40. 世界の全てが鮮やかに
クリノクロアとダイアスは精霊の恩恵を受けられないという点でよく似ている。
その二つの家系の決定的な違いは、クリノクロアが精霊に恐れられつつも敬われているのに対し、ダイアスは徹底的に嫌われているというところである。
例えば精霊術で攻撃された場合、クリノクロアの人間であればほぼ無効化されるのだが、ダイアスの人間は通常よりも大きなダメージを受ける。全く同じ攻撃であっても、ダイアスが受けるときだけ威力を増すのだ。
さらに、クリノクロアの人間が精霊術を使っている人に近づいた場合は精霊が逃げ出すため術の威力が弱まるのだが、ダイアスの場合は精霊たちが苛立つため術が制御しにくくなる。術が暴走してけが人が出たという事故も過去に数回起こっているらしい。
そんなダイアス家だが、彼らには精霊の恩恵と引き換えに手先の器用さと、他の追随を許さない創造力があった。
彼らはドレッセルという街を拠点にして機械製品の開発に力を入れ、現在は『精霊術が使えなくても便利な暮らしを』というモットーを掲げて主に精霊術士の少ない地方部で顧客を増やしているのだという。
「そのダイアスの人が……ユークレースへの嫌がらせのために子供を連れ去って、サニディンの工房からお金を巻き上げてるんですか?」
「たぶん。――でも横領の実行犯は協会内部の人間だろうから、尻尾をつかむのは難しいと思う。ダイアスは口もうまいから、甘い話で唆して他人を動かすのも得意なんだよ」
「内部の人を唆して横領させて……そのお金が目当てっていうわけではないですよね。そんなに巨額ってわけでもないし、わざわざそんな面倒なことをするメリットが分かりません」
自分が手を汚さないとしても犯罪は犯罪だ。関与をうまく隠し通すのだって労力が必要なはずである。首を捻るステラに、リヒターは困ったように笑った。
「狙いは協会の信用に傷をつけることかな。横領を続けて、ある程度事態が深刻になったところで、第三者を通じて告発するんだ。工房の人々の協会に対する不信感を煽って、二者の関係に溝を作るのが目的だろう」
「つまり協会に打撃を与えたい?」
「そう。うまくいけば精霊術士協会は顧客をごっそりと失って解体することになるかもしれない。そうしたらユークレースは今まで収められていた収益の一部が入らなくなる。加えて、ここの協会に所属している精霊術士たちが一度に路頭に迷えばそれを保護するユークレースも大きなダメージを避けられない」
「でも、関係に溝ができても、船の運行や炉の火力調節には精霊術士の力が必要ですよね? 顧客がごっそりいなくなるってことはないんじゃないですか?」
「そうだといいんだけど、そこに代わりとなる技術を提供するのがダイアス家のやり口だよ。新型の電気炉や高効率の内燃機関を積んだ船なんかを売り込んでくるだろうね」
「……なるほど」
ステラはむうと眉を寄せた。
きっとステラが知らないだけでダイアスとユークレースの争いが何度もあったのだろう。リヒターはどこか諦めたふうだし、シルバーに至っては興味を失ったらしくステラの髪を編み込みにして遊んでいる。
ダイアスはダイアスで、自分たちの生きやすい世の中を作りたいのだろう。それは理解できるし、地方部に精霊術士の素質を持った人間が少ないことを考えても、いつかは精霊に全く頼らずに暮らす世の中が来るのかもしれない。
だが――やり口に問題がありすぎる。
簡単に言ってしまえば、犯罪教唆して問題を起こし協会と工房を反目させ、その隙に自分たちの製品を売りつけようとしているわけだ。ダイアスは憎いユークレースに損害を与えて、かつ製品の売上で利益を手にすることができる。
損をするのは真面目に働いていた精霊術士と、新しい機材の導入費用を工面しなければならない工房。
それにもちろん、現在行方不明になっている少女の無事も気になる。
「とりあえず僕にできることは、ダイアスが次の手を打ってくる前に横領を明らかにして、関係者を処罰して、協会と工房との関係悪化を防ぐことだ。ステラのお陰でコールスさんの信用と協力が得られたから状況は悪くない」
「コールスさんにお願いしたのはジュドだし、ジュドに話を持ちかけたのはシンだから私の手柄じゃないですよ」
ふるふると頭を振ると、髪を編み込んでいる途中だったシルバーにガシッと顔の方向を固定されてしまう。
「ぐえ」
「ステラがいなかったらジュドルは話を聞いてくれなかったよ」
再び髪をいじりながら、シルバーがつぶやく。
「そうかな。ジュドは曲がったこと嫌いな性格だから、不正の証拠を調べるって説明したらなんとかなったんじゃない? それとか他の――例えばアデルさんにお願いするとか」
「ジュドルは野良猫みたいに警戒心が強い。ステラが私に気を許してたから会話に応じたんだよ。それに、そういうジュドルが話を持っていったから工房の人たちも協力してくれた」
「野良猫かぁ……ジュドはどっちかっていうと猫よりも犬っぽいけどな」
ジュドルを動物に例えるなら、自由気ままな猫よりも、気性は荒いが飼い主に従順な大型犬のイメージだ。
ステラがそう言って笑うと、シルバーはムッとした顔で――恐らくわざと――髪の毛を一本、ピッと引っ張った。
「痛っ」
「犬なら野良犬」
「どうしても野良にしたいんだね……」
「そんな犬のことよりもステラ、髪の毛編み終わったから出かけようよ」
「え? 出かけるの? 今から?」
「うん。昨日ランプ間に合わなかったし、船も見てない」
シルバーの言うとおり、昨日はジュドルとの話が終わって店を出たらすでにランプが煌々と光を放っていた。それが目的だったというのに、肝心の一斉点灯の時間に間に合わなかったのだ。そして、暗くなってしまっていたので船の見物も諦めたのだ。
「行く! ――リヒターさん、行ってきてもいい?」
「いいよ。気をつけてね。大きな船は明日出航するっていってたから今日が最後のチャンスかもね」
「じゃあ急がなきゃ!」
ぴょこんと立ち上がったステラは、シルバーを追い立てるようにせかしながら再び町へと繰り出した。
***
外は薄闇が落ち始める時刻で、仕事帰りの人と観光客とが入り混じって路地に並ぶ屋台を賑わせていた。
ランプの点灯時間ははっきりと決まっておらず、その日の点灯担当者の気分次第で前後するらしい。そのため、観光目的の人々は暗くなり始めると、いつになるか分からないランプの点灯を待ちながら、なるべく多くのランプが見えるスポットを探して街の中を練り歩くことになる。そんなふうに彷徨う人々目当てに屋台がひしめき合うのだから、大通りは昼間と比べ物にならないくらいの賑わいを見せる。
とはいえ、街が見渡せる高台や、建物の影がかかって特に美しく見える路地――などの絶好のスポットは当然すでに有名になっているので、大半はそちらへ集中する。
つまり、無秩序な群衆と見せかけて、実は有名スポットへと向かういくつかの大きな流れがあるのだ。
そんなことを知る由もない辺境出身のステラは、為す術もなくその流れの一つに巻き込まれ、あっという間に連れ去られてしまった。
「予想はしてたけど、面白いくらい見事に流されてたね」
「……予想してたんだ」
すぐに気付いたシルバーが腕をつかんで引っ張り出してくれなければ、今頃ステラはもみくちゃにされてボロボロの状態で高台の上から一人さみしく街を見下ろしていただろう。
早々に移動を諦めて壁に寄りかかっていると、頭上でほわりと優しい光が灯った。視線を上げると、目の前で街中に吊るされたランプに次々と光が宿っていく。
「あ、ついた」
さっきまでほんのり暗かったというのに、今は見回す限りどこもオレンジの暖かな光で照らされている。その幻想的な光景にあちらこちらからため息のような歓声が上がった。ステラも思わず声を弾ませる。
「すごい! こんなにいっぱいあるのに本当に一斉に灯りがつくんだね」
たくさんのランプにどうやって一斉に灯りをつけているのか、という方法はリヒターに教えてもらって知っているのだが、それでも自分の目で実際に見ると迫力が違う。ステラが興奮気味にシルバーを見上げると、彼もやや興奮していたらしく、いつもとは違う無防備な笑顔が返ってきた。
「うん。ここまで数が多いと壮観だね」
「そうだね……」
(あれ?)
珍しく年相応の無邪気な笑顔を見せたシルバーの、白金の髪がランプの光でキラキラ輝いている。
――いや、髪だけではなく、なんだか全体的にキラキラして見える。
(ランプの光のせい? それとも目がおかしい?)
瞬きをしてみても、手の甲でぐしぐしと目をこすってみても見え方は変わらない。
「ステラ大丈夫? 目にゴミが入った?」
心配げなシルバーの手が伸びてきて、ステラの頬にそっと触れる。
その瞬間に。
ドクンと一つ大きく心臓が脈打って、
目に映る世界が鮮やかに色づいた。
「あっ……ち、違うの、大丈夫」
原因不明だけど、世界の全てが鮮やかに輝いて見えるだけだから。
そんなことを言えるわけもなく、ステラは咄嗟に背をそらしてシルバーの手から逃げ出す。
そして両手で顔を覆ってうつむいた。
とにかく、落ち着いて事態を把握しなければ。突然色彩を感じる力が向上したわけではないだろう。それに、今まで見えていた世界がくすんでいたわけでもないはずだ。だからきっと――これは、ステラの気持ちの問題である。
(恋に『落ちる』って、こういうことか……!)
でも、なぜ、急に、こんなふうに。
というよりもむしろ今まで、どうしてなんとも思わずに、あんなに平気な顔で隣にいられたのかが分からない。
落雷のように自覚してしまった恋心のせいで、今はまともにシルバーと会話できる気がしない。
とにかく一旦落ち着こう。落ち着こうと考えるのは二回目なのが落ち着けていない証拠だ。こういうときは遠くに目を向けるのがいい。大通りを歩く人たちを観察してみるのもいいだろう。
そう思ってこっそりと深呼吸しながら視線を通りへ向けると、前を通る人々がかなりの確率でこちらに目を向けているのに気付いた。こちらに、というか――皆、シルバーを見ているのだ。
(そりゃあ皆、こんな美少年がいたら見ちゃうよね!)
わかるー。とステラが頷いている脇で、手を避けられてしまったシルバーは所在なさげに手を下ろしてステラの視線を追い、そして特に頷くような要因を見つけられないままステラに視線を戻した。
「どうしたの? いつも以上にちょっと変だよ」
さらりと失礼な言葉を挟みつつも、シルバーは心配げにステラを見つめて小さく首をかしげた。女の子のふりをしていた名残でやや女性らしいその動きが、彼にかかるとやたらと色っぽく見える。
そして、ちょうどこちらに向かって歩いてくる少女の二人組がシルバーのそのしぐさに気付き、ちらちらと視線を向けながらきゃあきゃあと小さな歓声をあげているのが耳に届いた。
その瞬間、ステラの中でなんともいえない不快感がこみ上げてくる。
「……シン」
シルバーの視線がその少女たちの方に向かないように。彼女たちが一番近くに差し掛かる少し前に、彼の名前を呼んで手を握った。
「――手、繋がないんじゃなかったの?」
ステラの突然の行動に目を丸くしたシルバーが呆然とした様子でつぶやく。
「…………人がいっぱいいるし、きっと精霊だっていっぱいいるからちょっとくらい分かんないよ。だから、いいの」
決まり悪げに口をとがらせたステラの言い分にシルバーはぱちぱちと瞬きをして、それからふふっとくすぐったそうに笑った。
「そうだね。――このまま、人の多い通りを選んで帰ろうか」
「うん」




