52. そういう存在
連れていかれた診療所――ユークレースの息がかかっているとシルバーが言っていた――でお湯を貰って煤や汚れを落とし、あちこちの擦り傷やら打ち身やらの手当をしてもらって、落ち着いた頃には日がとっぷりと暮れていた。
いちばん怪我をしていたのはステラで、エリンは擦り傷程度。アグレルはやはり船酔いで、吐き気止めを処方されて寝台でしばらくのびていた。
そして――ジュドルに至っては健康そのものだった。
回復直後こそふらついていたので、周りの人間は血が足りないのでは……と心配していたのだが、診察の結果貧血症状などは全く見られなかったらしい。
医師の見立てでは大量の魔力を一気に浴びたせいで軽い中毒を起こした、というのが有力な線のようだ。その中毒が落ち着いた現在は、ジュドルいわく、むしろ怪我をする前よりも体調が良いという。
エリンはジュドルとステラに謝罪をして、二人共それを受け入れた。
直接的に二人を巻き込んだのはたしかに彼女だが、結局彼女も同僚に利用されていたのだし、さらに言えばユークレースの抱える問題に巻き込まれた被害者である。
それに、原因を突き詰めていくとステラがこの町に来なければ、工房を訪れなければ……と、どこまでもキリがないのでお互い痛み分けということでその話を終わらせた。
そのエリンは現在、一応犯人グループ側と関連があるということで事情聴取を受けている。しかし、リヒターの口添えもあるので罰が下るようなことはないだろう。
そしてシルバーはリヒターと精霊術士協会の会長から、事情聴取という名の説教をされているはずだ。
そんなこんなで今、精霊術士協会の一室に押し込められているのはステラとジュドル、それにアグレルという三人だ。
事情を聞くかもしれないから、ということで宿にも帰れず留め置かれているのだが、特段やることがない。
ステラとジュドルだけならば気安く会話もできるだろうが、ご機嫌の悪い顔でソファに身を沈めているアグレルがいるせいでジュドルは話をしづらいようだ。
「で、その……アグレルさんとステラは、どういう関係なんだ?」
ジュドルに遠慮がちに聞かれて、ステラは、はた、と動きを止めた。
アグレルは――親族であることは覚えているが、売り言葉に買い言葉で口喧嘩をしていた記憶のほうが鮮明で詳しい関係性を覚えていない。
確か、父の兄弟がどうこう言っていたはずだ。
「……叔父さんだっけ」
探るようにアグレルを見ると、彼は大げさに深い溜め息を落とした。
「非常に不本意だが、私はこの阿呆の従兄弟にあたる」
「そうだ、父さんのお兄さんの息子だった」
「ステラ、お前……まあ、ってことは、レビンおじさんの親族か。髪の色が同じだからまさかとは思ってたが。……あの人、天涯孤独じゃなかったんだな」
ステラの父のレビンは、自分には家族がいないと言っていた。ステラとステラの母も含めたアントレルの誰もがそれを信じていたのだ。
ジュドルはステラに親族がいたことを喜ぶべきか、騙されていたステラたち母子のために腹をたてるべきか、微妙に困ったような表情をしていた。
「だね。家出してアントレルに隠れてたっぽい」
「家出……じゃあ、実家の奴に見つかりそうになったから姿を消したのか?」
チラリ、とアグレルに視線を向ける。
そのアグレルはジュドルの視線に不愉快とばかりに眉を引き上げた。
「違う。こちらもずっとレビンを探している」
「ってことは失踪の原因は不明のままか」
「うん。まあ、アグレルさんも協力してくれるそうなので、ひとまずアントレルの森をもう一回探そうかってことで今アントレルに向かってるの」
「もう一回ったって、もう十年も……」
ジュドルは言いかけた言葉を止める。
十年前に行方をくらませた人を探して森に入る――普通に考えたら、遺体や遺品の捜索だろう。そこに思い至って続きを言うのをやめたようだ。
百歩譲っても時間が停まった状態で森の中にいる可能性など考えるわけがない。
「ま、そういうこと」
明らかにジュドルは勘違いをしているが、だからといってクリノクロアの事情は話せないのでステラはそのまま頷く。
「……そうか、熊とか狼とかに気をつけろよ」
「大丈夫大丈夫。シンとリヒターさんも一緒に来てくれるから」
「ああ、なら大丈夫か……ユークレースだもんな。……あと、俺を治療した魔術って――」
「それについては忘れろ。下手に話題にのせようものなら余計なトラブルに巻き込まれるぞ」
ジュドルの言葉をアグレルがかぶせ気味に中断させる。
強い視線と口調だが、内容は何となくぼんやりとしている。
何となくぼんやりとしているが、脅しは脅しである。ジュドルはやや怯んで、そしてステラに目を向けた。
たぶん、「お前、一体何に巻き込まれてるんだよ。大丈夫なのか」と言いたいのだろう。それを察して、ステラはジュドルを心配させないように力強く頷いた。
「私はもうがっつり巻き込まれて手遅れだから大丈夫」
「いや大丈夫の意味が分かんねえよ!」
幼い頃の癖で、ジュドルがステラの頭をぽこんと軽く叩く。――のと同時に、部屋の扉が開いてシルバーが入ってきた。
「……なにしてんの」
無表情のシルバーがジュドルに冷え切った目を向ける。
窓は開いているが、室内に風など吹き込んできていない。それなのにシルバーの周りだけ風が巻き起こっており、彼の白金の髪がふわりと揺れていた。
「ただ普通に話をしてただけだよ。軽く叩くくらいよくあることでしょ」
「……ステラは怪我してるのに」
「大したことないもん。――それより私、冷たいものが飲みたいんだ。私は一人で動き回っちゃだめなんだよね? シン、運ぶの手伝って」
ぱっと立ち上がったステラがシルバーの腕に触れると、彼の髪を揺らしていた風が止まった。ステラはそのまま腕を軽く引っ張って部屋の外へと促した。
さすがにそんなことはしないと思いたいが、妙に機嫌の悪いシルバーがここでアグレルやジュドルと喧嘩でも始めたらたまらない。
「……分かった」
渋々、と言うにはやや嬉しそうな顔でシルバーが頷き、ステラに腕を引かれるまま素直に部屋を後にした。
***
部屋に残ったのは蛇に睨まれた蛙よろしく固まったジュドルと、それを興味深げに眺めているアグレルの二人だ。
「あの程度の睨みで縮み上がるなら、ステラ・リンドグレンは諦めたほうがいいんじゃないか」
不意にかけられたアグレルの声に、話しかけられたこと自体になのか、はたまたその内容になのか、とにかくジュドルは驚いて肩を跳ねさせた。
「いやっ、あー、……つーか、何でステラのことずっとフルネーム呼びなんすか?」
「残念ながらあれが私の従姉妹だからだ」
「は……?」
まるで謎掛けのような答えにジュドルは瞬きする。
「理由など知らなくていい。それよりも、ユークレースの連中は気に入った相手には固執するから、シルバーは絶対に引かないぞ」
「はあ……シルバーはフルネームじゃないんすね。……いや。ステラのことは、諦める以前の問題で……」
言いながらジュドルは視線をさまよわせ、自分の頭をガシガシと掻いた。
「俺は……田舎を離れるときに、ステラとはもう一生会うことがないだろうなって思ったけど、それでも硝子細工を選んだんです」
ジュドルはそう言って、少し遠い目をした。
「この町にいて、たまにあいつを思い出すことはあっても、だからってアントレルに戻ろうとは一度も思わなかった。俺にとってステラはそういう存在なんです……ああ、別に軽んじてるわけじゃ――」
「まあ、言いたいことは何となく分かる」
慌てて言い訳を続けようとするジュドルに、アグレルは不要だとひらひらと手を振る。ステラがどうでもいいわけではなく、彼にとって硝子細工が大切すぎるのだろう。
「ええと、だから、さっき言いかけた続きなんですけど……」
ジュドルは椅子から立ち上がって、アグレルに向かって深々と頭を下げた。
「俺の腕を治してくれてありがとうございました。魔術には危険が伴うってシルバーから聞きました。だからアグレルさんにちゃんとお礼を言っておかないといけないと思ってて」
頭を下げたまま一気に言ったジュドルに、さすがのアグレルも動揺する。
そもそも、アグレルは人に礼を言われることに慣れていないのだ。
「私は……礼を、言われるようなことはしていない。こちらに危険が及ぶようだったらその前に術を止めるつもりだった」
「それでも、俺にとって硝子細工は生きる意味なんです。だから、アグレルさんの魔術の結果として今、これからも細工が続けられるってことは、俺には生きるよりも大事なことなんですよ」
生きるよりも大事だと、昂然と言い切れるジュドルが眩しく思えてアグレルは目を眇め、少しそらした。
「……ステラ・リンドグレンが、お前の作ったものを何度も褒めていた。あいつはお前の利き腕の傷を見て、真っ先に硝子細工ができなくなると言って本気で悔しがったんだ。だから、治療が必要だと思った。……硝子細工がお前の生きる意味なら、それを救ったのはステラ・リンドグレンであって私ではない」
自分で言っていて、筋が通っていない気がするが――あのときステラが涙をにじませていなければ、アグレルはレビンのための魔力を放出してまでジュドルを助けようとは思わなかっただろう。
だから、アグレルにとってジュドルの回復はステラの功績なのだ。
「アグレルさん、ツンデレ……」
聞き覚えのあるその単語に、アグレルはシルバーのように舌打ちをした。
「お前もか……侮辱と受け取っておく」
「あ……いや、誉めてるんですよ」
「うるさい。もう黙ってろ」
そのままアグレルはソファに身を沈めて目を閉じてしまう。
ステラたちが賑やかに冷たい茶を持ってくるまで、部屋の中は沈黙が続いた。