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3.小鬼

「へ?」


 つられてステラもリヒターの視線を追いかけるが、特になんの動きも気配も感じない。――だが、数拍置いたあと、確かに遠くの方からガサガサと音が聞こえ始めた。

 ステラもよく山に出入りしているため、気配に聡い方だと思っていたのに。……精霊が教えたのだろうか。少し悔しい。

 ステラがムッと口を曲げているところにやってきたのは、アントレルで猟師をやっている老人、ガイロルだった。


「そこにいるのはコーディーのところの小鬼か」


 村でも熟練の猟師であるガイロルは、すぐに撃てるよう構えていた銃を下ろして、じろりとステラを(にら)んだ。


「それと……お前は外の人間だな」


 続けてリヒターに視線を移し、不審人物だと言わんばかりに眉間のシワをぐっと深めた。元々怖い顔のガイロルは、シワを寄せるとさらに恐ろしげな顔になってしまう。

 普通の人だったら及び腰になるところだが――。


「どうも、はじめまして」


 まったく気にした様子もなくにこりと微笑んだリヒターに、ガイロルの眉間のシワはなおさら深くなってしまった。

 やっぱり不審人物だよねえ、と苦笑いしつつ、ステラは口を開いた。


「ガイさん、この人は私が狼に襲われてるところを助けてくれたの」

「狼だと?」

「うん、二頭」

「このへんをうろついてるって言われてたヤツか……。そいつはどこに行った」

「精霊術で吹っ飛ばされて、向こうの方に走っていった。たぶん怪我はしてない。びっくりして逃げてったから、しばらく人の気配がするところには来ないと思う」

「……そうか。近くで銃声がしたから村の方で軽い騒ぎになっている。あれが精霊術の音か」

「ごめん、音出したのは私。猟師のみんなが異常に気づいて来てくれるだろうし、ついでに運がよければ怯んで逃げてくれるかと思って」


 ダメだったけどねと笑いながら、ステラは木の幹に刺さったままのナイフの柄を握った。

 大事な採集道具で護身道具だ。回収しようと力を込めて引っ張る。


「……っ!」


 だが、ステラが渾身の力で引っ張ってもびくともしない。

 慌てて蹴り飛ばしたので、思った以上に深く刺さってしまったらしい。


「うぐぐぐ……っ」

「なにをやってる。どけ」


 ため息をついたガイロルはステラを乱暴に押しのけ、ナイフの柄を握って引き抜いた。

 ステラがあんなにがんばっても木の一部のように動かなかったナイフは、先ほどまでの頑固さを忘れてしまったのか、拍子抜けするほどスッと抜けてガイロルの手に収まっていた。


「ありがとガイさん」

「コーディーが心配して青くなってたから、早く戻って安心させてやれ」


 ガイロルはナイフをステラに返しながら、あごで村の方を示した。


「ああー、しまった。戻らなきゃ」


 ステラは村の方に駆け出そうとして、ハッとリヒターを振り返る。


「……あっ、ユークレースさんはしばらく村に滞在します?」

「うん? そうだね。……と言ってもそんなに長くはいないけど」

「精霊の話を聞きたいです。あ、もちろんなにかお礼もしますから! ではまた!」


 最後の言葉を言い切らないうちに身を翻し、ステラは村へ向かって走り出した。


 ***

 

「足が速いなあ」 


 リヒターは、慌てた様子で走り去っていく少女の背を見送りながら、名前を聞きそびれたな、と肩をすくめた。

 しかし、本人が精霊術について知りたがっていたのだからまたすぐ会うことになるだろう。小さな村であるアントレルには宿屋は一軒しかないと聞いている。行き違うこともないはずだ。

 そう考え、リヒターは微妙に自分から離れた位置を保っているガイロルに目を向けた。


「僕はリヒター・ユークレースと申します。貴殿はアントレルの方ですよね? ……失礼ですが、一つうかがっても?」


 顔にいつもの笑みを貼り付けてそう聞くと、ガイロルは片眉をピクリと動かした。


「ユークレース、か。……聞きたいこととはなんだ」

「先ほど彼女のことを『小鬼』と呼んでいましたが、その理由をお聞かせいただけますか?」


 リヒターはまっすぐにガイロルを見る。笑みは無意識のうちに消えていた。


「理由だと?」


 ガイロルはふっと鼻で笑った。


「アントレルでは、いたずらばかりして手のつけられない子供を『小鬼』と呼ぶんだ。心配せずとも、村にはあの娘の他にも何匹かいる。あんたが考えているような理由じゃあない」

「ああ……なるほど」


 リヒターはガイロルの言葉にほっと息を吐き、表情を和らげた。


「すみません、精霊があまり身近ではない地域の中には、精霊術を使う者を迫害する場所もあるので……」

「あの娘の父親が精霊術について詳しくて、知識を啓蒙していたからな。術士をうらやむ者はいても迫害する者はおらん」

「それならよかった」


 だがそうなると、もう一つ疑問が浮かぶ。


「……それにしても、彼女はそんなに手のつけられないような子には見えませんでしたが」


 普通の村娘にしては、狼を前にして冷静に立ち回りすぎていた気はするが……アントレルのような環境で育てばそれが普通なのかもしれない。

 そう思いながら首をかしげたリヒターに、ガイロルは(いか)つい顔をさらに厳つくしかめた。


「確かに、今は少し落ち着いたな。……だが、あれがチビだった頃は出かける男たちの荷物に紛れ込んでみたり、気配を潜ませこっそりと後ろをついてきたりして猟師たちを困らせてたんだ」

「それは……困りますね」


 ガイロルの言う『チビ』がどのくらいの年齢を指しているのかはわからないが、気配を潜ませて猟師を追跡する子供がいたら、『小鬼』と呼びたくなるのも無理はない。

 軽く頬を引きつらせたリヒターを横目で見て、ガイロルは深くため息をついた。


「あの小鬼が男だったらよかったんだが。あの度胸があればいい猟師になっただろうに」

「……アントレルの森の奥には女性を喰らう竜が眠っていると聞きますが、女性が猟師になれないのはそのせいですか?」

「ああ。本当かどうかはわからんがな。そんな昔話のせいであの小鬼は森に入れない。全く迷惑な話だ」

「まあ、そういった荒唐無稽な昔話も、なにかしら原因があったりと、作り話ばかりではないのがやっかいなところですね」


 リヒターの言葉にガイロルはフンと鼻を鳴らした。


「一旦戻る。あんたも村に行くだろう? 案内する」


 そう言い捨て、リヒターの返事を待たずに、来た道を引き返し始めた。


 ***


 ステラが小走りで村に戻ると、広場に数人の村人が集まって深刻な様子で話をしているのが見えた。

 その中に母であるコーディーを見つけ、ステラは駆け寄る。


「母さん」


 声をかけられたコーディーは駆け寄ってきた娘の姿を見て一瞬固まり、それからハッとした顔でステラの両肩を掴んだ。


「ステラ! ……ああ……あなた、大丈夫なの? 禁猟区の方から銃声が聞こえたっていうから、みんなで『狼が出たんじゃないか』って心配してたのよ! あなたは戻ってこないし……」

「ごめんなさい。大丈夫……運悪く狼に会っちゃったけど――」

「狼に会った? 大丈夫なの⁉腕や足を食いちぎられたりしてない⁉」


 コーディーは目に涙をたたえ、掴んだステラの肩をガクガクと揺さぶった。もしも本当に食いちぎられていた場合、そんなに揺らしたら怪我に障ってしまうが、それだけ心配していたのだろう。


「ちょっと、母さん落ち着いて、腕も足もつながってるでしょ!」

「そうね、――ええ、ちゃんとつながってるわ。つながってるわね……ああ、もう、だから森に入るなって言ったでしょう? ステラまでいなくなったら、私はもう生きていけないわ……」


 ――ステラの父は十年ほど前のある日、なんの報せも残すことなく、突然姿を消してしまった。

 それから今に至って便りの一つもなく、生死すらわからない。

 父が消えてから、ずっと母子二人で支え合って暮らしてきたのだ。ステラまでいなくなれば、元々親族が他にいないコーディーは完全に一人になってしまう。

 広場で待っている間も不安だったのだろう、母の体は震えていた。

 ぎりぎりと万力のように力強く抱きしめてくるコーディーの背を、ステラはなるべくゆっくりと撫でた。


「ごめんね母さん。狼に会ったのは本当に運が悪かったけど、通りがかりの旅の人に助けてもらったの。狼もその人が追い払ってくれたから、しばらくは森も村も安心だと思うよ」


 ステラがそう声をかけると、抱きしめる力を緩めたコーディーは戸惑いの色を浮かべてステラの顔を見た。


「旅の人……? こんな田舎に?」

「そう。しかも精霊術士なんだよ」


 ステラがうなずいてみせると、広場にいた他の村人たちは(みな)一様に顔を曇らせた。

 アントレルに訪れる外部の人間といったら、行商人と行政関係者がせいぜいだ。旅行でわざわざ足を伸ばすような見どころもないこんな村に旅しに来る物好きなど、年に一人いるかいないかのレベルなのである。


「精霊術士……こんな精霊のいない田舎に?」

「ステラ、お前が見たのは本当に精霊術だったのか? 手品やなんかで金を(だま)し取る詐欺師じゃないのか?」

「詐欺師だってこんな田舎には来ないだろう」

「そりゃそうだ。騙し取る金もないしな。……ってことは本当に精霊術士か」


 村人たちはガヤガヤと好きなことを言い合い、結局最後には、ステラが会った人物はおそらく本物の精霊術士だろうという結論に落ち着いた。


「うん。本物だよ……ちょっと怪しいけど……」


 そう答えつつも、正直なところステラ自身もまだリヒターのことを信じきれていなかった。

 美形で、英雄の子孫で、しかも強力な精霊術を使う――など、あまりにも完璧すぎてアントレルの住人からしてみたら別世界の生き物だ。


「――怪しくてすみません」


 そんな村の広場に、苦笑いの混じった声が響いた。ステラはびくりと肩をはねさせ、「しまった」と口を押さえたが、時すでに遅し。

 先ほどと変わらずニコニコとした笑みを浮かべた美男が、村の入り口のあたりに立っていた。しかも、隣に厳めしい顔のガイロルがいるせいで、なおさら美しさが増して見える。


「あらやだ! いい男」


 振り返った宿屋の女将が脊髄反射のように黄色い声をあげた。

 いつも酒飲みの男たちをドスのきいた声で叱り飛ばしている女将の喉から、こんな高音が出たのか、とステラが目を白黒させていると、ガイロルが深いため息をつきながら、女将をじろりと睨んだ。


「騒ぐな、みっともない。……そこの小鬼から聞いたようだが、この人が狼を追っ払ってくれた人だ。宿を探しているからあんたのところで泊めてやってくれ。費用は村持ちだ」

「まあまあ、じゃあ食事は奮発しなきゃだね」

「あまり張り切りすぎて迷惑をかけるなよ。……俺は森に入ってる連中へ説明がてら、犬っころをの様子を確認してくる」


 そう言うなり、ガイロルは誰の返事を待つこともなく森に向かって歩いていった。

 ステラが禁猟区で鳴らした『銃声』を聞いて、数人の猟師たちが森の安全確認に向かっているらしい。ガイロルは彼らに事情を説明し、ついでに狼がまだ近くをうろついていないか確認するのだろう。


「ガイさん、来てくれてありがとう。あと、他の人たちにもありがとうって伝えておいて!」


 ステラは母の腕から抜け出すと、ガイロルの背に向かって声をかけた。

 ガイロルは特に振り返ることも、返事をすることもなく、そのまま去っていった。が、彼が寡黙なのはいつものことなので、ステラも特に気にしない。あんな態度でも、きちんと伝えてくれるのだ。



 ガイロルを見送ったステラはくるりと広場の方へ向き直った。そこには村人のほとんどが集まっている。


「……みんな心配かけてごめんなさい! このとおり無事です」


 ステラはガバッと深く頭を下げ、心の中で秒数を数えた。


(ずいぶんおおごとになっちゃったし、ケジメは大事だよね)


 そう思いながら三秒数えたところで、ステラはピョンと頭を上げて大きく手を叩きながら声を張り上げた。


「はーい、じゃあみんな解散! そんで、まだ近くに狼がいるかもだから気をつけてねー」


 流れを見守っていたリヒターが、ステラの切り替えの早さに目を丸くしている前で、村人たちはステラの頭を軽く叩いたり撫でたり、一声かけながら去っていった。ついでにリヒターも、ステラを助けたことや狼を追い払ったことへのお礼を言われたり、あとで酒を奢らせてくれと肩を叩かれたりしていた。

 気持ちの切り替えが早いのはステラだけでなく、村全体がそういう気質なのだ。 


「……あの、ユークレースさん」


 広場の人がまばらになってきたところで、コーディーが恐縮しきった面持ちでリヒターに声をかけた。


「はい。ステラさんのお母様ですね」


 リヒターが笑顔で応じると、コーディーは数秒間固まり、やっとのことで「……そ、そうです……」と、うわずった声を絞り出した。そして、そのまま声を詰まらせてしまう。


「……僕の方から改めて自己紹介させてください。僕はリヒター・ユークレース。あちこちの地方を歩き回って、精霊術士の素養のある人材を捜して旅をしています」


 ガチガチのコーディーを気づかい、先に話し始めたリヒターの、微笑みを浮かべ小さく首をかしげた姿があまりにも絵になっていて、コーディーは頬を赤く染めた。――だがすぐに我に返ったようで、慌てて先ほどのステラと同じように頭を深く下げた。


「もっ、申し訳ありません、ユークレース様。真っ先にお礼を申し上げるべきでしたのに……。私はステラの母で、コーディー・リンドグレンと申します。――娘を助けていただいたこと、本当に、本当に感謝いたします」


 しかし先ほどのステラとは違い、コーディーは下げた頭をなかなか上げなかった。


「……」


 さっき森の中でお礼を言っているし、別に一緒に頭下げる必要はないよね――と思っていたステラは、心の中で十秒数えてもいっこうに顔を上げない母の様子に焦り始めた。


(えっと……、これって私も一緒に頭を下げた方がいいやつ?)


 ステラがどうしようかと視線をさまよわせると、リヒターと目が合った。


「……どうかお気になさらず、頭を上げてください。僕にも子供がいますから、娘さんを心配する気持ちはよくわかります」


 コーディーに優しく声をかけたリヒターは――ステラの見間違いでなければ、口元を押さえて少し肩をふるわせていた。だが、すぐにこれまでと同じ微笑みに切り替える。


「……それに僕はただ木の下にいた狼を追い払っただけなんです。彼女が無事なのは彼女自身の機転によるものですよ。貴女(あなた)の育て方がいいからでしょうね」


 柔らかな声と言葉に続けて、極め付けとばかりにリヒターが微笑むと、やっと顔を上げたコーディーだけでなく、まだ残っていた数名の村人たちまで男女問わず頬を染めた。ただ、女性たちは「子供がいる」というところで露骨に肩を落としていたが。

 しかし――一体どれだけ微笑みのバリエーションがあるのだろう。


「なるほど、これが魔性の微笑みってやつか……イタッ」


 コーディーは余計なことを言うステラの額を平手でベシンと叩き、そのまま自分の顔を覆ってうなだれた。


「……こんな娘でお恥ずかしい限りです」


 リヒターは少しだけ親子から目をそらし、ゴホンと咳払いをした。たぶん、笑いをかみ殺している。


「ええと、できればお嬢さんと少しお話をさせていただきたいのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 リヒターがそう言うと、コーディーは横目で自分の娘を見た。

 そして、おそるおそるといった面持ちで口を開く。


「失礼があるかもしれませんというか、間違いなく、確実に、失礼があると思いますが……大丈夫でしょうか……」

「だ、大丈夫です……」


 リヒターはなんとかそれだけ答えると、ついにこらえきれずに笑い出してしまった。

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