142. お祖父ちゃん
「なんでライムまでクリノクロアに行くの?」
ホーリスによるクリノクロアへの「ダイアス家元当主+次期当主」押し付け事案のあと、ステラはライムのいる客間を訪ねていた。
そんなステラには「当然」という顔でシルバーがくっついてきており、部屋に入る時点で若干渋られた……が、結局ライムが根負けする形で中に通された。
――そして、中に入って開口一番のシルバーのセリフが、冒頭の一言である。
「『ライムさん』だろうが。年上を敬え、この銀色」
ライムは眉をつり上げて――というか部屋の扉を開けてシルバーを視認してからずっとつり上がっているが――言い返した。
しかしそのライムの言葉に、先に反応したのはステラだった。
「え、年上?」
なんとなく自分と同じくらいなのだろうな……と思っていた。
同年代よりも少し身長が低めのステラよりも、ライムはさらに背が低い。そのせいで、「口の回る妹」のような感覚で見ていたのだ。
「……十七。ヨルダと同い年だ」
そのステラの、「背が低いから年下だと思っていた」という雰囲気が伝わってしまったらしく、ライムは露骨に不機嫌な声で答えた。
そこに、いつものごとくすかさずシルバーが口を挟む。
「どう足掻いてもそうは見えないけどね」
「なんだその言い方」
「そんなのどうでもいいんだよ。その年上のライムはなんでクリノクロアに行くの」
「ぶち殺すぞこのクソガキ」
「二つしか違わないのにガキもなにもないよ」
「二年長く生きてるんだから二年分偉いんだよ」
「その発想がガキ」
「……んだとこの」
瞬く間に言い争いに発展していく二人に、ステラはため息をついた。そしてゴホンと咳払いを挟んでから、話を先に進めることにする。
「どっちもどっちなので不毛な言い争いはやめてください。……で、ライムさんがクリノクロア行きを希望する理由を私も知りたいです」
「どっちもどっちってなんだよ」
ライムが噛みついてくるが、ここはスルーする。
クリノクロアでダイアス家の受け入れが決まったとは言え、明日王宮を出るという予定に変更はない。ステラは早めに戻って、荷物などの最終チェックをしておきたいのである。
別に私物を大量に持ち込んでいたりはしていないし、すでに荷造りも終わっているが、それでも出発直前にばたつくのは嫌なのだ。
「ええと当主……いや、『元』当主様? と一緒に滞在するってことでしょう? 気まずくないんですか?」
「別に。もともといつも仲良くお話してたわけじゃないし。……っていうか、クリノクロア行きはあたしが希望したわけじゃねえよ」
ライムはステラがスルーしたことに舌打ちをしたが、口を尖らせたまま答えた。
「えっ、そうなんだ」
「希望したのはあたしじゃなくて、親父なんだよ」
「カルクさん?」
ライムの父親のカルク・ダイアスは、自信の塊のようなグラインやライムとは似ても似つかず、どことなく気弱そうで幸薄そうな人物だ。
しかし、隠し持っていたグラインの不正の証拠を提出して、当主であるグラインの地位にとどめを刺したのは他でもないカルクだ。
娘のために父に反旗を翻したのに、その父と娘を一緒に他所の家に預ける……というのは不思議な話だ。
「そ。ダイアスの内部のゴタゴタの対応は親父とその周りの大人で対応するから、子どもは避難してろってさ」
「子どもって言われてるじゃん」
「うるせえ銀色」
すかさず余計な口をはさんだシルバーを睨み、ライムはため息をついた。
「まずあれか、お前ら今のうちの内部事情が分かんねえもんな。……じいさまがスピード解任されたあと、一時的に――ってことで、とりあえず叔父貴が当主の席に着いてるんだけどさ」
「あれ? 当主の座はそのままライムさんにスライドするのかと思ってた」
もともとライムはダイアス家の中で「次期当主」という肩書きを与えられている。すでに内外に周知されているし、かなり以前から王宮にも出入りしているので、グラインが退いたあとは当然ライムがその席に座ると思っていたのだが……。
「もともと、あたしが次期当主になるってのはじいさまの一存で決まってたことだからな。いちおう一族内で反対意見もなかったし賛同も受けてるけど、じいさまがああなった以上、それもどうなるかわからんのが実情だ」
「そっか……」
「別にあたしは、機械いじりできるんなら当主だのなんだのはどうでもいいんだよ。むしろ、経営だの顧客だのの雑事に煩わされずにすむしな」
当主の仕事というと、ステラはノゼアン・ユークレースの例しか知らない。まさに「雑事に煩わされ」て、忙殺されている人だ。
「んで。話戻すけど、叔父貴が当主になって事業や人員の見直しをしますって話になったんだよ。そういう後始末的なことは、いままでずっと『怖いお父様』のアレコレをずっと見て見ぬふりしてきた元当主の息子娘世代がやるべき事だから、あたしら孫世代は手出しするなってことになってんの」
「それはわかるけど……今後を見据えた見直しなら、新しい世代が一緒になってやった方がいいんじゃないの?」
そう首を傾げたステラに応えたのはシルバーだった。
「今のダイアスは汚れたイメージが強すぎるから、一度完全にまっさらにしてから新世代に移行したいんだろうね」
「そういうこと。色々調べてみたら王弟妃関連で今よりもヤベェ話が出てきちゃいました-、って可能性もないわけじゃないからな」
ライムも頷いて肩をすくめた。
王弟妃は自分の領地から得られる税収を元手に、宝石取引などで他国にまで資産運用を広げていた。ヨルダのように直接仕切るのではなく、仲介を何重にも挟んでいるため、調査は難航しているらしい。
――最終目的が人身売買なので、簡単に足がつかないようにしていたのだろう。
たぶん、この先数年はまだ見ぬ犯罪が掘り起こされるのでは……と関係者全員が戦々恐々としているところなのだ。
「でもそれなら、元当主と一緒にクリノクロアへ行くのはどうかと思うけど」
足を組んで座ったシルバーは不機嫌さを全面アピールしつつ、ライムをにらむ。
ライムがクリノクロアへ行く、それだけなら彼はまったく気にしなかっただろう。――しかし、問題はその行き方だった。
グライン・ダイアスと同様に、引き上げるクリノクロア当主に一緒について行くのであれば良かったのだが……。
彼女はクリノクロア家へ引きこもる前に一度、ホーンブレンにあるダイアス家の研究施設の片付けをする必要があるらしい。
あそこはライムが商品開発で使っていた施設で、まだ製品になっていないアイデアの塊……見る人が見れば「宝の山」がゴロゴロ転がっている。
ダイアス家内部の今後の体制が決まっていないこと、加えて、一族の中でも元当主やライムに反感を持った人間は存在する――ということを踏まえ、それらからライムの所有する知財を守るための対処である。
(由緒正しい家の人たちは大変だなあ)
ステラはいつもの感想を抱いたが、よく考えてみたらステラの父親も、実は内部で揉めて家出をしているので他人事ではなかった。
もしリヒターがレグランドに滞在するための案を出してくれていなければ、そして、クリノクロア家が同意してくれなければ――ステラたちリンドグレン一家は「クリノクロア家へ戻れ」と命じられてもおかしくない状況だったのだ。
――そしてこれが、現在のシルバーの不機嫌の理由だ。
ライムは一時的にレグランドに滞在しつつ、ホーンブレンの施設の後始末をする。それが終わってからクリノクロア家へ向かうのだが……。
クリノクロア家の正確な位置は基本的に一部の者しか知らない。従って、場所を知っている者――一度行ったことがあるレビンがライムを送り届ける事になった。
……そのついでに、ステラとコーディーを含めたリンドグレン一家全員でクリノクロアに顔を出しなさい、という当主命令が下ったのだ。
やっと王女の面倒ごとが終わったのに、再びステラが遠隔地へ旅立つ。
もしかしたら、なんだかんだ理由をつけてなかなかレグランドに帰らせてもらえないかもしれない。
シルバーはその不満を、ライムへとぶつけている……つまり完全な八つ当たりをしているのである。
ライムもそれを理解していて、若干の後ろめたさを感じているらしい。それで、嫌そうな顔をしつつもシルバーの相手をしているのだ。
「わざわざクリノクロアを頼るのは親父の心配症せいだよ。じいさまに近い立場だったあたしは、じいさまに恨みを持ってる精霊術士に狙われる可能性があるからな」
「家に籠もって機械いじってればいいじゃん」
「はじめはあたしだってそのつもりだったんだ。……でも精霊術のことだけじゃないんだよ。あたしも婚約云々の関係で何回か王弟妃と会ってたし、なれの果て? の影響を受けてるかもしれないってのもあってさ」
そこまで頻繁に会っていたわけでもないグラインでも、かなり強く精神面を汚染されていたらしい。
しかも、見た目ではわからないというところがまた、たちが悪い。
例えばシルバーを呪ったエレノア・ユークレースのように、大量の成れの果てがまとわりついていたらわかりやすいのだが……グラインやライムの周辺にはそれらしき影も気配もない。
おそらく普通の人であれば問題にならない程度の汚染だが、グラインはダイアス家の血をひいているせいで効果が倍増してしまったのだろう。
そうなるとライムも、回数が少ないから、と安心はできない。
「……べつに影響なんか受けてないと思うんだけど、こればっかりは自分じゃ自覚できないみたいだしな」
肩をすくめたライムに、シルバーは可愛らしく首を傾げた。
「ちなみにその性格のゆがみは呪いじゃなくて生まれつき?」
「ク・ソ・ガ・キ・が。お前にだけは言われたくねえよ」
「参考までに事実確認しようとしたまでですけど?」
売り言葉に買い言葉で――というよりもシルバーが一方的に絡んでいるのだが、とにかくそろそろライムの我慢が限界を超えそうだ。
ステラは自分の隣に座るシルバーの手の甲を軽くつねった。
「そこまで。シンはそろそろ拗ねるのやめてください」
「拗ねてない」
「拗ねてる人はそう言うんです。とりあえずこれからの話しておきたいんですけど」
ムスッとしたシルバーはとりあえず置いておいて、ステラはライムのほうへ視線を向ける。
「ライムさんがホーンブレンの研究施設をかたづけるあいだは、ユークレース本家にある我が家……っていうの微妙だな。……えっと、うちの家族が使わせてもらってるお屋敷に滞在するって事でいいんですよね」
本当ならホーンブレンの施設に泊まり込んだ方が効率がいいのだが、精霊術士やダイアス家内部の者からの襲撃などの可能性は否定できない。
そのため、ユークレース家当主の近くで、なおかつ精霊を寄せ付けないステラやレビンのそばにいるのが一番安全だろうという話になったのだ。
「うん。よろしく」
「はい。そして、それが終わったらうちの家族と一緒にクリノクロアの家へ。……父が『一瞬顔出したらすぐ帰る』ってしつこく主張しているので、たぶんライムさんを送り届けたあと一日二日くらいでレグランドに戻ると思います」
レビン的には一日二日どころか、すぐさまとんぼ返りしたいようだったが……今回はステラの母のコーディーも同行するので無理はさせられない。
そもそも、クリノクロアの家はフェルグが「辺境」と言っていたとおり、距離的に遠い上に道もあまり整備されておらず、かなり行き来しにくいところにあるらしい。
近隣街まで行くにも山をひとつ越えなければならないらしく――山をひとつ越えるのが「近隣」なのかという点はさておき――、天候なども気にしつつの行程になるだろう。
「ライムさんが滞在中に機械いじりとかするつもりなら、必要になりそうなものはレグランドにいるうちに用意して持って行った方がいいって、お祖父ちゃ……クリノクロアの当主様が言ってたので――」
「お祖父ちゃん? そんなふうに呼んでたっけ」
ステラがうっかり言いかけた呼称を、シルバーがわざわざ拾ってくれる。そのまま言い直して流そうとしたステラは顔をしかめた。
これまでの人生で自分の祖父母と縁がなかったステラは、気恥ずかしさも手伝って、フェルグのことをよそよそしく「当主様」と呼んでいた……のだが。
「……当主様に『お祖父ちゃん』って呼べって言われて。……しかも、わりとしつこくて……」
当主様と呼びかけるたびに毎回、「お祖父ちゃんと呼びなさい」「お祖父ちゃん」「お祖父ちゃんだろう」と返ってくる。
正直な恥ずかしさはまだあるのだが、「当主様」呼びでは返事をしてくれないこともあるため、ステラが根負けする形となったのだ。
「あの顔で内心大はしゃぎかよ、あの爺さん」
「見た目に似合わずマイペースだよね、あの人……」
「とっ、とにかく、あっちにどんな物があってどんな物はないのかっていうのを詳しく知りたかったら、直接聞いてくれって。それか、書簡のやりとりならそんなに時間かからないから、リストにまとめてあとで送ってくれてもいいって言ってました」
「了解了解。何から何までスマンね」
「いいえ。……むしろ、むこうでうちの祖母が迷惑をかけるかもしれないので、そのくらいしないと」
そう言いつつ思わず目をそらしたステラの様子に、ライムは怪訝な表情を浮かべた。
「迷惑? なんか面倒な性格なのか」
「ん――えー面倒というか……変わったタイプの方というか」
「どうせあとで会うんだから、ここで濁す必要ないだろ」
「そうなんですけど、どう表現したものかと……」
うーん、とステラが唸っていると、シルバーが代わりに口を開いた。
「簡単に言うと、出会い頭に斬りかかってくるタイプ」
「……はあ!? 『変わったタイプ』で済ませていい範囲超えてるだろうが、それ!」
ステラだってそう思う。一般的な「お祖母ちゃん」という存在は、孫やその周辺の人々を襲撃したりしない。
――というか、普通の人はよほど切迫した理由がなければ斬りかかったりしないのだ。
「でも、そういう感じの方なので……」
「どういう感じだよ!!」




