141. 諸々の調整
9/26 いずみノベルズさまよりステラは精霊術が使えない5巻発売です。
ヨルダ様の書き下ろしSS書かせていただいておりますので、よろしくお願いいたします!
大きく開けられた窓から入ってきた風が、繊細な刺繍を施されたカーテンを揺らして滑り抜けていく。
――それは、ステラが初めて王宮に足を踏み入れた夏の初めの頃とは明らかに違う、柔らかな涼しさを含んだ風だった。
(もう秋がくるんだなあ……)
呪いで眠っていた昨年に引き続き、ステラはまたレグランドの夏を堪能することができなかったのだ。
暑いのは嫌だが、季節限定で販売されるというスイーツや海水浴場が人気だというレグランドの夏を楽しみにしていたステラとしては、(……これも呪いのひとつなのかもしれない)と苦笑するしかなかった。
そんなステラの夏を丸々奪った王宮生活から、やっと解放されることが決まったのが三日前。
そのあとすぐレグランドに戻れるのかと思いきや、ステラにはよく分からない王宮名物の「諸々の調整」で二日ほど留め置かれたが、ようやく明日王宮から出ることができる。
そんな謎の「諸々の調整」のうちのひとつ、そして皆の頭を一番悩ませたのが、ダイアス家当主……現在は「元」当主のグライン・ダイアスの処遇だった。
彼は王弟妃に関連した一連の事件と、そして積み重ねてきた自身の不正行為によって完全に当主としての立場を失ってしまった。
それだけならば、ダイアス家で話し合って隠居させるなり罰するなりすればいいのだが……。
問題は、彼が、王弟妃が呪術の為に捕らえていた精霊――ステラの祖父、フェルグ・クリノクロアの言葉を借りれば「成れの果て」――の影響を受けているということだった。
呪術で呪われていなくても、「成れの果て」が囚われている場所に長く留まっているだけで人は軽い精神汚染を受けてしまう。
たとえば被害妄想に取りつかれる、疑心暗鬼に陥りやすくなる、幻覚幻聴に悩まされる……などなど、精神面で様々な悪影響を受けるのだ。
そしてそれにプラスして、「成れの果て」から影響を受けた人間は、精霊たちからとても嫌われて精霊術が使えなくなってしまう。
これは、ステラのようにもともと精霊術が使えない人間ならば関係ないのだが……。
(いやいや、私はまったく使えないわけじゃないから関係あるけど!?)
……気を取り直して、ここでグライン・ダイアスの話に戻る。
もとより精霊から敵視されていて、精霊術が効きすぎるという呪いを抱えたダイアス家の彼は、もちろん精霊術など使えない。
だからグラインも関係ない……とはならないのが、「旧家の呪い」の呪いたる所以だ。
たとえば、街中で鉄板焼屋台の店主が精霊術を使って火を着けようとしているところに通りがかったとしよう。
それが、成れの果ての影響で精霊に嫌われた一般の人間だったなら、店主の使った精霊術が不発に終わったり、はたまた着いた火が弱すぎて調理できない……という結果になる。
しかし、それがダイアス家の呪いを抱えたグラインの場合――。
食材の載った鉄板を熱するはずの火は、通りがかったグラインに反応して鉄板を包み込む勢いで燃え上がり、屋台を黒焦げにしてしまう……などということも起こりうる、らしい。
現代において、精霊術士を名乗れるほど強力な精霊術を使える人間はかなり少ないのだが、前述の火起こしのような簡単な精霊術を使える人間は多い。精霊術は市民生活のあらゆる場面で使われているのだ。
そんなふうに精霊術が日常使いされている街中に、グラインがいたら――。
「歩く自然災害だね」
その話を聞いた際、精霊を暴走させるプロのシルバーがそう表現したように、グラインの移動と共にあちこちで悲鳴が上がることになるだろう。
実際に「成れの果ての影響を受けたダイアス家の人間」は過去にも存在したらしく、多数の怪我人を出したという記録も残っているらしい。
***
「……そういった理由で……クリノクロア家に、グライン・ダイアス氏の身柄を預かっていただきたいのです」
国王補佐官のホーリスがクリノクロア家に割り当てられた部屋へ尋ねてきて、本当に申し訳なさそうに身を縮めながらそんな話を切り出したのは、旧家の面々が明日には王宮から引き上げる……という日の夕刻だった。
王宮としては、民の安全を守るという観点から「歩く自然災害」を街に出すわけにはいかない。しかし、王宮内に留まらせておくと今度は良からぬ企てに利用しようとする者が現れるかもしれない。
そもそも、王宮内には呪術の舞台となった王弟妃の屋敷がある。ドラゴンのキノが術を無効化したとはいえ、汚染源だった場所の近くに彼を留まらせておくのも不安が残る。
「それはダイアスの家の中で解決するべき話だろう……って言っても、ダイアス家の中の人間はもれなくダイアスの呪い持ちだもんなあ……」
いつもしかめ面をしているフェルグに負けず劣らずに顔をしかめたレビンが、ホーリスに言い返そうとしたのだが……途中で自らそう結論づけて肩をすくめた。
確かに、成れの果ての影響を受けて精霊の怒りを買っている人間を、精霊に嫌われているダイアス家の人々の中に放り込む……というのは、あまり良い案だとは思えない。
「ええ。現状、かの方はどこであっても受け入れが難しいという状態なのです……」
おそらくこんなギリギリになるまで対応を模索していたのであろうホーリスは、やはり申し訳なさそうな顔で相づちを打った。そして続ける。
「汚染の原因となる『成れの果て』から隔離しておけば、時と共に影響が弱まっていくという文献もございます。そこで、まずは三ヶ月ほど期間を区切り、様子を見ていただけないでしょうか」
「それがダメだったら続けて三ヶ月、また三ヶ月と繰り返していくと」
皮肉を含んだレビンの言葉を苦笑で受け入れ、ホーリスは続ける。
「そうはならないよう、こちらで解決策の検討を続けます。王宮内での不祥事ですから、クリノクロア家にばかり負担を押し付け続けるわけにはまいりません」
「……まあクリノクロアに負担があろうがなんだろうが、俺には関係ないが。決めるのはジジイだからな」
レビンと、そしてステラがこれから暮らす場所は、クリノクロア家の敷地ではなく、ユークレースのお膝元のレグランドだ。
クリノクロア家がグラインを受け入れようが、無理やり押しつけられようが、結局のところ関係がないのだ。
レビンは、相変わらず顔をしかめて黙り込んでいる自分の父親を見た。
「……まあ致し方ないだろう」
フェルグは深いため息とともに了承の言葉を吐き出した。
「ひ、……引き受けてくださるのですね!? ありがとうございます!!」
ホーリスはしばらく目を瞬かせてから、パッと表情を明るくさせて少々裏返った声で謝意を述べた。
どうやら彼は、こんなにすんなりと了承が得られるとは思っていなかったらしい。
「乗りかかった船だからな。……しかし、うちは辺境のあばら屋ゆえ、贅沢なもてなしなどを期待されては困るというのは伝えておいて頂きたい。いくらなんでもそこまで厚顔ではないだろうが、一応」
「!――もちろん、グライン卿に伝えさせていただきます」
「むこうにも準備が必要だろう。合流する場所を決めてもらえばこちらから迎えを――」
「いえ、グライン卿はすぐにでも出発できるそうです。必要な荷物は後日送るとのことで」
「……」
「あ、グライン卿の令孫のライムさんもあとから合流を希望しておりますので、そちらもよろしくお願いいたします」
「……孫?」
「それでは、大変申し訳ございませんがこのあと会議が控えておりまして……。私はここで失礼させて頂きますので、細かい条件などは改めてお知らせさせていただきますね。調整が必要な場合はその折に」
「……」
矢継ぎ早にそう告げると、ホーリスはフェルグの返事を待つことなく、来たときとは打って変わった晴れ晴れとした笑顔を浮かべ、足取り軽く部屋から出て行った。
あとに残されたのは、そんなホーリスの変わり身の早さに呆然とするクリノクロア家の面々だ。
「……押しつけられたな……」
苦笑いを浮かべたレビンの言葉に、フェルグはこめかみを押さえ、深いため息で答えた。
「……これだから王家と関わるのは嫌なんだ」




