25. 代償は
クリノクロアの能力を使う代償は、術者が生きるはずだった時間。ステラはそれを、寿命が縮まるという意味だと捉えていた。
だが――。
「時間が止まってた?」
「うん。ステラだけね。……クリノクロアの能力を使うと、使った能力の規模に応じた時間を代償として奪われる――っていうのは分かってたんだよね」
「……うん、一応」
「ステラは、能力を使ったあとの約一年間を奪われたんだ。周りの時間は進んでいる中でステラの時間だけが止まって、そして、代償分の時間が経過したからまた動き始めた」
「……は? 時間が止まる……? 寿命が短くなるのかと思ったら、逆に能力たくさん使ったら途切れ途切れだけど長く生きられるってこと?」
活動できる時間が伸びるわけではないが、周りの時間が経過しても自分は年を取らないのであれば、わざと能力を使って老化を遅らせて長く生きることができそうだ。ステラはあまり興味がないが、そういう長生きをしたいという人もいるだろう。
だが、シンシャは頭を振った。
「私も最初そう思ったんだけど、でもそうじゃないんだってさ。時間を飛び越えてるわけじゃないから、寿命が伸びるわけじゃないらしい。例えるなら『完全に行動不能の時間』が一年間あった、っていう感じ」
肉体のすべてが完全に動きを止めてしまう。体どころか、細胞レベルで動かないから、成長も代謝もしない。
見かけ上は時間が止まったように見えるが、その実時間は経過しているので、もともと迎えるはずだった寿命を迎えれば若々しい姿でもぽっくりと死んでしまう。
「体が老化してないのに寿命で死ぬの……?」
「色々な伝承で出てくる神様とか精霊とかとの契約は理不尽なものばっかりだしね……強い能力を使う代償……いわばペナルティだから、術者にとってプラスにはならないってことだと思う」
「う……うーん、まあ、寿命が縮まっていつ死ぬか分かんないよりは、まし……なのか……?」
「寿命が減る方式だと、術者が事故で死んだり自殺したりしたら代償を回収できないからこういう方式なんじゃないかって」
「う……なるほど、相手が神様かなにか知らないけど、意地でも回収するっていうことね……あの、ところで、シンはなんでそんなにクリノクロアの力について詳しいの?」
クリノクロアのことについてはほとんど分かることがない、とリヒターが言っていた。それなのになぜ、シンシャはステラよりも詳しく知っているのだろうか。
「当主がクリノクロアに連絡して、聞いたからだよ」
「えっ!?」
「ステラが能力を使ったあと、完全に呼吸も心臓も止まってるし、でも死んでる感じじゃないし……って、大騒ぎになったんだよね」
「ああー……大変申し訳ない」
大丈夫と言いながら能力を使ったのに、蓋を開けてみたらいきなり心臓が止まっていたのだから、それは驚くだろう。特にそばにいたリシアには恐ろしい思いをさせたに違いない。
「いや、悪いのは当主夫婦だから。……とにかく、知識を持っている人に聞くべきだってことで、すぐにクリノクロアに連絡をとったんだ。で、向こうから人が来て、そういう説明を受けた」
「クリノクロアの人が来たの?」
「来た、というか今もいる。……本家に滞在してるから、あとで会うことになるよ」
そう言ったシンシャの顔は非常に不愉快そうだった。どうやらあまり気持ちの良い相手ではないらしい。
「まあアイツのことはいいや。母さんになにか食べるもの用意するよう頼んでくるから、休んでて」
「あ、ううん、別に具合悪いわけじゃないもん。自分で行くよ。それにあんまり実感はないけど、一年くらい会ってないわけだからちゃんと挨拶したいし」
立ち上がったシンシャを追いかけて、ステラもベッドから降りる。
並んで立つと、もともとシンシャのほうが高かった身長はさらに高くなっており、ほとんど真上を見上げなければ目が合わなくなっていた。
「……そっか、なんかずっと動かずに眠ってる姿見てたから……そうだね、体が悪いわけじゃないんだよな」
そう言ってシンシャはステラの頭をなでた。
子供のように扱われるのはあまりおもしろくないのだが、シンシャがあまりにも嬉しそうに微笑むので、ステラはまた赤くなって黙り込むことしかできなかった。
***
「ステラちゃん! ああ、良かった。時間が経てば目覚めるとは聞いてたけど、でもやっぱり心配だったのよ」
「ご心配おかけしてすみません……」
「いいのいいの。ステラちゃんはユークレースの問題に巻き込まれただけなんだから。こっちが謝らなくてはいけないことばかりよ」
セレンは静かに微笑んで、ステラの手をぎゅっと握った。
その手の暖かさで、ふと母のことを思い出す。
そういえば一年近く経ってしまっているというのに、その間ステラの母には何の連絡もできていないのだ。きっと心配しているはずだ――きゅうっと胸が痛む。
「あー!! ステラが起きてる!!」
そんな感傷を切り裂くように、にぎやかな少年の声が響く。
「あ、アル。久しぶり? ……だよね」
「久しぶり過ぎるよ。……あれ、ステラってこんなに小さかったっけ」
シンシャの背が伸びていたように、アルジェンの背もシンシャとほとんど同じくらいにまで伸びていた。
小さい小さいと笑いながらステラの頭をグシャグシャになでるアルジェンに、ステラは眉を吊り上げる。
「この……ちょっと背が伸びたからって調子にのって……!」
「いや、だって去年はそんなに違わなかったから新鮮すぎてさ。だよねぇ、シン」
「うん。かわいいよね」
バッと振り返ったアルジェンに、シンシャはほわほわと微妙にずれたコメントを返した。
ステラにはなんだかシンシャが微妙にポンコツになっているように思えるのだが、アルジェンは特に気にした様子もなく「まあ小さいのはかわいいか」と納得している。
「久しぶりににぎやかね。ところで、シンはもうリヒターに連絡したの?」
その様子を苦笑気味に眺めていたセレンに聞かれ、シンシャは頭を振った。
「まだ。多分本家に来いって言われるだろうから、その前に身支度したいかなと思って」
「そうね。先に着替えして、ちょっとお腹になにか入れておいたほうがいいものね。……そうそう、それでね、ステラちゃんに着てほしい服があるのよ」
「服ですか?」
たしかに今着ているのは簡素な室内着なので着替える必要があるのだが、着てほしい服という言い方にステラは首を傾げる。
「そう。春物なんだけど、きっとステラちゃんに似合うと思ってつい買っちゃったのよ。このあと本家へ行くなら、せっかくだから新しい服を着ていくといいわ」
「え、でも……」
「我が家は男ばっかりでかわいい服に縁がないものだから、ついテンションが上っちゃって。ね、お願い」
今まさにステラが着ている部屋着も、見覚えのない新品なのでおそらくこれもセレンが用意して着せてくれたものだろう。その上、外出着まで……と、申し訳ない気持ちに苛まれてしまう。
だが、お母さんっ子のステラは、母と同じ年代の女性にお願いされてしまうと断れない。それに、どう考えてもわざとだろうが、もう買ってしまっているのなら着ないほうがもったいない。
「分かりました……ありがとうございます」
苦笑しつつ承諾したステラに、セレンは嬉しそうに微笑む。その笑い方はシンシャとよく似ていた。