39. 悪いユークレース
階段を降りて、工房に続く扉の取手に手をかけたエリンがニヤリと笑みを浮かべながら振り向いた。
「ね、ステラちゃんはシルバー君と付き合ってるの?」
「いえ!? 全くそんなことないですけど!?」
若干嫌な予感がして足を止めたステラは、予想外の内容に思わず声を裏返らせた。
「ふーむ、じゃあジュドルにもまだ望みはあるってことかな?」
「ジュド? ……がなにか?」
『望み』の意味が分からずにぱちぱちと瞬きをしながら首を傾げたステラの様子を見て、エリンは「あちゃあ……」と額に手を当てた。
「あー……ないのね……ううん、気にしないで。ええっと、ジュドルとは幼なじみなんだっけ」
「はい。ジュドは村の子供の中で一番年上だったので、近所の子供たちをまとめて面倒見てたんです。私もその中の一人です」
「なるほど、あいつ面倒見良いもんね」
「そうですね。私は年が近かったから結構意地悪されましたけど、小さい子には優しかったから人気ありましたよ」
「年が近かったからか……ジュドルってばヘタレだなあ」
エリンは苦笑しながら扉を引き、足を踏み入れると同時に工房の中の人々に向けて大きな声で呼びかけた。
「はーい、注目。ジュドルの幼なじみちゃんが見学に来たよー」
「えっ」
工房見学というので、職人たちが作業しているのを端っこの方で見るだけだと思っていたステラは、四方から一気に注がれた視線にヒエッと固まる。
「お、噂の?」
「おー、ホントに同じ色じゃんすげえ」
固まっているステラにはお構いなしに、ちょうど休憩中だったらしい職人たちがわらわらと集まってくる。それも口々に「この子が例の」とか「噂の幼なじみか」とかいう言葉をかけてくるのだ。
「あの……噂って?」
リヒターやシルバーがその美貌で噂になるなら分かるが、ステラはジュドルと知り合いだというだけで、噂になるような要因が思い当たらない。もしもジュドルがステラについてなにかを言うとしたら、恐ろしく不器用、料理が壊滅的、武器を隠し持っている、のうちのどれかだろう。――まあ最後のは少し話題になるかもしれない。
「ジュドルの作った『春』の花の色が――ぐえ」
ステラの問いかけに答えようとした職人の喉からカエルが潰れた時のような声が漏れた。駆け寄ってきたジュドルに後ろから襟首を掴まれ、力いっぱい引っ張られたのだ。
「なんでもない。はい散った散った! 仕事しろよ!」
ジュドルは襟首を掴んだ手を離し、シッシと手を振って追い払おうとする。首を絞められた職人の男は首をさすりながらジュドルに恨みがましい目を向けて口を尖らせた。
「何だよヘタレめ」
「うるせえ!」
職人に怒鳴ったジュドルの額を、エリンがペチンと叩く。そして彼女はステラをビシッと指差して眉を吊り上げた。
「もう、大きな声出すなって。ステラちゃんが怖がるでしょ。さっきも事務室でオーナーが怒鳴りまくるからステラちゃん怖がってたんだよ?」
「……怖がる?」
お前が? とばかりに疑わしげな目を向けられ、ステラは肩をすくめた。
「怖いっていうか、びっくりした」
「ああ、声がでかいからな。そんなの怖がるほど可愛げはないよな、お前」
鼻で笑ったジュドルの態度に、エリンが「はあー?」と眉を吊り上げた。
「女の子に向かってなんて言い草なのさ。美少年くんはステラちゃんを心配して『休憩してきなよ』って声をかけたってのに、どうしてジュドルはそういう気遣いできないのかね」
「何でそこであいつが出てくるんだよ。余計なお世話だ」
腰に手を当てたエリンに下から睨まれて、ジュドルは顔をしかめた。そのジュドルの肩を、横からやってきた別の職人がまるで慰めるかのようにぽんぽんと叩く。
「男は見た目じゃないってジュドルを励まそうと思ったのに、美少年君、顔がいい上に優しいなんて完璧すぎじゃん。完全に負けじゃん」
「まじうるせえ……」
ジュドルは苛立たしそうに頭をガシガシとかきながら、はああ……と深い溜め息をついた。
そして職人たちを無視することにしたのか、肩に置かれた手を振り払ってステラの方に体を向けた。
「そういえばステラ。お前なんであいつらと一緒にいるのか、昨日ちゃんと答えてないよな。なにがどうしたら辺境の一村人が、あんな超有名な一族と一緒に行動することになるんだよ。なんか厄介事に巻き込まれてないだろうな」
蒸し返された質問にステラは眉根を寄せる。心配してくれているのはありがたいし、説明をしようと思えばできるが――。
「うーん、あえて言うなら……うちのお父さんのせい?」
「……え……おじさん、見つかったのか?」
「ううん、まだ。でもお父さんの実家の人が来て……ちょっとね、色々。ユークレースの人たちにはその関係で縁があって助けてもらってるんだ」
ステラの父親が失踪していることは当然ジュドルも知っている。こうやって濁しておけば空気を読んでこれ以上突っ込んで聞いてこないだろう。そう踏んでステラが意味ありげな伏し目をしてみせると、予想通りジュドルはきまり悪げな表情を浮かべた。
「あー……まあ色々あるか」
周りの人々も短い会話の中からなにかしら察したらしく、顔を見合わせていた。
(おっと、ちょっと微妙な空気にしすぎちゃったかも……)
「うん。――ね、そんなことより、せっかくだからガラス細工してるところ見たい」
「お、おう」
ステラが、全然落ち込んでませんよと言う代わりにニッと笑顔を作って明るい声をだすと、皆ほっと頬を緩めて「じゃあ仕事するかあ」とそれぞれの持ち場に戻っていった
***
しばらく作業を見学させてもらい、ついでに吹き硝子を体験させてもらって――残念ながらその硝子は膨らむことなく、ぐにゃりと曲がってしまった――から事務室に戻ると、そちらの作業はほぼ佳境に差し掛かっていた。
ステラのいない間に手の空いたアデルが手伝いに入り、ベテランの実力を余すことなく発揮してくれたらしい。
「結局成果はどうだったんですか?」
宿に戻って男性陣の部屋を訪ねたステラはベッドに腰掛けると、早速気になっていたことを尋ねた。
ただ言われるままに数字を比較して、合わないところがあったら日付や明細を書き留めていただけのステラには事態の全容が全くつかめなかったのだ。自分が役に立っていたのかどうかすらも分からない。
まだ何事かの書類仕事をしていたリヒターが手を止め、ステラを見て微笑んだ。
「うん、上々だよ。他の工房でも同じような記録が出てきたら尚良しって感じだね」
他の工房といってもどこが信用できるのかリヒターたちには分からない。だが、今回協力してくれたオーナーのコールスが仲間に声をかけてくれると請け負ってくれたため、少しの間その返事待ちをすることになっている。
「でも……不正な金銭の流れが見つかったっていうことは、協会の人が横領してたってことですよね。トップがユークレースってことは、例の悪いユークレースの人ですか?」
ユークレース一族の中にはよからぬ人たちがいるらしいので、きっとそういう人たちが横領したのだろう。
そう思って聞いたのだが、リヒターは笑いながらかぶりを振った。
「悪いユークレースって。ま、一族の中にろくでもないのがいるのは確かだけど、さすがに大事なビジネスをまとめる立場におかしな人間は選ばないよ」
「あれ。じゃあ下の人たちが隠れて悪いことをしてたんですね。……それはそれで、監督責任がありますけど」
「なかなか厳しいけど、そのとおりだね。――でも、責任者をかばうわけじゃないけど、本来は優秀な人間なんだ。ただ……半年くらい前に娘さんが家出しちゃったらしくてね。夫婦揃ってショックで倒れてしばらく寝込んだらしいんだ。今まで厳しく監視していたトップと、会計を掌握していた奥さんが一緒に数日間不在になっちゃって、その混乱の隙を誰かに突かれたって感じでさ」
「家出……?」
横領を見逃した原因が、まさかの家庭内不和の混乱によるものだとは。
確かに大変ではあるが――さすがのステラも呆れて次の句が出てこなかった。
「家出娘が心配なのは分かるが……そのくらいで二人揃って何日も寝込むというのはさすがにオーバーというか、過保護すぎじゃないか?」
興味なさげにしていたがきちんと聞いていたらしいアグレルもステラと同じように呆れた表情を見せていた。それに対して、リヒターは「言いたいことは分かるよ」と頷いて苦笑を浮かべた。
「普通ならそうだね。でも理由が……駆け落ちなんだよ」
その言葉で、ステラの隣に座っていたシルバーが珍しく「は!?」と驚きの声を上げた。
シルバーは外でくっつけない分を補うつもりなのか、現在はぴったりとステラの横にひっついている。相変わらずのゼロ距離だ。
「あそこの娘って、十代前半――少なくとも私より年下だろ?」
「そうだよ。正確には十二歳だ」
「じゅうにっ……!?」
リヒターが口にした数字に、ステラは自分の耳を疑う。
アグレルもぽかんと口を開けて、うめくようにつぶやいた。
「そりゃあ……寝込むのも仕方ないな」
「だよねえ。ちなみに相手は自称船乗りの青年で、多分二十歳過ぎ。二人が連れ立って船に乗っていくのを見た人がいて、その船の寄港先を中心に現在も捜索中。……運命的な出会いで恋に落ちて、出会って数日で結婚するって言い出して、それで反対されて思い余って駆け落ちっていう流れだったと」
出会って数日の男性と結婚――お互いが大人であればそういうこともあるかもしれないし、情熱的だと思えなくもない。
だが、一方は十二歳の少女で、もう一方は成人男性ときたら……それはどう考えても反対されるだろう。
「……相手の男性はまともな人なんですか……って、まともな大人は十二歳の子供を連れていかないですよね……」
「はは、どう考えてもまともじゃないだろうね。ほぼ間違いなくユークレースの特徴をよく知ってる人間が仕掛けた罠、要はハニートラップだ」
「混乱を招くために十二の子供を口説いて連れ去ったんですか……? それにユークレースの事情を知っていてよくもそんなことを……」
ユークレースの呪い――精霊の寵愛を受ける代わりに一人の人間しか愛せない。
相手が自分を利用することだけを目的としていても、ユークレースの血を引く少女が甘い言葉を囁かれて本気でその男を愛してしまっていたなら、彼女はもう他の相手を愛することができないのだ。
幼い少女に対して、あまりにも残酷な仕打ちだ。
「犯人の目星はついてるのか?」
「今のところ証拠はないけど……糸を引いてるのはダイアス家だろうなと考えてる。まあその後ろもあるかもだけど」
「ダイアス家って、何ですか?」
初めて聞く名称にステラは首を傾げる。案の定アグレルからは「そんなことも知らないのか」と言わんばかりの視線が飛んできたが、知らないものは仕方がない。
「ユークレースと敵対してる家だよ。この国には特殊な能力を持ってる家系がいくつかあるって前に教えたの覚えてるかな?」
「はい」
「ダイアスもその一つでね。手先が器用で物作りに長けている人たちなんだけど、彼らは精霊術の恩恵を一切受けられないんだ」
クリノクロアが自身の生きる時間を犠牲にして精霊を救わなければならないのと同じように、特殊な能力を持っている家系はなにかしらの『呪い』ともいえる業を背負っている。
リヒターの言い方からして、ダイアスにとっては、精霊術の恩恵を受けられないというのがそれに当たるということらしい。
「それがダイアスの呪い?」
「そう。だから、彼らはユークレースが嫌いなんだよ」
八つ当たりだけどね、とリヒターは苦笑した。




