22. 精霊の解放
ステラはしばらくリヒターの家にやっかいになりながら、担当者と話し合って今後のことを決めていくということになった。
悔しいから色々わがまま言って困らせてやろう……とこっそり心に誓う。
「で、精霊はなんて言ってるの」
今後の方針についての話が終わったところで、リヒターがそう切り出した。
ステラには見えないが、どうやら精霊達はずっとなにかを伝えようと飛び回って騒いでいるらしい。
「……同胞を助けてくれと訴えているな」
「やっぱりか。でもステラはその方法を知らないらしいよ」
ね、とリヒターに話の矛先を向けられて、ステラは頷く。
「父は知っていたのかもしれませんけど、私はなにも聞かされていません」
「そうか。だが、精霊は『行けば分かる』と言っているな……『血が応える』?」
「血?」
「クリノクロアの血が、契約の証になると――契約とはユークレースと精霊王の契約と同じようなものかな。……ああ、頼むから一度に喋らないでくれ」
ノゼアンはこめかみに手を当て、軽く顔をしかめる。たくさんの精霊が一度に喋るので聞き取るのに苦労しているようだ。
「……総合すると、クリノクロアの能力は、必要な場面になれば自然と『分かる』という契約になっているそうだ。あなたが知らないのは、今までそういう場面がなかったからだろうね」
「分かる……」
「じゃあやっぱりステラをエレミアに会わせてみないといけないってことか」
リヒターのつぶやきに、ついに本題か、とステラは居住まいを正す。
エレミアに幻覚を見せている精霊を解放して、正気を取り戻したエレミアとの話し合いを試みて、シンシャが生まれや性別を偽らずに生きられる環境を整える――。
「……当主様と、リヒターさんの間で、もう話はついているんですか?」
もしもまだノゼアンがシンシャのことを知らないのであれば、ここで名前を出すのはまずい。主語をぼかしたステラの言葉に、リヒターは微笑む。
「話というのはシンのことかな?」
「そうです」
「話はついている。こちらから彼に対してなにかの権利を主張することも、危害を加えることもしないとね」
ステラが頷くと、ノゼアンが続きを引き取った。
「いずれ決着をつけないといけないことだったし、ステラという可能性が見つかったから、いい機会だと思ってね」
おそらく、リヒターはステラをダシにしてノゼアンと取引をしたのだろう。
それも、できるかどうか分からない『精霊の解放』ではなく、ステラの出自の裏付けもとれてほぼ確実な『クリノクロアとの取引』という餌を提示して自分の主張を飲ませる――という取引を。
ステラの心の持ちようかもしれないが、リヒターの微笑みは本当に信用できない。
「なら、私が精霊を解放できなかったとしても、エレミアさんがシンに対してなにかをしようとしたら止めてくれるんですよね」
「もちろん手を尽くす。……場合によっては彼女の幽閉も視野に入れている」
そう言ったノゼアンの瞳に影が落ちる。
(そりゃあ、奥さんがそうなったのは自分のせいだもんねえ……)
ノゼアンは想像していたよりも遙かに落ち着いて理知的な人物だ。こういう人物すら狂わせてしまうというのだから色恋というのは恐ろしい。逆に、若い頃の過ち故に現在のような人物に成長したのかもしれないが。
何にせよ、当主が手を尽くすのであれば、ステラが全く能力を使えなくとも、エレミアがシンシャに危害を加える険性はかなり低くなるだろう。
「それなら、会うだけ会ってみます。……期待はしないでいただきたいですが」
「……こちらの問題にあなたを巻き込んで、申し訳ない」
「いえ」
頭を下げようとしたノゼアンを、ステラは止める。
「代わりに色々な勉強をさせてもらうつもりなので」
なにせ、衣食住保証で勉強し放題だ。なにか仕事ができれば母に仕送りだってできる。ちょっと呪われている人と会ったり生活に監視がついたりするくらい安いものである。
「できる限り、あなたの希望に応えよう」
「よろしくお願いします」
ステラが頷くのを確認して、ノゼアンは椅子から立ち上がる。
「では、リシアに案内させるよ。……エレミアは私の顔を見ると不安定になることが多いから、私は行かない方がいいだろう」
「ああ、僕の顔を見ると憤死しちゃうかもしれないから僕もついて行けないんだ。だから護衛代わりにセグについてきてもらったんだよね」
リヒターがそう言って、「ってわけで、頼むよ」とセグニットを振り返った。
「おう。話がまとまったところで、姫様ちょっといいかい?」
「姫はやめてくださ……きゃ!」
斜め後ろに立っていたセグニットが、ぐいっとステラの腕を掴んだ。
正確には、左の二の腕のあたりを、だ。
ステラは一気に青ざめる。
「あ、えっと……セクハラですか?」
「お、しらばっくれるか。無理矢理服を脱がせるのは避けたいんだけどなあ」
セグニットに腕を掴まれ、青ざめたまま固まったステラの姿を、リヒターとノゼアンはぽかんとした顔で見ていた。
「セグ、いきなりなにを……?」
「リヒター。お前、この姫様のことをリシア嬢みたいな、か弱い女の子だと思ってるだろう」
「か弱い……とは正直思ってないけど」
思ってないのかよ、と苦笑しつつ、セグニットはステラを見下ろした。
「リシア嬢の事件の時、最初に倒されてた二人のうち一人は姫様がやっただろ」
「あー……ははは」
「でかい方の男は刃物で刺されていた。たいした傷じゃなかったが……俺はシンに刃物を持たせてない。精霊が暴走したときに危ないからな。それと、刺されていた位置から考えて、隠し持っていた獲物でやったって傷だった」
「……」
ステラは視線を泳がせながら、分かるものなんですね……と心の中でつぶやく。
「一応な、奥方の部屋に行くのに武器持ち込みはまずいんだよ。本当はこの部屋もまずいけど、まあ俺が止められるからいいかって見逃してただけで」
「はい……すみません」
ステラはそろそろと、袖に仕込んだ短いナイフを取り出してセグニットに渡した。
それを受けとったセグニットは、「足も」とステラの太もも辺りを指さした。
「あ、やっぱり分かるんですね……」
「一応こっちはプロだからな。動きや視線で分かる」
ステラはスカートをたくし上げ、太ももにつけたベルトからナイフを外す。
「これで本当に全部です」
「ずっと気になってたんだが、これは常に持ち歩いているのか?」
「そうですね……この二つは常に身につけてるやつです。だから隠そうと思ってた訳じゃなくて、本気で意識してませんでした……」
ええー……とリヒターが顔を引きつらせる。
「ステラ……暗器を使った戦い方なんてどこで覚えたの……?」
「ガイさんが、いざというとき身を守る手段が必要だからって教えてくれました」
「ガイさんって、アントレルのガイロルさんでしょ? 猟師だよね……? 動物相手に暗器なんて使わないだろう、普通」
「あ、ガイさんは昔、傭兵だったらしいです。……そういえば確かに全部対人を想定した訓練でしたね。言われてみれば……なんでだろ」
首をかしげたステラに、男達は顔を見合わせた。
「護身術にしては度を越しているし、これは、対精霊術士想定かな……」
「もしかしたらガイロルさんは、ステラの父親の素性を知っていたのかもしれない……僕がステラを連れていくことに異論を唱えなかったから、精霊術士よりもクリノクロアを警戒していたのかも」
「リヒターくらいなら簡単に倒して逃げられるだろうって舐められてたのかもな」
「ああ……確かにステラが本気で僕を倒そうとしてたらやられてたかも」
ひそひそと相談を始めた男達に、ステラはむうと頬を膨らませた。
「あの、私、別に危険物じゃないですよ。その武器だって、身を守る以外の目的で使うなって言われてますし」
「ああごめん、分かってるよ。ただ、ガイロルさんがどういう立ち位置の人なのかによっては、こちらの動きが敵対してる相手に筒抜けかもしれないからね」
リヒターが苦笑交じりにそう言って肩をすくめた。
ガイロルがなにかの組織の人間……? と、考えてみるが、ステラに思い当たる節など一つもない。ステラが幼い頃から、彼はアントレルの猟師として生きていたのだから。
「……大きな家の人は色々考えないといけなくて大変ですね」
「まあね。でも、君もそうなんだけどね」
「うへえ……」