17. 問題はここから
ステラに与えられた客室は普段物置になっている場所を急ごしらえで空けたらしく、小さくて古い机と椅子のセットに立派なソファ、おそらく急いで用意された簡易ベッドとタンス……というちぐはぐな家具が並んでいる。
特に異彩を放っている立派なソファは大きくて座り心地がとてもいいのだが、どうにも柄がゴテゴテしていて落ち着かない。おそらくもらったけれど趣味に合わなくて普段は使っていない……というところだろう。
部屋に戻ったステラは窓際に置かれた小さな机に向かい、今日借りてきた本を開いた。
昼間読んだのは現在の各地の特色について書かれた本だったが、こちらはレグランド周辺の歴史についての本だ。
ぱらりと捲ると、本家があるという島の絵が載っていた。
島の三分の一くらいを占める大きなお屋敷があり、周辺に来客用の滞在施設、そして使用人の住宅。残りは元の自然を残した庭園になっていて、精霊がたくさんいるので、他の土地では生育が難しい貴重な植物などもあるらしい。
(やっぱり規模が違うわ……)
本文はユークレースの始祖で、魔族の侵攻を食い止めた英雄ウェロガン・ユークレースの半生から始まっている。
ステラはその数行を目で追って、そして意味が全く頭へと入ってこないことにため息をついて本を閉じた。シンシャがアルジェンに秘密にしたい話の内容が気になっていまいち集中できないのだ。
早く来ないかなと扉を睨み付けると、ちょうど控えめなノックの音が響いた。
「はいっ」
待ってましたとばかりに扉に飛びついて開けると、その勢いに驚いた顔をしたシンシャが立っていた。
「はいってはいって」
シンシャの手を引いてソファに座らせ、隣にステラも腰掛ける。筆談は非効率的過ぎるので口で話したい……となると手を繋ぐ必要があるのでこういう形になる。部屋がそこそこ広いのにくっついているのはややむずがゆい気持ちになるが仕方がない。
「……これ、――ステラが触ってれば精霊術が使えないってことは、しばらく黙ってたほうがいい」
繋いだ手を示して、シンシャが放った第一声がそれだった。
ステラは首をかしげる。
「え、なんで?」
「ステラに精霊術が効かないっていうのはステラだけの問題だからまだいい。でも、ステラが触れた相手は精霊術が使えなくなる、となったら話が変わってくる。簡単に、しかも確実に術を封じる方法を持った人間なんて、精霊術士にとって危険な存在だよ。精霊術士と敵対するやつが利用しようとするかもしれないし、逆にそうなる前に始末しておこうと考える術士も出てくるかもしれない」
「しまつ……!?」
精霊術士にとって精霊術を封じられるというのは武器を奪われるのと同じだ。非常に強力だというシンシャの精霊術すらほぼ無効化できるのだから、並大抵の精霊術士なら間違いなく完全に術を封じることができてしまう。
確かにそれは脅威以外の何物でもない。
顔を青くしたステラに、シンシャは更に言葉を重ねる。
「……それと、極力単独行動はしないこと。精霊が見える人からすると、周りに全く精霊がいないステラは奇異に映るらしい。興味を持つヤツが出てくるとやっかいだから」
「今までそんなの言われたことない……あ、見える人がいなかったからか」
「多分ね。ユークレースの人間なら大体は見えるから。で、ユークレースの中にも敵対勢力に力を貸している連中はいる」
「……敵対勢力って?」
「国。具体的に言うと王家」
「え!? なんで!?」
「力を持ちすぎてるから。土地も豊かだし、国民の支持もあって更に国防の要でもある。表向きユークレースは王家の臣下だけど、その実王家はユークレースに逆らえない」
「つまり、国防なんかの問題にならない程度に力を削っておきたい、と?」
「そう。今の当主はそのあたりのバランス感覚はいいみたいで、ここしばらく表だった問題は起きてない、けど水面下での衝突はよくあるみたい」
自分のことを単なるちょっと変わった体質だとしか思っていなかったのに、いきなりスケールの大きな話が出てきてステラは頭を抱える。
「うう、国家の闇……アルに聞かせたくなかったのはそういう話?」
「違う。これはレグランドの住民なら割と知ってる話。――私がアルに聞かせたくなかったのはリヒターのこと」
「リヒターさん?」
ステラは首をかしげつつ、嫌な予感に背筋が冷たくなるのを感じた。
実の息子に聞かせたくない、父親のこと――となると、ほぼ間違いなく愉快な話ではないだろう。
「リヒターは私を生んだラウラの弟なんだけど」
「うん、さっきそう言ってたね」
「両親を早くに亡くして支え合って生きていたらしくて、二人はお互いべったりだったっぽい。そんな姉が乱暴されて、しかもそれが原因で心を壊したなんてリヒターからしたら許しがたいなんてもんじゃない。本気で何回か当主を殺そうとしたらしい」
「ころっ……」
「もちろん周りから止められたし、そもそも当主は強くてリヒターじゃ敵わなかった」
現状で当主が存命なので当たり前ではあるのだが、それでもステラはホッと息を吐く。さすがに直接知っている人物が人を殺すとなると衝撃が大きい。
「――で、諦めたって話ならよかったんだけど、その騒ぎで、奥方は当主がラウラに手を出していたことを知ってしまった。そして被害者であるラウラを呪うという暴挙に出たんだ。……リヒターはそれで、自分の行動が姉の身の危険を招いたっていうことを反省して、本家から距離を置いて姉とその子供を保護する方針に転換した……というわけ」
奥方の呪いのせいでシンシャは精霊に苦しめられているのだから、その行為は許せないことだが、それをきっかけに子供を守ろうと考えたなら結果的に良く――
(……は、ないな。やっぱり当主夫妻が悪い)
でも奥方もかわいそうだけど……と思考がそれたところでシンシャが続ける。
「で、問題はここから」
「ま……まだ問題が」
「リヒターは、当主はもちろん、呪術なんて使ってきた奥方も憎んでいる。そして、その騒ぎの当時に当主夫妻の罪をもみ消したユークレース一族のことも」
「もみ消したの? もしかして当主が優秀だから失脚させたくないとか……」
「よく分かったね。そのことさえなければ、今の当主は凄く優秀なんだ。で、ユークレース的には王家がつつく隙を作りたくないっていうのもあってね」
「……リヒターさんはその罪を明らかにしたいの?」
「それはどうだろう。表沙汰になればラウラが汚された事実も面白おかしく国中に伝わっちゃうだろうし」
「ああそっか……」
名門一族の当主の醜聞。内情はどろどろ。などという話をことさら好む人間はどこにでもいるし、好き勝手想像を付け加えて話が膨らむというのも目に見えている。
「リヒターが望んでいるのは、当主夫妻とユークレース一族にダメージを与えること。手っ取り早いのは当主を辞めさせることだ。不祥事、事故、殺害――で、空いた当主の席に、私を座らせるつもりでいる」
「……シンを?」
「順当に行くと次期当主はリシアなんだけどね。残念ながら彼女はあまり精霊との相性がよくない。それに両親からほぼ放置されて育ったこともあって極端に自尊心が低い」
ステラはあの、なかなか視線が合わない少女の姿を思い出す。
足を捻ったのではないかと声をかけたときにあれほど驚いた顔をしたのは、もしかして普段彼女の周りに彼女を気にかける人間がいないからなのだろうか。
「彼女を当主に据えるのは皆ためらうだろうね。そこに、死んだと思われていた、当主の血を引く私が名乗りをあげれば、ほぼ間違いなく私が選ばれる。ユークレースは何よりも精霊とのつながりを重視するから」
シンシャは特に表情を変えずに話していたのだが、そこで少しだけ自嘲するように笑った。
「前当主の妻が殺そうとして、一族が見捨てた子供がトップに据えられるんだ。私は基本リヒターに従うから、事実上リヒターは本家を掌握できるし、最高の意趣返しだよね」
「……」
「で、不祥事、事故、殺害で辞めさせるって言ったけど、今までリヒターは不祥事を狙ってたんだ。仕事の関係であちこち飛び回ってて顔も広いから、一族の粗を探すにも陥れるための罠を張るにも手段は掃いて捨てるほどある。……だけど、そこでステラを見つけた」
「私?」
ぽかんとした顔で聞き返すと、シンシャは静かに頷いた。
「多分リヒターは、ステラが触れることで相手の精霊術を妨害できることに気付いている。で、当主が絶対的に強いのは精霊の守りが堅いから。――多分ステラがいれば、その守りを崩せる」
「……私に当主を殺すのを手伝わせるってこと?」
「本気でそこまで考えているかどうかは分かんない。でももともとリヒターは当主を殺したいほど憎んでいるし、諦めてたのに『できるかもしれない』っていう可能性が目の前に提示されたら、魔が差すってことは十分考えられる。だから、もし当主と会うことがあるなら気をつけて欲しいんだ」
まっすぐに見つめられて、ステラは戸惑う。
シンシャから語られるリヒターは、ステラの知る彼とは別人のようだった。当主を殺す、失脚させる、シンシャを当主にすげ替える――そこに、シンシャへの愛情は感じられなかった。
「で、でも、失脚させるっていう計画は未だに実行してないんでしょう? 十年以上経ってるんだしもうそういうのは忘れてるかも……」
「ユークレースの当主を継承できる年齢は十五歳からって決まりがある。私は今十四歳。計画を実行するなら来年……っていうかもう一年ないけど、私が当主の継承権を得るまで待ってるんだろうね。忘れるなんてことは絶対にないよ」
どこか他人事のような口調で話すシンシャの横顔を、ステラはじっと見つめる。ぱちんと一つ瞬きをして、口を開いた。