55. お家に連絡
イネス・ユークレースは迷惑をかけた分のせめてもの償いと、箱入り娘に社会を学ばせるという意味も含めて精霊術士協会の手伝いをすることになった。
ただし、簡単な窓口案内や記入台の整頓などをしている彼女目当てで、逆に大した用もなくやってくる人が多くなってしまい、逆に受付ではそれらの人々を捌くのに苦労しているらしい。
一方、彼女を連れ去った張本人である青年は組織から足を洗い、精霊術士協会に所属して雑用係として真面目に働き始めた。
名はクリード、そして名字を持たない彼は今まで恵まれた環境にいなかったため、自分の才能を知らなかった。――しかし、協会で働き始めてから実は精霊術士としての素養を持っていたことが明らかになり、今後は術士としての教育を受ける予定になっている。
ユークレースの血を引くイネスが選んでしまった以上、彼女よりも十歳以上年上で元犯罪組織の男、という父親的にはだいぶ許しがたい相手でも邪険に扱えず、協会長は複雑な心境でクリードを見守っているらしい。
「うちの子たちの選んだ相手が犯罪組織のメンバーじゃなくてよかったー」
やっと不正と事故の後始末から開放されたリヒターはテーブルに突っ伏してそんなことを言って笑った。
「犯罪組織のリーダーみたいな奴がよく言うな」
すかさずアグレルが返した言葉に、脇で聞いていたステラは思わず頷きそうになる。
正義と悪、どちらかと問われればリヒターは悪寄りだろう。
「今ステラも頷きかけただろう。ひどいなあ」
「やだなリヒターさんってば、被害妄想ですか?」
「まあそういうことにしておこうか。――ところでステラはこのあとジュドルくんに挨拶しに行くの?」
「できればそうしたいです。また会う機会があるかどうかも怪しいし」
リヒターの仕事が一段落ついたため、ついに明日アントレルに向けて出発することになったのだ。
一段落ついたとは言うものの、今回の件により各所で逮捕者が出たほか、多数の関係者の降格処分などにより極度の人手不足に陥っているサニディンの内情はまだ大混乱している最中だ。
しかし、リヒターいわく「この先は町の内部で解決していくべき問題である」ため、手を引くのだそうだ。
リヒターは町の自治権を尊重するとかなんとかと言っていたが、シルバーによればあまりの人手不足で「このままここにいると戦力としてアテにされて深みにはまるから逃げる」ということらしい。
そんなわけで、サニディンから逃げ出す前にジュドルには挨拶をしておきたいのだ。
「多分しばらくはそれほど危険はないと思うけど気を付けてね。再三言うけど一人にならないように」
「それは身に染みて理解してます……シン一緒に行ってくれる?」
「え? ごめん、なに」
疲れが溜まっているのかどことなく上の空だったシルバーに声をかけると、やはり聞いていなかったらしく驚いた顔で聞き返されてしまった。
「町を出る前にジュドに挨拶しに行きたかったんだけど……疲れてるなら無理しなくて大丈夫」
「いや、平気。行くよ」
「……うん」
頷きながら、ステラはシルバーの表情を観察する。
ここ数日、シルバーはぼんやりとしていることが多い。リヒターにいろいろな仕事を振られていたせいで疲れているのかと最初は思ったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。
(原因は、やっぱりあれかなあ……)
ちょっとした悪ふざけという感覚で、憎まれ口を叩くシルバーを少し驚かせてやりたいと、ステラが口にした言葉。
シンのことが好きみたい。
冗談めかして言ったが、本心であることを悟られてしまったかもしれない。そして――あれからなんとなく、本当に微妙に……シルバーはステラに対してよそよそしい気がするのだ。
……やはり彼は本当に、初めてできた親しい友人との距離感がバグっているだけだったのかもしれない。
それなのに、いきなり好きとか言われてしまい――「え、そんなつもりじゃなかったのに」と、困った顔をするシルバーが容易に想像できてしまってステラは顔をしかめる。
(……冗談でもあんなこと言わなければよかった……)
「ステラ? どうかした?」
あまりにリアルな想像をしてしまって急に渋い表情になったステラの顔を、シルバーがやや心配そうに覗き込んでくる。
「なんでもない。よし、じゃあ行こうか!」
想像上の失恋で落ち込んでいる――などと言えるわけもない。
ステラは何事もなかったような笑顔で応じた。
「え、うん……」
そのステラの感情の切り替えについて来られなかったらしいシルバーは、少し引いたような顔で頷いた。
***
「――で、アグレルくんはお家に連絡とったんだよね?」
ステラたちが部屋から出ていった後、笑顔を浮かべたリヒターにアグレルは顔をしかめて小さく舌打ちをした。
アグレルは定期的にクリノクロアの当主に報告を入れていて、それはもともとユークレース側も承知のことである。
しかしアグレルは船での事件のあと、定期報告とは別に連絡を取っていた。
表立って行動していたわけではないのに、アグレルの動きはリヒターに筒抜けになっていたらしい。
「クリノクロアに対して王宮からなにか打診はあったのかな?」
返事をしなかったというのに、リヒターは構わず話を進める。
アグレルはため息を吐いて口を開いた。
「……今のところはまだない」
「ふむ。ってことはステラのことはまだ漏れてないのかな。……クリノクロアのお姫様ってなったら王家のどの勢力でも欲しいだろうから、きっとバレたらすぐ動くだろうし」
「耳役の報告では、現状で王宮周辺に動きはないらしい」
今この国は後継者争いの真っ只中だ。
現国王の長男と、故・王弟の一人息子――この二人を旗頭として様々な人々が水面下での争いを繰り広げている。
その争いの中で重視されているのが、古くから続く家門の動きだ。
国王側が名実ともに最も有力とされるユークレースを、なんとか後ろ盾として取り込もうと手を尽くしていることは有名な話だった。
そんな国王が昔から狙っているのが、自身の長男とユークレースの――それもできるだけ家門の中枢に近い血筋の――娘との婚姻である。
そこで最も有力な王子妃候補と目されていたのが、リヒターの娘であるシンシャ・ユークレースだった。
シンシャが消えた今、国王が次に狙うのはユークレースのほかの娘――なのだが、そんなタイミングでクリノクロアの娘が現れてしまった。
男系の一族で年頃の娘がいないと思われていた家門に、実は存在していた当主の孫娘。しかも、ユークレースの天敵とも言われるクリノクロア。
ユークレースを制する力を持つクリノクロアの娘を妻として取り込めれば、国王側はもちろん、王弟側でさえも玉座に近付くことができるのだから、どちらも先を争って彼女を手に入れようとするだろう。
――本当にクリノクロアがユークレースにとっての天敵となりうるのか。
実際のところそこはかなり怪しいのだが、事実がどうであれ、問題はそう考える者が多いということである。
「全く迷惑だ。……人の家を権力者の争いに巻き込まないで欲しい」
「うんうん。それに関しては賛同するしかないね。……唯一の救いは、僕の可愛い娘と違って、ステラはどちらの勢力にも価値があるから命までは狙われにくいってことだな」
「お前の娘は今回殺されかけたからな」
「そうなんだよ、腹立たしい。まあうちの子たちは戦闘訓練させて備えてるけどね」
幸運なことにアグレルはシルバーが戦うところをまだ見ていないが、船の見張りの意識をそらし、易易と船内に忍び込んでいった手際の良さを考えると――どうせろくでもない訓練をさせているのだろうという察しはつく。
「あの息子はそうそう殺されないだろうな。……お偉方の家にねじ切れた船の扉の破片を送りつけて、『手を出したら次はお前がこうなる』と脅してやればいいんだ」
「船の扉かあ。……シンがムスッとしながら『消えろって言ったら消えた』っていうからどういう状態かと思ったら、切り取ったみたいに消失してるんだからさすがに頭を抱えたよ」
頭を抱えたなどと言いながらけらけら笑うリヒターに、アグレルは顔をしかめる。
「ユークレースは危険生物を自由にさせすぎだ。私がいなければ町中で精霊術が暴発していたぞ」
「シンは本当に、ステラさえ絡まなければ冷静なんだけどねー」
「……そのステラを王家に取られたら、王宮に乗り込んで城を破壊し尽くすんじゃないか?」
「うーん……困ったことに簡単に想像できるな。止めるのは難しいだろうなあ」
「そこは止めろよ、紛いなりにも親だろう」
眉を吊り上げるアグレルに、リヒターは「ムリムリ」と笑った。
「いやほら、僕だってセレンが連れ去られたら王族を根絶やしにするし」
(するし、じゃねえよ!!)
思わず勢いで突っ込みそうになりながらもなんとか耐えたアグレルは、早くレビンを見つけて帰りたい……と心の中で天を仰いだ。




