に視線を落として、ステラはむうと口を尖らせる。
「そうだねえ、他に手がかりがあるわけでもないし、ひとまずステラの言ったルートに沿ってその付近を探してみようか。ガイロルさんが教えてくれた猟師小屋もちょうど南東方面だしね」
それでいいね? というリヒターの確認で作戦会議――のようなものは終了し、一行は湿地(方面)を目指して出発したのだった。