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32. 友達になりたくて

「ステラ、帰っちゃうんですか!?」


 遊戯室に入ってくるなり、眼鏡越しの青い瞳が零れ落ちそうなくらいに目を見開いて大きな声を出したのはリシアだった。

 ノゼアンからステラがアントレルへ向かうことを聞いて駆けてきたらしく、息を切らせていた。

 リシアも約一年ぶりだが、少なくとも見た目にはリヒター家の兄弟ほどの変化はなくて、同世代の成長から取り残された感のあるステラは少しホッとする。


「ええと、その予定です」

「で、でも、でも、また来るんですよね?」

「うーんと、もともとレグランドは一時的な滞在の予定だったので……父が見つかったあとに、改めて今後どうするか考えることになると思います」

「そんな……」


 リシアは潤んだ目をまっすぐステラに向けてくる。

 その目は真剣で、そしてやや熱を含んでいた。


(え、まさかリシアもシンと同じように私に……は、さすがにないよね?)


 ないと思いつつも、ステラの体に緊張が走る。

 彼女もユークレースの血筋。しかも次期当主予定の人物。万が一そんなことになったら大惨事である。

 リシアはなにかを言おうとしばらく口をはくはくと動かしたあと、決意したように一度ぎゅっと唇を結んだ。そして胸の前で手を握りしめて真っ赤な顔で口を開いた。


「あの、わ、私……ステラと……とっ……友達になりたくて……」

「へ? ともだち?」


 一体なにを言うつもりなのか――と構えていたステラはぽかんと口を開いたままリシアを見返した。その反応を拒否と捉えたらしいリシアは、一気に顔を真っ青にさせる。


「だっ!……だ、駄目ですよね。ごめんなさい……忘れてください……」

「いや、ちょっとびっくりしただけで……なりましょう、友達。大歓迎です」

「い、いいいんですか!? ……ほん、本当に!?」


 なぜかリシアは拒否された(と勘違いした)ときよりもショックを受けた顔で声を震わせ――ほろほろと涙をこぼした。


「え!? 泣くほど!?」

「ご、ごめんなさ……うれ、しくて……わ私、あまり外に出られなかったのもあって、今まで友達、いなくて……」


 これまでリシアは次期当主としての教育に加えて、癇癪を起こすせいで使用人が逃げてしまったエレミアの世話までしていたらしい。

 それに加え、ユークレースのお嬢様という立場なので周囲の人々は「失礼があっては大変だ」と距離を取る。

 そのせいで、年の近い知り合いはシンシャ(シルバー)とアルジェンだけ。その二人も親同士の兼ね合いで自由に会うことができなかったため、彼女はずっと一人で過ごしていたらしい。

 そんなときに現れた同年代女子がステラだった。

 やっとステラが時間停止から目覚めて、リシアはこれから友達になるぞと意気込んでいたところだったらしい。


 よしよし、とリシアの背中をさする。しばらくして、少し落ち着いたかな、と顔を覗き込むと――。


「でも、か、帰っちゃうんですよね……」


 そう言ったリシアの瞳から、おさまりかけた涙が再びぼたぼたと落ちてきた。


「あああ……」

「ステラ、泣かせすぎー」

「そんなこと言われても……」


 テーブルに頬杖をついたアルジェンから野次が飛び、ステラは眉を下げる。そんなことを言われても、気安く「また来る」などとはいえないのだからどうしようもない。


「ごっごごめんなさい……」


 ステラは、涙を抑えようと焦って涙があふれるという悪循環に陥っているリシアを椅子まで引きずっていき、座らせる。本当は隣に並んで座りたかったのだが、あいにくこの部屋にはひとりがけの椅子しかなかった。ステラは肘置きに腰掛け、リシアの頭を抱えるように抱きしめて頭をなでる。


「先のことはまだ分かんないけど、手紙を書きますよ」

「……はい……。あの、いっ、いつ頃出発する予定なんですか?」

「リヒターさんの都合がつき次第なので、具体的には分からないです。ずいぶん忙しいみたいですし」


 もともと忙しそうだったのに、片道一週間以上かかる(ステラは五日で踏破させられたが)旅をすることになってしまったのだから、その調整もしなければならなくて大変だろう。


「厄介な連中が裏でこそこそ動いてるみたいだからね、その対応で忙しいんだよ。でも数日中には無理やり都合つけるんじゃないかな。突発的な遠出はよくあることだし、慣れてるから」


 まだ微妙に沈んだ様子のシルバーが答えてくれる。


「厄介な連中?」

「ユークレース一族には面倒な野心家が多いんだ」

「はあ……」


 今まで血族は両親だけという世界で生きてきたステラからしたら想像もつかないが、ユークレースでは親族間での足の引っ張り合いが頻繁に繰り広げられているらしい。


「アントレルにはリヒターさんだけじゃなくてシンシャ……シルバーさんも一緒に行くかもしれないって聞いたんですけど、アルも一緒に?」


 しょぼんとしたまま、リシアがアルジェンを見た。

 ステラだけではなく、リヒター家の兄弟まで行ってしまえばリシアは完全に一人ぼっちになってしまうので寂しいのだろう。

 その悲しげな視線を浴びたアルジェンは「う……」と軽く呻く。彼はついさっきリヒターに連れていってもらうよう直談判するという宣言をしたばかりだ。


「…………俺は行かない。父さんが連れてくって言ったのはシンだけだし」


 そう言って、拗ねたようにプイッとそっぽを向いてしまう。

 身長が伸びても好きな相手にツンツンしてしまうところは変わっていないようだ。しかしそんな態度でも、リシアは「本当?」と、少し嬉しそうな顔を見せた。

 そんな弟たちの様子に苦笑しつつ、シルバーが頬杖をついたままつぶやいた。


「……でもなんで父さんは私を連れていくなんて言ったんだろう」

「お前がいれば精霊が集まってくると言っていたが」


 レビンを救うのに魔力が必要。その魔力は精霊から供給する……つまり、黙っていても精霊が寄ってくるシルバーは魔力供給にうってつけなのだ。

 アグレルの言葉に、シルバーはなるほどと頷いた。


「魔力供給用ってことね……そういえば、さっき言いそびれたんだけど」


 シルバーは頬杖をやめ、まだテーブルの上に広げたままになっていた魔方陣を指さした。


「ステラたちが精霊に直接頼むことはできないかもしれないけど、私から頼んでステラたちに魔力を分けてもらうってことはできるんじゃないかな」

「シンが精霊に頼むの?」

「うん。なんか、私にくっついてる精霊ってやる気にあふれてるみたいだし」

「確かにシンのまわりの精霊たちっていつもやる気が空回りしてるもんな」


 アルジェンがシルバーの周りを見ながら言った。ステラには見えないが、きっと彼の視線の先には元気に飛び回っている精霊の姿が映っているのだろう。


「やる気出されても私は分かんないし、ほどほどでいいんだけどね」


 ステラと同じく、その精霊の姿が見えないシルバーは肩をすくめる。そして虚空に向けて呼びかけた。


「ステラたちに魔力を分けてあげて」


 シルバーの言葉が完全に終わらない段階で、設置した魔方陣の上に一匹、二匹と黒い蝶が現れ出した。

 アグレルの説明によれば、この黒い蝶は精霊が分け与えてくれた魔力を魔方陣の力で可視化したもの、らしい。


 魔力を『分けてもらう』とは言っているものの、実はこの魔方陣は、上を通過した精霊から強制的に魔力の一部を吸収するものである。普通ならば精霊たちはこの魔方陣を避けて通るのだが、クリノクロアに協力する意思のある精霊はわざと通過して、魔力を置いていってくれる。それで実質的に『分けてもらっている』ということらしい。

 いわば、精霊に魔力を入れてもらう募金(魔力)活動のようなものなのだ。


 ――と、最初は良かったのだが。


「うわ!」


 次から次へと、蝶が増えていく。蝶を捕まえておける空間は魔方陣と同じ大きさの円筒状になっているらしく、あっという間にテーブルの上に真っ黒な柱がそびえ立ってしまった。


「……ステラ・リンドグレン、虫かごを開け! このままだと魔方陣が壊れる。それとユークレース、精霊たちを止めろ!」

「は、はい!」

「もういいからストップ!」


 ステラが虫かごを開くと、真っ黒な柱がずどどどどと勢いよく吸い込まれてゆく。もはや、魔力は蝶ではなく黒い塊になっていた。シルバーのストップの声で蝶の増加は止まったものの、既にとんでもない量の魔力が集まっていた。


「あの、虫かごの容量って超えたらどうなるんですか?」

「……あふれるほど捕獲した人間は過去にいないから、容量の上限があるのかどうかすら分からん」


 ステラとアグレルが二人がかりで虫かごに収納して、幸いなことに容量を超えることはなかった。だが、長い時間虫かごを開いていたせいで亜空間の冷たい空気にさらされ続けた手のひらは氷のように冷たくなっていた。


「これ、本当にただれないんですよね……?」


 手のひらをすり合わせて温めながら、ステラはアグレルをじろりと見た。


「あれは冗談だと言っただろうが。ただ冷えるだけだ。……それにしても、我々の日頃の苦労をこの一瞬で上回るとはな……」

「今まで精霊術士に協力してもらうっていう発想はなかったの?」


 やや遠い目をしているアグレルに、アルジェンが首を傾げた。

 魔方陣を設置して精霊が自発的に通過するのを待つよりも、精霊術士から頼んでもらい、通過してもらうほうが遥かに効率的だ。


「中には個人レベルで試した者もいるかもしれないが……基本的に一族以外の人間に正体を明かして接触するのはタブーだからな」

「あー、そういえば謎の一族だったね」


 アグレルを見ていると感覚が狂うが、クリノクロアは外部との接触をしないことで有名な一族なのだ。

 それでも魔力を効率的に収集できる方法があるのなら、慣例を変えてでも試すべきだろう。なにせ、命に関わるのだから。

 だが、そこでおずおずとリシアが口を開いた。


「あの、で、でもたぶん、精霊がこんなふうに協力してくれるのは、シン……シルバーさんだからだと思います……」

「シンが頼んだから分けてくれたっていうこと?」


 ステラが首を傾げると、リシアはこくりと頷いた。


「せ精霊にとって、魔力とは生命力、です。そ、それを分け与えてくれというのは、普通の精霊術士が頼んでも難しいはずです。ユークレースの中でも、特に、精霊に愛されているシルバーさんだから、できることだと……」

「なるほど……」


 つまり、同じ精霊術士でユークレースのリヒターであっても、この方法での魔力供給はできない可能性が高い、ということだ。

 ステラはシルバーの服の袖を引っ張って、顔を見上げた。


「魔力供給のためなんてものすごく失礼だけど……でもきっと魔力がたくさん必要になるの。だから、できたら一緒に来てくれると嬉しいです」

「うん。私が役に立つなら喜んで」


 ステラを見下ろして、少しのためらいもなく頷いたシルバーの表情がとろりととろける。


(う……笑顔の破壊力で心臓が……)


 思わず心臓の辺りを押さえたステラの耳に、「やっぱり白いほうは趣味が悪いな」などというアグレルのつぶやきが届いた。

 ステラだって、シルバーの趣味の悪さは否定しない。

 だが――どこかのタイミングで絶対に足を踏みつけてやろう、と、ステラは密かに心に誓った。

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