51. 最終的に狙われたのは
「それこそ、私が男を船に連れ込んで――なんて問題にしたいなら、私とジュドを眠らせて、周りに酒瓶でも転がして閉じ込めておくだけでも良かったはずです」
酒瓶が転がる中に眠っている男女。
事前にわがままを言って入り込んだ、なかなか出てこない、男を連れ込んだ――という情報を流しておいて、二人が寝転がっているその状況を何人かに目撃させれば十分スキャンダラスだろう。
「それなのに、ジュドに怪我をさせるのも、縄でぐるぐる巻きにするのも、エリンさんを一緒に閉じ込めるのも、火をつけるのも、むしろ第三者による犯罪を匂わせるだけじゃないですか」
ステラの言葉に、やはり引っかかりを感じていたらしいエリンが頷いた。
「そう、そうなんだよね。ウチの工房の奴も、さすがにジュドや私を殺そうとまでは思ってなかったと……思いたい、けど……」
エリンは身を縮こめて、ためらいがちに隣に座るジュドルのほうを見た。その視線を受けたジュドルはなにかを諦めたような顔で、軽く肩をすくめて口を開く。
「……工房の奴が暴走して派手に怪我させたから、証拠隠滅のために焼き殺そうとしたんじゃねえの」
「でもさ、そもそもあのローブの人達、全員が工房の人たちじゃないよね。拉致を目的にしてたんなら精霊術士協会の人なんかもいたんじゃない?」
「うん、少なくとも私にステラちゃんを連れてこいって言ったのはウチの工房の奴じゃないよ。それに『こちらは、潰す部位にも生死にもこだわりがない』って言ってたし……あ、でもステラちゃんを連れて戻ってきたときには、ソイツいなかったかも……」
「その人って船乗りの格好をしてたんでしたっけ」
単純にエリンのいない間にローブを着ただけかもしれないので、はっきりといなかったとは言えない。しかし、『こちらは』という言い回しは別の組織の存在を匂わせている。
「ああ、倉庫の入り口なら俺も見たな。たしかに見たことのない奴だった。ついでにいうと、微妙に船乗りっぽくなかったんだよな……なんとなくだけど、目つきや動きに隙がなくて傭兵みたいな雰囲気の奴だった」
(ジュドルの言うことが本当なら、その船乗りはきっと誰かに雇われて私たちを狙った……でも、誰が?)
ダイアスの目的は精霊術士協会を潰すこととユークレースを困らせること。
横領をしていた精霊術士たちは横領を隠すこと。
工房の職人たちはジュドルの腕を潰すこと。
船舶管理事務所の所長は、――ジュドルの話によれば、船着き場の整備拡張のために寄付を募っているはずなので、それを利用して横領でもしていたのかもしれない。ならばそれを隠すのが目的、というところか。
彼らの中で、所長と精霊術士はリヒターの娘の問題を起こすために動いていた。
そして、工房の面々はジュドルに傷を負わせた。
これらの目的では船に火をつける必要がないし、殺害することまでは考えていなかっただろう。
残るはダイアスだが――。
リヒターがダイアスについて、甘い話で唆して他人を動かすのが得意で尻尾を掴ませない、と言っていた。
ユークレースの当主やリヒターがいつも逃げられているような相手が、こんな破綻した計画を立てるとは思えない。
「リヒターさんは昨日、ダイアスのうしろがいるかもって言ってましたよね」
「お、覚えてたか」
「……リヒターさんも、シンも、本当は誰がうしろにいるか知ってるんですね」
「――知っているというか、大体こうだろうという予想はできてるよ」
「そのうしろにいるなにかが、ダイアスの企みに乗じて私達を殺そうとした……」
リヒターの先ほどの演技は実行犯を確認しただけにすぎない。
シルバーが言われなくても動くのは、一連の黒幕を知っているからこそだ。
だけど、その黒幕の名を出さないのは――それだけ力を持った相手だから。
「もしかしてそれは、王家ですか?」
ステラの言葉で、ステラとリヒターのやり取りを不安そうに見守っていたジュドルとエリンが息を呑んだ。
普通に生きていたら一生関わることなどないであろう王家、ひいてはこの国自体が、自国の一国民の命を狙った――などという話、ステラも自分で言っていて否定して欲しい気持ちでいっぱいである。
だが、リヒターは否定せず、困ったように少しだけ微笑む。
それはもう、明確な回答だった。
――そうして部屋全体に短い沈黙が落ちたところで、それまでぐったりと目をつむっていたアグレルがソファに沈めていた体をだるそうに起こした。
「ステラ・リンドグレン、その話はそこまでにしておけ」
「でも、」
「王家に睨まれて、呪いを利用されたら我々には対抗するすべがない。触れずに済むなら触れるな」
我々――クリノクロアは救いを求める精霊がいれば能力を使わずにはいられない。そして、相手が国家レベルならば、やろうと思えばそういう精霊を量産することだってできるのだ。
リヒターやシルバーが黒幕についてはっきりと語らないのは、ステラを関わらせたくないからなのだろう。
「……分かりました。でも一つだけ教えてください。……最終的に狙われたのは私? それともユークレースの娘?」
狙われたのがステラなら、思いつく理由はクリノクロアの血を引いていることくらいである。
ステラがいることでアントレルにもユークレースにも迷惑をかけてしまうならば、ステラはこれ以上誰にも迷惑をかけないようにクリノクロアの本家に向かい、保護してもらうよう願い出るべきだろう。
知らず知らずのうちにぐっと拳を握りしめていたステラの肩に、シルバーがこてんと自分の頭をあずけた。
「現状ではステラが狙われる理由はない。狙われたのは『シンシャ』だと思う」
自分ではなかった、とホッとすると同時に、狙われたのはシンシャ――シルバーであるということに不安と怒りがこみ上げてくる。
ムッと押し黙ったステラを見てシルバーはくすりと笑った。
「ステラ、私は大丈夫だよ。狙われたって返り討ちにするだけだから」
「そういう問題じゃないでしょ……」
「今はまだそういう問題なんだよ」
「今はまだ?」
「うん」
シルバーは頷いたが、説明するつもりはないらしい。これも触れずに済むなら触れないほうがいいことなのだろうか。
だが、返り討ちにするということは、きっとこれからもシルバーは狙われる可能性があるということだ。そんな重大なことを教えてもらえないというのはやはり面白くない。
ステラが再びムッとしていると、エリンが恐る恐るといった様子で小さく手を上げて口を開いた。
「えーと……ごめんなさい、事情がよく分からないんですが」
エリンとジュドルは、シンシャとシルバーの関係も、ユークレースとダイアスの関係も、ステラがクリノクロアの血を引いているというのも――そもそもクリノクロアという名前自体――知らないはずだ。
今の会話の内容はさっぱりだっただろうし、さらに、当然のように一緒に行動して治癒魔術を使ったアグレルの正体も不明なのである。
「ああ、ごめんね。つまり、ユークレースと敵対しているダイアスが武器と悪知恵を提供して、それに乗ったのがこの事務所の所長と、精霊術士協会の一部。工房との契約金や寄付金を横領していたんだ。この、ダイアス以外の人々を犯人Aとしようか」
そう言ってリヒターは指を一本立てた。1組目の犯人ということらしい。
立てた指を軽く振りながら言葉を続ける。
「僕が工房から協力を得たことで自分たちの悪さが露見するのを恐れた犯人Aは、問題を起こして工房と僕の関係に亀裂を入れようとした。ついでに街から追い出すつもりだったのかもしれないね」
「問題って、ユークレースのせいで船が運行できないっていうやつですか?」
「うん。Aの目的は船が止められればそれで良かった。怪我をさせるつもりも、船を燃やしてしまうつもりもなかった」
で、次に……とリヒターがもう一本指を立てた。
「犯人Bは工房のお嬢さんの同期だね。彼らの目的はジュドルくんを傷つけること。ステラとジュドルくんが親しいっていう情報はここが元だろうね。中途半端に伝わったみたいだけど」
「私がジュドを侍らせてたっていう話でしたっけ……単なる幼なじみなのに、どこがどう伝わったんだろうね」
ステラが同意を求めジュドルに目を向けると、彼はやや虚ろな目をして頷いた。
「……そうだな」
「でっ、でもっ! ……ステラちゃんがさっき言ったように、ジュドルが血まみれなのは犯人Aにとっては不都合じゃないですか? なんで止めなかったんでしょうね!?」
なぜか慌てた様子のエリンが大きな声を出して話を変えたので、ステラは驚いて目をパチパチさせる。
そんな様子にリヒターは苦笑しながら話を続けた。
「その、利害が一致しないはずのAとBを操って利用したのが犯人C。こいつの目的は僕の娘の殺害。そのために所長たちの悪事が露見しようが、ジュドルくんがどうなろうが、船が炎上しようが関係なかった。……お嬢さんとジュドルくんが会ったっていう船乗りはこの犯人Cだと思う」
「うわ……なんだかヤバそうな雰囲気の人だとは思ってたけど……」
三本目の指を立てたリヒターの言葉に、エリンが自分の体を抱いて顔をしかめた。
ジュドルは傭兵のような雰囲気だったと言っていたので、きっとその船乗りは犯罪やそれに近いような荒事を引き受ける家業の人物なのだろう。
「そうだね、仮にどこかで見かけたとしても気付かないふりしたほうがいいよ。むこうの目的はユークレースだろうから、多分もう君らに関わることはないと思うけどね」
エリンとジュドルが戸惑いながら目を見合わせたところで、リヒターが部屋の扉に目を向けた。
「さて、そろそろ協会長が医者の手配を終えて迎えに来る頃かな。――僕は町長をつついて、悪事に加担した連中をしょっぴいてくるよ。だから君らはちゃんと怪我の手当をしてもらいなさい。特にステラ」
「はーい……」
一番重症だったはずのジュドルは治癒魔術で傷が治っているため、実は現在最も傷だらけなのは、電気を食らって殴られたステラだった。
頭のこぶを撫でながらステラが返事するのを確認したリヒターはニコリと微笑んだ。そして。
「あ、シンには後で爆発について詳しく説明をしてもらうからな」
威圧感のある父の笑顔に、シルバーはそっと視線をそらした。




