56. それがお前だった
ジュドルが働くコールス硝子工房の店内には今日も他の店より少し上品な客の姿が多かった。相変わらずのアウェイ感に、ステラは無意識にシルバーの服の袖を掴み、明らかに値の張るきらびやかな細工の並んだ棚に腕や足をぶつけないよう緊張しながら店の中に足を踏み入れた。
「あら、いらっしゃいませ。ジュドルに会いに来たの?」
店員の姿を探して店内を見回すと、すぐにステラたちに気付いたアデルが近付いてきて声をかけてくれる。
「はい、少しでいいんですが、ジュドと話をすることはできますか?」
「ええ、タイミングによってはしばらく待ってもらうかもしれないけど、とりあえず声をかけてくるわね」
「ありがとうございます。外に出たベンチのところで待ってます」
事前に約束していたわけではないため、今は作業中かもしれない。それならばすぐに手を離せないだろう。
お店の中で待てばいいのに、と微笑むアデルにふるふると首を振って外に出たステラは、事前に見つけておいた木陰のベンチへ駆け寄って腰を下ろした。
「だんだん暑くなってきたね。私、日向はもう無理」
手のひらで扇いで顔に風を送りながらステラが嘆くと、シルバーはベンチには腰を下ろさず、横に立ったまま少し笑った。
「ステラは真夏のレグランドは知らないんだっけ」
「うん。初夏から春まで時間をワープしちゃったからね。真夏はこんなもんじゃないんでしょ?」
「こんなもんじゃないね」
「たぶん、私溶けて死んじゃうよ」
げんなりとしながら言ったステラの言葉にシルバーは答えず、視線をコールス硝子工房脇の路地の方へと向けた。
「ジュドルが来た」
「あ、ホントだ。早かったね」
ステラが座ったまま片手を大きく上げて振ると、それに気付いたジュドルが駆け足でやってきた。
「急に呼んでごめんね」
「別に。……そんでやっぱりお前も一緒か」
少し息を弾ませたジュドルの視線を受けたシルバーは少しだけ肩をすくめる。
「護衛を兼ねてる。邪魔なら少し離れるけど」
「いや、わざわざ離れなくてもいいけどさ」
ジュドルは首を振って苦笑したが、それでもシルバーはギリギリ声が届かない程度まで離れて木の幹に寄りかかった。
「離れなくていいっつったのに……やっぱりイマイチなに考えてるか分からん奴だな」
「私が頼んでついてきてもらったの。……頼まれて迷惑だったのかも」
縮こまるように小さく座ってしゅんとうなだれるステラを、ジュドルは呆れ顔で見下ろした。
「は? それはないだろ」
「シンはきっと迷惑してても言わないもん」
「はあ? ……なんだよ喧嘩でもしたのか」
「別にしてないけど……それよりも! 私はジュドに会いに来たんだよ」
軽く覗き込むように見下ろしていたジュドルは、ガバッと顔を上げたステラの勢いと顔の近さに押されてのけぞる。
「お、おう……そろそろ出発か?」
「うん。明日サニディンを出てアントレルに向かうの。ジュドのおうちになにか伝言とか届けたいものとかあったら引き受けようと思って」
のけぞったジュドルの頬が少しだけ赤くなっていることに気付くことなく、ステラは彼の服の袖を掴んでブンブンと振った。
そんなステラの手をペチンと叩き落とし、ジュドルは頭をかきながら口を開く。
「……いや、別に家には何もねえよ」
「そう? ジュドって里帰りどころか手紙すら送ってなさそうだから、きっと一言二言でもおばさんたち喜ぶよ?」
「別にあんなババア喜ばせたところで……」
「ああ?」
柳眉をつり上げたステラに睨まれ、ジュドルは言葉を止めて目を泳がせた。
「……いや、まあ、それはそのうち手紙でも送る……たぶん」
「もー。照れくさいからって先延ばしにして。親孝行したいときに親がいるとは限らないんだからね!」
「お前に言われると反論のしようがないな。……とにかく、自分でちゃんと連絡するからお前は気にしなくて良い」
「絶対だからね?」
「ああ。分かってるって。……えーと、それでさ、俺もお前に用があったんだよ」
「うん?」
首を傾げたステラの目の前にジュドルが拳を突き出してきた。そして、なにかを握っていた手のひらを開いた。ステラはとっさに両手を出して受け取る。
「やる」
「へ? ……イヤリング?」
手の上にころりと載せられたのは、どう見ても四季シリーズ『春』の特徴である桃色と白い蝶があしらわれた一揃いのイヤリングだった。
だが、これは店頭に並べてあった手頃な値段のものとは違い、少し濃い桃色の花も、白い蝶も、かなり丁寧に作り込まれている。
知識のないステラでも、これが格の違う作品だということは分かってしまう。
「どう見ても高級品なんですけど! もらえないよ! 私すぐ落とすし!」
「いいから。いや落とすのは良くないけど……『春』はお前のイメージで作ったんだよ。だからモデル料みたいなもんだと思ってくれ」
「モデルって……故郷の花って言ってたじゃん」
「だから……俺にとってはそれがお前だったんだよ」
「花……?」
「いい加減鈍いなお前!」
「い、意味は分かってる……と思う……。けど……」
ステラはそういう方面に勘の働く人間ではないが、それでも工房の人々の今までの反応や、ジュドルの態度を見れば、それがどういう意味を持つのかくらいは分かる。
――これはステラを想って作られたものだ。
それに、ジュドルが工房で自分の実力を認められ、製品を任されるという重大な場面でモチーフとして選んだのが、ステラの色とイメージだったということも――。
「俺はたぶんもうアントレルに戻らない。お前がこの先どうするかは分かんねえけど、この先生きてても、また会うかどうかも怪しい。だから一応、言うだけ言っとくわ」
真剣な目でまっすぐ見つめられ、息が詰まる。
この先を聞いてはいけない気がする――。
「俺はお前が好きだ。ずっと昔から」
「……えっと……あの」
頬に血が上って、頭が少しくらくらしてくる。なんと答えたら良いのか。
ステラにとってジュドルは、今も昔も完全なるお兄ちゃんだった。
今から兄ではなく恋愛の相手として見る努力を……――努力して、見ようとしても、ステラの心の中にはもう別の人がいる。
(どう、答えたら……)
そんな風にあわあわと慌てているステラを見て、ジュドルが苦笑した。
「分かってるよ。お前が俺をそういうふうに見てないことは。……昔からさ」
「――っご」
「いや、謝られるとみじめだから。まああれだ、俺の中でのけじめだし、気にすんな……って言っても無理か」
「む……無理……」
謝ることも拒絶されてしまい、いたたまれなさにじわりと涙まで浮かんでくる。そんなステラを見つめていたジュドルは、思わずと言った様子で吹き出して、笑いながらステラの頭に手を置いた。
「ははは……そりゃそうだよな。悪いな。……ところでさっきから射殺さんばかりの目で睨まれてるからできれば泣かないでくれ」
「……へ? 睨まれてる?」
ステラはパチパチとまばたきをして辺りを見回すが、こちらを睨んでいる人物などいなかった。少し離れた場所にいるシルバーも別の方向を向いている。
「……あいつ、ステラが顔上げた瞬間にそっぽ向きやがった……この状況で睨むのなんかシルバーしかいねえだろ。……俺が気に入らないくせに話すチャンスはくれるんだから心が広いのか狭いのか」
「シンは人見知りだから」
「……いや、人見知りがどう作用したらああなるんだよ」
「ほら、友達が別の友達と仲良くしてると取られたみたいで面白くない的な。シンってば私の他に友達いないからさ」
「お前……自分の好きな男に対してひどいな」
呆れ果てた声でそう言われて、ステラは一瞬動きを止めた。
「な! 好……!」
「バレバレだろ……。それに残念ながら俺はお前をよく見てるし知ってるからな」
「……!」
なんということだろう。ステラ自身でさえ最近やっと自覚して、一晩のたうち回った結果なるべく表面に出さないという消極的な方針で行くことにしたというのに。
しかし、バレバレとはいつからどのくらいバレていたのだろう。少なくともシルバーにはバレていなかったと思うのだが。
(だけど……自分でカミングアウトした挙げ句に迷惑そうにされてるし……)
それを思い出したステラは再びしょぼんと縮こまる。
「……でもシンは、私のこと友達だと思ってるもん」
「……あんだけべたべたくっついておいてそれはない」
「友達いないせいで適切な距離感がバグってるんだと思う」
「……お前、実はあいつのことバカにしてる?」
「してないよ!」
「じゃあ何でそんなに友達にこだわるんだよ。どう考えても友達の態度じゃねえよあれは」
「だ……だって、レグランドで私がアントレルに戻るって言ったとき、他の人は引き止めてくれたり寂しいって言ってくれたりしたけどシンはなにも言わなかったし、……好きとかそういうことも言われたことないし、正直なに考えてるか分かんないし……」
不安に思っていたことを列挙していくうちに、自分でも違和感を抱き始める。
(あれ、これってつまり……)
「なに考えてるのか分からんのは同意するが……お前が言ってるのはつまり、自分の言ってほしいことを相手が言ってくれなかったってことじゃねえの?」
ジュドルに冷静に指摘されて、ステラはピタリと固まる。
「……確かに……そうだね。……うわ、私すごい恥ずかしい……」
ジュドルの言う通り、ステラは自分がシルバーに好かれる理由が分からなくて、だからはっきりとした言葉が欲しかったのだ。
ジュドルは大きくため息を落とし、「何で俺、フラレたのにこんな相談に乗ってるんだろうな……」と嘆きながらステラの頭をポンポンと叩いた。
「引き止めるようなことを言わないのは、あいつなりの言わない理由があんだろ。勝手に思い込まないでちゃんと話をしろ」
「言わない理由……」
シルバーはその生い立ちのせいで、言葉を口にすることに対して慎重な人間だ。他の人が気安く口にするような内容でも、彼にとっては大きな意味を持ってしまうのだろう。――誰かになにかを望む言葉などは、特に。
「……うん……やっぱり、ジュドって安定のお兄ちゃん……」
「うるせ」
ポンポン叩いていた手のひらを最後に握りこぶしにしてゴツンと落とし、ジュドルは手を引く。
「痛い」
「ごちゃごちゃ悩むくらいなら本人に聞けよ。お前そういうタイプだろ」
「うん、そうだった……ありがと」
ステラがヘラッと笑ってみせると、ジュドルは「あー、もう」と頭をかいた。その首筋が少し赤くなっていた。
それを見て、キュッと胸が苦しくなる。
「えーと、あ、そうだ。私がアントレルに戻ったらジュドのお母さんに、ジュドがこういうの作ってるんだよってこのイヤリング見せたらちゃんとやってるんだって安心してくれる……」
「ちょ、お前、何だその嫌がらせは! マジでやめろ!!」
「……ですね」
これを見れば、ひと目でジュドルの実力も、サニディンで認められていることも分かるだろう。
しかし同時に、明らかにステラをイメージして作られたアクセサリー……を、ステラが、ジュドルから貰ったと無邪気にジュドルの母に見せたりすれば、きっと、彼女は色々察してしまうだろう。
どうやらまだ、ステラの頭の中はパニック状態らしい。
「えーと、ごめん……」
「ああもう……まあ、こっちも急に悪かったな。――シルバー、話は終わったからさっさと戻ってこい」
命令口調で言われたのが気に触ったのか、シルバーはムスッとした表情で戻ってきた。しかし、別に怒っているわけではないらしく、やや気遣わしげな目をジュドルに向けた。
「……話はもういいの?」
その態度と気遣いのギャップが面白かったようで、ジュドルは小さく吹き出した。
「いいよ。もともと偶然会っただけだしな。それに抜けてきたからそろそろ戻らないと」
「そっか、時間とってくれてありがとう」
「こっちこそ。じゃあまあ、気をつけて」
「うん、ジュド……またね」
もう会うことはないかもしれない。それならせめて笑顔で別れたい。そんな思いで笑ったステラの考えが分かったのか、ジュドルもニッと笑った。
「ああ。元気でな」
手を振って工房へ戻っていくその背中を、ステラは見送らずに、くるりと踵を返した。
「……じゃあ、戻ろっか」




