4. 君の事情
「それでさっきの話の続きなんだけどね」
ステラの家の居間で、リヒターとステラはテーブルを挟んで向き合っていた。
普段全く使われることのないお客様用のティーカップに紅茶が淹れられ、お茶請けのクッキーには昨日ステラが作ったジャムが添えられている。
準備をしてくれた母は先程の騒ぎで仕事を中断していたらしく、仕事場へと戻っていったので今は部屋に二人きりだ。
「ええと……私の周りに精霊がいないっていうやつですね」
「そう。世の中には精霊に嫌われている人間っていうのも確かに存在しているんだけど、そういう人の場合でも周りに全くいないってことはないんだ。むしろ付きまとわれて嫌がらせをされて体調を崩すとかね」
「ええ、意外と陰湿……」
「うーん、嫌われる人には嫌われる理由があるからなんとも言えないかな。ま、君の場合はそうじゃない。あえて言うなら、精霊が怖がって近づかないっていう感じなんだ」
「怖い?」
もう少し小さい頃のステラは、村の大人たちから『どんな悪さをやらかすか分からない小鬼』などと呼ばれていたが、最近はさすがに(たまに呼ばれる程度に)抑えている。
今のステラは(黙って動かずにいれば)可愛いらしいと言われるくらいだし、怖がられる理由には心当たりがない。ないといったらない。
「さっきも言ったんだけど、理由は僕にも分からない。君は精霊術が使える時と使えない時があるんだよね? つまり精霊たちは君の声をちゃんと聞いているんだ。普通だったら声を聞いた精霊たちは唯々諾々とその希望を叶えるものなんだけど、君の場合、叶えるか叶えないかを精霊たちが判断しているんだろうと思う」
「ええっと……判断基準ってなんなんでしょうか。こう、さっきみたいにピンチのときには叶えてもらえることが多い気もしますけど」
「うーん、普段は気まぐれなのかなあ。こうやって見てても、時々怖いもの見たさっていうか、勇気を試すみたいに君のそばに寄っていく精霊がいるからね」
「私、度胸試し会場みたいなものなんですか?」
「ははは、言い得て妙だね。――それで、ピンチのときは叶えてくれるっていうのは、多分精霊達が君を守りたいと思ってるからじゃないかな」
ステラは眉根を寄せて、こてんと首をかしげる。
普通の人が相手なら唯々諾々と……つまり必要不要は関係なしに願いを叶えるくせに、ステラの場合はピンチの時限定。たまに気まぐれに叶えることもある。
怖くて近づきたくないけど、守りたいからピンチのときは頑張ってそばに来てくれる、ということだろうか。
「精霊って親切ですね」
「おや、そういう感想になるんだね」
リヒターは面白そうにステラを見て、そして少し目を伏せた。
「僕の――上の子供が、精霊に好かれ過ぎてしまう子でね」
「……好かれ過ぎるっていうのは、なにか不都合が?」
「君とは逆に、精霊たちがあの子の些細な言葉にも反応して先を争って願いを叶えようとするんだ。そうだな、例えば……だれかに対して『さわるな』って言ったとする。そうすると、そのだれかはあの子に『さわれなく』なってしまうんだ」
リヒターはステラに触ろうとするように、少しだけ手を伸ばして途中で止めた。
「応じたのが風の精霊なら鋭い風で腕を切り落とすかもしれないし、火の精霊なら体ごと焼き払ってしまうかもしれない。水の精霊なら、相手を水で包んで溺死させてしまうかもしれない」
「そ、そこまで?」
「そこまでしようとするんだ。僕がそばにいれば、ある程度は精霊の暴走を止めることもできるんだけど……四六時中一緒にいるわけにもいかなくてね」
現に今ここにいるしね、と肩をすくめる。
「で、そんなわけで僕は君の体質が気になるんだよ」
「はあ……?」
そんなトンデモ展開の前で、度胸試し会場体質がなんの役に立つのだろう。
ステラにはいまいちわからないのだが、リヒターは真剣な面持ちをしていた。
「精霊が君を避ける理由が知りたいんだ。それが分かって、もし応用できるならあの子の助けになるかもしれない。……あの子は今ほとんど言葉を喋らずに暮らしている。年の近い話し相手は弟くらいでさ。当然友達はいない」
「それは……可哀想ですね」
「だろう? そこで提案なんだけど、レグランドに来てくれないだろうか。精霊の声を聞ける術士なら君の体質の理由が分かるはずだ。……あとついでにうちの子の話し相手になってくれるとなおありがたい」
「レグランドに……? えっと、どのくらいの日数かかりますか?」
ステラはちらりとコーディーがいる仕事場の方を見た。
レグランドまでの往復に何日かかるのか分からないが、少なくとも二・三日では帰ってこれないだろう。そのあいだ母が一人になってしまう。
「うーん……精霊の声が聞ける術士っていうのがね、ユークレースの当主なんだ。えっとつまり、忙しい人だからいつ会えるのか分からなくてね? 急に予定が空くかもしれないし、何ヶ月も先になるかもしれないし……しばらくレグランドに滞在してもらわないといけないんだよね……」
「へ?」
ユークレースの当主とは、レグランド半島を治めている領主でもある。
レグランド半島は国の中でも最も豊かで力のある場所で……そこの領主ということは――
(具体的にはよく分かんないけど、とにかくすごく偉い人!)
それは確かに、一朝一夕で会える相手ではないだろう。
「もちろん、滞在費は必要ないよ。うちの客間が使えるし、それとわざわざ来てもらうんだからそれに見合った報酬を払う。……それにレグランドなら、君がもし勉強をしたいなら図書館を使えるし、いっそ向こうでなにか仕事を探したいというなら、少なくともここよりはいろいろな職を選ぶことができる。もちろん君のお母さんもね」
「お母さんも……?」
「一緒に向こうで暮らすとか、それでなくとも仕送りをするとか……ガイロルさんからちょっとだけ君の事情を聞いたんだ」
ごめんね、と眉を下げたリヒターに、ステラはふるふる頭を振った。
村人ならだれでも知っていることだ。ステラの家は村の中でも貧しい方だし、そしてステラはきっとこの村にいてもまともな職に就くのが難しい。
一番なりたいのは猟師だが、性別の時点でふるい落とされてしまっている。勉強はおそらく得意な方だと思うのだが、この村では十分な知識は得られないし、得たところでそれを仕事にするのは難しいだろう。
だが、レグランドなら――母の収入に頼って養ってもらわずとも、暮らしていける方法があるかもしれない。
「母はここを離れたがらないと思います。ええと、父のことは……?」
「細かい事情は聞いていなくって、行方が分からないとだけ」
「事情は私達も分からないんです。急にいなくなっちゃったので。だから、母はここでずっと父の帰りを待ってるんですよ」
「……そっか」
「母には相談してみますけど、行くなら私一人になると思います」
「うん。君とお母さんが一番納得できるかたちで協力してくれると嬉しい」
そう言ってリヒターは柔らかく笑った。きっと子供のことを思っているのだろう。
だが、一つ非常に気になることがある。
「……ところで、うちの子の話し相手になってって言ってましたよね」
「うん。言ったね」
「でも、うっかり腕がもげたりするんですよね?」
「その可能性は否定できないな」
「いや、否定してくださいよ!!」
ははっ、とリヒターは爽やかに笑っているが、ステラは全く笑えない。
うっかり口喧嘩でもして死ねと言われたら死んでしまうではないか。
「でも一応、否定する根拠はあるよ。ほら、さっき僕が森で精霊術を使って風を起こした時、君自身は全く風を感じなかっただろ?」
「へ? えーと……そうかも」
狼は吹っ飛んで、周りの草木が揺れて、しがみついていた幹も揺れていた――が、確かにステラ自身に風が吹き付けた記憶はない。
「君に強い風が直接ぶつからないように気をつけたとはいえ、そよかぜ程度の風があたってしまうのは避けられない。なのに、風がわざわざ君を避けて通って行ったんだ。――びっくりしたよ、僕だってそれなりに強い精霊術を使える方なのに、精霊が僕の願いに逆らってまで君を避けたんだから」
「進路をわざわざ変えてまで避けたいほどビビられている、という……?」
「そう。だから多分、君には精霊術が効かない、もしくは非常に効きにくいんじゃないかな。うちの子の愛されっぷりとどっちが強いかっていうのは試してみないと分かんないけど、多分大丈夫だと思うんだよね」
「多分……」
じとっと上目遣いでリヒターを睨みつけると、彼は例の魔性の微笑みで
「そう、多分大丈夫」
と返してきた。