47. 四十センチ以内
「ねえ、身分証ってなに?」
指輪を見た後の隊長の態度は、単にシルバーがユークレースの一族だからというよりも、かなり地位の高い人物を相手にしているような態度だった。
シルバー自身が先日、『リヒターとは別に動いて、なにかあれば報告するよう言われている』とは言っていたが、もしかして正式に一族の中でもそれなりの地位を与えられているのだろうか。
横に並んだステラが周りを気にしながら声を潜めて尋ねると、シルバーはわずかに顔をしかめた。
「私は諸都合で、次期当主が学ぶのと同等の知識を頭にたたき込まれてるんだ。だからユークレースの内部事情をよく知ってて」
「諸都合……」
当主の座を奪う。またの名をクーデターとも言う。
「そう、諸都合で。それで、半年くらい前から当主補佐の身分証を持たされて色々手伝わされてるんだよ」
「当主補佐!?」
「正直そんな肩書きは迷惑なんだけど、まあまあ役に立ったね」
「まあまあって……」
サニディンの産業に精霊術士はなくてはならない存在だ。その精霊術士のトップであるユークレースの、そのまたトップの補佐などという肩書きがあればそれは警備兵くらいあしらうのは簡単である。
「……そういう身分が証明できるって、なんで先に言わなかったの?」
言ってくれれば、あそこまでひやひやすることはなかったし、そもそも警備兵に囲まれる前に対話を試みることだってできただろうに。
口をとがらせたステラをチラリと脇目で見たシルバーは、フッと小さく笑った。
「困ってるステラがかわいいなと思って見てたら言い忘れた」
「……さすがにそれは嘘でしょ?」
はぐらかされてステラは眉根を寄せる。今のステラにはシルバーの甘い言葉はてきめんに響くものの、それでもさすがにそんな理由では納得できない。
「完全に嘘でもないけど。まあ、忘れてたわけじゃなくて皆をちょっと困らせてやろうと思ってわざと黙ってた」
「困らせるって……なんで?」
「……ところでステラ、一人で外に出ちゃダメだって言われてたよね」
首を傾げたステラの疑問には答えず、シルバーは話を変えてしまう。
またはぐらかされたことに不満を覚えつつも、痛いところを衝かれてしまったステラは「う」と言葉に詰まる。
「はい……屋台は目の前だったし、すぐ戻るつもりだったので油断してました」
うろうろと視線をさまよわせるステラをじっと見つめたシルバーは深い溜め息を落とした。
「私は、一人で出ていったステラにも、一人で行かせたアグレルにも、もちろんステラを連れてったそこの人にも腹を立ててる」
「あ……えっと、ごめんなさい……」
「それに、あんな役に立たない警備兵は、全員川底に沈めてやりたいんだけど我慢したんだ。多少困らせるくらいかわいいものだよね?」
ニコッと笑ったシルバーの目が全く笑っていなくて、ヒエッとなったステラは、自分の口元が引きつるのを感じながら視線をそらした。
「……わ……私が軽率でした……」
「まあ、屋台の店主にヘアピンを渡したのは評価するけど」
屋台の店主はステラの意思を汲んでくれて、シルバーに渡してくれたらしい。そのおかげでステラたちも船も灰にならずに済んだのだ。
後でお礼にいかねばならないな、と思っているステラの肩に、シルバーがトン、と頭を乗せる。
「もう本当に、心配で死にそうだからステラは私の手の届かないところに行かないで欲しい。常に四十センチ以内ね」
「前より二十センチも短くなってる……」
次になにかがあったら二十センチ以内になるのかもしれない。
(最終的にはゼロ距離で、今のジュドみたいにおんぶ移動かな……)
笑えない想像に、ステラは、二度と危険なことはするまいと胸に誓った。
***
船を降りるとレンガ造りの建物の前に軽い人だかりができているのが見えた。
そこは船の荷などを管理するための事務所のような建物で、普段から人の姿が多い場所ではあるが、今はなにか問題が――ほぼ間違いなく爆発のことだろうが――起こったらしく、人々がやや興奮した様子で建物の中を覗いていた。
そして、その建物のすぐ横には一台の馬車が停まっている。その車体には見覚えのある紋章が描かれていた。
「精霊術士協会の馬車?」
「船で問題が起こったから、精霊術士協会の会長が呼び出されたんじゃないかな」
「リヒターさんもいるかな」
「それだと話が早くていいけど。……アグレル、父さんがいるかどうか見てきてよ」
流れるように自然にアグレルを使おうとするシルバーに、船酔いの影響でだいぶ気が立っているアグレルがチッと舌打ちをする。
「なんで俺が」
「私はステラから四十センチ以上離れたら死ぬから」
「死ねよ」
冗談のつもりなのか、もしくは本気なのか、シルバーは真顔で言い放つ。――それに対し、アグレルは殺気立った表情でかぶせ気味に返した。
「……ここで万が一奇襲でもされたときにアグレルは対抗できるの? ステラは戦えるのに捕まったんだよ?」
首を傾げたシルバーに、アグレルは再び舌打ちをした。
「まず、最初にそういう説明をしろ」
「考えれば分かることだから必要ないと思って」
「あーーもう、お前と話してると本当に腹が立つ!」
アグレルはつり上がった目を更につり上げ、人を殺さんばかりの顔で建物のほうへと向かっていった。
「アグレルさん……通報されないといいけど。シン、アグレルさん具合悪いんだからもう少し優しく接しなよ」
「なんか、アグレルは具合悪いときとか怒ってるときとかのほうが話しやすい」
「……あー」
気持ちに余裕のあるときのアグレルはこちらを馬鹿にするような言動を挟んでくるのだが、余裕がないときは会話を簡潔に済ませようとするので普通に会話ができる。
「それは分かるけど、具合が悪い状態で更に怒らせるのは可哀想だよ」
「……大人げなく怒るのが面白くて」
ステラはアグレルの年齢を知らないが、約二十年前に家出したステラの父のことを慕っていたらしいので、二十年前の時点で物心が付いていたはずだ。
となると、少なくとも二十四、五歳は越えていると考えていいだろう。
つまり、ステラたちよりも十歳近く年上なのだ。
「……たしかに大人げないけどさ……」
そんな話をしていると、シルバーに背負われているジュドルの手がピクリと動いた。
「あっ、ジュド――気が付いた?」
「……? んだ、ここ……」
ジュドルはぼんやりとした様子でゆっくりと瞬きをする。
ステラと同じように薬で眠らされていたのか、それとも出血などのショックで気を失っていたのか、とにかくまだ意識はもうろうとしているらしい。
「ジュドル! 良かった……手、手は動く?!」
「手……?」
今までしおしおと黙り込んでいたエリンがそのジュドルの腕にすがりついた。
エリンの必死な表情に、ジュドルは少しだけ戸惑ったようにつぶやいた。
「――ねえ、その前に降ろしていい?」
いい? と聞いておきながら、シルバーは返事を待つことなくジュドルを降ろした。――そして、地面に座り込んだ状態で頭の上にクエスチョンマークを浮かべている彼の前に膝をついてかがみ込んだ。
「腕の傷は治療が終わってる。表面上傷は残っていないけどきちんと動くかは分からない」
「……治療?」
「今は詳しく説明できない。ひとまず、自分で思うように左手が動くか試して」
「……分かった」
だんだん意識がはっきりしてきたのか、ジュドルは硬い表情でじっと自分の左手を見つめた。そして、その左手をゆっくりと握ったり開いたり動かす。
ステラから見れば十分なめらかに動いていると思うのだが、本人の感覚的にはどうなのだろうか。ステラたちが固唾を呑んで見守る中、ジュドルは軽く頷いて見せた。
「……多分、問題はない、と思う」
「うん、いいね。……でも後でちゃんとした検査が受けられるよう手配するよ」
知らず知らずのうちに息を詰め見守っていたステラも、そして真っ青な顔をしていたエリンもジュドルの言葉に安堵の息を吐いた。
それを脇目にシルバーは頷いて、立ち上がる。そしてジュドルに手を差し伸べた。
「――で、結構血を流したみたいだけど自分で立てそう? 立てないならまた担いで運ぶことになるんだけど」
「大丈夫、立てる――」
ジュドルはその手を掴むことなく立ち上がり、そしてよろめいた。結局その腕をシルバーが掴んで支える。
「……わり、ちょっとめまいがした」
「無理はしなくていい。ひどい状態だったから、すぐに全快とはいかないだろうし」
ジュドルはこめかみのあたりを押さえてめまいを振り払うようにゆるく頭を振った。そして改めて周囲を見回した彼は、人だかりのある建物のほうを向いて困惑した顔で眉根を寄せた。
「――今、どういう状況なんだ?」
ステラがその視線を追うと、ちょうど建物の入り口に集まっていた人だかりが割れて、中からアグレルと共に数人の人間が出てくるところだった。
シルバーはやってくる人々を見ながら、ニッ、と酷薄とも取れる笑みを浮かべた。
「ユークレースを罠にはめたはずなのに、騒ぎになる前に爆発が起こって台無しにされた犯人が困ってるところ、だよ」
しばらく忙しかったり花粉症だったりで作業停滞しておりました。北海道の花粉症はいつになれば終わるんでしょう……!
気分転換に進めていた過去作の改稿が概ね完了しましたので、お時間ある方はぜひ-。
九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員
https://ncode.syosetu.com/n4474gu/




