60. 改めて探す余地
「……そっちの言い分は分かった」
村近くの森の浅い辺り――ちょうどステラがリヒターと出会った場所の近く――で待機していたリヒターたちと合流したあと、ここにレビンを探しに来た経緯の説明を受けたガイロルは小さく唸った。
クリノクロアの呪いや能力について詳しいことを伏せ、精霊術の影響であるという話にしたこともあってか、ガイロルの表情は半信半疑――よりもかなり『疑』寄りに見えた。
「そこの小鬼は分かってるだろうが……レビンの失踪当時、村の男どもでこの辺りの森の中は粗方探し尽くしてる。そこから十年、ほとんど毎日のように猟師が森に入ってるんだ」
それでも今まで、手がかり一つさえ見つかっていない。
「加えて、最近は密猟者がうろついている。奴らを捕まえようと猟師連中の見回りの範囲もかなり広がっているし、大抵の場所は誰かしらが足を踏み入れているはずだ。人の目が届いていないのは足場もないような切り立った斜面か谷底くらいだと思うがな」
その言葉を聞いてアグレルがムッと眉を吊り上げた。
ガイロルの視線の強さやぶっきらぼうな言い方に慣れているステラからしてみれば、彼はただ淡々と事実を語っているだけなのだが、アグレルはそれを「見つかるわけがない」と批判されていると受け取ってしまったらしい。
「精霊はレビンを保護しようとするはずだ。人目を避けるような目眩ましや撹乱を行っている可能性があるから、普通の連中の捜索など当てにならないし無駄だ」
「アグレルくん、言い方に気を付けようね」
リヒターはあわてて後先考えずに噛みつくアグレルを手で制して割って入る。
今ここでガイロルの機嫌を損ねて、万が一森に入る許可を得られなかったり情報を与えてもらえなかったりしてしまえば大きな痛手なのだ。
「ただ、彼の言うことも一理あって……もしもレビン氏が精霊の意思で隠されているとしたら、村の方たちが見つけるのは困難だと思います」
「その言い方だと、あんたたちには見つける当てがあると?」
「ええ……」
リヒターは頷きながらステラを手で示す。
「うちの当主によれば、精霊たちは彼女をレビン氏の娘だと認識しているようなんです。ですから、彼女が近づけば精霊のほうからコンタクトを取ってくる可能性が高いと考えています」
「ユークレースの当主というと、精霊と会話ができるんだったな」
「ええ。当主いわく、ステラは精霊たちから姫と呼ばれてるらしいですよ」
予想外のリヒターのセリフに、ステラはびくりと体を震わせる。
まずい。ガイロルはステラの子供の頃を知っている。余計なことを言い出す前に話を逸らさねば――。
「リヒターさん、それは今関係ない話で……」
話を変えようとした――が、ふとガイロルが表情を緩めたのを見て、ステラは言いかけた言葉を止めた。
「そういえば、レビンはその小鬼を『お姫様』と呼んでいたな」
ステラの記憶によれば、彼はレビンがステラのことを「俺のお姫様!」と呼ぶたびに呆れ返っていたのだが……それも懐かしい思い出なのだろう。
しかし、第三者からしてみれば微笑ましい思い出でも、当事者のステラにとっては正直なところ黒歴史でしかない。
「あの、ガイさん、余計なこと言わないで……」
といっても、思い出に浸っているところをあまり強く非難できない。
ステラが躊躇いがちに口を開いたところで、横にいるシルバーが「なるほど」と小さく呟いてステラの顔を見た。
「お姫様」
「ぐっ……バカにしてるでしょう……」
「別に。それでセグがステラを姫様って呼んでたんだって思って」
「え? ああうん……セグニットさんも大概しつこいんだよね」
リヒターの幼馴染で元王城の軍人。現在はレグランドの警備を総括しているセグニット・ホワイト氏は、精霊から『ユークレースの姫』と呼ばれていることを知ってからずっとステラのことを姫様と呼び続けている。ステラはずっと止めてくれと言い続けているが、今のところ全く聞いてもらえていない。
いつも楽しそうに「姫様」と呼んでくる憎たらしいセグニットの顔を思い出して肩を落としていると、アグレルがフンと鼻で笑うのが聞こえた。
「どう見ても姫ではないだろう。気品というものがなさ過ぎる」
彼はいい人のくせに、人に喧嘩を売るタイミングだけは逃したくないらしい。ステラは眉を吊り上げる。
「自分がガラじゃないのは分かってるけど、アグレルさんに言われるとムカつく」
「ハッ。反論の語彙のなさで、気品だけでなく知性も足りないことが露呈したな」
「なんだとお!……ぐえっ」
アグレルのほうへと一歩踏み込もうとしたステラだったが、シルバーに後ろから引き寄せられてしまう。腕を腹に回されて力一杯引き寄せられたため、口からカエルが潰れたような声が出た。
「落ち着きなよお姫様。あいつの言うことは気にしなくていいよ。お姫様の語彙が少ないのは元々だし、別に今露呈したことじゃないんだからさ」
「やっぱりシンもバカにしてるよね? っていうかフォローしてるみたいな言い方してシンのほうがひどいよね!?」
「やかましいぞ小鬼」
決して怒鳴ってはいない。
だというのに低く通る声が響いてステラはぴょんと跳び上がる。
「話の邪魔をするなら家に連れ帰るぞ」
そのまま続いたガイロルの脅しに、ステラはしゅんと肩を落として口を閉じた。
だが納得がいかず、上目づかいにガイロルを軽く睨む。
「でも……私ばっかり怒られるの理不尽だと思う」
「おまえの声は甲高くて頭に響く」
「うっ……むうう」
確かに一番高くて響くのはステラの声だ。そもそも、シルバーもアグレルも淡々と喋っているだけで、大きな声を出しているのはステラだけだった。
人目を避けたいこの状況で騒いだステラが悪い――が、原因はアグレルがステラを怒らせたせいである。釈然としないまま頬を膨らませるステラの頭を、シルバーがなでて慰めてくれる。
(いや、シンも原因のかなりの部分を占めてるんだけど!)
だが、好きな相手からなでてもらえるのは普通に嬉しい……という事実が悔しい。
せめてもの抵抗で、ステラは嬉しさが顔に出ないように細心の注意を払いながら、わざとムスッとした顔で黙り込む。
そんなステラを呆れた顔で眺めていたガイロルは、やれやれと小さく頭を振ってリヒターへと向き直った。
「……で、お前さんの言い分だと、今までレビンが見つからなかったのはステラが森に入らなかったから、ということか」
「そうです。もちろんそれだけとは限りませんし、全くの見当外れという可能性もありますが」
「ふん……」
ギロリ、とガイロルの鋭い視線に射抜かれ、脱力した状態でぐったりとシルバーにもたれかかっていたステラは思わず背筋をぴしっと伸ばした。
「……本来、村の決まりで女子供は森の奥まで入ることを禁じられている。俺は気にしないが、猟師連中はそういう俗信を重んじる奴が多い。森の中でステラが見つかったときに、村での立場が悪くなるのはこいつの母親だということを忘れるなよ」
「はい、村の――それにステラたち母子の事情は本人から聞いて把握しています」
リヒターが頷く。
規則を破って猟師に睨まれてしまえば、今まで分けてもらえた獲物の肉などももらえなくなってしまう可能性が高い。それは本当に困る。
「それと、密猟者どものせいで猟師連中は皆気が立ってる。できるだけ狩り場の近くには近寄るな。これはステラだけじゃなく全員だ。見慣れない人間はいきなり撃たれるかもしれん」
「気を付けま――」
「あっ、そうだ!」
リヒターの返事にかぶせて大きな声を出したステラを、ガイロルが再びギロリと睨む。ステラはパッと両手で口をふさいで、モゴモゴと続けた。
「密猟者と言えば、ガイさんに報告しないといけないことがあったの。アイドクレースから来る途中の一番大きい吊り橋が落とされてたよ」
「吊り橋が落とされた?」
「ええ、そうなんです。こちら側のたもとで縄が切れていました」
片眉を上げ、吊り橋の方向へ目を向けたガイロルに答えたのは先程言葉を中断させられたリヒターだった。
「その切れ目なんですが……人為的に切られているように見えました。僕らは密猟者の仕業じゃないかと話をしていたんですが」
「密猟者どもか……そうだろうな。村の連中には橋を落とす理由がない。麓からの救援を呼ばせないつもりだろうな」
「そんな事しても意味ないのにねぇ」
「ああ、こっちから救援など呼ばんからな。しかし橋を落とされるのは迷惑だな。架け直してもらわにゃならんが……麓の奴らは知っているのか?」
「多分知らないと思う。アイドクレースの人からはそんな話聞かなかったし、私たちも知らせないでそのままこっちに来たから」
ステラが頭を振ると、ガイロルは眉をひそめた。
「橋が落ちていたんだろう? お前ら、わざわざ迂回路を使ってここまで来たのか?」
「ううん、橋を架け直して渡ってきたんだよ」
ステラはまたふるふると頭を振ってから背後のシルバーを見上げる。
「シンの精霊術で」
「精霊術で、橋を?」
ガイロルの視線がステラの頭上に向いて、睨まれたシルバーが小さく息を呑んで身を硬くしたのが背中越しに伝わってきた。
(ガイさんのあの目、シンでも怖いんだ……)
幼い頃からの諸々の経験のせいだと思うが、大人に対してやや不遜とも思えるほどに動じないシルバーであっても、ガイロルの射殺されるような視線にはかなわないらしい。
「応急措置をしただけ、です」
「ほう。急場しのぎだろうと、あの谷に橋を架けたとなると相当な威力だな。……しかも、動きからしてお前さんは武術の訓練も積んでいるだろう」
「訓練は受けていますけど……」
シルバーは固い声で受け答えする。戦っているところを見せたわけでもないのにどうしてそれが分かるのか、と困惑しているようだ。
先程の話からしてガイロルは軍人だったらしい。同様に元軍人だったセグニットがステラの動きを見て隠し武器の所持を見破ったように、ガイロルも人の何気ない動きから色々と感じ取れるのだろう。
「威力の高い精霊術に、武術まで――その気になれば国崩しができそうだな」
まるでシルバーが危険な存在であるかのようなガイロルの言い方に、ステラはムッと両手を腰に当て、肩を怒らせた。
「ガイさん失礼なこと言って威嚇しないでよ。シンは無闇に人を傷つけるようなことはしないもん!」
「……威嚇などしておらんだろうが」
「ガイさんは顔が怖いから、普通に見てるだけで威嚇になるの!」
「……そうか」
「そう!」
あまりにも強く言い切るステラに、庇われている側のシルバーも「ステラ……」と顔をひきつらせたが、ぷりぷりと怒っているステラは気付かなかった。
「ええと……ご存じかもしれませんが、ユークレースはお恥ずかしいことに一族内部の争いが多くて。うちの子供達には誘拐などに備えて身を守る方法を身に着けさせているんです」
必死に笑いを噛み殺したリヒターが再びフォローに回ると、ガイロルは心なしか憮然とした表情で頷いた。
「なるほどな……坊主、嫌な言い方をして悪かった。その小鬼が懐いている時点で危険な人物だとは思っていないが、精霊術士だというのにやけに腕が立ちそうなのが気になったんだ」
実のところユークレースの当主を倒すための力だったのだから、危険は危険だったりする。
シルバーは黙ったまま小さく首を傾げた。
沈黙は金、だ。
「ちなみにガイさん、懐いてるっていっても私のほうがシンよりもお姉さんなんですよ?」
「ああ分かった分かった。で、猟師の狩り場の範囲だが――」
ガイロルはステラのほうに目を向けることすらなく猟師の使う森の地図を広げて説明を始めた。
「露骨に流された……いいけどさ……」
ステラはしゅんと肩を落としながらその地図を覗き込んで、改めて嘆息した。
そこには確かに、改めて探す余地などないほどに隅々まで情報が書き込まれていたのだった。
 




