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43. 船

 暑い。

 春なのにアントレルの真夏よりも暑いなんて。

 早く涼しいアントレルに帰りたい。

 お母さんにも会いたいし。

 ああでも、帰ったらもうシンには会えないんだっけ。

 それなら帰りたくないかも。

 ……でもレグランドは暑いしなあ。

 なんか、ものすごく頭が痛くてうまく考えられない。

 それに、ぐらぐらとめまいがする。これも暑いせい?


 ――ねえ、それにしても暑すぎない?

 ――あと、パチパチ火が爆ぜるような音がしてない?


(……っていうか燃えてない!?)


 そこに考えが至った瞬間から、油と焦げ臭い匂いが鼻につきはじめる。

 パッとまぶたを開くと、メラメラと燃え盛る炎が目に飛び込んできて、ぼんやりとしていたステラの意識が一気に覚醒する。


(これはどういう状況!?)


 倉庫の中で無謀にも喧嘩を挑んであっさり負けてしまったところまでは覚えている。その後なにがあったのか分からないが、とりあえず両手両足が縄で縛られている。しかもさっきよりもめちゃくちゃに固く結ばれていて、縄の当たる部分が痛い。ついでに頭も痛いのは殴られたからだろう。

 体を起こしたいが、きつく縛られている縄が邪魔になってうまく起き上がれなさそうだ。ひとまず、視線だけを巡らせて周りの様子を窺う。


 まず一番存在感のある炎だ。

 木の床の上でごうごうと燃えている。まさか木の床で直接焚き火などするはずもないし、誰かが意図的に火をつけたのだろう。ご丁寧に油でも撒かれたのか、やたらと勢いがある。

 次に部屋の状況は――どうやらここは先程の倉庫とは違う場所のようだ。倉庫よりも狭くて、床も壁も木でできている。窓は一つもなくて、部屋の中が明るいのは火が燃えているからだ。木の板の隙間から風を感じるので、すぐに窒息ということはなさそうではある。まあその前に焼け死ぬだろうが。


 ここでとるべき選択肢は、逃げる/火を消す、の二つだが――今のステラの状況ではどちらも無理だ。ならば他の人に頼るしかない。

 ステラの他に、この部屋にはエリンとジュドルがいる。……が、どちらも手足を拘束されて床に転がっていた。

 ジュドルは意識を失っているらしく、ぐったりとしている。さっき見た時点でひどい傷を負っていたので、早く治療をしなければ危険かもしれない。

 もうひとり、エリンは意識こそあるようだが、泣き腫らした目でぼんやりと炎を見つめているので精神的に限界がきていそうだ。


 非常にまずい。口を塞いでいる布をなんとか外して、声を上げれば誰かに気付いてもらえるだろうか。

 誰も気付いてくれなくても、この危機的な状況なら精霊が応えてくれるかもしれない。


(それには布を外さないといけないけど……ああ、頭を殴られたせいか、めまいがひどくて……)


 まるで大きなゆりかごに乗せられてゆっくりゆすられているような、ふわふわとした感覚――。


(いや、めまいっていうよりも……むしろ大きな生き物とか、乗り物に乗せられているような……もしかして、船の中?)


 そう思って改めて周りを見てみれば、木で作られた窓のない狭い空間は本で読んだ船の船室によく似ている。

 部屋の中にしっかりと固定して積んである木箱は、きっと中身のガラス細工が壊れないようにしてあるのだ。

 ここが、昨日シルバーと眺めた大型船の中だとして――気を失ってから数日経っているとかいうことでないならば、出港予定は今日のはずだ。

 背筋にぞわりと冷たいものが走る。

 文字通り火急の問題は火がまわることだが、仮にこの火をどうにかできたとしても、船が動き出してしまえばすぐには戻れない。それにシルバーたちが探してくれていても、岸から離れてしまえば手の出しようがないのだ。


(どうしよう……早くどうにかしなきゃ。それにジュドの怪我だって、早くお医者さんに診てもらわないと、手が使えなくなっちゃうかもしれない)


 何でこんなことに。

 ステラが狙われたからジュドルが巻き込まれたのだろうか。

 リヒターたちと一緒にこの町に来たから?

 ステラがあの時、店で見かけたジュドルに話しかけなければよかった?

 ――ああ、そんなことを考えている暇はないのに。このままではここにいる三人とも焼け死んでしまう。


 火の熱と、頭の痛みと、不安定なゆらゆらのせいで頭の中がぐちゃぐちゃだ。ちっとも考えがまとまらない。

 不意に、ステラの目からほろりと涙がこぼれた。


(これは火のせいで乾燥した眼球を守るための防衛反応だし。……まだ諦めたわけじゃないんだから)


 諦めたらおしまいだ、と自分で自分に言い聞かせる。

 だけど、もしも……万が一これで最期だとしたら。


(……シンに会いたいな……)


 まぶたを閉じるともう一粒涙がこぼれ落ちた。 

 閉じたまぶた越しに炎が赤くゆらゆらと揺れている。

 ……もう一度落ち着いて、方法がないか考えよう。


 その時――真っ赤に染まった暗い視界の中に、ほんのりと白い小さな光が飛び込んできた。


(白? それに、動いてる?)


 不思議に思いながら薄く目を開くと、まるでホタルのような弱く小さな光がステラの目の前でふわふわと浮かんでいた。ステラがじっと見つめていると、その光はくるりと空中で一回転して、フッと消えてしまった。


(今の、なに?)


 目がおかしくなったのかと思ってまばたきをしていると、火の爆ぜる音に混じってかすかに別の音が耳に届いてくる。

 人の声だ、とステラはハッとする。

 喋れなくとも、うめき声を上げれば気付いてもらえるかもしれない。

 外にいるのが犯人じゃありませんように――と、ステラはできる限り大きな声を出すために息を吸い込んだ。


 だが、その息が音になることはなかった。


 ギャシャン、というか、ビシャンというか――なんとも形容しがたい音が部屋の中に響き渡って、ステラはせっかく吸い込んだ息を驚きとともに「へ?」と吐き出してしまった。

 ぼんやりとしていたエリンも驚いた顔で音の出どころ――入り口に目を向けている。


「まるごと砕く奴がいるか! ――って、なんだこれ」

「火を消せ」


 苛立った男の声を遮って少年の声が響く。

 そのたった一言で、あれほど激しく燃え上がっていた炎がみるみるうちに勢いを失い、あっという間に焦げた跡だけを残して完全に鎮火してしまう。

 体が動かせないステラからは入り口がよく見えないので、声の主が誰なのかを確認することができない。

 でも、それは今一番聞きたかった声だった。


(シン……?)


 聞こえてきたのは間違いなくシルバーの声で、そしてもうひとりのイライラしている男はアグレルだろう。


「ステラ!」


 駆け寄ってきたシルバーが、ステラの上体を抱き起こし、口を塞いでいた布を外してくれる。

 あまりにも会いたくて幻を見ている可能性も……? と、ステラがじっと見つめていると、彼はその整った眉をひそめてステラの頬をなでた。


「怪我してる……今縄を切るけど、痛いところない?」

「……平気、だけど待って、シン。私よりもジュドがひどい怪我してるの。早く医者に連れていかないと」


 不格好に腕をぐるぐる巻きにしている縄へと手をかけたシルバーに、ステラは首を振り、かろうじて動かせる指先でジュドルがいるはずの方向――ちょうどシルバーの体が邪魔で見えなかった――を指し示した。が、シルバーは全くステラから離れる気がないらしく、首だけをそちらに向けて「……だってさ、アグレル」と声をかけた。


「今みてる。……左手ばかりひどくやられてるな」


 すでにジュドルの近くにいたらしく、ため息交じりのアグレルの声が応じる。

 左手……とステラは歯を噛み締めた。


「ジュドは左利きなの。硝子細工ができなくなっちゃう……」

「ああ、例の職人か……」


 アグレルの声には苦いものが混じっている。状態が良くないのだろう。

 その言葉に反応して、エリンがかすかに身動ぎしてうめき声をこぼした。


「治療が必要なら急ごう。……そっちの人はどうする? ステラを攫ったのってその人でしょ」


 ステラの縄を切り終えたシルバーは声のトーンを落とし、ちらりとエリンの方を見てからステラに視線を戻した。


「それはそう……なんだけど」


 縄の跡が赤く残る手首をさすりながら、ステラは頭を悩ませる。

 エリンのここまでの様子をみるに、ジュドルに怪我を負わせたのも、ステラを巻き込んだのも彼女の意思ではないのだろう。しかもステラたちと一緒にこの部屋に転がされて火をかけられているということは、結局彼女も利用だけされて見捨てられてしまったということだ。

 ここでこれがリヒターあたりだったら、この展開すらも計算ずくで、実は今もなにか企んでいるのかも……となるところだが、エリンに関してその心配はないだろう(と思いたい)。

 何にせよ、あまり悩む時間はない。ステラは立ち上がろうとして、膝の力がうまく入らずによろけた。


「大丈夫?」


 崩れ落ちそうになる体をすかさずシルバーが抱きとめてくれる。

 恐らく薬で眠らされたのだろう。体の力がうまく入らず、若干気持ちがふわふわするのはその効果が残っているせいだと考えるのが自然だ。

 倉庫で殴られたような覚えはあるが、別の場所に運ばれても気付かないほど完全に意識を失っていたとしたら、さすがに脳に損傷があるレベルかもしれないのでそれはあまり考えたくない。

 

「あ、ありがとう」


 そう、気持ちがふわふわするのも、心臓がバクバクするのも薬のせいだ。

 決して、シルバーが軽々と支えてくれたことにキュンとしたからではない。

 ――こんな場面でときめいてしまったという若干の後ろめたさをごまかすためにコホンと咳払いを挟んでから、ステラはシルバーの手を借りながらエリンの側まで行き、彼女の脇に腰を下ろす。

 ステラが近くに来たことでエリンはビクリと体を震わせた。

 ぎゅっと体をこわばらせたエリンの口元から、その口を塞いでいた布を解いてやる。


「エリンさんはジュドを人質にされてたんですよね。私を連れていったらジュドを開放するって言われたんでしょ?」


 エリンは蒼白な顔でステラを見つめ、少しの間ためらうように口をはくはくと動かしていたが、一度ギュッと口を結んでから決心したように話し始めた。


「私があそこにジュドルを連れていったの。ステラちゃんを巻き込むつもりなんてなくって……」

「ジュドを連れていった? あの倉庫に?」


 首を傾げたステラにエリンが頷いた。

 どう考えても遊びに行くような場所ではないので、仕事だろうか。逢引――としては場所がハードすぎる。


「はじめは、悪ふざけのつもりで……工房のヤツから、ジュドルをからかってやろうって言われて……。でもいざ行ってみたら知らない人たちがいて、雰囲気がおかしくて……ステラちゃんを連れてこないとジュドルの腕を潰すって……」


 エリンの説明はたどたどしく、動揺と混乱がひしひしと伝わってきた。

 その要領を得ない内容にアグレルが舌打ちをして、強い口調とともにエリンを睨み――睨むつもりはなく、見ただけかもしれないが――つけた。


「時間が惜しいから結論だけ聞く」


 その視線にエリンは再びビクッと体を震わせた。


「つまり、お前はこの男を傷つけるつもりもステラ・リンドグレンを巻き込むつもりもなかったんだな」

「な、ない! なかった、です。こんなことになるなんて考えもしなかった!」

「ならいい。なら、ここから見聞きすることは絶対に他言するな。いいな?」

「は……? はい……」


 睨みつけるアグレルの迫力に鼻白んだエリンはこくこくと頷く。それを確認したアグレルは、今度はシルバーに視線を向けた。


「シルバー、部屋の外で誰も近づかないように見張ってろ。治療をする」

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