33. サニディン
リヒターの仕事に目処がついて、出発したのはそれから五日後。
その五日の間にアルジェンとリシアに協力してもらって精霊から魔力をもらう実験をしたのだが、結果はどちらも失敗だった。やはりシルバー以外にはできない芸当だったようだ。
精霊術士なら誰でもできるわけではない、という事実にアグレルががっかりしているかと思いきや。
「そんなことになったら今まで以上にユークレースが幅を利かせて国内勢力が混乱していただろうが頭を使え」
と叱られてしまった。
ユークレースの弱点として存在するクリノクロアが、他でもないそのユークレースから魔力をもらうなどということになったら――ユークレースは向かうところ敵なしである。そうなったら王家も看過することはできなくなるだろう。
国内勢力の安定のために、クリノクロアがユークレースの弱点であるというのはステラが思うよりもずっと重要なことであるらしい。
「でねぇ、これから行くサニディンは町全体がユークレースのお客さんなんだけどさ、どうもそこの管理を任せてる連中が収益の一部を懐に入れてるらしいんだよね。それだけでもアレなんだけど、そこに加えて、年々契約価格を引き上げてさらなる収益をあげてるらしくてね。だからちょっと懲らしめてこないといけないんだ」
馬車の中でニコッと笑ったリヒターに、ステラは「はあ」と頷いた。アグレルは知らんぷりで、シルバーはずっと馬車の外を眺めているので、リヒターに返事をするのはずっとステラ一人である。
結局、リヒターの仕事のすべてが終わったわけではなかった。
その中に、直接出向かなければならない案件があり、アントレルと方向が一緒だからちょうどいいということで寄り道をして処理することになったのだ。そのため現在は、やや回り道をして処理待ち案件のあるサニディンへと向かっている途中である。
「町全体がお客さんって、たしかサニディンってガラス細工で有名ですよね。ガラス工房で精霊を使うんですか?」
「そうだよ。ガラス加工で使う炉の温度調整は火の精霊を使うし、できた製品を運ぶ船の動力は風と水の精霊を使っている」
「へえ……」
「電気やガスを使うよりも細かい温度調節ができるし、船を揺らさないように動かせるから輸送時の破損も防げる。だからサニディンでは精霊術士が重宝されてるんだよ」
土地に精霊が少なく、精霊術を使える者もほとんどいないアントレルでは考えられないことだが、普通の都市、特にレグランドに近い場所では生活の中に精霊術が深く関わっている。
ステラは村人から「精霊術が使えれば就職先には困らない」と聞いてなんとなく憧れていたのだが、それは紛れもなく真実であるようだ。
「ステラはサニディンのガラスを見たことがあるかな?」
「一度だけあります。きれいでした――幼なじみがそのガラスに感動して、職人になるって言って村を出ていったくらいですから。彼、今はサニディンにいるらしいです」
「アントレルから? それはすごい情熱だね」
「サニディンに幼なじみがいるの?」
外を眺めていたシルバーがステラを見た。
幼なじみがと言っているが、明らかに『彼』という単語に反応したタイミングにリヒターが笑いを噛み殺した顔をしている。
「うん。ふたつ年上でね、すごく器用な子だったの」
「ふーん、ステラとは違って?」
シルバーは微妙に機嫌悪そうにそう言いながら、もう興味はないとばかりにどさりと背もたれに背を預けた。
「どうせ私は不器用ですよ……」
なぜ急に馬鹿にされたんだろう……と釈然としないステラは口をとがらせた。
そんな子供達のやりとりにリヒターは笑いをこらえながら、窓の外を指さしてステラとシルバーに手招きをする。
「ほら、そろそろ町の入り口が見えてくるよ。門の上にランプがたくさんかかっててきれいだろ?」
「本当だ、お祭りみたい!」
一瞬前までむくれていたことなどすっかり忘れ、ステラは弾んだ声を出した。アントレルでは年に一度のお祭りでもここまで飾り立てないが、事前に聞いていた話によればこれは祭りなどではなくサニディンの日常の風景なのだという。
「町の中にもあちこちに置いてあるよ。で、もっと暗くなると精霊術で一斉に火が灯るんだ。その光景目当ての観光客も多いんだよ」
「へえええ……それ、見に行ってもいいですか?」
あんなにたくさんのランプに一斉に火が灯るなど信じられない光景だ。ぜひ見に行きたいが、リヒターは仕事で来ているわけだし、その同行者であるステラがのほほんと観光するのはまずいだろうか。
恐る恐る顔色をうかがうステラに、リヒターは微笑んだ。
「いいよ、楽しんできなさい。ただしステラは必ずシンと一緒に行くこと。――精霊がいないのって僕らからしてみると結構目につくんだよね。うちの一族のよからぬ連中に目をつけられかねないから」
よからぬ連中とは一体……と思うものの、それよりも観光の許可が出たことのほうがステラには重要だった。
暗くなると火が灯る、その瞬間はぜひ見ておきたいので何時くらいになるのか宿についたら確認しなければならない。時間が分かったらシルバーに――
「そういえば、精霊がいないのはアグレルさんも同じですね。アグレルさんも一緒に、」
「私は外に出ないから問題ない」
食い気味に否定されて、ステラはピタリと動きを止めた。
「え!? アグレルさん、ランプに興味ないんですか!?」
「全くない」
「そ……そんな人が世の中にいるなんて……」
感動して職人を目指すところまではいかずとも、そこまできっぱりと興味ないと言いきれる人がいるとは思わなかった。
――むしろアグレルの反応のほうが普通で、シルバーも嫌がっているのでは。そこでステラはハッとする。
「……あっ、シンは? もし行きたくないなら我慢する……」
「行くよ。私も見てみたいし」
「本当? 本当に? 後でやっぱり行きたくないとか言わない?」
じっと見つめるステラに、シルバーはうろたえた様子で視線をさまよわせる。
「言わないよ……なんでそんなに疑心暗鬼になってるの」
「だって……私だけ場違いに楽しんでるのかも、って思って」
「そんなことないよ」
「でもリヒターさんは仕事だし、そもそも見慣れてるだろうし、……アグレルさんは機嫌悪いし、シンはずっと外見てるし」
言いながらステラはしょぼしょぼと落ち込んでいく。
そもそもこれはステラの父を探すために向かう道行なのだ。アグレルはともかく、リヒターとシルバーに関しては巻き込んでしまったという引け目を感じている。
とはいえリヒターは通常運転なので、気になっているのはシルバーの反応だ。彼はレグランドを発ってから、ずっと外を眺めていてほとんど言葉を発していない。
「たしかに仕事だけど、同行者が楽しそうにしてくれてるほうが僕も楽しいよ」
今まで笑いをこらえていたリヒターがついに吹き出し、手を伸ばしてステラの頭をなでる。そしてシルバーのほうを向くと、もう片方の手で彼の頭をなでた。
「それにシンがずっと外を見てるのは外の風景が珍しいからだろ?」
「やめろ。……まあ、ほとんどレグランドから出たことないから」
シルバーはリヒターの手を即座に叩き落とし、ムスッとした顔でそう言った。
しかし、その言葉にステラはあれっと引っかかりを覚える。
「シンってば、前に私のこと世間知らずって言ったくせに」
「え? ……言ったっけ、そんなこと」
以前、花街の建物の特徴を知らなかったステラに対して世間知らずと言い放ったのはシルバーだ。ステラにとってはつい最近の話だが、シルバーにとっては一年前の話なので完全に覚えていないらしい。ステラとしては覚えていないならそのほうがいい――リヒターが微妙に目を泳がせたので、彼は覚えていたようだが。
「まあまあ。一方のアグレル君は乗り物酔いだよ。宿についたらすぐ休みたいだろうから、そりゃあ町の景色になんか興味ないだろうね」
「え、乗り物酔い?」
そう言われて改めて見てみれば。たしかに顔色が悪い。顔色の悪さと目つきの悪さのせいで機嫌が悪そうに――実際機嫌も悪そうだが――見えたのだ。
「ごめんなさい、気付かなかった……水、飲みますか?」
「……ほっといてくれ」
アグレルは力なく手を振って、眉間にシワを寄せたまま目をつむった。ただし、眉間のシワはいつものことなので、やはり機嫌が悪いのか具合が悪くて辛いのかは見た目ではよく分からなかった。
「……早く着くといいですね」
「……ああ」
素直に返ってきた返事に、これはだいぶキテるな……と、他三名は目を見合わせたのだった。