37. あのユークレース
観光客よりも地元住人が多く集まる店内はいわゆる大衆酒場のような雰囲気で、ガチャガチャと食器のぶつかる音と酔っぱらいの大きな話し声が響いていた。
ジュドルから「にぎやかな店と落ち着いた店のどっちがいい」と聞かれ、シルバーが迷いなく「できるだけにぎやかな店」と答えたためこういうチョイスになったのだが、ここまでにぎわっている酒場の雰囲気に慣れていないステラはソワソワとしてしまう。
「で、わざわざ騒がしいところ選んだってことはなにか聞きたいことがあるんだろ?」
飲み物と適当に頼んだいくつかの軽食がテーブルに届いたところで、行儀悪く頬杖をついたジュドルがテーブルをコツコツと指で叩きながらシルバーに鋭い目を向けた。
「話が早くて助かる。――『このテーブルの周りだけ音を遮断』」
シルバーが虚空に向けて小さく呼びかけると、騒がしかった店内の音が突然フッとかき消え、完全な静寂が訪れた。
「うわ! なんだ!?」
静寂の中に響いたジュドルの声にステラはびくりと体をはねさせる。
うるさい場所から突然音が消えて、自分の耳がおかしくなったのかと思ったところに大きな声が響いたのだ。音量の緩急が激しすぎて心臓がバクバクしている。
「精霊術。周りの音は聞こえないし、こっちの声も周りに聞こえない」
そんな中でもシルバーはいつも通りの淡々とした声で応じる。ステラは自分の耳を押さえながら周りを見回した。
周囲の人々は先ほどと変わらず話をしたり笑い合ったりしているのに、音だけがさっぱりと消えてしまった光景はものすごく異様である。
「……こうやって音を聞こえなくするなら騒がしいところじゃなくても良かったんじゃない?」
「ううん。静かなところでこれやると、こっちの音が聞こえないから逆に目立つよ。周りが騒がしいと隣の席の会話が聞こえなくても気にしないでしょ?」
「あぁ……言われてみれば確かに」
ステラは改めて回りを見回してみるが、すぐそばのテーブルで笑い合っている酒飲みの男たちも、その横の若い男女の集団もこちらを気にしている様子はなかった。
なるほどね――と、視線を自分たちのテーブルに戻したところで、ステラはやっとジュドルが険しい表情をしていることに気付いた。
「……っていうかお前、精霊術士なのか」
そう言ったジュドルの表情に友好的な色は一切なく、まるで親の敵でも見つけたかのようにシルバーを睨み付けていた。
ステラの知る限り、アントレルにいた頃のジュドルは特段精霊術士を嫌っていなかったはずなので、やはり協会関係で反感を抱いているのだろう。一方のシルバーはジュドルの鋭い視線にひるむどころか、ふん、と鼻で笑ってみせた。
「まあ、そうだね。――お前って呼ばれる筋合いはないけど」
「ハッ。始めっから敵愾心むき出しで顔も正体もまともに明かせないような奴なんか『お前』で十分だろ」
「現状のサニディンで術士だってことを明かしたら粗野な人間に絡まれかねない。例えば今みたいに」
まるで言葉が冷気を纏っているかのようにひんやりとした声色のシルバーの返事で、もともと冷えていた場の空気がさらに凍り付く。
ステラはため息を一つ落としてから口を開いた。
「……落ち着いてよ、二人とも。ねえシン、喧嘩しに来たわけじゃないでしょう?」
「かかる火の粉を払っただけだよ」
おそらくステラから自分だけ名指しで責められたのが面白くなかったのだろう。むすっとした口調でシルバーが言い返してくる。だがステラはにっこりと笑ってみせた。
「シン。喧嘩しに来たんじゃない、でしょ」
「……」
「返事は?」
「……はい」
苦り切った声色のシルバーの顔はよく見えないが、口がへの字になっているのでフードの下では拗ねた顔をしているに違いない。
「よろしい。……ジュドはジュドで、色々事情があるだろうし精霊術士に対して思うところがあるのかもしれないけど、どんな理由があったとしてもほとんど面識のない人相手にそんな態度はないでしょう? シンもそうだけど、今のはどちらにも問題があります」
ステラが矛先をジュドルに変えて睨みを利かせると、ジュドルは「う……」とひるんで眉を下げた。
「……くそ、ステラのくせに正論だな。そうだな、俺が悪かった」
「よし、じゃあ喧嘩しないで話をしてください。――それに、多分ジュドにとってシンは敵じゃなくてむしろ味方だと思うけど」
「は? ……味方?」
ステラの言葉にジュドルは疑いの目をシルバーに向けた。
シルバーは未だに口をへの字にしたまま、ついと顔をそらした。
「別に敵じゃないってだけで、味方でもない。……まあ本題にはいるよ。さっきあの店の奥に入っていった精霊術士協会の連中が、どのくらいの頻度でどんな話をしに来てるのか聞きたかったんだ」
「え、そんな人たちが来てたの?」
いつの間に、とステラは目を瞬かせる。
ステラはガラス細工やジュドルに気を取られていて、店の奥に人が入っていったことすら認識していなかった。
「うん。三人組で……そのうち一人が知ってる顔だった」
「あ、それで顔を隠したの?」
あのとき、ちょうどジュドルと話をし始めた辺りで急にシルバーが顔を隠したのだ。確か立ち位置も変えていたので、相手の視界に入らないように隠れていたのだろう。
「そう。向こうもこっちのことを知ってるはずだから」
シルバーは頷いて、ジュドルの方へ顔を向けて続ける。
「あのときの店員とあなたの会話の内容からして、あなたは連中と過去にもめ事を起こしたかなにかしたせいで、今回は顔を合わせないように事前に裏から追い出されたんじゃないですか?」
どうやら図星だったらしく、ジュドルは戸惑いと薄気味悪さが混じったような表情を浮かべて、ぎゅっと眉根を寄せた。
「……なんでそんなことが分かるんだよ……」
「連中は慣れた様子で店舗の奥へ入っていったから、すでに何度か足を運んでるってことでしょう? ということはすぐには呑めないような無茶な要求を突きつけてきてるんだろうなと思ったんです。それにあなたはたんら……カッとなりやすそうだから、怒鳴ったり手を出したりして問題になる前に遠ざけられたのかな、と」
「ああ、合ってる。……合ってるがお前、短絡的って言いかけただろ……」
「気のせいでは?」
「……」
じっとりと睨み付けるジュドルからシルバーは再びふんと顔をそらした。いつでも言葉を選び、抑え続けて生きてきたシルバーには「うっかり口を滑らせる」など一番縁遠い言葉だ。どう考えても意図的に『短絡的』という単語を混ぜたのだろう。なぜかは分からないが、彼はどこまでもジュドルが気に入らないらしい。
「すぐに呑めない要求って、協会と工房の契約料値上げのこと?」
また喧嘩を始められたらいつまでも話が先に進まない。ステラはジュドルの腕をつついて尋ねる。それでやっとシルバーを睨むことを止めたジュドルは「それもある」とため息をついた。
「値上げ自体はまあ、前からたまにあったことだし、必要なことなら仕方がない。だが今年に入ってから何回も引き上げられてるんだぜ。しかもそれとは別に、船着き場の整備拡張をするとか何とか言って寄付を募り始めたんだよ。寄付って言いながらほとんど脅迫みたいな言い方してきやがるし、額もでかすぎるんだ」
「……そういうインフラ工事の費用って、町の予算で賄うものじゃないの?」
本来なら行政が計画的に行うはずのインフラ工事の費用を、工房からの寄付で賄うというのはおかしな話のような気がする。
首をかしげたステラに答えたのはシルバーだった。
「サニディンっていう町は、職人組合と精霊術士協会の2つと町の行政が一緒に運営している会社みたいなものなんだよ。公共の工事でも長期計画にないような突発的な――災害や事故被害の修復や、新しい試みなんかは寄付で賄う場合があるんだ」
「へえ……」
ならば、船着き場の整備拡張は新しい試みということだろう。必須ではない工事のための費用で、しかも多額となると確かにすぐには呑めない案件だ。
「いや、それはそうなんだが……お前……ええとシンだったか。何でそんなにサニディンのことに詳しいんだよ。精霊術士協会の人間ってわけでもないみたいだし」
「うん。協会の人間じゃなくて、協会を管理してるユークレースの人間」
さらりと明かしたシルバーの言葉に、ジュドルはぽかんと口を開けた。
「ユークレースって……あのユークレースか?」
「『あの』っていうのが何なのか分かんないけど、多分そのユークレースだと思う」
「……マジか」
そういえばステラもリヒターに初めて会ったとき、ユークレースと聞いて詐欺師だろうかと疑ったことを思い出す。
そのくらいにユークレースの名は有名で、一般人からしてみれば一生関わらないであろう人々なのだ。
「マジだよ。ジュドだってさっきシンが精霊術使うところみたでしょ。普通の精霊術士にあんなことはできないから」
「いやまあ……そうだが……ユークレースっつったら上流階級っていうか……なんでそんな大層な家の奴がステラと一緒にいるんだよ」
「一緒なのはアントレルと方向が一緒だから。このあとアントレルに行くの」
「レグランドから来たんだろ? あそこからサニディン経由だと微妙に回り道になるじゃんか。それに町の内部事情を嗅ぎ回るようなことして……」
「んー……」
どこまで事情を話して良いのだろうか。ステラはチラリとシルバーの方を窺う。その視線を受けたシルバーは小さく肩をすくめた。
「協会が会計で不正をしてる疑いがあるって報告があって、ユークレース本家が動いてる。で、調査をしてるのがうちの親」
「本家……大層な家の中でもトップの方の人間かよ。つーか、調査してるのが親なら、お前は関係ないだろ」
「……うちの親、目立つし、表立って動くことになるから都合の悪い証拠は隠されかねない。だからあの人とは別口で動いて、なにか怪しいものを見つけたら報告するよう言われてる」
「え、そうなの!?」
シルバーとリヒターの間でそんな話になっていることをステラは全く知らなかった。
そう言われてみればシルバーは店に並んでいる商品よりも、店自体や店員に注意を払っていたような気がしないでもない。やはり観光気分は自分だけだったのか、とステラはがっくりと肩を落とす。
そんなステラの様子に、ジュドルが呆れたような目を向けた。
「いや何でステラが驚いてるんだよ」
「……だってシンもリヒターさんもそんなこと、全然言ってなかったもん!」
「うん。ステラは顔に出そうだから黙ってた」
「ひどい!」
不満の声を上げたステラをちらりと見たジュドルは、すぐに頷いた。
「確かにそれはそうだな」
「納得するの早くない!?」