58. 吊り橋
「本当に笑えないくらいに辺境だな……」
行く手を塞ぐ木の枝を払い除けて、アグレルがつぶやいた。
一応、村まで続く道は整備され……ているとは言い難いが、あるにはある。
ただ、人の行き来がほとんどないため、その大半が草で覆われ、気まぐれに伸びた木の枝が時々道を塞いでしまっているのだ。
時々行き当たる川には丸太を組んで渡しただけの簡単な橋があるものの、運が悪いとそれも朽ちて崩れていたり、雨による増水で流されたりしているので油断ならない。
毎年、雪解けの頃にアイドクレースから戻ってくる出稼ぎの男たちや、行商にやってくるキャラバンのため春先に道の点検が行われ、ある程度は補修されるのだが――。
「ああ……橋が落ちてるぅ……」
アントレルまでの道行で、唯一それなりに整備された吊り橋だったというのに。
災害なのか、はたまた経年劣化によるものなのかは不明だが、それなりの深さと幅のある谷を繋ぐ吊り橋が無惨にも落ちており、ステラたちは立ち往生をくらってしまったのだ。
橋を吊っていた縄は谷の向こう側のたもと辺りで切れたらしく、ステラが崖縁にしゃがみ込み足下を覗くと、垂れ下がった縄と踏み板が風でゆらゆらと揺れているのが見えた。
その板を目で追いながら、ステラはため息とともに口を開いた。
「この橋が使えないとなると、すごい回り道で、おまけに悪路だと評判の迂回路を使うことになるんですが……私は詳しい道を知らないんです。リヒターさんはご存じですか?」
「あー、僕が去年来たときは、迂回路回るくらいなら行くのを諦めろって言われたから知らないんだよね」
確かに、長い悪路を乗り越えてまで行くような価値がアントレルにあるとは思えない。村人だって橋が落ちたら修理されるまでは行き来を諦めるのだから。
「……一度アイドクレースに戻って迂回路の確認して……ついでに、橋の修理作業をお願いしてこないとですね……」
この橋がいつ壊の落ちたのかは分からないが、アイドクレースで誰も言及していなかったところから考えると、おそらくほんの最近のできごとなのだろう。
――と、いうことは現状で工事の手配などもちろんされておらず、全てこれから準備をすることになる。そこまで大規模な橋ではないとはいえ、工事は数週間、最悪数ヶ月かかるかもしれない。
つまり、ステラたちが橋を渡れないことは確定なので、擦り傷だらけになった村人が「もう二度と通りたくない」と嘆いていた迂回路を行かねばならないのだ。
うえ……と顔をしかめたステラの頭に、リヒターがぽんと手を載せた。
「それか、今修理するかだね」
「え」
「今?」
ぽかんとするステラとアグレルに微笑んだリヒターは、「ね?」とシルバーに目を向けた。
ステラたちもつられてそちらを見ると、全員から注目されたシルバーは少し肩をすくめる。
「……どうなるかはわかんないよ」
そう言うと、おもむろに近くの木の幹に巻き付いていたツタをぶちぶちと力ずくで引き剥がし始めた。
確か、橋を架けるときは最初にツタや縄の片端を弓矢などで対岸に飛ばす方法があると、ステラも聞いたことはあるが――。
「……えーと、今から橋を架け直すの? 精霊術で?」
シルバーは何本かのツタを引き剥がすと、橋のたもとに立つステラの側までズルズルと引きずってくる。首を傾げたステラに、「そう」と頷くと、彼は手に握ったツタを自分の胸の前に掲げた。
「橋作って」
シルバーはまるで独り言のように虚空に向かって呼びかける。
パキパキパキ……
その言葉に応え、軋む音を上げながら彼の手元にあった一本のツタが伸び始めた。
そのツタはまずステラたちのいる崖側に残っていた柱――落ちた橋の縄を支えていた、大きく太い木の柱だ――へぐるぐると巻き付く。
そして柱に何周か巻き付いたあと、準備が出来た、とばかりに勢いよく対岸へ向かって伸びはじめた。
しかしいかに勢いがあろうとも、細いツタはあまりにも頼りなく、風にあおられふるふると揺れてしまう。
「が……がんばれー」
ついつい応援してしまうくらいに頼りない動きだったが、それでもなんとか対岸までたどり着いた。そして、向こう側の柱に再びぐるぐると巻き付く。
(まあ、確かに向こう岸まで繋がったけど……)
細いツタは風にあおられて揺れている。――どう見てもこれでは渡れない。
若干戸惑いつつ、ステラはシルバーを振り返る。と、同時に。
「ひえ……っ!?」
シルバーの姿を見る余裕すらなく、ステラは思わず悲鳴を上げてその場から飛び退いた。背後から、ものすごい勢いで大量のツタが地面を這ってきていたのだ。
これも精霊の仕業なので、ツタは見事にステラとアグレルを避けて行くのだが、それでも怖い。アグレルなど動くことすらできず、完全に固まっていた。
頼りなげに風で揺れていた一本のツタを補強するように幾本ものツタが巻き付いて太い綱となり、さらに、まるで織物を織るように複雑に絡み合いはじめる。――そして、瞬く間に谷を繋ぐ橋が出来上がってしまった。
「橋できた」
「……うん……」
あまりにも簡潔すぎるシルバーの報告に、ステラは呆然としながら頷いた。
橋、とは言うものの……絡み合ったツタで出来上がったそれはチューブ状になっており、橋というよりも『トンネル』と呼んだほうがしっくりくる。
もしくは谷間を繋ぐように横たわる巨大ワーム型モンスターである。
元々がツタなので、あちこちに葉が茂っている。その生命力溢れ青々と茂る葉が、風が吹くたびに揺れてさやさやと音を響かせるのだが――それがなお一層生き物の胎動のように見えてしまうのだ。
「巨大未確認生物っぽい……」
「……植物も生き物だし」
「いや、まあそうだけど……」
見た目の異様さはシルバー自身もわかっているようで、微妙に目をそらされた。
きっと、また精霊たちが張り切ってしまったのだろう。
「あー……でも、頑丈そうだからしばらく橋が落ちる心配はしなくてよさそうだね」
「見た目の異様さのせいで渡りたがらない人間が続出しそうだが」
ステラがフォローしようとして放った言葉を、アグレルがすかさず叩き落とす。そして、さらにリヒターがたたみかける。
「ちょっと巨大生物に飲み込まれる感じがするから、渡るのに勇気がいるよね」
そんなリヒターをにらみつけ、シルバーはムスッとした顔になる。
「文句言うなら自分でやれよ」
「あはは、趣があるっていう意味だよ。僕じゃさすがにこの規模は無理だしね」
そんな親子の会話を背にききながら、ステラはその巨大生物に近づき、恐る恐る足を踏み入れてみる。
何本も絡まり合って強度が保たれているといっても、元はステラの手でも千切れるツタなのだ。歩いている最中に折れたりしたら――そうでなくとも、足場の薄いところがあって踏み抜いてしまったりしたら大変である。
普通の人間ならば、落ちそうになってもシルバーたちに精霊術で助けてもらえそうだが、困ったことにステラとアグレルは精霊術を無効化してしまう。橋から見下ろす川の水面はかなり遠くて、たたきつけられたら無事では済まないだろう。
「……揺れたり軋んだりしないね」
ステラが足を踏み鳴らし、飛び跳ねてみても返ってくるのはしっかりした地面の感触で、吊り橋特有の撓みも感じない。
上部まで覆われているので内部は少し薄暗くなっているが、光が完全に遮られているわけではなく風も入ってくるので、なかなかどうして居心地がいい。
「これは……ちょっとした観光の名物になるのでは?」
地元に観光客といううるおいを!
――と声を弾ませたステラに、シルバーが冷めた目を向ける。
「他に目玉もないのに、こんなところまで観光客は来ないよ」
あまりにもバッサリと切り捨てられて、ステラは頬を膨らませた。
「……でも、図書館で見た紀行本に山奥の絶景の紹介文もあったもん」
「仮に本に載って話題になっても、その頃にはツタが枯れて落ちてるよ」
「むう……」
そう、ツタは植物なので、今は頑丈であろうともいずれ枯れ落ちる。それに万が一観光客が集まったとしても、人がたくさん通れば、重みで壊れかねない。
ならばシルバーが定期的に橋を架け直せば――。
「馬鹿なことを言っていないでさっさと渡れ」
ステラの脳内を見透かしたようなアグレルの刺々しい声で顔を上げると、彼とリヒターはいつの間にか先に橋を渡って向こう岸からこちらを見ていた。
「はあい」
返事をしてステラは急いで橋を渡りきった。そして残りの山道を進む――と思いきや。
アグレルとリヒターが、橋を渡りきった場所から動かないのだ。
「もう! さっさと渡れって言ったくせに!」
シルバーの腕を引っ張って山道に踏み出しかけていたステラは、口をとがらせながら振り向いた。
大人二人は橋を見ながらなにやら話し込んでいた。――帰りの道行を見越して、強度の確認をしているのだろうか。
しかし、実際に渡ってみた感触からして、この橋は少なくとも今日明日のうちに落ちるほどやわな作りではなさそうだが。
ステラが、なんだろうね、とシルバーを見上げると、彼にもわからないらしく小さく首を傾げた。
「……なにか気になることがありましたか?」
てこてこと駆け寄って声をかけると、リヒターが難しい顔をしたまま、柱からぶら下がって揺れている何本もの縄の端を指さした。
それは元々あった橋を支えていた縄だ。これが切れたせいで橋が落ちてしまったのである。
「あっ」
それを見たステラは思わず声を上げた。ぶら下がった縄は、全て同じような長さで切れていたのだ。
「切断面を見てごらん」
リヒターがそのうちの一本をたぐり寄せ、切れた端をステラに見せてくれる。
「……なんか、すごくきれいに切れてますね」
劣化して切れたのなら繊維が引きちぎれたような断面になっているはずだ。しかし目の前の縄は、だいたい半分くらいまで、すっぱりときれいに切れている。
おそらく誰かが刃物で途中まで切り込みを入れたのだ。
「他の縄も同じようにやられてる」
アグレルが顔をしかめて――いつもしかめっ面だが、いつもよりさらにしかめて――吐き捨てるように言った。
橋を支えていた縄のほとんどに切り込みを入れられたため、その重さを支えきれずに千切れてしまったのだろう。
――つまり、橋は意図的に落とされたのだ。
「こんなこと、村の人がやるとは思えないけど……」
この橋はアントレルにとってライフラインにも等しい。特に今は雪の時期に備えて麓のアイドクレースから物資を運び入れる期間だ。通行できないのはダメージが大きすぎる。
しかしこの縄は、ステラたちがやって来たアイドクレース側ではなく、今いるアントレル側から切られている。――普通に考えればアントレル側にいる人間の仕業、ということになってしまう。
「ほら、アイドクレースでおばさんがさ、森に密猟者がいるって言ってたよね。……だから、アイドクレースから来る自警団や兵士を足止めするためじゃないかな」
リヒターにそう言われ、ステラは首を傾げた。
「うーん、アントレルで騒ぎが起こっても普通自警団やら兵士なんて来ないと思いますけど」
「……そうなの?」
「はい。騒ぎが起きて、誰かがアイドクレースまで知らせに走って、向こうで人を集めて山越えて戻ってきて……ってやってるうちに騒ぎが収まってるか村が全滅しているかのどっちかですよ」
「全滅……」
淡々と話すステラに、リヒターは苦笑いを浮かべ、シルバーとアグレルはやや引いた顔を見せた。だが、それが事実なのだから仕方がない。
「そもそも下手にアイドクレースの自警団が来て動き回るより、村の猟師のほうが森に詳しいですからね。それに、そのへんの兵士よりもガイさんのほうが強いらしいですし」
そう言ってステラが肩をすくめて見せると、シルバーが小さく手をあげた。
「ねえ、前も聞いたけどさ、ステラの話にちょいちょい出てくるガイさんって何者?」
「普通の猟師だよ? ――リヒターさんも会いましたよね」
ステラに話を振られたリヒターは頷いたが、少し考え込むような顔をした。
「うん、普通の猟師のお爺さんに見えたね。……けど兵士より強い人には見えなかったな。雰囲気は怖かったけど」
「あの人顔が怖いですからね。……でもまあ、私も村の人から『ガイさんは強いんだ』って聞いているだけで、普通の兵士の強さは知らないので、もしかしたら誇張されているのかもしれませんね」
ステラの物心がつく前からガイロルは村人から全幅の信頼を置かれているので、周囲から言われたことをそのまま信じていたが……。
ステラも他の村人たちも、村の外の事情にはあまり明るくない。そんな人々の評価など当てにならない。
井の中の蛙が身内を盲目的に讃えているだけだと言われたら否定できないのだ。
しかし、リヒターはうーんとうなった。
「でもステラはあの人から戦い方を教わったんだよね? 昔は傭兵だったんだっけ」
「はい、そう聞いてます」
「傭兵云々が事実かどうかっていうのは別にしても、少なくとも村の子供を暗器使いに育て上げる人が普通の猟師ではないことは確かだね……」
苦笑交じりのリヒターのセリフに素早く反応したのはアグレルだった。
「おい待て、暗器使いってなんだ」
彼は未知の生き物を見るような目をステラに向けてくる。
「もう、リヒターさんってば物騒な言い方しないでください。オーバーです。アグレルさんが怯えちゃうじゃないですか」
「は? 誰が怯えるだと」
ぎろりと睨みつけられて、ステラは「あらあら」と鼻で笑って見せる。
「アグレルさんってば強がっちゃってぇ」
「強がってなど」
「――そんなことよりも、わざと橋を落とすような物騒で悪質な人がこのあたりにいるかもしれないってこと、村に伝えたほうが良さそうですね」
強引に話を変えたステラにアグレルが舌打ちしたことに苦笑しながら、リヒターが頷く。
「……まあ、うん、村の人に報告するのは賛成だよ。犯人の本当の目的は不明だし、村までの道に罠やらなにやらを仕掛けてないとも言い切れないからね……なるべく警戒しながら進もう」
「……分かった」
機嫌が悪くても一応返事をするアグレルは非常に律儀だ。一方のシルバーなど、返事をする気は一切ないらしく父親を完全無視しているというのに。
(……アグレルさんって素直で可愛い)
そんなことを口にしたら、絶対に烈火のごとく怒り出すだろうが。
新型コロナでしばらく寝込んでいました。皆様はお気をつけください……。