134. 聞きしに勝る
胸騒ぎに根拠などなくて、単なるステラの勘でしかない。
それでもどうしてもここにいなくてはならない気がするのだ。
お互いに、さてどうやってわかってもらおうか……と考えあぐねていると、くつくつと忍び笑いが聞こえてきた。
途端にレビンの眉がつり上がる。
「……なに笑ってんだよ」
ステラが今まで聞いたことがないような不機嫌な声とともに、レビンは笑っているフェルグを睨み付けた。
「ふっ……無鉄砲の見本のようなヤツが、自分のことを棚に上げて道理を説いている姿はなかなか面白いものだと思ってな」
「うるせえクソジジイ」
ずっと席に座っていたフェルグが立ち上がり、ゆっくりとステラの前にやってくる。
先日アリシアが言っていたように、ステラやレビンよりも白みの強い桃色の髪に、皺が深く神経質そうな顔。細身で背が高く、やはりアグレルに雰囲気がよく似ている。
たとえるなら、歳を重ねて余裕を身につけたアグレル、というかんじである。――余談だが、「余裕」はアグレルに決定的に足りていないもので、年をとったからといって身につくかどうかは怪しい、とステラは思っている。
「……初めまして。ステラ・リンドグレンと申します……えっと、……当主様」
一応、ステラにとって血の繋がった祖父だ。……が、初対面の相手におじいちゃんとか、おじいさま、とか呼ぶのには抵抗がある。
そもそも、ステラが生まれたときには母方の祖父母も既に没していたため、単語としても馴染みがない。
迷った末に、当主という単語を口にしたステラを、フェルグはまじまじと見つめてくる。
「あの……なにか?」
フェルグの眉間には深い皺が刻まれていて、とても不機嫌そうな顔をしている。
アグレルの例があるので、「不機嫌そう=不機嫌」とは限らないが――なにか気に障るようなことを言っただろうか、と、ステラは必死に記憶を遡る。
「ふむ……。見た目がうちの家系に似なくて良かったな」
「へ」
「それには完全に同意する」
「は?」
長めに溜めた末にフェルグの口から出てきた言葉に、変な声が漏れる。
そして、ケンカ腰になっていたくせに「よくわかってるな!」と頷く父の姿には、「なに言ってるんだこいつ」と、思わず低い声が出てしまった。
――議会のあいだ、発言しているときも思ったのだが、もしかしてこの人は随分とマイペースな御仁ではないだろうか。
レビンが帰郷を嫌がっていたことや、妻であるローズのあの性格からして、とんでもなく苛烈で恐ろしい性格の人物を思い描いていたのだが……。
(怖い人ではないのかな……。顔の怖さで言ったらガイさんの方が数段上だし……)
「初めまして。私はフェルグ・クリノクロアだ。このバカ息子がバカだったせいで、君と君の母君には随分と苦労をかけたようだ。教育不足で申し訳なかった」
「……父さんがお利口だったら、私は今ここにいませんでした。謝罪は受け取れません」
「ははっ、たしかに言うとおりだ」
フェルグはそう言って、目元を和ませる。それを見ていたレビンが「うわっ」と声を上げた。
「ジジイのそんなデレデレした顔初めて見たわ……」
「……当然だ。うちにかわいげのある人間なぞ一人もおらんのだからな」
「ああ……まあな……」
***
そこからポツポツと当たり障りのない話を――いくら近く人がいないとはいえ、謎に満ちた家門であるクリノクロアの内部事情を詳しく聞くわけにはいかない――していると、ガチャ、と続き部屋になっている隣室の扉が内側から開かれた。
扉を開けたクレイスがそのまま戸を支え、次にヨルダがカツカツとヒールを鳴らしながら出てくる。
……一応、今はまだ二人とも後継者候補という同列の立場なのだが、この光景は完全に従者と主人にしか見えない。
きっと中で話をしているときも、クレイスはあんな調子だったのだろう。
「あら、ご歓談中でしたか」
ヨルダは集まって話をしているステラたちを見つけると、ニコリと微笑んだ。そして視線を、部屋の隅へと向ける。
「無理しなくていいのよ、リシア」
「そっ……そ、そういう、わけには……ん」
振り向くと、リシアがよろよろと立ち上がるところだった。……無理しなくていいと言われても、国王や王女がいる前で膝を抱えて丸まっているほうが無理だろう。
「……ヨルダ様」
「私のわがままを聞いて頑張ってくれたのだから、休んでいていいのに……」
「ヨルダ様」
「え? ……なにかしら、クレイス」
まだ青い顔でふるふる小刻みに震えているリシアに苦笑していたヨルダは、クレイスの声にハッと振り返った。
彼の声はひどく硬く、緊張感が漂っていた。
何か問題でも起こったのか――そこにいる全員が、クレイスに注目する。
「アレは、どういうことですか」
「……アレ?」
ヨルダは首を傾げ、そしてクレイスの視線を追いかけて「……ああ」と呟いた。
視線の先にあったのは、ステラにくっついて、なおかつその手を離すまいと握っているシルバーの姿だった。
「彼はヨルダ様の婚約者でしょう。なぜ、その彼があなたの侍女に言い寄っているのですか」
クレイスは怒り心頭で、それでも声は荒らげまいと抑えているのが丸わかりだった。
一応、このあいだクレイスの部屋で話をした際に、ヨルダとシルバーの婚約は政略的なものであるというニュアンスは伝わっているはずだが、……それはそれとして、やはりヨルダがないがしろにされるのは腹が立つらしい。
「ええ、そうね……」
ヨルダは思案顔で宙を睨んだ。
すでに目的の大半は果たしているのだから、少なくともクレイスにはネタばらしをしてもいいのではないか。しかし、万が一ということも――。
そこで、ハッと思いついたように口を開いたのはレビンだった。
「そうですよ、シルバー公子。王女殿下という婚約者がありながら、侍女に目を移すとは……。王女殿下、その侍女がそばにいては不安ではありませんか? よろしければ我が家門で一時、彼女の身柄をお預かりしますが」
「うわ……」
いかにもヨルダ王女の心配をしていますという顔で、レビンが一気にまくし立てた。
クレイスの誤解を利用して、ステラをヨルダから、そしてシルバーからも引き離すつもりなのだ。これにはステラもドン引きである。
「ふっ……ふふふ、『聞きしに勝る』ね」
その『聞きしに勝る』に続く言葉は、『親バカ』だろう。
ヨルダは笑いながら、レビンに軽い会釈をした。
「クリノクロア卿、とお呼びしてよろしいのかしら。……お気遣いには及びませんわ」
「ヨルダ様、ですが!」
「いいの、クレイス。私は恋人同士を引き離す主人ではないのよ」
「……は?」
恋人同士を引き離す主人とは、アリシアが騎士団の隊舎に忍び込む際に使った作り話のことだろう。
ヨルダはクスクス笑いながらステラとシルバーの前までやってくると、くるりとクレイスのほうへ振り返った。
「改めて紹介するわ。この二人は、リシアたちと同じ協力者よ。私がお願いして、嫌がるシルバーに無理矢理婚約者役をやってもらっているの」
「お……願い?」
「そう。そして、リンの本当の名前はステラ。そちらにいるレビン氏のご息女よ。つまり、話題の『クリノクロアの孫娘』」
「…………え!?」
クレイスはパチパチと瞬き、ステラを見た。
そこに、ヨルダがもう一つ付け加える。
「シルバーとステラは恋人同士だから、目くじら立てないであげて」
「なっ……それは……?」
完全に混乱した表情で、クレイスはヨルダ、シルバー、ステラ、ついでにレビンの顔を順番に見回す。
……無理矢理婚約者役をやらせている。偽名の侍女。まさかのクリノクロアの孫娘。そしてユークレースとクリノクロアという、微妙な関係の家なのに恋人同士……。
一気に詰め込むには情報量が多すぎて、混乱するのも道理である。
そんなクレイスをおかしそうに眺めていたヨルダは、ふと思いついた顔でさらに付け加えた。
「ああ、あともう一つ。リシアの隣にいるアリシアは、シルバーの弟なの。かわいいでしょう」
「「「……えええ!?」」」
クレイスだけでなく、ここにはライムとレビンの声もきれいに重なった。
「……弟ってあの黒髪だろ? いや、あの侍女誰だろうとは思ってたけど……」
「弟って……アルジェン? 『あの』?」
レビンの言う『あの』が、「三階の窓から部屋に飛び込んできてリシアを泣かせた『あの』アルジェン」なのか、「とりあえずバトルしようぜと迫ってきた『あの』アルジェン」なのかは不明だが、とにかくレビンもライムも、アリシアを完全に女の子だと思っていたようだ。
そんな二人は、アルジェンのあまりに完璧な女の子ぶりに驚いているのだが、一人だけ、様子が違った。
「弟?……男……」
口の中で、男だと……? と呟くクレイスに、ステラは慌てて説明を付け加える。
「あっ! あの、アルは男ですけど、ヨルダ様の私室に入ったりはしていませんよ! マール様とも取り決めをして、そこはちゃんとしてますから! ……ねっ、アル!」
「うん」
さすがのアルジェンも不穏さを感じ取ったらしく、同意を求めたステラに素直にコクコクと頷いた。
「取り決め……そうか……。夫人が監督をされているというなら、心配はないだろうが……」
「クレイス、余計な心配をしすぎよ」
ヨルダが呆れた顔でため息をつくと、クレイスはヨルダに詰め寄る勢いで「余計などではありません!」と声を張った。
「ヨルダ様はもう少し警戒心を持って下さい。あなたのように美しく聡明な方に恋焦がれない者など、この世にはいないのですから!」
「クレイス、そういう大げさな言い回しはやめてと昔から言っているでしょう」
「大げさではありません。ヨルダ様は歳を重ねる毎に、美しさに磨きがかかっているというのに!」
おそらく全てを本気で言っているクレイスと、それを全て単なる誇張表現だと思っているヨルダの、すれ違いまくりの会話を眺めていたライムが、半眼でぼそりと呟く。
「な? あたしが婚約破棄したいのわかるだろ?」
「わかる……」
ステラとアルジェンは彼に会ったときにだいたい感じ取っていたが、この状態のクレイスを初めて見るシルバーは、「うわあ」という顔で頷いた。
「……随分と賑やかだな。どうした、クレイス。大きな声を出して」
そんな中、査問の打ち合わせを終えて隣室から出てきたフレイム国王が、クレイスの大きな声に戸惑った様子で声をかけてきた。
ステラがそちらに目を向けると、フレイム国王だけではなくノゼアンもそこにいて、ちょうど最後に出てきたホーリス補佐官が、隣室の扉に鍵をかけているところだった。
「いいえ、ただ歓談に興じていただけですわ、陛下」
「そうか。問題があったわけでないのならいいが……」
フレイム国王は諸々のことで相当頭が痛いらしい。これ以上問題を起こすな、と言外に聞こえてきそうな口ぶりだった。
――しかしそんなフレイム国王の願いは、廊下から慌ただしく響いてきた足音の前に、もろくも崩れ去っていった。
「失礼いたします!」
「どうした」
「こっ、国王陛下……!」
飛び込んできたのは騎士団の制服を纏った男で、クレイスを呼びに来たらしい。しかし、そこにいた国王と王女の姿に驚き、慌てて床に膝をついた。
フレイム国王は「続けなさい」とクレイスに頷いてみせる。
「構わない。報告しろ」
「はっ! ……ミネット王弟妃殿下を連行するため私邸へ向かった者たちが、館に近づいた途端に昏倒状態に陥りました。また、倒れなかった一部の者たちが異常行動を起こしているようです。――副団長のご指示を!」




