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16. ことの始まりは

 シンシャが「後で話す」と言っていた女装の謎の話を聞くため、夕食の後ステラはシンシャの部屋を訪ねた。

 筆談は非効率的だし、二人きりで囁く……というのはかなりあれなので、説明役のアルジェンも一緒だ。

 恐ろしく殺風景な部屋の中、ステラは申し訳程度に置かれていたクッションを並べ直してベッドの上に座る場所を作った。そして椅子に座る二人を振り返る。


「ねえ、昨日から思ってたんだけど……私がそばにいると精霊が逃げるんでしょう? じゃあ、私がそばにいたらシンシャが普通に話しても精霊術は発動しないんじゃない?」


 ステラがそう言って首を傾げると、二人はぱちんとまばたきをして顔を見合わせた。どうも、彼らにとっては『喋ると発動してしまう』のがあたりまえ過ぎて、その発想に至らなかったらしい。


「昨日ちょっとだけ発動したのは、私が急に抱きついてシンがびっくりしたせいで精霊が動いちゃったんでしょう? 私だって切羽詰まってるときは精霊術使えることあるもん」

「確かに……じゃあずっとステラが抱きついてたらシンは普通に喋れるってことか」

「え……無理」


 シンシャが眉根を寄せて本気で嫌そうにふるふると頭を振る。

 ステラだって別に抱きつくつもりだったわけではないが、そこまで嫌そうにされると複雑な気持ちになる。


「……そうじゃなくて、隣にいるとか、手を繋ぐとかでも、シンが精神的に落ち着いている状態なら普通の会話くらいは出来るんじゃないかってこと」

「なるほど……試してみようか。精霊の逃げ具合を見て、いけそうなら普通に喋ってみようぜ」

「じゃあシン、ここに座って」


 ステラはクッションを少し移動させて場所を空け、自分の隣に座るようにベッドをポンポンと叩いた。シンシャは微妙な顔をしていたが、それでも普通に会話ができるというのは魅力的だったらしく、大人しくステラの隣に腰を下ろした。


「かなり減ったけど、まだステラがいない方に偏ってくっついてるからダメそうだな。……それにしても、ステラの嫌われっぷりが清々しい」

「く……見えないけど悲しい……じゃあ次は手をつないでみよう」


 はいっ、とステラが手を出すと、シンシャがためらいつつ手を繋ぐ。


「あ! 触った瞬間全部逃げた……ちょっと手を離してみて」


 アルジェンの指示通り離したり触ったりしてみると、どうやらステラが指一本でもシンシャの肌に触れていると精霊が逃げ出すようだった。

 そして、ステラの動きに合わせて精霊が激しく行ったり来たりするらしく、精霊が見えるアルジェンは一人だけ大爆笑していた。

 そこまで激しく精霊に嫌われているという事実にかなりへこみながら、ステラは再びシンシャの手に触れた。


「普通に喋ってみて。昨日みたいに風とか――」


 そのステラの言葉が終わる前に、ステラの手をぎゅっと握り込んだシンシャが口を開き、はっきりと声を出す。


「アルをずぶ濡れに」

「は!?」


 突然の名指しに、アルジェンは一瞬構えたものの、精霊術は発動しなかった。


「……本当だ、喋っても大丈夫そう」

「それはいいけど、なんで俺!」

「いや、なんとなくイラッとした」

「ええー……まあいいけどさ。……で、シンの正体の話だよね」


 だらけた姿勢で笑っていたアルジェンが、笑いを引きずりながらも姿勢を正して椅子に座り直したので、ステラもつられて姿勢を正す。

 シンシャのためらいを映すかのように、ステラの手を握る力が少し弱まった。



***



 ことの始まりは約十五年前、ユークレース本家の現在の当主、ノゼアン・ユークレース婚礼の日まで遡る。

 婚礼の日の夜、つまり当主夫妻にとっての初夜に、ノゼアンが訪った先は夫婦の部屋ではなく、自分の姪であるラウラ・ユークレースの元だった。

 彼はその夜、自分の妻ではなく、嫌がるラウラを無理矢理自分の物にしたのだ。


 その結果、ラウラは子を宿し、一人の男児を産み落とす。


 夫の裏切りを知った当主の妻エレミアは嫉妬に狂い、その憎しみのすべてをラウラとその男児に向けた。禁術とされている、相手の精神を蝕む呪術を用い、ラウラたちを呪ったのだ。

 元より、信頼していた叔父に乱暴されたことで精神のバランスを崩していたラウラは、その呪術を受け完全に発狂。そして、幼い男児は呪いの負荷に耐えられずに命を落とした。


 ――冒頭からドロッドロの高粘度な話に、ステラは心のなかで頭を抱える。

 話の流れから言って、その死亡したことになっている男児がシンシャなのだろう。当の本人であるシンシャが、そんな話を淡々と話しているところがまたつらい。


「……多分察している通り、その子供が私。ノゼアンはラウラと父さん……ややこしいからリヒターって呼ぶけど、リヒターの叔父。それでラウラはリヒターの姉だから、私はリヒターにとって甥であると同時に、いとこでもある」

「え……ちょっとまって」


 ラウラとリヒターが姉弟なので、それぞれの子供であるシンシャとアルジェンの関係はいとこ。であると同時に、シンシャはリヒターのいとこでもあって……というところでステラは思考を放棄する。


「……複雑なことは分かりました」

「うん。細かいところはどうでもいいよ。とにかく私はアルの兄弟じゃなくて、リシアの異母兄なんだ」


 どちらも父親がノゼアンだが、リシアはエレミアの娘で、シンシャはラウラの息子。つまり腹違いの兄ということになる。


「ええと……それ、リシアは知ってるの?」

「死んだ異母兄がいたってことは知ってるはず。自分の両親が何をしたのか、も」

「う……なるほど……で、実際は死んでいなかった、と」

「うん。エレミアの呪いはリヒターがほとんど防いだらしい。ラウラは呪術とは関係なく妊娠中から発狂状態だったし、出産後は記憶もなくして、今は別の土地で療養してる」

「……うーん、つまり呪いの影響はなかったってこと?」

「いや、影響は二つあった。一つは、私が呪いの一部を受けて精霊を見る力を失ったこと。もう一つは、エレミアに呪いが跳ね返ったこと」

「見えないのが呪いのせい? ……そもそも呪術ってどういうものなの?」


 精霊術というのが精霊に願いを叶えてもらうものだとすると、呪術は精霊を縛り付けて強制的に願いを叶えさせるもの、であるらしい。

 精霊というものは自然の中から生まれ、思考は純粋かつ単純。そして束縛や強制を嫌う。――そんな存在を閉じ込め、術者の血を与えて育てる。そうすることで精霊自身の思考は消え、術者の命令に忠実に従う使い魔となるのだ。


「精霊って閉じ込められるの?」

「古い時代の魔術にそういうのがあるみたい。血を使って魔方陣を描いて、その陣の中に入った精霊を捕獲するんだって」

「ひえ……」


 魔術というのは現代ではほぼ使われていない。

 なぜなら、魔術は術者の生命力を消費して使うものだからだ。

 過去に奴隷に魔術を使わせ、使い捨ての兵器として利用した国などもあり、現在は他人に魔術を使わせるのは世界的に禁止されているくらいである。

 血を与えて育てるというのも、捕まえるときと同様に自分の生命力を削って精霊に力を与えるということなのだろう。

 魔術で精霊を自分の使い魔として使うというのは、自分自身に命の危険がある上に使役している精霊以外からは嫌われてしまう。

 基本的に良いことなどないのだが――。

 

 精霊は神から一つだけ禁忌を課されている。

 それは、他人の精神に干渉すること。

 その禁忌を犯した精霊は思考と自由を奪われ、本来ならば自然の中から吸収できるはずの魔力を吸収することができなくなり、じわじわと弱って最終的に消滅してしまう。

 そのため、如何に奔放な精霊であろうと、その禁忌だけは犯さない。


 しかし――使役された精霊は、命令によってその禁忌を犯してしまえるのだ。

 相手の精神に干渉し、思うまま操ったり精神に大きな傷を与えて破壊したりするその術は、倫理的に見て問題が大きい。さらに、精霊術士にとっても、協力すべきパートナーである精霊を犠牲にするという行為は到底許されるものではなく、故に禁術として強く戒められているのだという。

 エレミアは、自分の命を削ってその禁術に手を出したのだ。


「その呪いを受けた私は、命こそ取られなかったけど、代わりに本来持っていたはずの精霊の加護や能力を失った」

「能力を失った?」

「そう。ユークレースの始祖は精霊王と契約を交わして、強力な精霊の加護と精霊を見る能力を手に入れた。で、それが子孫に脈々と受け継がれている。……本当かどうかは知らないけどね。――でも私は、見る能力を失くしたから見ることができないし、加護は変なふうに作用しちゃって、ちょっと喋っただけで精霊が暴走するようになった……っていうのがリヒターの見解」


 それではその呪術さえなければ、シンシャはアルジェンと同じように普通に喋り、精霊を見ることができたのだ。

 ステラはむむむ……と眉根を寄せる。


「エレミアの方はラウラが受けるはずだった精神干渉を自分で受けることになった。まあ呪いの一部だったから、幻聴や幻覚に悩まされるくらいで済んだみたいだけどね」

「あのおばさん、魔術で生命力削ったせいでいつも具合悪そうだし、そこに幻聴やら幻覚やらが加わってヒステリーばっかり起こしてるんだよ。完全に自業自得なんだけどな」


 エレミアのことを思い出したのか、アルジェンは顔を歪めて吐き捨てるようにそう言った。それに対し、シンシャは少し肩をすくめただけで流した。


「まあ……運良く私は生き残ったけど、生きてることを知られたらエレミアが懲りずにまた呪術を使ってくるかもしれない……と、考えたリヒターが、私を自分の子供として育てることにしたんだ。男だと怪しまれるかもしれないから、念のため性別を偽ってね」

「それで女の子の恰好なのね」


 性別を偽って何年も暮らすというのがどれほど大変なことなのかわからないが、成長すれば体にも大きく違いが出てくる。声変わりや骨格の違いなど、気苦労が絶えないことだろう。

 だが、シンシャの態度を見ていると、そんな大変な目に合うことになった原因であるエレミアやノゼアンに対して怒りを抱いている様子は見えない。長い時間のなかで怒りが薄れたのだろうか。


(でも、むしろ投げやり……自分のことをどうでもいいって思ってるみたい)


 今もアルジェンの方がよほど腹を立てている。

 当事者には当事者にしか分からない感情があるのかもしれないが、ステラは何となく胸の底が波立つようなものを感じてしまう。


「そういうこと。だからステラ、基本的に性別のことには触れないように」

「はあい」


 引っかかる物を感じながらもステラが頷くと、それを確認したシンシャはスッとドアの方を指さした。


「じゃあ、解散」

「へーい」


 用が済んだから出ていけ、というシンシャの態度にアルジェンは苦笑しつつ立ち上がった。

 ステラもそれに続いて立ち上がろうとしたところで、支えにしていた腕をくんっと引っ張られてベッドに尻餅をついた。まだ座っているシンシャに引っ張られたせいでバランスを崩したのだ。

 今のはどう考えてもわざとだった。クッションがあるので危なくはないが、それでもびっくりする。ステラはシンシャに文句を言うために顔を上げてキッと睨みつけた。――だが彼はステラの予想に反して、真剣な表情でステラを見ていた。

 そして、すっと耳元に顔を寄せ、囁く。


「まだ話があるから後で部屋に行く」

「!」


 ステラはパチパチとまばたきをしてシンシャの顔を見た。

 外では話せない、そしてアルジェンにも聞かせたくない話がまだあるらしい。


「ステラ、何転んでんの?」

「……よろけた」

「まぬけ」

「うるさい」


 ステラはシンシャにだけ分かるように小さく頷き、アルジェンと言い合いをしながら部屋を後にした。

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