48. 既にいない娘
不機嫌な顔でリヒターがいるかどうか確認にいったアグレルは、やはり不機嫌な顔のままリヒターだけでなく数人の男性を引き連れて戻ってきた。
「僕の娘が、船を見学したいとわがままを言って男を連れ込んで無理やり船内に入ったんだって言われたんだけどさ、ステラは心あたりがあるかな?」
「娘……?」
開口一番のリヒターの言葉にステラはパチパチと瞬きをする。
リヒターと一緒にやってきた、いかにも重役という雰囲気の四人の中高年男性たち――恐らくサニディンを動かしているトップの人々だろう――の視線がステラに集中しているので、リヒターの言う『僕の娘』はステラのことを指しているらしい。
「リヒターさんの娘になった覚えはありませんけど……」
「そうだよね、ステラが僕の娘を名乗るなんてありえない。でも、船の中にいた船乗り以外の女の子はステラとそちらの女性だけなんだ」
そちらの女性と言われてエリンが目を見開いた。
この状況だと、彼女がリヒターの娘を名乗ったようにしか見えない。
「私は――!」
「ストップ。君の話は後で聞くよ。まず僕が最初に言っておきたいのは、僕の娘は去年この世からいなくなってしまったので、そもそも存在しないってことなんだよね」
そう言いながらリヒターはやや視線をうつむけた。まるでその娘を悼むように。
「え!? いない……!?」
「ご息女は亡くなられていたんですか……」
重役(推定)男性のうちの一人が大きく驚き、他の二人は痛ましげな顔をする。
残りの一人は少し困ったような顔をしているので、恐らく彼はリヒターの事情を知っている――精霊術士協会の会長だろう。
さらに、野次馬の人々からは同情するようなため息が漏れた。
リヒターの娘のシンシャは昨年シルバーに改名して正式に息子という扱いになっているので、娘がこの世からいなくなったというのは決して嘘ではない。
ないのだが――。
(物は言いようだよね)
ステラは漏れそうになる苦笑を抑えながら、自分の隣をちらりと確認する。
軽く演技の入ったリヒターの様子を見守るその張本人のシルバーは、すん……という擬音語が似合いそうな無の表情を浮かべていた。
「つまり、既にいない娘の名を語って、その娘の友人だったステラを娘と勘違いして船室に閉じ込め、危険に晒した犯人がいるんだよ。しかも娘の名を汚すようなデマまでおまけで付けてね」
そう言いながらリヒターは、うしろにいた一人の青年に顔を向けた。
ステラはうっかり野次馬の一人だと思っていたが、丈の短い紺色のローブを纏ったその青年は、よく見ると胸に精霊術士協会の紋章が入ったピンバッジを付けており、どうやら精霊術士協会の人間らしかった。
「――で、僕の娘が船に押し入ったっていう話を報告してくれた君は、誰からそんな話を聞いたのかな?」
ニコリと笑顔を浮かべたリヒターは、笑顔なのに全身から怒りのオーラを滲ませる――という器用なことをしている。それがどこまで演技なのかステラにもよく分からないくらいなので、その怒りを向けられている青年は本気で怖いだろう。
「ふ、船乗りの知り合いに……」
「ふうん? 出港の時間が近付いても出て来ないから困ってるって?」
「は、はいっ」
「だから船の出港を止めて内部を調べろと――事実だとしてもだいぶオーバーだよね。そう言ったら病弱な娘を心配した親バカな僕が頷くと、誰かに言われたのかな? それも知り合いの船乗り?……その船乗りはなんで僕に病弱な娘がいたことを知っていたんだろうね。彼女はほとんど家から出ずに暮らしていたし、ユークレースの一員として表舞台に立つこともなかった。彼女の存在はそれほど有名ではないはずなんだけどなぁ」
ユークレース当主、ノゼアンの子であるシンシャを『自分の娘』と偽って育てていたリヒターは、シンシャが当主の妻に命を狙われていたこともあり、安全のために彼女(彼)の存在をあまり公にしていなかった。
『リヒターに娘がいる』こと自体、あまり広く知られていない情報だったのだ。
「あ……あの」
男は青い顔で視線をキョロキョロと動かす。
彼は命じられただけで、あまり詳しい事情は知らないのかもしれない。
そんな男の様子に焦れたのか、シルバーが口を開いた。
「ねえ、ステラも、ステラの幼なじみも、怪我をしてるんだけど。手足を縛られて船室に閉じ込められて火を付けたられたんだよ。治療が先じゃない?」
シルバーのその言葉で周囲の人々がざわめく。
『男を侍らせ船の関係者を困らせるわがままお嬢様』から、『何者かの策略により、幼なじみの少年とともに人違いで拉致され殺されかけた哀れな少女』――しかも昨年友人を亡くしている――になったステラへと一気に視線が集まる。
「ああ、そうだね。ステラ……殴られたのか。頬が腫れてる」
リヒターが申し訳無さそうな声と表情で、いたわるようにステラの頬に触れる。
(色気を振りまくのはやめて欲しい……!)
一瞬ぽうっとなったステラは、シルバーが小さく舌打ちした音でハッと我に返って勢い良く首を振った。
「だっ……大丈夫です、シ……すぐに助けてもらえたので」
「シンに助けてもらった」と言おうとして、リヒターの娘のシンシャは亡くなっていることになっているのを思い出し、念のため今この場で『シン』という名前を出すのはやめておく。
それで正解だったようで、リヒターが小さくニッと笑って頷いた。
「でも怖かっただろう? ジュドル君もひどい状態だし、きちんと医者に診てもらったほうがいい。――協会長、彼らを治療が受けられる場所へ連れていきたいんだけど、手配してもらえるかな」
「分かりました、すぐに手配します。準備ができるまでの間は……所長、管理事務所内の部屋を使わせてもらえませんか。特に彼は顔色が悪いし、休める場所が必要そうです」
協会長と呼ばれた男性はやはり精霊術士協会の会長なのだろう。
リヒター親子ほどとんでもないレベルではないが、彼もユークレースらしい見目麗しさである。
――そして、協会長が所長と呼んだ相手は、話の流れからして船舶管理事務所の所長なのだろう。神経質そうな雰囲気の眼鏡の中年男性で、なんとも落ち着かない様子でせわしなく視線を動かしていた。その彼は話しかけられたことに驚き、ビクリと肩をはねさせた。
彼は、先ほどリヒターの娘が亡くなっている(誤解)という話になったときにもひどく驚いていた。そんなにビクビクしていて、船乗りのような荒々しい人々を相手にする所長が務まるのだろうか。
「わ……分かりました。どうぞ、先ほどの応接室をお使いください」
「ありがとうございます――ああ、それと」
リヒターは会長に礼を言うと、紺色のローブの青年を指さした。
「彼と、彼の言う『船乗りの知人』を探し出して、拘束しておいてくれるかな。いくら侵入者を防げない警備隊でもそれくらいはできるよね?」
重役(推定)男性のうちの一人、ふくよかな――たぶん警備を取り締まっているのであろう――男性に向けて薄く微笑んだリヒターの底冷えするような表情は、先ほどシルバーが警備隊に向けたものによく似ていた。
「さあ、じゃあ行こうか皆」
ステラたちのほうを向いたリヒターには先ほどの冷たい雰囲気はかけらもなく、いつもの明るい声で管理事務所を指さした。
(リヒターさんとシンは、間違いなく親子だわ……)
怖……と、若干引きつつステラはリヒターに導かれるまま管理事務所へと向かった。