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31. 虫かご

 話が終わって、ノゼアンもリヒターも仕事へ戻った。

 もともと仕事で遅れてきたノゼアンはもちろん、ステラに同行してアントレルまでついてきてくれるリヒターも処理する仕事が山積みらしい。

 リヒターたちと別れ応接室を出たステラは、同じフロアにある遊戯室へと向かった。

 ユークレース本家の遊戯室――といってもテーブルと椅子、それとチェス盤が一つ置いてあるだけで、現当主になってからほとんど使われていない部屋らしい――にはシルバーとアルジェンが待っている。

 本家との行き帰りがステラ一人にならないようにシルバーたち兄弟も一緒にくっついてきていたのだ。


「ステラ」

「ステラお疲れー。……アグレルも来たの?」


 遊戯室のドアを開けたステラに声をかけてきたシルバーとアルジェンの顔が、アグレルを認めた瞬間露骨に嫌そうに歪んだ。


「ステラ・リンドグレンに教えることがあるんだ」

「フルネームはやめてくださいって。……魔力を貯める方法ですよね。いつにしましょう。場所は……どこか借りられるかな」


 何度言っても是正されないフルネーム呼びに肩を落とし、ステラはアグレルを振り返った。魔力を扱う場所というのはきっとどこでもいいというわけではないだろう。

 ――と思って聞いたのだが、アグレルは足元を指さした。


「別に今、ここでいい」

「え、いいんですか?」

「はーい、質問」


 ひらひらとアルジェンが手を上げた。アグレルはじろりとそちらを見たが、特に返事はしなかった。


「クリノクロアの能力にかかわることだよね。そういう方法って門外不出じゃないの? ここに俺らいるけど見えてる?」

「これはクリノクロアの人間以外には使えんから問題ない」


(あ、ちゃんと答えるんだ……)


 返事がなくても普通に聞いたアルジェン(しかもやや煽り気味)も、きちんと答えるアグレルもどちらもマイペースだ。アルジェンからステラに視線を戻したアグレルは、ステラに向けて手を突き出した。


「手を出せ。手のひらを上にして、だ」

「どっちの手?」

「どっちでもいい。まず魔力を貯めるための虫かごを作る」

「虫かご……魔力が蝶々の姿をしてるから?」

「だろうな。名前をつけたのは昔の人間だから具体的な理由は知らんが」


 先ほど応接室でアグレルが見せてくれた黒い蝶が出てきたもやもやのことを、クリノクロアの人々は虫かごと呼んでいるという。

 実際は虫かごのような容器ではなく、亜空間を作り出してそこに魔力を格納する。先程応接室でアグレルが見せてくれたもやもやは、その亜空間の入り口だったらしい。

 常日頃から虫かごの中に魔力を集めておいて、そして能力を使うときに取り出して使う――という方法を、クリノクロアでは幼い頃に学ぶらしい。


 先程のアグレルは右手から蝶を出していたので、ステラはなんとなく逆の左手を差し出した。

 アグレルはそのステラの手を掴むと、なんの説明もなく手のひらに自分の指先を走らせた。


「や……あ、く……くすぐったい!!」

「我慢しろ」


 アグレルの指先はくるくると複雑な動きでなにかの図形を描いているようだが、描いた線は当然見えないため、ステラにしてみれば単純に手のひらをくすぐられているだけである。手を引っ込めたくてもガッチリと掴まれていて動かない。

 虫かごは絶対に必要なものだし、ここは我慢するしかない。そう自分に言い聞かせて、ステラは涙目になりつつふるふると必死で耐える。


「……なんかエロい光景――いてっ」


 ぼそっとつぶやいたアルジェンの頭をシルバーがべしんと叩いた。が、幸か不幸か必死なステラの耳にはそのやりとりは届かなかった。


「――これで、お前の血を手のひらの中央に落とせば術が完成する」

「へい」

「どこかに指を切れるようなナイフかなにか……って、持ってるのか。いや待て、今までそれをどこに持ってた?」

「乙女の秘密ですぅ」

「お前……」


 顔をひきつらせるアグレルには構わず、胸元から取り出したナイフで右手の指に傷をつけ、左手の手のひらの中央に血を落とす。

 すると、さきほどアグレルに指でくるくるとくすぐられた跡がボウッと赤黒く光を放ち始める。前にリヒターに見せてもらったクリノクロアの紋章――白と黒の二匹の蝶がモチーフになった図案――を簡略化したような形だ。

 その赤黒い光は不気味で、どことなくエレミアを取り囲んでいた精霊の姿を思い起こさせる。


「……これって、もしかして魔術?」

「クリノクロアの秘術と呼ばれているが、似たようなものだな。心配しなくともそれほど生命力は消費しない」

「クリノクロアのひじゅちゅ……じゅ、つ……」

「……秘術、だ」


 なんとなく復唱したら、噛んでしまった。まるで早口言葉である。

 アルジェンが「ひじゅちゅ」と笑っている声がするが、聞こえないことにする。何故かシルバーは両手で顔を覆ってうつむいてしまっているのだが、あれも笑っているのかもしれない。


「……あれ、光ってたの消えちゃいましたけどこれで大丈夫なんですか?」


 ステラは何事もなかったかのように、手のひらをアグレルに向かってひらひらさせてみる。先程まで不気味に光っていたのに、今は光っていないどころか、血を落とした痕跡も残っていなかった。


「……問題ない。もう一度手のひらを上にして、『開け』と念じてみろ」

「うーん?」


 言われたとおりに手のひらを上にして、頭の中で「開け」と念じる。

 その瞬間、手のひらにヒヤリと冷たい感触を感じる。そして、ステラの手のひらの上には先程アグレルが見せてくれたのと同じようなもやもやが現れた。


「……なんか、ひんやりする」

「亜空間の空気が漏れてくるからな。あまり浴び過ぎると体がただれる」

「え!? ちょ、これどうやって閉じるの!?」

「冗談だ」

「は!?」


 アグレルの辞書に『冗談』なんていう語彙があったの!? という失礼な言葉が喉から出かかったが、すんでの所で飲み下す。


「開けと念じて開くんだから閉じろと念じれば閉じる。少しは頭を使え」

「う、ぐ……はい」


 言われてみれば確かにそのとおりである。「閉じろ」と念じるとすぐに、すうっともやもやが消えて見えなくなった。


「次に魔力の集め方だ。魔方陣を設置しておいて、そこを通過した精霊の魔力を少しずつ抜き取る。これも秘術の一つだ」

「ひじゅ……抜き取るってどういう感じで?」


 首をかしげたステラの前で、アグレルは上着のポケットから一枚の紙を取り出す。折りたたまれたその紙を広げると、またもや二匹の蝶の図案だった。ただし、先ほどステラの手のひらに描かれたものとは少し違うように見える。

 おそらく、クリノクロアの秘術は基本的にこの図案をモチーフにした魔方陣を使用するのだろう。


 アグレルはその紙を広げ、テーブルの上に置く。


「この上を精霊が通過すると魔力が少し陣の中に残るんだ。それを虫かごに入れる。陣のそばで虫かごを開けば勝手に吸い込まれる」

「……思ったよりも地道な作業だった!」

「だから日常的に陣を敷いておいて、こつこつ魔力を貯めておくんだ。いつ能力を使うことになるか分からんからな」

「がんばります……」


 そこで興味深げに魔方陣をのぞき込んでいたアルジェンがまた手を上げた。


「それってさ、精霊に頼んで直接貰うことってできないの?」

「……頼めるならやっているさ。我々は精霊が見えないし、会話もできない」


 アグレルは『これだからユークレースの奴は』と言わんばかりに眉間にシワを寄せて言った。虚空に向かって呼びかけても反応してもらえない虚しさはステラもよく知っている。

 だが、そういえば――エレミアの部屋で能力を使ったとき、ステラはたしかに精霊の姿を見た記憶がある。


「あの、私、前に能力を使ったときに精霊の姿が見えたし声も聞こえたの。なのに今はなにも見えないんだけど……もしかしてアレは能力使うとき限定なんですか?」

「生まれつきではなく、能力を使ったときに見えたということは、クリノクロアの血に刻まれた契約が成立したから起こった変化だな。――結論から言うと、その契約で見聞きできるようになるのは救いが必要な精霊の姿と声だけだ。亡霊のように彷徨う姿しか見えないし、嘆き苦しむ声しか聞こえない。今後は能力使用時以外も見えるようになるぞ」


 つまり、ステラの目に映るのはおとぎ話のような妖精の舞う幻想的な世界ではなく、要救護者の苦痛のうめき声が上がる野戦病院である、と。


「……え、地獄じゃん」

「ふん。基本的にクリノクロアの能力は神から贈られたギフトではなく、科せられた呪いだと考えろ。我々は呪われた血筋なんだ」

「……地獄じゃん……」

「ちなみに近くで見てしまうと否応なしに力を使ってしまう。気配を感じたらまず距離を取れ。準備なしで近づくのは文字通り自殺行為だからな」

「本当に呪いだ……」


 聞けば聞くほどテンションが下がってくる。


「私、よくこれまで何事もなく過ごしてこれたね……」

「リヒターの言ったように、アントレルではレビンがうまくお前を遠ざけていたんだろう。それと、そういう特殊な土地でなければ、自分から飛び込んでいかない限りそうそう見かけることはない」

「あー……っていうことは、これからアントレルに帰るわけだし、気をつけないといけないっていうこと――」


「え!?」


 自分のつぶやきにかぶせて、あまり聞き慣れない大きな声が上がったことに驚いてステラはそちらを見た。声の主はシルバーだった。


「ステラ、アントレルに帰るの?」

「あ……うん、アントレルの森に、行方不明になってるお父さんがいるかもしれないの。探しに行きたくて」

「それは……そうだね、行った方がいい」


 「いい」と言いつつも、その表情は目に見えて沈んでいる。彼が犬や猫だったら間違いなく耳がぺしょんと伏せてしっぽが下がっていただろうな、と思わずにいられないくらいに落ち込んでいる。


(うっ……すごい罪悪感)


「……リヒターはお前を連れていくと言っていたぞ」

「え?」


 さすがのアグレルもそのシルバーの姿を哀れに思ったのか、フォローするようにそう言った。ステラも慌てて頷く。


「そ、そうだった。アントレルにはリヒターさんが一緒に行ってくれることになったんだけど、シンも連れていこうかって言ってたよ」

「本当?」


 シルバーの顔は一瞬ぱっと明るくなったが、すぐにまた沈みこんだ。――おそらく、アントレルに戻った先のことに考え至ったのだろう。


 その先どうなるのかはステラにもよく分からない。

 アントレルの森に父がいるのか、いないのか。そこにいたとして、代償を分散させることができるのか。

 そして……父が戻った後はアントレルで暮らすのか、それともクリノクロア一族のもとへ行くことになるのか、はたまた、ステラだけでレグランドへ戻るか――。

 

「ねえ、シンだけ? 俺は?」


 そんなステラとシルバーの間の微妙な空気を断ち切るように、アルジェンが大きな声を出した。


「リヒターは、お前についてはなにも言っていなかった」

「なんで!? 俺もアントレルに行ってみたいのに!」

「お前はうるさいから来るな」

「はあー? まあいいや、父さんに直接頼むから」


 いかにも面倒くさそうな顔をしたアグレルと、不満顔のアルジェンの言い合いをどこか遠くで聞きながら、ステラの頭の中は一つの言葉でいっぱいになっていた。


(私は、どうしたいんだろう……)

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