19. ステラの『普通』
リシアを連れ去った犯人は十人弱程のグループだった。
彼らは数ヶ月ほど前から、ユークレースの本家のある島に生息する珍しい動植物を密かに島の外へ持ち出し、王都の闇マーケットに流して稼いでいたのだそうだ。
初めは四人の人物が手を組んで細々と小遣い稼ぎでやっていたのだが、長期にわたってとがめられることもなく、しかもそれなりの金が手に入ったことで気が大きくなり、どんどん持ち出す商品の量が増えていった。
挙げ句の果てに荷運び人員として近隣の町で仕事にあぶれていた男たちを雇って本格的なルートを作ろうとしていた――矢先に、初期メンバーの一人が怖じ気づいてグループから逃げだしたのだ。
その逃げ出した男が見つかって揉み合いになり、刺された場面を、たまたま通りがかって目撃してしまったのがリシアだったのだ。
リシアを見つけたのがレグランドの住人である初期メンバーの誰かであったなら展開は違ったのかもしれないが、その時その場にいたのは他の町からやってきたばかりの者たちだったため、誰も彼女の正体に気付かなかった。
「刺すところを目撃されたから連れてきた。仕方がないからこのまま攫って売り払おう――と提案されて、真っ青になったのは主犯の連中だ。なんたってレグランドじゃあ一番有名なお姫様だからな」
どう切り抜けようかと頭を寄せ合って相談していたところにセグニットがやってきて、乱闘の末、全員お縄についた……というのがことの顛末だったらしい。
(そっか、小屋の中で一生懸命相談中だったから、外で騒いでいても他の人が出てこなかったんだ……)
あのとき、ステラの行動がどの程度リシアに影響を与えたのかがずっと気になっていたのだが、話を聞く限りでは、犯人たちはどうも外の騒ぎに気付いてすらいなかったようだ。それだけ、この街の住人にとってユークレースの名は重いのだろう。
ほっとするステラの横で、リヒターが持ち出された動植物のリストが書かれた書類に目を通しながら「ふーん」とやや不機嫌そうな声を出した。
「結局ユークレース絡みか。しかも闇マーケットにまで流れてたなんて、警備はどうなってるんだろうねえ、セグ」
「今、俺らは本家の敷地内の警備には関わってねえんだよ。お前がしばらくいなかった間の話だが、ユークレースの先代当主の関係者? かなんかが、外部のヤツに任せられないとかなんとか言い出して自分の子飼いの連中を警備にねじ込んだんだ。……で、今回の犯人どもはその警備に金握らせて潜り込んでたってわけだ」
「先代の『関係者』ってもう十分外部だと思うけどね。――じゃあ、わざと泳がせて、その先代関係者もろとも一斉に切り捨てるつもりだったのかな」
「まあそんなところだろうな」
「やだねえ、どうせあいつのことだから闇マーケットに出た物の流れも押さえてるんだろう。性格悪いなあ」
そうやって顔をしかめたリヒターの言う、性格が悪い『あいつ』というのはもしや現当主のことだろうか。
「忌々しいが、実際、それのおかげでこっちは検挙がはかどって助かってるからな」
セグニットもうんざりしたような顔でそう言ってため息をついた。
後日シンシャから聞いたのだが、セグニットはリヒターの幼なじみであると同時に、ラウラと恋仲であったらしい。
リヒターとセグニット、その二人が当主について話をしている場で、なぜかステラはお茶とケーキをいただいている。居心地は最悪である。
「……あの、その話私が聞いていてもいいんですか」
「お、聞いちまったなら始末するしかないな」
「そうだね、口止めをしないといけないな。――これも食べていいよ」
口止め料のつもりなのか、リヒターが自分の分のケーキが載った皿をステラの前に置いた。まともに応じるつもりのないリアクションに、ステラは口をヘの字にして、新たなケーキにフォークを刺した。
それを見たセグニットが笑い出す。
「はは、そんな顔をしてるくせに食べるのか」
「くれる物はいただきます」
「素直でよろしい。……事件の話はどうせそのうち表沙汰になることだし、僕たちが本家をよく思ってないのも今更な話だから、別に隠すようなことでもないんだよ」
「はあ……」
そのうち表沙汰になるってことは、現時点で表に出てない情報ってことでしょう、と、言い返す代わりにケーキを口に詰める。
おそらくこの感じだと、その事件の話をわざと大ごとにして先代関係者を追い詰める……という当主側の計算なのだろう。それとは別に、どうせステラにはレグランドでその話を漏らす相手がいないので問題ないというのもありそうだが。
「まああんな胸くそ悪い奴の話はどうでもいいんだ。僕はそもそもステラに話があったのに、セグがいきなり来たのがいけないんだよ」
「お前のとこの子供が関わってたから、わざわざ機密情報を漏らしに来てやったってのに。嬢ちゃんも事件の顛末が気になってただろ?」
セグニットにそう言われて、ステラは口をモゴモゴさせながら頷いた。実のところ非常に気になっていたのだが、犯罪捜査などどう考えても首を突っ込んではいけない領域なので我慢していたのだ。
セグニットはステラが頷いたことに、ニッと口の端を上げた。
「ほらな。で、嬢ちゃんに話ってあれか、悪巧みのことか」
「……犯罪には協力しませんけど」
「悪巧みじゃないよ。それにステラ、いきなり犯罪と結びつけるってことは……シンからなにか吹き込まれたな」
リヒターが当主を殺害するのにステラを利用するかもしれない。
――などと言われたというのをリヒター本人に言って良いものか否か。
「……多少」
悩んだ末に、視線を泳がせながら濁した。
「はは、多少かぁ。まあなにを言われたかはだいたい分かるよ。シンは僕を信用していないからね」
「お前は過去の言動が悪すぎるんだよ」
「今はさすがに、昔ほど極端なことは考えていないさ。……でもあいつ、僕のことはちっとも信じてくれないのに、ステラにはえらく気を許してるんだよ。やっぱり思春期男子だから女の子に弱いのかな?」
「お前がいつもそういうことを言ってからかうからどんどん心を閉ざすんだろうが」
「いやあシンって真面目だからからかいたくなるんだよね」
そりゃあ自分をからかってばかりの大人など信用できないでしょうね、と半眼になりながらステラはフォークをリヒターに向けた。
「で、話とは?」
「うんまあ、シンに関係することなんだけどさ」
「シン?」
てっきり当主との面会日程の話かと思ったのだが、そうではなかったらしい。
首をかしげたステラに、リヒターは「どこから説明するかなあ」と宙を睨んだ。
「……もう知ってると思うけど、シンに女の子の格好をさせてるのは、当主夫人であるエレミアからあの子を守るためなんだ。……だけど、小さい頃はそれで通っても、さすがにいつまでも性別をごまかすのは無理があるだろ?」
「そうですね」
正直なところ、ステラは本人に言われるまで気付いていなかったのだが、言われてみれば違和感はあった。ただそれ以上に、シンシャの顔がきれいすぎることと喋らないことの印象が強すぎたのだ。
その印象に慣れてしまえば、ステラも遠からず気付いていただろう。
「それに、いつまでも隠れて暮らすようなことはさせたくないんだ。だから僕は、そろそろあの子の生まれを明らかにして、それで正式にうちの長男として引き取りたいと思ってるんだよ。――でも色々と問題があって」
生まれを明らかにするということは、シンシャがリシアの異母兄であることが明らかになるのだ。当主夫妻からしたら自分たちの醜聞が掘り返されることになるし、さらに次期当主争いが起こることだって考えられる。
「当主はくそ野郎だけど、別にこっちだって引っかき回したいわけじゃないし、このことについては話し合いで解決できると思う。……問題はエレミアだ。彼女に道理は通じない。シンが、自分の殺したはずの子供だと知れば、必ずまた手を出してくるはずだ」
「……でももう、十四年も経ってるのに」
ステラの人生がまるまる収まってしまうくらいの長い時間、憎しみが薄れないなんてことがあるのだろうか。娘が就くはずの次期当主の座をシンシャに奪われることを恐れる……というのはあるかもしれないが、それにしてはリシアに対しても無関心だというし。
首をひねるステラに、リヒターは困ったように笑った。
「彼女はね、今も自分の呪いに囚われてるんだよ。時々正気に戻ることはあるらしいけど、目を覚ましているほとんどの時間は幻覚と幻聴に苛まれている。……シンのことを知ったら、『復讐される』とか、『自分が呪われているのは子供が生きているせいだ』とか、幻聴と幻覚をフル動員で色々被害妄想を膨らませるだろうね。――そこでまた呪術に走ってくれればまあ、別にいいんだけど」
「いいんですか!?」
呪術のせいでシンシャは精霊を見ることができなくなったというのに。再び受けたらもっとひどいことになるのでは……というステラの心配が分かったらしく、リヒターは「大丈夫大丈夫」と手をひらひら振った。
「あんな死にかけの人の呪術なんてたいした効果は出ないよ。今のシンなら、自力で問題なく防げる」
「そういうものですか?……じゃあ別に問題ない……いや、エレミアさんが生命力使い切っちゃうかもしれないのは問題かもですけど」
「それで自分で死んでくれたらすっきりするけどね」
「……」
リヒターはニコニコしたまま、なんとも返事がしにくいことを言ってくる。
ステラが口をへの字にしていると、セグニットが苦笑した。
「すまんな、こいつはこういうヤツなんだ。聞き流していいぞ」
「……そんなだからシンに信用されないんですよ」
「ははは、つい本音がね。……ま、それは置いといて。――困るのは、人を雇って物理的に殺そうとしてくる場合だね。子供らには戦闘訓練をさせてるけど、だからって絶対大丈夫ってわけじゃないし、それにうちに侵入されてセレンを――今だったらステラもだけど、人質にされて脅されるかもだし」
「あの、そんな危ない人、外部と接触禁止にできないんですか?」
「そうしたいところだけど、残念ながら『やるかもしれない』ってだけで、まだやっていないことを理由に軟禁はできないよ」
「じゃあ……雇われた殺し屋を捕まえて依頼人を吐かせて、主犯として捕まえる?」
うーん、と首をかしげたステラの言葉に、男二人は一瞬動きを止める。
そして二人そろって大笑いを始めた。
「ステラはなかなか大胆な発想をするね」
「え、でも、ちゃんと法律で決着つけるんだから正攻法です。普通ですよ」
「普通は、殺し屋を捕まえるっていう発想にはならんだろ。嬢ちゃんは見かけによらずワイルドだな」
「……じゃあ、どうするんですか」
むうとむくれたステラに、リヒターは苦労しながら笑いを収めるとコホンと一つ咳払いをした。
「エレミアを呪いから解放したいんだ。幻聴や幻覚が収まれば多少話くらい聞くようになるだろう。現に正気に戻ってるときはまともに受け答えするらしいし。それで駄目ならまあ、ステラの『普通』の案を取らざるを得ないかもだけど」
「呪いから解放?」
「ステラの『普通』」という言い方に微妙にイラッとしながら聞き返す。確かに呪いがなくなれば、被害妄想を膨らませて……ということはないのかもしれないが。
「呪いの原因は、エレミアの使い魔になった精霊なんだ。彼らは禁忌を犯したせいで自由を失い、消滅するまでひたすらに対象の精神を侵し続ける。その精霊を解放すれば呪いは解ける」
「はあ……そんなことができるんですか?」
「普通はできないね。でも、それができる人がアントレルには居た」
「へ?」
ぱちぱちと瞬きをしたステラに、リヒターが微笑んだ。
「レビン・クリノクロア――ステラの父親だよ」