14. なおさら全力
堤防の向こう側で一体なにが起こっているのか分からないが、まだドカバキと物騒な音が聞こえてきている。
そんなところへ弟が飛び込んでいったことが心配ではないのだろうか……と後ろにいるシンシャの顔を見ると、彼女(彼?)もじっとステラを見つめていたらしく、視線がバッチリと合ってしまった。
「うわっ」
まさかシンシャがこちらを見ているとは思わず、ステラは可愛らしくない悲鳴とともにビクッと肩をはねさせる。ステラはてっきりシンシャが弟を心配してそちらを見ているものだと思っていたのだ。
そんなステラの態度が気に入らなかったのか、シンシャはぐっと眉間にシワを寄せてムッとしたような声を出した。
「……なに?」
「……いや、あの、アルを行かせて大丈夫なの? 危ないんじゃ……」
「セグがいるし」
「……はあ」
いるし、と言われてもステラはセグニットが一体どのような人物なのかも知らない。だがまあ、彼らの実力をよく知るシンシャが大丈夫だと思うのであれば大丈夫なのだろう……と自分を納得させる。
ならば後は、リシアを含めた全員の無事を祈ってここで待機するだけだ。
待つだけというのはあまり性に合わない。そわそわする気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしようとした瞬間、急に後ろへぐいっと引き寄せられ、ステラは間の抜けた悲鳴を上げた。
「ふやあ!?」
「なにその変な声」
耳元でシンシャの囁き声が聞こえる。
相手は男性で、後ろから抱きしめられて耳元で囁かれる……といえばまるで親密な間柄のようだが、現実はそんなロマンチックな光景とはほど遠く、完全なる羽交い締めだった。そんな体勢で、次に耳元でそっと囁かれた内容にざっと血の気が引く。
「私が男だっていうことは人に言わないように。君の命に関わるかもしれない」
いのち……命とは?
つまり、喋ったら殺すぞという脅迫だ。
「か、勝手にそっちが喋ったのに!!」
「だって、同じ家にいたらバレるのは時間の問題だから、それなら先に言っておこうと思って。人前で騒がれても困るし」
「騒ぐなんて……いや、騒ぐ可能性もあった……かも」
「うん。……このことを知ってるのは両親、アル、あとセグニット。他の人の前では絶対に言わないように。……というか知ってる人の前でも基本的に言わないで。どこでだれが聞いてるか分かんないから」
シンシャは初めてステラがあの家に着いたときも女の子の格好をしていた。ということは、家の中でも常に女性として過ごしているのだ。
そこまで徹底的に性別を偽る理由が、ステラには想像がつかなかった。
「ええと、趣味でやっているわけでは……」
「違う。……理由は、家に戻ったら話す」
「……分かった」
なにかのっぴきならない理由があることも、ここでは話せないことも分かった。
そしてシンシャの体質上、大きな声で話せないため囁きになってしまうのも仕方がない。だが――。
「と、とりあえず、離してください……」
羽交い締めという色気もなにもない状態であるものの、耳元でずっと囁かれ続けるのは心臓に悪すぎる。同性ならばまだしも、相手は異性で、しかも美少女ならぬ美少年なのだ。面食いのステラは美少女でもときめいてしまうというのに。
一度意識してしまうと、自分の鼓動がドクドクとやけにはっきり聞こえてくる。
謎の多い名門一族の秘密を知って、喋ったら命はないぞと脅されている場面でときめいてる場合じゃないでしょ!……と自分でも思いながらも、頬が熱くなるのが抑えられない。
ステラが吊り橋効果というものを知っていたらもう少し冷静になれていたかもしれないが、あいにくこの世界ではその言葉は存在しなかった。
周囲に人の気配がないか警戒していたシンシャは、もごもごと抵抗を始めたステラの首筋が真っ赤に染まっていることに気付き、慌ててぱっと離した。
「……ごめん」
「いえ……なんかすみません……」
ぼそっとつぶやかれたシンシャの謝罪に、ステラもぼそぼそと返す。
(脅迫されたのに赤くなってるなんて、絶対おかしいヤツだと思われてるよね。しかもアルやリシアが危険にさらされてるこんな時に!!)
ステラはいたたまれなくなって顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。
その時同時に、シンシャも自分がステラに対してかなり際どいことをしていたことに思い至り、同様に赤くなっていたのだが、顔を覆っていたステラは全く気がつかなかった。
しゃがみ込んだまま落ち着こうと深呼吸を繰り返していると、すぐ横に同じようにシンシャがしゃがみ込む気配を感じる。
「……セグは元軍人で凄く強い。それにアルは私よりも精霊術を使いこなせる。リシア絡みならなおさら全力出すだろうし、心配ない」
シンシャはぽつぽつと、言葉少なに話し出した。
もしかしたら、自己嫌悪でしゃがみ込んだステラが、アルジェンたちを心配して思い詰めているように見えたのかもしれない。それで元気づけようとしてくれている――。
(違う……って、完全に違うわけでもないけど、なんかごめんなさい……!)
さらなる自己嫌悪に陥りつつ、頭を切り替えようと今聞いたことを反芻する。
シンシャが言いたいのは、二人とも強いから心配するなということだろう。
だが……セグニットは比較的若いと思うのだが、元軍人だというところに引っかかりを感じてしまうのはレグランドに来てから色々ありすぎたからだろうか。
しかし、また何かの秘密を知って死亡フラグを立ててしまうのは避けたいので、その引っかかりを追求するのは止めておくことにする。代わりにもう一つの疑問を口にした。
「なおさら全力って、……アルはリシアのこと苦手なんじゃないの?」
図書館でリシアを見たとき、アルジェンは「げ」と顔をしかめていた。だからてっきり仲が悪いのだと思っていたのだが。
ステラがそう言うとシンシャはゆっくりと頭を振った。
「逆。あれは、好きだから素直になれない方」
「ああ……」
好きな子をいじめてしまう男子の心理か。
図らずも少年の秘めた恋心を知ってしまったことに心の中で謝りつつ、今度アルジェンから嫌味を言われたときの返しに使わせてもらおう……と考えたステラだった。
***
精霊術が使えないように布で口を塞がれ、手足を縛られたリシアは床に横たわっていた。
縛られた手が痛んで身じろぎすると、頬にささくれた木の床板がチクチクと刺さる。
部屋は漁師の物置として使われているらしく、むっとするような潮の匂いで満ちていた。窓は塞がれているようだが、木の板を並べて作られた壁は傷み、隙間から細く漏れる夕日の明かりでかろうじて部屋の中の状況が分かる。
リシアの視線の先に、一人の中年男性が横たわっている。彼は縛られていないが、その呼吸の荒さが、拘束しなくとも動けないことを物語っていた。
リシアからは見えないのではっきりは分からないが、おそらく腹部を刺されたのだろう。手当さえ受ければ助かるかもしれないが、リシアとこの男性をここに運び込んだ男たちは、彼を治療するつもりがないらしい。
この手が動けば、せめて止血だけでも……。
でも、止血したところで、ここから出られなければ助かるとは思えない。
そもそもこの手を縛る紐すらほどけない私に、人を助けることなんて……。
じわりと浮かぶ涙を、拭うこともできないのでひたすら目をきつく閉じて耐える。そのリシアの耳に、突然、木の板がへし折れる大きな音が飛び込んできた。
「おいっ! 何だお前!」
「すみませんね、うっかり殴ったら外の壁叩き割っちゃったんで修理させてもらいますわ。この塗料の缶は空かなぁ?」
「は!?」
おそらく隣の部屋にだれかが来て暴れているのだ。
ガチャンガチャンと陶器が割れるような音に、一斗缶が蹴り飛ばされたような音が響く。その合間に複数の男達の狼狽する声が混じっている。
乱入者の声に、聞き覚えがあるような……とリシアが記憶を探っているところに、物置の扉がガチャリと開いて人が入ってくる気配がした。
「なんだあれ、やべえ……」
「相手は一人なのが救いだな。今のうちにそこの女連れて窓から逃げるぞ」
ひそひそと話し合う声がして、二人の男がリシアのそばにやってくる。
そして、男の一人がリシアのお下げ髪の一本を掴んで引き起こした。ぶちぶちと毛の抜ける音と痛みに襲われてリシアは顔を歪める。
「おい、急げ――」
もう一人の男がせかす声と同時に、シャァン、と澄んだ音が部屋に響いた。
「な、なんだ?」
割れるどころか、粉砕された窓ガラスがさらさら光をまき散らして舞う中、そこに立っていたのは黒い髪の美しい少年だった。
髪を掴まれて引きずり起こされたリシアと、目が合う。
その瞬間、少年が一気に殺気立った。
「てめえ、リシアにさわんじゃねえよ!!」
今までリシアが聞いたことがないくらいに怒りに満ちた声で怒鳴ったアルジェンは、まるで電撃のようなスピードで髪を掴んだ男に肉薄すると、そのみぞおちに全力で拳をたたき込んだ。
「ぐえっっ!!」
「ちょ、何だこのガキ……!」
殴られた男は白目をむいて、ガクンと崩れ落ちる。その手から力が抜けたせいでリシアの髪がするりと離れ、支えを失ったリシアもよろめいた。――が、アルジェンがそっと肩を抱いて、優しくその場に座らせてくれる。
そして、アルジェンは眉根を寄せてそっとリシアの頬を撫でた。
「……殴られたの?」
男たちに捕まったとき、精霊術を使おうとして蹴られたときの傷のことを言っているのだろう。まだじんじんと痛むその場所は、ひどく腫れているのかもしれない。
――こんなふうに腫れた、ひどい顔をアルジェンに見られたくなかった。
頷くでもなく、瞳を揺らしたリシアの様子に、アルジェンはにこりと微笑んだ。
「よし、じゃあ――あいつら全員殺す」
「「!!??」」
犯人側の男だけではなく、リシアも思わず目を丸くする。しかもアルジェンは言うが早いか、次の瞬間にはもう上段の回し蹴りを決めて残った男を吹っ飛ばしていた。
「う……うー!!!」
止めないと、アルジェンが殺人者になってしまう。
だがリシアが必死に声を上げてもアルジェンは止まらず、すでに伸びた男の襟ぐりを掴んで拳を振り上げた。
――だれか止めて!!!
その声にならない悲鳴が聞き届けられたかのように、アルジェンの拳は止まっていた。――隣の部屋を片付けてやってきたセグニットに腕を掴まれて止められたのだ。
「落ち着けこのアホ!!!」
「いてぇ!」
ポコンと叩かれたアルジェンは不満げにセグニットを睨み付けた。
「だってこいつらリシアに怪我をさせたんだぞ!」
「だからって嬢ちゃんの前で人殺しをするつもりか! もうここは俺に任せて、嬢ちゃん連れてシンたちと合流しろ」
「チッ、分かったよ」
ぷくうっと頬を膨らませてこちらを振り向いたアルジェンは、いつもの陽気な少年の顔に戻っていて、思わずリシアの瞳から我慢していた涙がこぼれ落ちていった。
「っえ!? どうしたのリシア、傷が痛むの!?」
「お前が泣かせたんだ、アホ」
「俺が? 何で!?」
なんかよくわかんないけどごめん! と身も蓋もない謝り方をするアルジェンに、リシアは頭を振る。
助かったこと、アルジェンが助けに来てくれたこと、そして彼が人を殺さなかったことに安堵して涙があふれてくるのだ。
口を塞ぐ布や手足を縛った紐を外してもらった後も、涙はしばらく止まらずに流れ続けた。