53. どのレベルの「好き」
結局、サニディンで行われていた精霊術士協会の不正行為は、大きく二つ。
一つは一部工房との契約金を水増ししてその差額を着服していたこと。もう一つは、船着き場の拡張工事を名目として寄付を募り、その殆どを着服していたこと。
船着き場の寄付の方は精霊術士協会だけでなく、船舶管理事務所の所長とサニディンの役所の上層部も数名絡んでいた。
そして不正に絡んだ殆ど全員が、何らかの形でダイアスと関わりを持っていた。
だが、その誰一人としてダイアスの人間に直接犯罪を勧められた者はおらず、皆気がついたら自ら進んで犯罪行為に手を染めていた――というのだから、ダイアスのやり口は見事としか言いようがない。
精霊術士協会はかなり上層部の人間が不正に関わっていて、そこからトップダウンで横領を行っていた。
関わっていた上層部の人間――工房でシルバーが見かけた人物はなんと副協会長だった。業務の関係で過去にレグランドのユークレース本家に来ていたことがあり、それでシルバーが知っていたのだ。
シルバーはステラが拉致された日にリヒターと一緒に協会長の元を訪ねていたのだが、実はそのあたりの話をしに行っていたらしく――
「あのちょび髭が馬鹿なこと考えなければステラから離れずに済んだし、ステラが怪我せずに済んだのに」
と、しばらくぶつぶつ文句を言っていた。
そのちょび髭副協会長は船の事件から一週間ほどたった今も取り調べが続いていて、叩けば叩いただけ埃が出る……とばかりに余罪が発覚してしまい、彼を副協会長に取り立てた協会長の任命責任などという話にもなっている。
だが、悪いことばかりでもなかった。
ちょび髭はダイアスの協力を受けて協会長の娘の駆け落ちの手引きもしていたことが明らかになり、彼女が連れ去られた経路が判明したのだ。
すぐに経路に隣接する町や村へ人を差し向けたところ、その一つの村で彼女と駆け落ち相手の男が匿われているのが発見された。彼らは現在護送中で、数日のうちにはサニディンへ戻ってくるだろう、という話だ、
どうやら、協会長の娘を口説き落とした男は人身売買にも関わる犯罪組織の一員で、彼女を商品として隣国まで――なんと隣国には人身売買の闇マーケットがあるという――連れてくるように命じられていたらしい。
だが、彼は一途に自分を慕う少女のいじらしさに絆されてしまい、途中で彼女を連れ逃走。事情を知った親切な村人に匿ってもらえたものの、あちこちに組織の追手がうろついていて身動きが取れなくなっていた――という状況だったそうだ。
そんなこんなで今にも町から飛び出して娘を迎えに行ってしまいそうな協会長夫婦を抑え、諸々の事後処理に忙殺されているのがリヒターで、シルバーもその手伝いをさせられているため、アントレルに向けて出発するのはまだ数日かかる見通しだ。
特に手伝いもできないステラとアグレルは滞在場所を宿から協会所有の宿泊施設に移したのだが、安全のため勝手に外出してはいけないと念押しされてしまい、できることと言えば協会の書庫にある本を読むことぐらい、という漫然とした日々を過ごしている。
こんなふうにステラが缶詰にされる原因となった拉致監禁にもダイアスが絡んでいる……とステラは思っていた、のだが。
調べが進むにつれて、実はこの件に彼らは全く噛んでいなかったことが明らかになってきた。
ジュドルを利用することを決めたのも、スタンガンを提供したのも、そして船室に火をかけたのも、主導したのは全て『船乗りの男』だったらしい。
つまり、その男がリヒターの言うところの犯人Cなのだ。
その男は管理事務所の所長と役所の人間には「精霊術士協会の提案」だと説明し、逆にその協会の人間には「所長と役所の提案」だと説明したらしい。だからあの船着き場でリヒターに問い詰められた精霊術士は「お前の立てた計画だろ!」と所長を見たのだ。
この犯人Cはあちこちで裏工作をした形跡を残しているのだが、当の本人は煙のように姿を消してしまっていた。
(犯人Cは王家からの刺客で、シンシャの命を狙った……何で今頃、シンシャなんだろう)
シンシャは体が弱くて家に籠りがちのリヒターの長女――という設定で、既に存在していない人物である。
国内で最大の勢力を誇るユークレースの動きは注視されているはずで、本家ではないとはいえ、リヒターの娘が実は息子だったということはきっともう把握していると思うのだが。
(狙われたって返り討ちにするだけ。今はまだ、そういう問題……)
ユークレース家は王家との間に揉め事を起こすことを望んでいない。それなのに話し合いを持とうとするのではなく、刺客を返り討ちにするということは――返り討ちにしても問題にならないという意味でもある。
(ってことは、シンを狙う刺客を差し向けたのは、王家の中心にいる人じゃないってことなのかな……)
ステラはこれまで全くロイヤルファミリーに興味がなかったので詳しくは知らないが、それでも今の王家は内部で揉めていると聞いたことがある。たしか後継者候補に関する問題で――それなら、有力な一族を後ろ盾として取り込みたい、もしくは相手候補に取り込ませたくないという水面下の争いがあってもおかしくない。
女性のシンシャを狙ったということは、考えられるのは王族男性の結婚相手候補という線だ。この国には今王子が二人いるが、その二人の争いだろうか。
それとも他に後継者候補が――
「ステラ」
「ひゃい!」
書庫の机で本を開いたまま考え込んでいたところに、突然声をかけられてステラは飛び上がる。顔を上げるとすぐ横にシルバーがいた。
「なに難しい顔してるの」
そう言いながらシルバーは小さく首を傾げる。
彼は四十センチという距離を本当に守っているため、ステラの真横に椅子を持ってきて座っていた。それなのに気付かなかったほど、ステラは考え込んでいたらしい。
「ん、えーと、ジュドは大丈夫かな……って思って」
「……ふーん」
触れるなと言われていたことをつらつらと考えていたのが後ろめたくて、思わず別のことを言ってしまう。ジュドルが心配というのも頭の片隅にあったのでとっさに出てきてしまった。
「シンは休憩?」
「そう」
取り繕うように続けたステラに、シルバーは不満げな表情を浮かべて机に頬杖をついた。きっと彼はジュドルの名前を出したのが気に入らないのだろう。
「あいつのなにがそんなに気になるの」
ややむくれたシルバーの言葉で、ステラは考え込む。
あの一連の事件の中で、ジュドルはステラを確実におびき寄せるための餌として使われていた。そして、負わずに済んだはずの傷を負ってしまった。
腕の傷もそうだが、それよりも――。
犯人B、つまり工房の職人たちの正体はジュドルの先輩にあたる二人だった。
彼らは事件を起こす前日、行きつけの酒場でいつものように遅くまで飲んでいた。そこである男に声をかけられ、意気投合して計画に協力したのだと証言した。
この『ある男』はもちろん犯人Cだ。
二人の証言から考えて、彼らの酒には意識を朦朧とさせるような薬が混ぜられていたようだ。そのせいで「ジュドルを害さないと自分が工房から追い出される」という考えを刷り込まれてしまったのだと考えられる。
彼らが引き起こしたのは明らかな傷害事件ではあるが、薬のせいで行動がエスカレートしてしまった、ということで処罰は多少斟酌されるという。
――ただし、彼らはもともと素行に問題のある二人だったらしい。
今までは大目に見ていた工房長のコールスも今回の件の報告を受けてついに激怒し、二人共破門を言い渡されたそうだ。
一方で彼らに利用されたエリンは、結果的に犯罪に加担してしまっただけなので特段罪を問われることはなかった。
……のだが、彼女は自ら工房長のコールスに全てを話し、先の二人と同様の処分を求めた。
その結果、コールスが下した処分は『主に見習い生が行う仕事である工房清掃を一ヶ月間行うこと』だった。
数日前に会ったときに彼女は「破門されて当然だって思ってたから、ここにいられて変な感じがする」と笑っていた。
そして、問題のジュドルだ。
ステラの前では平気そうな顔をしていたが、何の伝手もなく一人飛び込んだサニディンで受け入れてくれた工房の、その先輩でも仲間でもある人たちからあそこまでひどく憎まれていたという事実は相当に堪えたはずだ。
あっけらかんとして気のいいエリンですら妬んで仄暗い気持ちを持っていたというのだ。ステラだったら物凄くショックだろうし、工房の他の人も同じように思っているんじゃないか……などと思い悩んでしまうかもしれない。
「ジュドって私の前では強がるから、本当はすごく落ち込んでるのかなって」
「強がったなら、大丈夫だって思って欲しいんだよ」
「でも」
「ステラは男心が分かってない」
ステラだったら、強がったとしても落ち込んでいるのに気付いてもらえたら嬉しい。でも、男性はそうではないのだろうか。それに、それは性別による違いなのだろうか。
なんとなく、性別を理由にしてこれ以上関わるなという壁を作られたように感じて、ステラは少しムッとする。
「……シンだって去年まで女の子だったのに」
「女の格好してただけで、女の子だったわけじゃない」
「私より可愛かったのに」
「可愛いかどうかと性別は関係ない」
「可愛かったのは否定しないんだ……」
「客観的事実」
「うん……」
それは全くもってそのとおりだ。
それなのにがっかりしている自分に気付いて、ステラは恥ずかしさで思わず目を伏せる。多分無意識のうちに、ステラのほうが可愛いよというような甘い言葉を期待していたのだ。
「……ほんとは、ジュドじゃなくてシンのこと考えてたの」
勝手に期待した自分が悪いのだが、少し悔しくてツンと顔をそらした。
「え」
「でもシンは女心が分かってないから詳しいことは教えてあげない」
「えぇ……」
眉を下げたシルバーのあまりにもしょぼくれた声にステラは吹き出し、机の上に置かれた彼の手に軽く触れる。
「ちゃんと言ってなかったけど、あのとき私を助けに来てくれてありがとう。シンが来てくれて本当に嬉しかったの」
「――うん」
「でね、私、シンのこと好きみたい」
「うん……え!?」
大きな瞳をまんまるにして見つめてくるシルバーに、ステラはニッと笑って立ち上がる。読んでいた――というよりも開いていただけの本を閉じて棚に戻し、未だに呆然としているシルバーを振り返った。
「私、アグレルさんに用があるから行くね」
「あ、うん」
まるで逃げるようにパタパタと小走りで書庫から出ていくステラを呆然としたまま見送ったシルバーは、たっぷり数秒固まった後、真っ赤になった顔を両手で覆った。
好きと言ったときのステラは、まるで自分の好きな食べ物の話でもするかのような表情と口調だった。
(あれは、どういう意味で、どのレベルの「好き」なんだ……!?)
ステラのささいな逆恨みによる意趣返しは、シルバーの集中力をごっそりと奪ってしまい、その後の作業に多大なる量のミスを招いたのだった――。




