38. ジュドルさんにお願い
「ステラはそれでいいんだよ。隠せなければ疑わなくて済むから。だから父さんたちもステラに気を許してるんだし」
「……それ、遠回しに私が馬鹿っぽいから疑う余地がないって言ってる?」
「あはは」
「否定しないのか!」
「疑う余地がないっていうのは希有な才能だよ。ユークレースは身内でも信用できない一族だから、あの人たちは基本的に相手へ気を許さない。なのにステラは別なんだから」
シルバーはまるで天気の話をするような口調で話しているが、まさに彼自身が『当主を殺して次期当主に就任する』という計画に使われかけた、「身内でも信用できない」事例の証人なのだ。あまりの殺伐具合に、ステラは少し遠い目になってしまう。
「上流階級の大きい家って大変なんだな……」
「あ、ジュドが私と同じ感想言ってる」
ものすごく聞き覚えのあるジュドルのセリフにステラが笑うと、彼はうわっと顔をしかめた。
「まじか。屈辱だ」
「なんだと」
ステラはさっと手を伸ばして、テーブルの上に置かれていたジュドルの手の甲を軽くつねった。あくまでも軽くだったので痛みはなかったはずなのに、ジュドルは大げさに手を押さえて「痛え!」と声を上げる。
「相変わらず凶暴だな」
「そんなに強くやってないでしょ。本気でやったらどれくらい痛いか試してみる? 昔より力は強くなってるよ」
「やめろ馬鹿」
ふざけてもう一度伸ばされたステラの手は、ジュドルに掴まれて動きを止める。と、その瞬間に。
カツンッ――と、乾いた音が響く。
「問題は」
じゃれていた二人が注目すると、テーブルを爪で叩いたシルバーは氷のように冷たい声を出した。
「契約書のない金の動きがあるってところ。工房側で認識している契約料の引き上げと、ユークレースで把握している引き上げの額が合致するのか確認しないといけない。……これは協会を通すと証拠を消されたりするかもしれないから、直接工房側に協力を仰ぐ必要がある。――それで、ジュドルさんにお願いしたいんだけど」
温度を感じさせない冷ややかな声でシルバーが続ける。
それは「お願い」というよりも「命令」に近い雰囲気を漂わせていて、ジュドルも気圧されたように「お、おう……」と返事をした。
「……つまり、うちの工房と協会の取引記録を調べさせろって?」
「うん。できれば協力して欲しい。不正をやってる連中は、あなたのところみたいな中規模の工房を狙ってるはずなんだ。小さいところ相手にいちいち工作するのは手間ばかりで利益が少ないし、逆に大きすぎるとチェックが厳しすぎる」
「うちくらいの大きさがちょうどカモにしやすいってことか」
「そう。実際に協会の連中が足を運んでいるのも確認できたし」
「ああ、まあそうか……」
ジュドルは腕組をして少し考え込んでから顔を上げた。
「もし協力をして……それで不正が見つかったら、今までの余分に取られてた金は返却されるってことか?」
「不当な請求だっていうことが明らかになれば返還することになる」
「帳簿を調べるのはお前なの?」
「そこは正式に本家から派遣されてる人間がやらないといけないから、うちの親がやることになる。私も手伝いをさせられるだろうけど」
シルバーの役目は疑わしいものの発見と報告で、その先はリヒターの仕事なのだ。
とはいえ、帳簿のチェックなど一人でやったら時間がかかりすぎるので結局シルバーも手伝うことになる。
「……しかし、何で俺に話をしたんだ? うちの工房で上と掛け合うならアデルさんとかのが確実だぜ」
アデルというと、確か店で声をかけてきた女性店員の名だ。ジュドルによれば彼女はあの工房でも古株のベテラン店員らしい。
だがシルバーはふるふると頭を振った。
「誰が信用できるか分からない状態で下手に声をかけて、それが不正に手を貸してる相手だったら証拠を隠されるかもしれない。……あなたのことはステラが人となりを知ってるし、工房内でも実力が認められている。ついでに協会に対して反感を持ってるみたいだし、短絡的で隠し事はできなさそうだから適任だと思った」
「……最後の一言はいらねえだろ」
「最後の一言って、『適任だと思った』のところかな」
「おいステラ、この生意気なガキ本当にユークレースの人間なのか」
カリカリに焼いたチーズのスナックをちょうど口に入れたところだったステラは、塩っ気のあるチーズをポリポリと噛み砕く。それから、スナックの入った器をシルバーの前に移動させた。
「これ美味しい。シンも食べて」
「え、うん」
「俺のことは無視かよ」
「違うよ。そう聞かれてもさ、シンは間違いなくユークレースの人だけど今ここで証明する方法はないし、『私は本当だと思ってる』としか答えようがないなぁと思って。――それにしても、シンはなんでそんなにジュドに突っかかるの?」
ステラが首を傾げると、一瞬だけシルバーとジュドルが顔を見合わせた。
そして同時にふいっと逸らす。
「ステラは知らなくていい」
「お前は分かんなくていい」
明らかに険悪な雰囲気だというのに、二人の声がきれいに揃う。
ステラが目をぱちくりと瞬かせて男二人の顔を交互に見ると、シルバーの方はよく分からなかったが、ジュドルは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「え、分かってないの私だけ?」
「とりあえずそっちの要求は分かった。店に戻ったらオーナーに協力するよう話してみる」
「よろしく」
「ねえ無視しないでよ」
「『音を通していいよ』」
ステラの訴えを完全に無視して、シルバーが再び虚空に向けて言葉を放つ。
それと同時に、今まで遮断されていた周りの喧騒が一気に押し寄せてきて、ステラとジュドルは思わず耳をふさいだ。
「み、耳が……」
「そういうのは予告してからにしろよ!」
***
ジュドルはその後すぐに話をつけてくれて、翌日にはもう取引記録を見せてもらえることになった。
取引記録を外部の人に見せるなど、もっと渋られるのかと思っていたのだがむしろ工房側は「ぜひ来て欲しい」という協力的な態度だった。
というわけで、ジュドルが働く工房であるコールス硝子工房の事務室の一角を借りて、リヒターとシルバー、ついでにステラは記録書類をひっくり返している最中である。ちなみにアグレルは体調が回復しても外に出る気はないらしく、宿で留守番をしている。
「お手伝いは必要ありませんか?」
ニコリと微笑む女性に、リヒターが軽く笑みを返す。
「ありがとうございます、助かります。……ですが、無理はなさらずそちらの業務に支障の出ない範囲で結構ですので」
「大丈夫です! こっちの業務なんてどうでもいいので!」
どうでもいいはずはないのだが、先程から似たようなことを言いながら何人もの従業員が次々とやってきていた。熱に浮かされたような表情からして、どう考えてもリヒターとシルバー目当てである。
実のところステラも面食いなので、見目麗しい姿を拝みたいという彼らの気持ちはよく分かる。でも――と、ステラは同じ作業机を囲んでいる人物の方をちらりと窺う。ここに、オーナー兼工房長のコールスもいるのだ。
目の前で先程のような発言が飛び交うので、彼は先程からこめかみを押さえていた。
職人気質のコールスは人相も口調も無愛想でキツい。時折「自分の仕事に戻れ!」と雷を落とすのだが、従業員たちは怒鳴られることに慣れているらしく笑いながら散っていき、そしてしばらくすると再びやってくる。コールスの方も声が大きいだけで別に怒っているわけではないようで、苦笑いしながら彼らを受け入れている。
結果として、大きな声に慣れておらず、シルバーほど肝が据わってもいないステラだけが、怒鳴り声が響くたびにビクビクと身を縮こめることになるのだ。
「ステラ、少し休憩してきなよ」
会計の知識などないステラは簡単な数字の付け合せをしているだけなのだが、慣れない数字を睨みながら怒鳴り声にも構えるというのはだいぶ神経を使う。そんなステラの疲弊に気付いたシルバーが声をかけてくれた。
そしてその声で、手伝いを申し出ていた女性従業員の一人がステラを見た。
「あ、じゃあよかったら息抜きがてら工房の方覗いてみる?」
「え、いいんですか?」
「もちろん。普段から一般見学もできるんだよ」
ニコリと微笑む彼女は職人で、確か先程ここに来たときにエリンと名乗っていた。普段から見学客の案内を担当しているのだという。
「ぜひお願いします」
「任せて。それじゃあオーナー、案内してきますね」
「おう、行ってきな」
ステラはシルバーとリヒターに手を振って、エリンと一緒に工房へと向かった。




